吸血覇王アキバ系

 第1話

 1

「わるいけど、君。今日でクビね」
「は!? どうしてですか店長!」
「キモイから」

 2

「なんでこうなるの!?」
 マサキは、自分がたったいまクビになった本屋「まんがの城・町田店」をにらみつけた。 
 店先のショウウインドウには漫画単行本が売り上げ順に並んでライトアップされている。売り上げ上位に入っているのは美少女が表紙の大判コミックスばか り。同人誌即売会のカタログまでランクインしていた。普通の本屋では絶対ありえない。マンガだけでなく、戦闘機や戦車を『萌え化』した美少女フィギュアも 並んでいる。
 マサキのようなオタクにとって、好きなものに囲まれて働けるこの店は天国だった。
 しかしそれも今日限りだ。
「……はーあ……キモイかなあ」
 ため息をついて、自分の顔をベタベタ触った。体を見下ろした。
 彼はたしかにブ男だった。顔が細くて目つきが悪くて、前歯がネズミっぽく飛び出していた。背が小さくガリガリにやせているのでますます貧相で陰気に見え る。服装も典型的なオタクファッション、チェックのシャツとデカリュックとジーンズだ。
 ガリガリにやせた体を猫背にして、デカリュックを揺らしながらトボトボ歩き出す。
 「まんがの城」は裏通りにある。表通りに出ると、すぐ目の前にバスのロータリーがあって、クリーム色のバスが何台も行き交っている。ロータリーのむこう には丸井と東急デパートがネオンを光らせている。歩道を薄着の男女が歩いている。
 家に向かって、歩道をまっすぐ進んでいく。
 喫茶店があった。ゲーセンがあった。ふだんは「創作の着想を得る」とかいっていろいろなところに寄るが、今日ばかりは眼に入らない。まっすぐ家まで歩く つもりだった。
 気分は落ちこんで、心の中はドロドロした不安で一杯だった。
 (……これからどうしよう。家賃は大家さんに待ってもらうとして、問題は同人誌の印刷費とエロゲー代だよな……。今月は買いたいものが3本もある。2万 5000円か……)
 いつのまにかブツブツと口に出していた。
「うーん、親か? いやダメだ、小遣いはダメだ、趣味の金は自分で捻出するんだ、そうでなきゃ邪道だ。ブツブツ」
「もし。そこのかた」
 後ろで女の子の声がした。
 アニメを年に300時間観るマサキは、反射的にその声を声優にあてはめる。
 (この声は氷上恭子? お嬢様をやってるときの恭ちゃんにかなり近い)
「そこの方。黒いリュックの方。肝田(きもた)マサキさん」
 マサキの足が止まった。
 振り向いた。
 目の前に、大正女学生の美少女が立っていた。
 まず眼に飛びこんできたのが、スミレ色の袴。上半身も矢羽根紋の着物だ。大きなカバンを肩にかけている。
 長い黒髪をポニーテールにしていたた。紫の大きなリボンが鮮やかだった。顔は卵形で、鼻は小さめでツンと上をむいていた。メタルフレームの眼鏡をかけて いた。レンズの向こうでは吊り眼ぎみの黒い眼が輝いていた。広いおでこと、意思の強そうな太い眉が眼をひいた。
 知らない人だった。そもそも生まれて22年、女の子と仲良くなったことは一度もない。
 (誰この人? なんで僕の名前を知ってる?)
 警戒した。トゲのある声で、反射的に叫んでいた。
「い、いらないですから!」
「はい?」
 美少女は眼をぱちくり。
「何か売るんでしょ? ニセメイドの次は大正女学生でオタクをだますんでしょ? いらないですから! 版画も、アクセサリーも、幸運グッズも! そんな金 あったらDVD買いますから! 版画一枚でエロゲー40本はいけますから! メガネでマニア心くすぐってもダメですから! しっしっ!」
 そう言いながらじりじり後ずさりするマサキ。
 美少女はあわてた様子で、
「ちがいます、違うんですマサキさん。あなた最近、体の調子がおかしくなってませんか? たとえば……太陽の光を浴びると体が痛い、とか」
 マサキの後ずさりが止まった。
「え? 何で知ってるんですか? 痛くはないけどすごく痒い」
 痒くて痒くて、毎日ボリボリかいていたら「キモイ。客が嫌がる」とクビになってしまったのだ。
 少女はにっこり微笑んで、うなずいた。
「やっぱり。痒い程度で済むなんて、すごい抵抗力。普通は死んでしまいます。あとは、血を吸いたくなったりしませんか?」
「確かに吸いたいよ。どうして知ってるの!?」
 マサキは叫んで、少女に詰め寄った。
 少女は深々と頭をさげて、りりしい声で言った。
「お迎えにあがりました、アストラッハさま!」
「アスト……なに?」
 きょとんとするマサキ。
 少女は背筋をピンと伸ばし、マサキをまっすぐに見すえた。
「まだ記憶がお目覚めになっていないですね。あなたは世界最強のヴァンパイア、かつてヨーロッパに君臨した覇王アストラッハさまの生まれ変わりなのです。
 わたしはヴァンパイアのリリコ。真鏡(まかがみ)リリコと申します。アストラッハさまの腹心・『魔鏡のルイーゼ』の娘。
 目覚めてください、アストラッハ様。 そしてふたたびわたしたちヴァンパイアを率い、世界を制覇して下さい」
 マサキは一瞬だけポカンと口を開けた。次の瞬間、全身がワナワナと痙攣した。
「きみか! 君がやったのかあああ!」
 リリコの着物の肩口を力まかせにつかんだ。
