The Moonchaser's Inquiry

Vol.2

ニュースだよ、ニュウーースだよ

 「読みつづけること。そうすれば、いずれ明らかになろう……」
    ――伝説の神秘論者にして学者、〈嘘つきジャッカル〉ラリヤーク

会議室にて

 「ストーンブリッジ攻略の指揮はわたしにお任せください」
  メネル皇子が席から立ち上がって言った。その眼には見る者の心胆を寒からしめる邪気が宿っていた。
 「よかろう、余の軍を貴様に預けようではないか」
  魔術王である〈闇の祖〉は愉快そうな表情を浮かべた。
 「では、〈赤の顎〉編成軍のほうはいかがいたしましょう」
  アストリア・ガラスリムが尋ねた。この美しい顔立ちの皇子は、椅子の背にだらしなくもたれて軽薄さを装っているが、シェルン・ケリスリオンに彼の実力を見誤る者などいなかった。
 「月岩山地に進めようと思う」と、〈闇の祖〉。
 「なるほど、昔の地下道を利用するのですな。地上の者どもは突如現れたわが軍にさぞ泡を食うことでしょうよ」
  アストリアはいつもの癖で声を上げて笑った。
  すると、〈闇の祖〉の傍にしゃがみこんでいた人オークの道化が、ぴょこんと立ち上がって歌い出した。
ああ、この世はとっても残酷だ
食った、食った、泡食った
何にも知らない地上のやつら
食った、食った、岩食った
泥土より愚かなオークの連中
食った、食った、人食った
はらわた好きのオーガーども
飲んで、歌って、踊ろうや
勝利に酔いしれる闇エルフ
ああ、この世はとっても残酷だ
ああ、この世はとっても残酷だ
 「控えよ、モモス」
  〈闇の祖〉は冷たく言い放った。
  モモスと呼ばれた道化は不満げに鼻を鳴らしたが、部屋の隅に引っ込んで座り込んだ。どこか人オークらしからぬ邪悪さを秘めている。
  アストリアは蔑むように道化を見やってから話しだした。
 「他軍の動きが気になるのですが――」
 「ヴェリコーマ」〈闇の祖〉が低い声で呼びかけた。
 「わがしもべの報告によれば、ザラダン・マーの軍は南部侵攻のため逆風平原に向かうとのこと。月岩山地で戦端が開かれる心配はございません」
  ヴェリコーマ皇女は表情ひとつ変えずに答えた。
 「すばらしい。では、〈赤の顎〉にふさわしい将を選びたいのだが……」
 「それについては、わたくしに推薦させていたただけませんか」
  リア・ガラスリムが〈闇の祖〉に向かってにこやかに言った。
 「カルハロス家の五本指の次男坊アルタソロン・カルハロス、〈ホーツィンの爪〉と異名をとる美丈夫ですわ。実に華やかな公達で、わが軍の威光をさらに引き立ててくれることでしょう」
 「派手好きな男に大切な軍を任せていいのかしらね」
  ヴェリコーマは唇の端をかすかに歪めて、口を挟んだ。
 「あら、着飾るだけの軍人に〈ホーツィンの爪〉の名は与えられなくてよ」
 「ホーツィン……伝説の猛鳥だな。巨大な翼に、邪悪なくちばし、そして長く伸びた鋭い爪」と、アストリア。
 「五本指の名もまた飾りではあるまい。アルタソロンを〈赤の顎〉司令官に任じよう」
  〈闇の祖〉はそう結論を下した。
 「さてと、問題はダークウッドの南に建つ塔に住む、魔術師のことだが……ヤズトロモとか言ったな」
  ここで〈闇の祖〉は会議室の隅で椅子に腰掛けていた人物を見やった。シェルン・ケリスリオンのメンバーでも道化でもない、第七の存在である。
  それに気づいたアストリアが不快そうに鼻を鳴らした。
 「はっ、〈裏切者〉の意見なぞ聞くまでもありませぬ。ただの無害で愚かな男ですよ、あの魔術師は」
 「そうかな、ヴェリコーマはどう考える」
 「人の子にしてはなかなかの術者です。厄介なことにならないうちに捕らえるか、殺すかしたほうがよいかと」
  〈闇の祖〉は、沈黙を守っている灰色の肌をした男に顔を向けた。
 「おまえは自分の師を何と評価する、ミスレグ・グレイソーンよ」
  ミスレグと呼ばれた黒エルフは、猫のような黄色の瞳を魔術王の目に一瞬合わせてしまったが、慌てるように顔を伏せた。
 「畏れながら陛下、わが師であったヤズトロモなる男にさほどの力はございません。砂糖菓子欲しさに小商いする哀れな老人です」
  その態度とは裏腹に、ミスレグの答えは淀みなく、余裕すら感じさせた。
 「ほう、裏切ったとはいえ、やはり昔仕えていた師、命だけは救いたいというわけか」
 「滅相もございません。事実を申し上げたまででございます」
 「おまえの功績に免じて、信じてやるとしよう」
  〈闇の祖〉はそう言いながら、ヴェリコーマに視線を向けた。ヴェリコーマ皇女もまた素知らぬ顔で目を合わせた。それだけで十分であった。
  そして、ミスレグ・グレイソーンが顔を伏せたまま、皮肉な笑みをもらしていることに気づく者もいなかった。


