The Moonchaser's Inquiry

Vol.3

金貨一枚あれば、おれのニュースが買えるんだがなあ

 ダークウッドの森はたくさんの邪悪な生き物のすみかであり、その地下深く、大洞窟にある闇エルフの都市は、この地の有名な伝説として長く語り継がれている。ダークサイドに棲む闇エルフたちの狩猟部隊が、夜の闇が訪れた後に森を徘徊し、離れた一軒家の農場を焼き、奴隷とするために人間を連れ去るという話は、おそらく本当のことだろう。
――『タイタン』より  


酒蔵にて

  ――ただちに酒蔵へ来い。V――
  伝言を受け取ったミスレグ・グレイソーンは、すぐさま宮殿の地下にある酒蔵へと向かった。銀色に輝く「V」のルーン文字は魔術王の署名にほかならない。その表情は、緊張の色を帯びているのか、それとも余裕に満ちた笑みを浮かべているのか、灰色のフードに隠されてよくわからない。ただ猫のような瞳が不気味にランタンの光を反射していた。
  ミスレグは長い階段を下りて、王室のために管理されている酒蔵の前に辿り着いた。木の扉を開くと小さな鈴がかすかに音を鳴らした。中は暗かったが、黒エルフの男には何の支障もない。
  燭台の置かれた樽の近くに、蝋燭の灯りにぼんやりと照らされた魔術王ヴィライデル・ケリスリオンの姿があった。
  「エルフの葡萄酒が飲みたくてな」
  〈闇の祖〉はミスレグのほうを向くこともなくそう言った。手に持った白葡萄酒の瓶を熱心に見つめている。
  「アノルスの森エルフから奪ったものですね」
  ミスレグは棚にはさまれた通路を進み、魔術王の傍に近づいた。
  「そう、酒蔵の使用人には銘柄がわからんらしい。サングァリンペの茸酒も悪くはないが……」
  「陛下は葡萄酒の味を忘れておられぬ」
  「まさしく。黒エルフの汝なら葡萄酒の知識もあるだろうと思うてな」
  ミスレグは軽くお辞儀して、もれる苦笑を隠した。
  「いま陛下がお持ちの白、吐き気をもよおすひどい代物ですよ」
  〈闇の祖〉はおどけるように顔をしかめてみせた。
  「汝を呼んで正解だったようだ」
  「こちらの赤をどうぞ」
  ミスレグは棚から赤葡萄酒の瓶を選び出すと、ナイフを使って手際よく栓を抜いた。魔術王の差し出したぼんやりと光を放つ玻璃の杯に鮮やかな色の液体を注いでいく。
  「葡萄の美酒、夜光の杯、だな。うむ、実に香り高い」 葡萄の美酒、夜光の杯
  〈闇の祖〉はじっくりと葡萄酒を味わっていた。
  「これは見事な年代ものだ。王侯にふさわしき銘酒といえる」
  「お気に召してなによりです」
  「余だけが楽しんでいてもつまらぬ。汝にも注いでやろう」
  〈闇の祖〉は一見無造作に棚から一本の瓶を引き抜いた。不吉な黒い刃の短剣で封を開けていく。流れるような動きで、用意された玻璃杯に薄紅の葡萄酒を満たした。
  「汝にはこのロゼを飲んでもらおう」
  〈闇の祖〉は笑みを浮かべたが、その目は探るように黒エルフの顔を注視していた。ミスレグの表情が微かにこわばった。
  「光栄です。いただきましょう」
  ミスレグは杯を受け取り一気に飲み干した。
  「まことにおいしゅうございました、陛下」
  「それは結構」
  〈闇の祖〉も己の杯を傾けていたが、不意に黒エルフに尋ねた。
  「汝はいったい何者だ」
  「見てのとおり、〈裏切者〉と蔑まれる黒エルフのひとりにございます」
  〈闇の祖〉はうんざりした様子で天を仰いだ。
  「自白剤ぐらいで正体を明かすような男ではないな。さほど期待はしておらんかったが」
  「何のお話をされているのやら、さっぱりわかりませぬ」
  「汝のような得体の知れぬ者を宮中に置いていてよいものやら……」
  「黒エルフは元々陛下の御意志に賛同した一族、されば――」
  〈闇の祖〉は手を払う仕種でミスレグを黙らせた。
  「余の前で戯言を申すのはやめい。思うに、汝は此度復活した混沌の代表者たちに匹敵する存在ではないかな。余が汝を思うところ大なのはそれゆえなのだ」
  「陛下こそ、お戯れを」と、黒エルフ。
  〈闇の祖〉は赤葡萄酒を呷って、つぶやきをもらした。
  「汝に裏切られたときが、余の最期となるやもしれんな」
  「まさか……」
  「そうかな」
  酒蔵に冷たい沈黙が流れた。