「え? 落ち着いてくださいアストラッハさま!」
「お、お、落ち着いてられるか! 冗談じゃないよまったく! こんな体になったせいでバイトはクビになったんだぞ!」
「だから落ち着いてくださいって」
「落ち着けるかあ! 返せよ! バイト返せ! 僕の平和な毎日返せよ!」
 さっきまでの警戒が嘘のよう、リリコの肩をつかんだまま駄々をこね続ける。
「うるっさいわねえ!」
 とつぜんリリコが叫んだ。
 ズガンッ! 
 すさまじい音にマサキは思わず視線を向けて、ぎょっとする。
 リリコが路面を踏みつけていた。編み上げブーツが足首まで路面に突き刺さっていた。路面を覆うタイルが飛び散っていた。
「あ、あわわわ……」
 恐る恐るリリコの顔を見た。
 美少女は眉を吊り上げ、白い頬をピクピクさせていた。レンズごしに黒い瞳がマサキをにらんでいた。
 鋭い視線をマサキに突きたてたまま、リリコは早ロでまくしたてる。
「せっかくあたしが礼儀守ってるのに、なによその態度は!
 いまどき5歳児だってもうちょっと冷静よ! 男らしくドーンとかまえなさいよ! えっ!?」
「ひええ!」
 マサキはリリコの肩から手を離した。ひるんで1歩、2歩退いた。
「お、お、男らしくって、いつの時代の人だよキミは」
「時代なんて関係ないわよ。あなたは『吸血覇王』アストラッハ様なんだから、帝王の風格がなくちゃだめよ」
「そんなこと言われても。ムリだよ」
「できるはずよ、生まれ変わりなんだから。アストラッハ様は数万の敵軍も恐れない勇気の持ち主で……」
「僕、ケンカ弱いよ。すぐ逃げるよ。ネットで煽るのは得意だけど」
「強大な魔力を身につけ」
「魔力なんてないよ。あ、でもオタクだから、『同人誌の表紙を見ただけで中のクオリティがわかる』とかそういう超能力はあるよ?」
「いらないわよそんなくだらない能力」
「くだらなくない! 表紙だけは超美麗で中は鉛筆の落書き、みたいな本がいくらでもあるんだ。くそっ、転売してやる」
「はいはい。筋骨隆々の美丈夫で……」
「チビだし。ガリガリだし。顔はネズミ男。先輩オタクには『ヤッターマンのボヤッキーに似てる』って言われる」
「無敵の肉体を持つ武術の達人で……」
「逆上がりもできないよ」
 だんだんリリコの声が自信を失って小さくなる。
「古今東西の学問に通じ……」
「勉強できない。深夜アニメとか、ジャンプの打ち切りマンガとかは詳しいけど」
 リリコは眉間にしわを寄せてますますためらいがちに、
「芸術に理解が深く、自分で詩をつくって……」
「趣味はアニメ鑑賞と同人マンガ描き。エロ同人誌作ったり」
 リリコは腕組みして小声でつぶやいた。
「……ねえ。あなたホントにアストラッハさまなの?」
「知らないよそんなこと! 君が言いだしたんだろ!?」
「母さんの魔鏡がウソだとはいわないけど……なんかイメージしてたのと違うのよね……」
 表情をひきしめ、パンッと手を叩く。
「よし! 試してみればわかることよ!」 
 リリコはメガネをはずした。そのとたん吊り眼が真っ赤に光る。
「真の姿に目覚めよ!」
 マサキを勢いよく指差す。
「え?」
 マサキはキョトンとした。体には何の異変もない。
 そのかわり、いますれちがったバーコード頭のサラリーマン二人に異変が起こった。
 立ち止まって見つめあう。
「か、課長。実は私はずっと前から課長のことが……!」
「君もか。実は俺もなんだ。谷原君!」
「課長!」「谷原君!」
 抱き合ってキスをはじめた。
「ホモに目覚めてる!」
 仰天するマサキ。
 リリコはホモ力ップルをちらっと見て大きくうなずく。
「やっぱり邪眼が反射してるわ。もう一回! 目覚めよ! 目覚めなさい!」
 たったいま丸井デパートから出てきた茶髪のお姉さんが、ズボンのベルトを引き抜いて自分の体を思いっきり鞭打ちはじめた。
「新しい自分! 新しい自分!」
 マサキは眼を白黒させる。
「なにこれ? 何が起こってるの?」
「『邪眼』を使ったの。催眠術みたいなもの。でもあなた、邪眼の魔力を弾き返してる。完璧な対魔力防御よ。なんともないでしょ?」
「うん。僕はぜんぜんなんともない」
「あたしの邪眼がきかないなんて、よっぽど強力なヴァンパイアだけ。やっぱりあなたはアストラッハ様なのよ」
「あのさ……僕がヴァンパイアの王様だってのは分かったけど。ひとつ訊きたい」
「なに?」
「ぼくの前歯、一週間くらい前からどんどん伸びて、いまはもう完全にネズミ男状態なんだけど。ヴァンパイアと関係あるの?」
「それもヴァンパイア化の影響よ。ほらヴァンパイアって歯が伸びるじゃない?」
「なんで前歯なんだよ! ふつう犬歯だろ?」
「うーん……転生失敗? とか?」
「眼をそらしながらしゃべるなよ!」
「まあとにかく、あなたが本物なのはわかったから。改めてお願い。あたしとともに来て。ヴァンパイアロードとしてあたしたちを導いて」
「いやだよ! 世界制覇なんてものすごく大変じゃないか。ぼくはそれよりアニメみないと……」
「ああもう! グダグダ言ってないで来なさい!」
 リリコはマサキの腕を引っ張った。商店街の裏通り、明かりもろくにない場所へと引きずっていく。
「飛ぶわよ! しっかりつかまってなさい!」
 リリコはマサキをぶら下げ、空中に飛びあがった。ビルとビルの間を抜けて上昇していく。