舞台の裏で

  ヴェリコーマ皇女が露台からティランデュイル・ケルサスの街並みを眺めていると、背後から近づく影があった。〈裏切者〉と呼ばれる卑しき黒エルフ族の男、ミスレグ・グレイソーンである。
 「皇女様、御機嫌うるわしくおられるようで。拙者、御一緒してもよろしいでしょうか」
 「かまわぬ。そちの好きにするがよい」
  ヴェリコーマ皇女は振り向きもせずに答えた。
  ミスレグは皇女の隣に立ち、同じように街を見下ろした。光る苔や茸、ランタンの灯、そして蛍たちに照らされた景観が広がっている。
 「誠に美しい光景でございますな。まさに天上の星宿のごとき輝きを帯びておりまする」
 「そのような話をしにきたのではあるまい」
 「皇女様にかかっては、拙者の心などお見通しでありましょう」
 「ヤズトロモのことであろう。師の命乞いでもするつもりかい」
 「まさか、拙者はただ御忠告に参ったのです」
  ミスレグの言葉にようやく興味を覚えたヴェリコーマ皇女は、不動の姿勢を解き、手すりにもたれて黒エルフのほうを向いた。
 「聞こうじゃないか、ミスレグ・グレイソーン」
 「ヤズトロモの力を見くびってはいけません。皇女様は、闇エルフの魔術師数名と襲撃部隊を送り込めば、それで済むと思ってらっしゃる。彼らは無駄に命を落すことになるでしょう。〈黒の九賢者〉の力を結集するくらいの御覚悟が必要です」
 「会議のときとは随分違うようだね。今度は真実味があるが、なぜ陛下にそう申し上げなかったんだい」
 「ダークサイドでは貴重な情報はすべて皇女様のもとに集まってくるそうで」
  ミスレグは身をかがめて皇女の手に接吻した。
 「わらわは賢い男が好きじゃ。だが、裏切者は信用せぬことにしている」
 「闇エルフのために成したことでございますよ。陛下も拙者の功績を認めてくださりました」
 「アノルスの森エルフも哀れよの。ヤズトロモの弟子として信頼していたそちに裏切られたのだからな」
  ヴェリコーマ皇女は冷ややかな態度を崩さなかった。
 「もはやアランシアの地は邪悪と混沌の力に支配されております。ならば、闇エルフによって統治されるのが世界のためでございましょう」
 「世界のために仲間を売ったと申すか」
 「地上でまず森エルフとの闘いに陥ったのでは、他の勢力に遅れをとっていたでしょうからな。どうせ善の力は屈する運命にある。ならば早いほうがいいでしょう。それが闇エルフの繁栄につながるならば」
 「炎に包まれた森エルフの死者どもがそちの話を聞いたらどう思うか……だが、気に入ったよ、ミスレグ」
  ヴェリコーマ皇女はようやく笑みを浮かべた。しかし、それは唇をかすかに吊りあげただけで、心を刃で貫くような眼は鋭いままであった。
 「拙者の忠誠は皇女様に捧げられております」
  ミスレグは再び皇女の手に接吻した。ヴェリコーマ皇女はそれを受け入れた。
  二人は廊下から足音が近づいてくるのを耳にした。ミスレグは皇女からさっと離れると、露台の端に身を潜めた。
  人オークの道化がひょこひょこと廊下を通り過ぎた。
  やがてモモスの戯れ歌が遠くから響いてきた。
ああ、この世はとっても残酷だ
ああ、この世はとっても残酷だ


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