山口県出身の歴代宰相
☆全国最多の7人輩出☆
伊藤博文(1841〜1909)
初代内閣総理大臣。大和町出身。萩に移り松下村塾に学ぶ。
愛するものは酒と女と煙草とちょろ剣(ちょろ剣とは、いつも腰にさげていた短剣)
憲法制定、内閣制度創立に尽力し、明治18年44歳(最年少)で総理大臣に。
日清戦争の講和全権大使、1905年(明治38)韓国統監。
ハルビンで韓国の独立運動家安重根に暗殺された。
山県有朋(1838〜1922)
大村益次郎亡き後、国軍の基礎確立に尽力。
明治初年欧米を視察し、徴兵令を制定。
日清・日露戦争を乗り切った。
萩市出身。笑顔どころか、顔の筋肉一つゆるめることがなかったといわれる。
桂太郎(1847〜1913)
萩市出身。通算在位期間7年10ヶ月の記録保持者。
山県有朋の下で軍制改革を推進。憲政擁護運動によって下野後、立憲同志会を組織。
1913年2月第一次護憲運動によって第三次桂内閣倒壊。
寺内正毅(1852〜1919)
山口市出身。長州閥の一人で、陸相。韓国統監を兼ねて韓国併合を推進。
初代朝鮮総督。1916〜18年首相となり、シベリア出兵・米騒動鎮圧を行う。
愛するものは故郷山口。どんなに偉くなっても本籍を東京に移さなかった。
田中義一(1863〜1929)
萩市出身。普通選挙による最初の選挙を実施。
1925年(大正14)政友会総裁。1927年組閣。対中国積極外交を推進、張作霖爆殺事件の責を負い総辞職。
名セリフ『ゴルフっちゅうもんはおもしろいもんらしいのう』
*仕事そっちのけでゴルフに熱中する下僚に対しても、笑って見ているだけであった。
岸信介(1896〜1987)
田布施町出身。1941年(昭和16)東条内閣の商相。1956年石橋内閣の外相、石橋の病気辞任後首相に就任。
1960年新日米安保条約批准を強行して総辞職。タカ派として影響力をもった。
ケンカが得意。
佐藤栄作(1901〜1975)
岸信介の弟。日本で唯一のノーベル平和賞受賞者。
1964〜72年、三次にわたる自由民主党総裁・首相在任中に沖縄返還などが実現。
愛するものは占いと饅頭。