 3

「うわ! 飛んでるー!」
「いちいち飛ぶくらいで驚かないの。あんた500年前はあたしなんかよりずっと早く飛んでたんだから」
 ますます評価が下がったらしく、「あなた」が「あんた」になっていた。
「そ、そんなこと言われても……高いよ! 恐いよ! 腕一本で、ブラブラして……」
 二人は夜の街の上空、2、300メートルを飛んでいる。正確には飛んでいるのはリリコで、マサキは腕をつかんでぶら下げられてるだけだ。マサキの全身は さっきからガクガクと震えている。
「ホントにあなたって腰抜けなのね……っていうかさ、自力で飛んだりできない?」
「うん。できない」
 リリコは小首をかしげる。
「おかしいわね。普通、ヴァンパイア化したら飛行能力も目覚めるものよ。どんな感じで覚醒したの?」?」
「一週間前の夏コミで、『吸血幼女ちーこちゃん』の同人誌を買ったんだけど」
「なによそれ」
 マサキのネズミ顔から恐怖が消えた。眼を輝かせてぺらぺら喋りはじめる。アニメなど趣味の話だといくらでも喋れるのだ。
「和風吸血鬼の『ちーこちゃん』ってのがでてくる萌えアニメだよ。もともとは『神魔大戦KAGURA』っていうバトルものだったけど、『ちーこちゃん』が 人気でたからちーこちゃんだけでアニメつくってみたの。わかりやすく言うと、天地無用がプリティサミーになったとか、ソウルテイカーが小麦ちゃんになった とか、そういうのと同じ」
「ちっともわかりやすくないわ」
「で、その『チーコちゃん』の同人誌を見て『ウハーかわいい! 激萌え!』とか思った瞬間、体がおかしくなって……萌えが引き金だったみたい」
「……ねえ、あなたホントにアストラッハさま?」
「だから君が言いだしたんだろ?」
「まあいいわ。とにかく母さんが会いたがってるから、母さんのところまでつれていくわよ」
「母さん? 吸血鬼も子供を生むの?」
「正確には育ての親よ。母さん最近具合悪いから、ショックあたえちゃダメよ」
「え、吸血鬼も病気になるんだ?」
「心の病気ね。何百年も生きているうちに、無気力になっちゃうの」
「なるほど……」
「あら、けっこう興味持ってるの? もしかして前世のこと何か思いだした?」
「いや、同人誌の参考にしようと思って。僕も今度はちーこちゃん本つくるから」
「……期待したあたしがバカだったわ……」
 