兄と妹

  「やはり本物かしらね、あの男」
  リア・ガラスリム皇女は、気怠るげに長椅子に横たわる兄の耳元で囁いた。
  「さあな。メネルの奴じゃないが、そんなことはどうでもいいのさ。あの男に〈闇の祖〉を名乗るだけの実力があるというならな」
  アストリア皇子はそう言って、欠伸をひとつもらした。
  「王はヴェリコーマの情報網を信頼しているようね」
  「そう、あの女の有用性をいち早く見抜きおった。その点は抜け目がない」
  「でも、ヴェリコーマは危険だわ」
  「そんなことは王も承知の上だろうよ。リア、おまえは何を懸念しているのだ」
  アストリア皇子は身体を起こして、妹の顔を見つめた。
  「王は魔王子マイユールの信徒に成り下がったんじゃないかしら。あの魔櫃は、苦悶の王宮からもたらされたものと聞くわ。そうだとすれば、アイルドン同様、一族を破滅に導きかねなくてよ」
  「たしかに。うわべではアル・アンワール・ゲリサンへの帰依を装っているが、実際はどうだかわからぬな」
  「あの男からはね、魔界の臭いがするのよ。それも血のような錆の臭い」
  リア皇女は眉を顰めてみせた。
  「美しい顔が台無しだぞ、リア」アストリア皇子は妹の顎に指を這わせた。
  「兄上ったら……いやなひと」
  アストリア皇子は妹に接吻したが、すぐに身を引き離し、長椅子から立ち上がった。念入りに手入れされた銀色の髪が顔に垂れかかり、髪に隠されずに見えている左眼は鋭く吊り上っている。他人には滅多に見せることのない真剣な表情だった。
  「もうひとり、目を光らしておかねばならぬ者がいるな」
  「あの〈裏切者〉のこと……ただの黒エルフでしょう」
  「ミスレグか。奴もまた簡単にかたづけられる男ではない」
  「奴も……ということは、兄上が危険だとおっしゃる人物は別にいるのね」
  リア皇女は首もとに手をやり、神経質そうに紫水晶を下げた銀の鎖を弄んだ。
  「道化だよ。〈闇の祖〉の傍にいつも控えているな」
  「まさか。モモスが」
  リア皇女は思わず吹き出してしまったが、アストリア皇子が表情を変えていないことに気づき、慌てて笑うのをやめた。
  「道化など、この宮廷にいくらでもいる。だが、奴は〈闇の祖〉が連れてきたのだ。あの男がわざわざ奴を宮廷に入れたのだ、モモスだけをな」
  「人オークに身をやつした、何かもっと危険な存在だと……」
  アストリア皇子は髪を払って、ゆっくりと頷いた。
  「そうだ。もしかすると、奴の名前どおりかもしれんぞ。魔王子イシュトラにはモルフェウスという士官が仕えていたな」
  「それではマイユールの――」
  リア皇女は言葉を失ってしまった。
  ――ふたりのいる部屋を沈黙が支配した。



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