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1971.1.8生まれ O型 180cm 78kg 右投右打
1988年 ドラフト1位 大分県津久見高校→ヤクルト

採点は、良いA⇔E悪いとなっています。川崎投手の母・フミエさんが採点しています。

年度 試合 完投 防御率  Mr.川崎のちょっと一言  母・フミエさんの採点
1998 29 17 10 3.04 やったぜ最多勝&沢村賞
1997 22 4.19 シーズン頑張れたので・・・
1996 3.86 非常に寂しい年でした E
1995 1.82 涙の日本シリーズに感激 D(シリーズA)
1994 20 4.79 もっと頑張って欲しいですね C
1993 27 10 3.48 本当に良い年でした
1992 14年ぶりの優勝に貢献できず E
1991 28 15 14 2.91 2年連続2ケタ勝利 B
1990 29 15 12 13 4.05 2年目のジンクスは無し B
1989 23 3.94 Gキラー誕生 C
通算 190 56 73 59 3.61



 


Mr.川崎が、母・フミエさんにいろいろと聞いてみました。

Mr.川崎:川崎投手の名前は誰が付けたんですか?
母・フミエ :おじいちゃんが付けました。

Mr.川崎:名前の由来は?
母・フミエ :当時、佐賀大の教授が祖父の友人で、その名前が「ひわたし けんじろう」と言う事で
       年賀が届いたことがきっかけです。

Mr.川崎:野球を始めたのはいつ頃ですか?
母・フミエ :おじいちゃんが買ってくれたユニホームを着て、5歳の時からずっとピッチャーだったんです。

Mr.川崎:小さい頃の川崎投手は、どんな子でしたか?
母・フミエ :おとなしい子供でした。

Mr.川崎:好きな食べ物は、?
母・フミエ :果物は、メロンが好きですね。
       ケーキだったら何でも好きですね。
       ご飯を小さい時は食べなかったのに、大きくなってくれました。


喜ばすのが上手な子です。
慰めないといけないな・・・・・・と思って電話すると、逆に慰められることが多いんです。
本当に親孝行してくれます。



憲次郎のバースデーの日に、福岡からファンの高校生が来た時、電車代しか持ってなかったらしく、タクシー代が無く途方に暮れていたファンを見た母は、タクシー代をあげて憲次郎が泊まっている別府のホテルに母が電話し「 今からファンの子が、プレゼント渡しに行くからもらってあげて 」と言ってくれたらしく、そのファンの子はプレゼントを直接手渡し出来たそうです。本当に、ファンを大切にするお母さんです。
  

93年にヤクルトスワローズサークル・燕倶楽部を発足。2ヶ月に1回会報を発行し会員の皆さんの情報交換の場として活動していました。こんな中、プロ野球Aiにサークル紹介され、入会希望者手紙が全国から2000通も届きました。入会者は2000名の中から約200名に限定しての活動となりました。
この年はヤクルトも2年連続優勝で会報の10月号も優勝記念号と決定、会員で津久見市の方に川崎投手ファンが居りましたので、リポーター役を任命し母・フミエさんにインタビューして、『憲次郎がいっぱい』と言うタイトルで会報に掲載致しました。それがきっかけで、西都キャンプでお会いしたり、実家の方に電話を長時間したり、サインを頂いたりと、いつも楽しいお付き合いをさせて頂いています。
昨年は、最多勝を獲得した川崎投手ですが、球団からタイトルのグッズが発売されなかったので、私がオリジナルテレカを作ってフミエさんに譲りました。
これからも川崎投手の活躍を期待し、母・フミエさんとも末永くお付き合いをしていきたいと思います。


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