 4

 国道246沿いに30分ばかり飛んだ。田んぼばかりでほとんど家のない横浜市青葉区を通り、川崎市に入る。
 リリコが降り立ったのは、多摩川のすぐ手前にある住宅地。
 いま目の前にはレンガ色の洋風住宅がある。2階建てで、ごく普通の一軒屋に見えた。
「この家よ」
「吸血鬼が川崎の一軒家に住んでるなんて」
「山奥のお城に住んでると思った? そんなの一部だけ、たいていのヴァンパイアは貧乏よ。太陽の光を浴びられないから、仕事が限定されるのよ。うちの母さ んは魔鏡で占いできるから、まだマシなほう」
「……なんか変な臭いするね、この家」
 マサキは鼻をクンクンさせた。たしかに家の中から「動物園みたいな臭い」が漂ってくる。
「あんたたちオタクもくさいわよ」
「失礼だな、僕はちゃんと風呂にはいってるし、靴下も替えてるよ」
「そんなあたりまえのことを威張るあたりがダメなのよ」
 といってリリコは一戸だての中に入る。マサキも続いた。
「お邪魔しま……うわ!」
 玄関を動物が埋め尽くしていた。ズラリ並んで出迎えていた。玄関だけでは収まりきらず廊下に整列していた。
 真っ黒いレトリバーが2頭並んで舌をベロンと出していた。黒猫がいた。ウサギが耳をピンと立てていた。コウモリが天井にぶら下がっていた。なぜかハトま でクルックーと鳴いていた。
「ただいま、みんな」
 リリコはごく自然に挨拶して、ブーツを脱ぐ。
「動物屋敷だね……」
「ただのペットじゃないわよ」
「使い魔ってこと?」
「それもあるけど……シロ、ちょっともらうね」
 リリコは白ウサギをヒョイと抱えて、首筋にカプリと噛みついた。
「えー!?」
「んぐっ、んぐっ……ぷう。ありがとね、シロ」
「血を吸ってる!」
「ヴァンパイアなんだから当然でしょ。ウサギは血の味がすっごく人間と似てるの。人間と平和共存するならこの味になれないとダメよ。あなたも飲む?」
「え、遠慮しとく。僕、血を見ると気分が悪くなるんだ。生き物から直接吸うなんて無理だよ」
「……あなたヴァンパイアの自覚あるの?」
「なりたくてなったんじゃないよ。いまは仕方ないからスッポンの血を鼻つまんで飲んでる。高くて困る」
「なんてかっこ悪いヴァンパイア……」
 と、そのとき廊下の奥の方から声がした。
「リリコ。おかえりなさい。アストラッハさまは? 来て頂けたかしら?」
 高くて澄んだ、少女の声だった。リリコの声より幼い。マサキはロリ声舌ったらず声優を連想した。
「あ、母さん。アストラッハ様? だと思う人? 連れてきたわよ」
「疑問系で人を紹介すんな!」
 マサキが思わずツッコミ。
「待って、いま着替えるわ」
 廊下の奥から少女の声が飛んでくる。ゴソゴソと音がする。
「ロリ声だなあ。ほれぼれするようなロリ声だ」
 思わずマサキは口走った。リリコはじとーっと冷たい眼を向ける。
「あなた、母さんの前でヘンなこと言わないでね? 自分がオタクだとか言っちゃダメよ?」
「なんで?」
「母さんはアストラッハ様の側近だったの。500年間、ひたすら『偉大な覇王の復活』を待ってきたのよ。それがこんなキモいオタクのネズミ男だなんて。せ めてオタクだけでも隠して、王者っぽくふるまって。おねがい」
 いきなり真面目な表情で手を合わせてくる。
「ワンワン」「んにゃー」
「ほら動物たちも同意してる」
「同意なのかなあ、あれ」
「さあ、そろそろ行くわよ」
 二人は靴を脱いで家に上がる。ギシギシいう廊下を進んで、いくつか並んでいるドアのひとつの前に立つ。
「母さん、入っていい?」
「ええ、いいわよ」
 ドアを開けると、中は「純洋風」の空間だった。
 絨毯が敷かれ、広さは10畳くらい、天蓋つきのベッドが部屋のど真ん中を占領している。照明は壁に並んだ燭台だけ。
 ベッドに、人形が腰かけていた。
 フリルたっぷりの、黒いドレスを身にまとった、身長130センチそこそこの人形。長い金髪がウェーブを描いて、燭台の光を反射して淡く光っている。身長 の半分もある大きな鏡を抱えている。
 いや人形ではなかった。
 人形そっくりの、美しい幼女だ。
 その証拠に彼女はベッドから立ち上がり、ゆっくりとした動きで一歩、また一歩とマサキに近づく。
 目の前にやってきて、エメラルドグリーンの瞳をマサキにむけた。ふっくらとした白い頬に微笑が浮かんでいた。薄紅色の小さな唇から言葉がつむぎだされ た。
「アストラッハさま。わたくしです。ルイーゼです。お待ち申し上げておりました」
 マサキは息を呑んだ。間近に見るルイーゼはあまりに美しかった。言葉をかえすこともできず、ルイーゼの宝玉のような瞳を見つめていた。
 「アストラッハさまが倒されてより500年、わたくしは待ちつづけておりました。いく十万の夜をじっと耐え、人間たちの狩人も同族の好奇の眼もおそれ ず、ただ待ちつづけてまいりました。ふたたびお会いできる日を」
 そこでルイーゼは片ひざをついた。こうべを垂れた。黒いスカートが絨毯の上にひろがった。やわらかそうな金色の髪がシャラリと動いた。
 まさに、主君に忠誠を誓う騎士のようだった。
 顔を伏せたままルイーゼはつづける。
「ヴァンパイアの多くは、アストラッハさまのご威光を忘れてしまいました。500年の時は、わたくしたちヴァンパイアにとってもあまりに長かったのです。
 けれどわたくしは、わたくしだけは、けしてあなた様を忘れません。裏切りません」
 ルイーゼは顔をあげた。瞳にキラキラした光を宿してマサキを見上げていた。声も勢いを増した。
「さあ、アストラッハさま。
 ともに覇道をゆきましょう。
 今の人間たちは世界の王者のごとく振舞っております。
 いまこそ思いあがりをうち砕くときです。
 すべてのヴァンパイアを結集させ、帝国を築くのです。 
 吸血覇王アストラッハの復活です。
 ……? どうしました、アストラッハさま?」
 マサキの様子が変だった。
 眼をいっぱいに見開いて、ルイーゼを指差し、全身をガタガタ震わせていた。
「あの……どうなされましたか? アストラッハさま?」
 マサキの出っ歯の隙間から、うめくような声が漏れた。
「エリ……ザ……べ……ト」
「はい?」
 ルイーゼが小さく首をかしげる。ビスクドールそのものの彼女がそんな動作をすると恐ろしくかわいらしかった。
「うは! いまの動きもう一回! 首かしげる奴!」
「こう……ですか?」
 マサキ、電撃を浴びたように体を痙攣させ、腰を激しくひねって踊る。両目から涙を垂れ流して叫ぶ。
「ムッハー! 激萌えッ! そっくり!エリザベートちゃんそっくり! エリザベートちゃんって呼んでいいですかッ!」
 ルイーゼの口が小さなOを形作った。
「いえ、わたくしはルイーゼです。エリザべートとはどちらさまでしょうか?」
「アニメのキャラですっ! 『吸血幼女ちーこちゃん』のサブヒロインなんです! ちょうどこんな感じのフリルひらひら金髪幼女で! そうだカメラカメ ラ!」 
 背中のデカリュックをおろしてデジタル一眼レフを取り出すマサキ。
「はい笑って笑って! ちがうもうちょっとツンツンした感じで笑って! スカートつまんであげて! べッドの端っこに腰かけて! なるほどフリルの動きは こうか! 動かないで、ハーイわらってー! うーん、いいよー! 生エリザベートたん! 絵でもフィギュアでもこの絶対質感は出せないですよ! コスプ レ? はっ、リアル女子が二次元幼女のかっこしたってしょせんはね! おっと中を忘れちゃいけない」 
 早口で一気にしゃべると、一眼レフのレンズをルイーゼのスカートに突っこもうとした。
「なにやってんのよアンタはっ」 
 ゴギャ!
 リリコに蹴り飛ばされて絨毯の上を転がるマサキ。
「ご、ごめん……つい血が騒いで、禁断の一線を……」
「そんな腐った血は捨てなさい!」
 ルイーゼはマサキとリリコを交互に見やって、おろおろしている。
「なに? これはどういうことなの? アストラッハさまがなぜこのような?」
「あ、これはね……」
 リリコが、マサキの後頭部を黒いハイソックスでグリグリ踏みつけにしながら答える。
「この人、オタクなのよ」
「おたく……? 小さな女の子を人形に改造するという、あのオタク!?」
「な、なんか微妙に偏見がっ。むぎゅうっ」
 抗議の声をあげるマサキ。リリコは無視した。
「そうよ。頭の中はアニメとかマンガのことだけ」
「あとゲームもあるよ」
 ルイーゼはひどく衝撃を受けたようだった。小さな手で頭を抱え、つぶらな眼を見開いて、おののいた。
「そ、そんな……あの雄々しかったアストラッハ様が……」
 力が抜けるように、そのまま後ろにバッタリ。
「母さん! しっかりして母さん!」
「なるほど、幼女が倒れるときスカートはこう動くのか。勉強になるなあ!」
「他に言うことないの!?」

 5

 5分後、3人は居間に移動していた。
 マサキはテーブルの上のグラスにロをつける。鉄の味、血の味がした。生臭さに吐きそうになる。
「う……」
 テーブルの向こうのルイーゼがつぶらな瞳を悲しみにくもらせる。
「どうかいたしましたか? もしやお口にあいませんでした? 前世ではアストラッハ様がよくお飲みになられていた血です。鹿の血と少女の血を1対3でステ アしたものです。少女の血はこの日のためにイタリアから空輸した……」
「いや……その。けっこうなお飲み物で」
 まずさと吐き気をこらえてうめくマサキ。
「よかった……では、ご説明いたしますね」
 ルイーゼが丸い鏡をこちらに向けた。
 魔鏡。ルイーゼは鏡で過去や未来を映し出せる。
 映っているのは、長い金髪を振り乱した、金髪でたくましい肉体の若者。
 マントを羽織り、肩にトゲトゲのアーマーをつけて、城の城壁の上に立っていた。映像でしかないはずなのに、こちらをにらみつける男の形相はすさまじい迫 力だ。ハンサムだったが、吸血鬼というより狼男と呼びたくなる野性味だ。
「アストラッハ様の前世のお姿です。全欧州の夜を支配した、偉大なヴァンパイア・ロードです」
 リリコがため息をつく。
「いかにも豪傑ね。いまとは正反対」
「どうですかアストラッハさま、ご自分の姿をご覧になって、何か思い出しませんか?」
「いや全然。ダーク・シュナイダーのパチモンみたいだなーと思っただけです」
「そうですか……ではこれはどうです? アストラッハ様の居城、シュタインローゼ城です」
「城なんか見せられても」
「ではこれはどうでしょう」
 また映像が切り替わった。
 銀色の甲冑を身についた騎士、ローブ姿の老人、東洋の仙女などが並んでいた。はしっこの方には今とぜんぜん変わらないフリフリドレスのルイーゼがちょこ んと立っている。
「これはアストラッハ様の側近、『烙印の13騎士』です。わたくしの『魔鏡』をはじめ、さまざまな能力をもった上位吸血鬼です」
「やっぱり思い出しません。『烙印の13騎士』って、なんだか作家志望の中学生が考えた設定みたい」
「あんたいちいち文句ばっかりね」
 リリコがマサキをひじで小突く。
 ルイーゼは悲しげに微笑む。
「駄目ですか……しかし、あなた様がアストラッハであることは確かなのです。わたくしの魔鏡は嘘をつきません」
「あの……それでルイーゼさんは、僕にどうして欲しいんですか? また世界征服を?」
 ルイーゼは鏡をテーブルの上に置き、エメラルドの瞳でマサキを見上げてきっぱり言い切った。
「そうです。アストラッハさまが前世でなさっていたことの再現です。魔力を鍛え、兵を集め、国を一つまた一つと乗っ取ってゆく。偉大なる覇業です」
 マサキは頭を抱えた。
「ああ……エリザベートそっくりの幼女にお願いされた……悩むなあ……」
「あんたの悩みポイントはそこなの!?」
 リリコのツッコミを無視してマサキはうなりつづける。
「うーん……うーん……はっ!」
「なにか思い出したのですか!」
「前世ね? 前世を思い出したのね!?」
 マサキは顔面をこわばらせて立ち上がった。
「『ちーこちゃん』の特番、今日じゃん! 帰らなきゃ!」
 部屋を出て行こうとするマサキ。肩をルイーゼがつかんだ。
「ちょっと待ちなさいよ、あんた母さんの願いよりアニメのほうが大事なの!?」
 一瞬、マサキはためらった。血色の悪い唇がピクピクした。
 しかしリリコと眼を合わせて、言い切った。
「ああ。楽しいんだ。アニメみるのが。同人誌作るのが。
 世界を征服するより、ずっと大事だ」
 部屋の中の空気が凍りついた。
「そ、そんな……」
 ルイーゼがテーブルに突っ伏す。
「500年間、待って、待って、待ち続けたのに……当のアストラッハ様がこんなやる気のない方だったんて。
 わたくしの500年は何だったのですか、教えてください。
 ああ。いっそ消えてなくなったほうが。灰は灰に、塵は塵に……」
 どこからともなく杭を取り出して自分の胸を突こうとする。
「やめてー母さん!」
「でも、アストラッハさまがこの有様じゃあ……わたくし、もう生きる気力が」
「任せて、母さん!」
 リリコがマサキの胸ぐらをつかんだ。
「あたしがこのバカを教育するから! かならず使命を思い出させてあげるから! 病気治してあげるから!」
「病気とはなんだ!」
「うるさいわね!」
 胸ぐらをつかんだままリリコはマサキを空中高く持ち上げる。シャツのボタンがふっ飛んだ。
「ぐえっ。痛い。僕って王様なんでしょ? 王様にこんなことしていいの!?」
 リリコの眼鏡が冷たく光った。
「あんた、なにか勘違いしてるみたいね。あたしが尊敬してるのは『ちゃんとした』『ヴァンパイア・ロードの』アストラッハさま。いまのあんたは『アスト ラッハさまという器にこびりついた汚い水アカ』よ!」
「ぐは! こんなひどい悪口エロゲーのツンデレキャラでも言わない!」
「わけのわかんない驚き方してないで、行くわよ!」
「僕の意志は!?」
「もちろん無視よ!」
 マサキはリリコに吊り下げられたまま、居間の窓から空高く飛び立つ。

 7

 渋谷まで飛んできた。
 すぐ目の前に109の建物がネオンを輝かせている。
 109から始まる大きな坂道、道玄坂は、午後10時を回った今でもクルマでびっしり。歩道は人で埋まっている。道沿いにはカラオケ屋・エスニック料理 店・カフェが看板を光らせている。
「なんで渋谷?」
「あんたたちオタクとは正反対の場所。見えるでしょ、あの女の子たち」
 リリコがビシッと指差す先は、道玄坂の歩道を歩く何百人もの若者たち。
 男も女もみんな浅黒く、茶髪だ。女の子は薄着で、肩や背中を露出している。指輪やペンダントを銀色に光らせている。
「見えるけど」
「あんたたちが家でアニメ見てる間も楽しく遊んでるわけよ? 悔しいと思わない?」
「別に」
「じゃあ悔しくさせてあげるわ」
 リリコは眼鏡を外し、道玄坂を見上げて叫んだ。
「みなさーん! ここにオタクがいますよー! 集まってきてー!」
 邪眼の力だろう、歩道を歩いていた何百人もの男女がこちらを見て、一斉に駆け下りてくる。
 リリコとマサキはたちまち人に囲まれた。
「みなさーん、この人はハタチすぎても毎日アニメ見てまーす! 女の子とつきあったことはありませーん! 毎日毎日、仕事が終わったら家に帰ってマンガと アニメざんまいです! どう思いますかー?」
 女の子たちがいっせいに叫んだ。
「キモーイ!」「ありえねー!」
 男も野太い声でわめいた。
「うわー、やだ童貞がうつるぜー!」
「ほーら、キモーイって言われてる。そうですよねーみなさん、もっと言ってやってくださーい! この人は一生アニメの女の子を恋人にするっていってまー す!」
「うっわー、キモーイ」「終わってるー」「キャー」
 キモーイの大合唱だ。
「ほら、キモイって言われてる。あんたたちオタクの生き方って客観的には気持ち悪いのよ?」
 リリコは勝ち誇った表情で言うが、マサキは肩をすくめるだけ。
「だから何?」
「え? 気にしないの?」
「当然だよ。人の眼が気になるなんて、10年前に通りすぎた」
「そうなの?」
「オタク内の派閥対立・世代対立は気になるけどね。こないだも言われたんだ。『俺たちの世代はクリーミーマミも観たけどボトムズも観た。硬軟取り混ぜてオ タク眼を養った。それなのに今の若い連中は萌えアニメばかり』とかって説教された。でも、『外側』なんて『関係ない』よ」
 太い眉を八の字にするリリコ。
「うーん……思っていたより重症ね」
「それより、君ぼくの仲間だと思われてるよ?」
「え?」
 リリコはあわてて、周囲の女の子男の子たちに訴える。
「ちがうわよ? わたしオタクじゃないわよ? 正常よ?」
 女の子達は不思議そうな顔をして答える。
「えー? でもコスプレしてんじゃん?」「仲間でしょ?」
「もしかして彼女? 彼氏がヘンなので大変だね」
 女の子たちの一人が言い出す。
「でもさー、お似合いって感じしない?」
「あー、いえてるかもー」
「最近アキバ系と付き合う子、増えてるしねー」
 みんながいっせいに「おにあい、おにあい!」
 リリコは思いっきり頭を振った。
「うそおー!? なんでそうなるの!?」
「当然じゃない? オタクのとなりでコスプレしてたら?」
「コスプレじゃないわよ。あたしが人間だった頃の制服よ。アストラッハさまをお迎えするための正装よ」
「コスプレにしかみえないよ。それもわりとディープな。大正女学生だよ?」
「うかつだったわ……」
 悔しそうに編み上げブーツで路面を叩く。
「じゃあ逆の手よ! 北風と太陽で言うなら太陽!」
 眼鏡をはずした眼で女の子達をぐるっと見渡し、叫ぶ。
「女の子は全員、この人に『えっちなこと』しちゃって!」
 リリコの目が赤く光る。
 邪眼の威力は凄まじかった。女の子たちが押し寄せてくる。道を歩いていた女の子だけでなく、作務衣姿でチラシを配っている居酒屋の呼び込みまで走ってき た。
 顔面に黒Tシャツごしの胸が押し当てられた。「うはあ!」と叫ぶマサキ。後ろから抱きしめられた。むにゅりと柔らかい乳房の感触が伝わってきた。長い髪 が首筋をなでる。ほっぺたにキスが浴びせられる。
「どう? アストラッハ様になれば、いつだってできるのよそんなこと?」
 リリコの声が聞こえてきた。声だけで姿は見えない。視界はすべて女の子の日焼けした肌で埋まっている。顔、手、体で埋まっている。全員の眼は夢見るよう にうつろだ。マサキはもがいて女の腕を振りほどこうとした。だが一人ふりほどいても2人、3人が小麦色の腕を伸ばして抱きついてくる。スレンダーな体に ジーパン姿の女性が体をくねらせてマサキに下半身を押し当ててこすりつけてくる。足と足がからみあった。その間にも別の女が後ろから乳房をぎゅーぎゅー、 耳元に息をふきかけてくる。
 茶髪で浴衣を着た女の子がマサキの手を取って、自分の浴衣の中にみちびく。指先に柔らかく滑らかなものが触れた。
 マサキの全身に鳥肌が立った。
 (女に触った! 3次元の女に触った!)
 女の手がマサキの体を這い回り、チェックのポロシャツのボタンを外していく。開いた胸元から手が入り込んでくる。ズボンのベルトが緩められ、抜き取られ た。
 そのときマサキは絶叫した。
「やめてくれーっ!」
 女の子全員が、弾かれるように勢いよく動いた。マサキから手を離し、「気をつけ」の姿勢を取る。
「やめてくれ! みんなあっちにいってしまえーっ!」
 女の子達はうつろな表情、ギクシャクした動きで、坂を上って逃げてゆく。男たちもフラフラおいかけてゆく。
「あんた、今なにやったの!?」
 リリコが駆けよって、マサキの顔をのぞきこんだ。
「目が光ってる。邪眼よ! あんた邪眼使ってる。あたしの邪眼より強力ってこと?」
「うん、そうみたいだね。すごく嫌だったから、『あっちにいけー!』と思ったら、使えた」
「もう一度できる?」
「できないよ。とにかく今のは無我夢中だったから。やり方なんてわからない」
「それが不思議なのよ。いやらしいことをしたくないの? 男なのに?」
「当たり前だよ。僕の好みじゃないもの」
「じゃあどんなのが好みなの?」
「長い黒髪で、着物着てて、幼女で、どんなダメ人間でも愛してくれて、ロリ声声優の超音波声で、口グセは『ふにゅーん、ふにゅふにゅ、お・に・い・さ・ ま』」
「そんな女いないわよ!」
 あきれ返って肩を落とすリリコ。マサキはなぜだか胸を張る。
「いないのは知ってる。だから僕は二次元を目指すんだ。僕たち萌えオタは理想が高いんだ」
「眼をキラキラさせて言うようなこと!?」
「つまり楽園を目指して旅立つ冒険家のようなものなんだ。エルドラード。シャンバラ。わかる?」
「絶対違うわよ!」
「じゃあ具体的に説明する。萌えキャラは三次元女とどう違うのか?」
 頭痛をこらえるような表情でリリコは首を振る。
「説明しなくていいわよ。きいてると頭がヘンになりそう」
「とにかく、『エッチできる』なんてことでぼくを動かすのは無理だよ」
「わかったから! ズボンはいて!」
 マサキはさっきから、ズボンがずり落ちパンツ丸出し状態で演説していた。
「あ」
 
 8

 マサキは、またリリコに引きずられて東京の上空を飛行していた。
「こんどはどこに行くのさ!」
「能力に目覚めてもらうのよ。あなたがヴァンパイアロードの能力を使えることは証明されたんだから。アストラッハ様本来の魔力をガンガン使えるようになれ ば、『オタクなんてやってる場合じゃない』って気づくでしょ」
「そうかなあ? 僕はオタク的なことにしか使わないよ。念動力でコピー本を製本したり、買った同人誌をまとめてテレポートで送ったり」
「そんなちっぽけな幸せより、世界を制覇するほうが楽しい、とは思わないの?」
「思わないよ。だって世界を征服するって大変じゃないか。アメリカ軍とか自衛隊と戦うんでしょ? 何十年もかかると思うし、征服した後は政治とかやらな きゃいけないんだろ? その手間で同人誌が何百冊作れるか」
「男なら血が騒がないの? 世界を己の力でねじ伏せるのよ?」
「僕は自分の趣味が守れればいいタイプなの。『わたしに世界を!』じゃなくて『ギャルのパンティーおーくれ!』って感じ」
 リリコは怪訝な表情。
「なによそれ?」
「ドラゴンボールって知らない? 悪い奴が『わたしに世界を!』って願い事を言うんだけど、別の奴が邪魔するの。こんな感じで」
 マサキ、拳を突き上げて、
「ギャルのパンティーおーくれ!」
 すると、マサキの頭の上に何か降ってきた。
「なんだ?」
 小さい布切れだ。白と水色の縞模様だ。びろーんと広げてみた。
「これ女の子のパンツだ! ほんとに降って来た! ……おお、こんなところに縫い目があるのか。超能力? テレポーテーション? ね、リリコさんこれ見 て……って? あれ? れ」
 マサキが顔を向けると、リリコの顔面はひきつっていた。唇は引き締められほっぺたピクピク。
 そして、しきりに体をモジモジさせている。マサキの腕をつかんでない空いてるほうの腕で、風にはためくスミレ色の袴を押さえている。
「え……どうしたの……?」
 腕をギューッとつかまれた。
「いででで! ちぎれるッ!」
「か・え・し・な・さ・いッ!」
「え? これリリコさんのパンツ!?」
「よくわかったわ! あんた、あたしのことバカにしてるでしょ!?」
「いたい! 腕もげる! 違う! わざとじゃない! 無意識に魔力が出たんだよ!」
「どうしてくれんのよ! そのパンツもう履けないわよ!」
「いや、でもね」
 マサキは冷や汗をダラダラ流し、なんとか説得を試みる。
「本来和服というのは下着を履かないものだから、より自然な状態だと言える!」
「どんな言い訳よ!」
「俺たちは大変なことを見落としていたのかもしれない……ぱんつはいてない、それが大自然の摂理だったんだよ!」
「うそつけっ!」
 マサキの顔面に正拳突きが炸裂した。
 勢い余って腕がほどけ、マサキは夜の街へ落下してゆく。
「なんで落ちるのよ! 飛びなさい!」
「そんなムチャなーっ! あーっ!」
 1分後、ビルの屋上に突き刺さっているマサキが発見された。
「すごい頑丈さじゃない? さすがアストラッハさまの生まれ変わりね」
「ごめんの一言くらい……」
 リリコは腕組みしてムスッとした表情だ。
「言わないわ。悪いのはあんただもの」
 
 9

 訓練と説教を3時間やったが、成果はさっぱり上がらず。
 リリコは呆れ返って、「今日はもういいわ」と家まで運んでくれた。
 マサキはカンカンと勢いよく音を立てて階段をかけ上り、部屋に飛びこむ。
 マサキが一人暮らしをしているアパートは6畳一間で風呂もない。
 衣食住なんぞに回す金があればDVDを買う、というのが彼の生き方なのである。
 本棚にずらり並んだアニメDVDを眺めた。天井と壁を埋めつくしたロリキャラのポスターを眺めた。
 (僕は帰ってきた!)
 安心感がわき起こってくる。
 机の上にはパソコン。それとは別にノートパソコンもある。パソコンの大型ディスプレーには食玩のフィギュアが8つ乗っている。自信作の1/6フィギュア が腰掛けている。おかっぱ頭で10歳くらいに見える女の子が浴衣をはだけて微笑んでいる。吸血幼女ちーこちゃんだ。
「ただいま」
 マサキはフィギュアたちに挨拶する。
 そしてパソコンを立ち上げた。
 まずはネットだ。行きつけの「ちーこちゃん系ファンサイト」をチェックして、掲示板にレスをつける。やたら生意気な奴とやたら堅苦しい奴が「エロ同人は ちーこちゃんへの愛だ」「いや冒涜だ」とケンカしていた。頭がバトルモードに切り替わって「君の心の中のちーこちゃんはどう訴えているか、それが大事 だ!」と書いた。
 絵師のサイトで新作イラストのかわいさにうなり、ニュース系サイト、エロゲーレビューのサイトを巡回して、「めぼしい新ネタはなしか……」と独り言。
 ネットで遊んだ後は、アニメソングと声優ソングをヘッドホンで聴きつつ、原稿描き。
「おお、すごいスピードでかけるぞ!」
 ヴァンパイア化の影響なのか、それともリリコに振り回されいろんな刺激を受けたせいなのか。エロ同人の原稿は通常の何倍ものスピードで進んだ。タブレッ トペンをにぎる手に汗がにじんだ。
 これは傑作になりそうだ。激しく萌えるしエロい。
 眠気も疲労も吹っ飛んだ。無職になった不安も消えた。描きまくった。
「しかし何かが足りない! こうか! ぱんつか!」
 エリザベートとちーこちゃんのパンツをシワや縫い目に至るまで詳細に描きこんでみた。
 絵柄がロリ系なのに下着だけやたら細かい。
「むう……いけそうな気がする……」
 ドアがダンダンと叩かれた。
「お尻はもう少し小さくしたほうが……しかし本当にこれでいいのか……幼女の尻とは難しいものじゃ、のう婆さん」
 謎の独り言をもらしながら作業を続ける。
 またドアが叩かれた。「開けて! 大変なの!」とリリコの声がした。 
 しかしマサキは気づきもせず、ただ恐ろしく真剣なまなざしでモニターをにらんでブツブツ。
「幼女の尻を制すれば同人界の3分の1は手に入ると思うのだが……どうよ?」
 ダアン!
 ドアが蹴り破られた。空中をふっ飛んで本箱に激突した。DVDとエロゲーとライトノベルがドサドサ落ちる。
「開けろっていってるでしょーが!」
 袴をひるがえし、リリコが駆けこんできた。
「うわあ! なんだよ君!」
「緊急事態なのよ! ってなによこの絵!」
「ぱんつ。幼女のぱんつ。君のパンツをベースに、幼児体型向けカスタマイズを行った。我ながら自信作」
 マサキの顔面にリリコの編み上げブーツがめり込んだ。
「乙女になんてもの見せるのよ!」
「ぐふっ! 乙女はドアを粉砕しない!」
「変態! ロリコン!」
「ち、ちがう……これは性欲じゃないんだ! 純粋な創作行為なんだ! 萌えは芸術なんだ!」
「その考えが世間に通用するか試してやるわよ、幼稚園の前であんたのマンガを配るの!」
「それは捕まるな。……だが僕はロリ萌えを描き続ける! 世界を敵に回しても!」
「かっこつけんじゃないわよ!」
 拳をふりあげたリリコ、突然我にかえる。
「……そうじゃなくて、大変よ大変!」
「これ以上なにがどう大変なんだよ?」
「母さんがいなくなったのよ!」
「別に一人で出かけることくらいあるだろ」
「違うわよ! 『もう疲れました。太陽を浴びて死にます』って書置き残していなくなったのよ! 母さんは自殺する気よ! あんたのせいだからね!?」
 
 10

 マサキとリリコは東京タワー特別展望台の上にいた。
 中ではなく、天井の上に乗っていた。
 眼下には公園が黒々と広がり、少し離れたところに高速道路、そばには天を突く巨塔、六本木ヒルズがそびえている。
 マサキがタワーの鉄骨をつかんで落ち着きなくキョロキョロしていたら、上からリリコが降りてきた。
「だめ、ここにも母さんいないわ」
「ねえリリコさん、なんかさっきから高いところばっかり探してない?
 リリコはうなずく。
「母さんは高いところが好きだったから。夜の街を見下ろして『この町並みがいずれアストラッハさまのものになるのね』って言って」
「でも、高いところなんて東京だけで何十箇所あるか。山かもしれないし」
「でも、手がかりがないのよ」
「あのさ、こんなとこ探すよりさ、ルイーゼさんの友だちとか、吸血鬼仲間に連絡したら? 協力してくれるかもしれないし」
「やってるわよとっくに! でも『うちには来てない』『どこにいるか知らない』って言うのよ。すっごく冷淡に」
「どうして? ルイーゼさん嫌われてたの?」
「というより、母さんもう800年も生きてるから。ふつうのヴァンパイアの寿命をはるかに超えてるわ。『え? まだ生きてたの?』とか『あれだけ生きれば もう十分だろ』とかいわれたわ」
「じゃあ……しょうがないね」
 マサキがそう言ったとたん、リリコの体が、白い顔面がピクリと硬直した。
「どういうことよ、しょうがないって!?」
 たじろぎながらマサキは言い訳する。
「探す方法がないんじゃ、仕方ない……」
 パンッ!
 マサキの頬が音を立てた。
 リリコに平手打ちされたのだ。 
 マサキはリリコの顔をみた。息を呑んだ。
 いまや彼女は怒っていなかった。
 泣いていた。
 メガネの向こうの黒い澄んだ瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちて頬をつたった。唇がキュッと引き締められていた。涙は止まらなかった。あとからあとからあふ れて流れ落ちた。
「……あなた、わからないの」
「わからないってなにが?」
「母さんが姿を消したわけ」
「だからそれは、生きる気力が……」
「違うわよ。
 死にたいなら杭で胸をつけばいい。
 銀のナイフで喉を裂けばいい。
 ニンニクを一気食いしたっていいわ。
 でも母さんはそうしなかった。行方不明になって、わざわざ太陽の光なんて手間のかかる方法で死のうとしている。
 どうしてよ? 
 決まってるじゃない。
 あなたを試してるのよ。最後の賭けよ。きっとアストラッハ様ならわたしを見つけ出してくれる、前世でともに過ごしたんだから魂がつながってる、奇跡を起 こしてくれる、そう信じてるのよ。
 その気持ちもわからず、よくもまあそんな他人事みたいにいえるわね。……あんたさえ、アストラッハの魔力に覚醒すれば見つけられるのに」
「そんなこと言われたって。僕だって……」
 言い訳をもらすマサキ。だが言葉は途中で切れた。リリコの激情に気おされたようだった。
 リリコは激情をこらえるような表情でふたたびしゃべりだす。もちろん黒い眼に涙を浮かべたまま。
「あたしはね、『世界を制覇したい』とは思ってないのよ。
 でも母さんが悲しむのは我慢ならないわ。
 アストラッハが死んで500年。長い長い時の流れを、母さんは耐えてきたわ。世の中がかわって、人間たちの力が増して、ヴァンパイアは世界の片隅に追い やられて、それでも母さんは待っていた。
 どんなに辛いだったか、あなたにはわからないのよね。
 そうよね。人の心なんてどうでもいいのよね。
 アニメさえあればいいんだものね。
 もういいわよ。
 帰りなさいよあなたの家に。あなたの大好きなアニメに囲まれて、一生閉じこもっていればいいわよ!」
 リリコの言葉が終わった。彼女は自らの言葉によってますます傷ついたらしい。潤んだ瞳をマサキにむけて、唇をきつくと結んでいた。白い頬が震えていた。
 マサキは瞳をそらさず彼女の視線を受け止めた。 
 ふたりとも一言も言葉を発さなかった。生暖かい夏の風が二人を包んで、シャツと袴をはためかせた。身じろぎひとつせずに二人は立ち尽くし、そのまま30 秒、1分がすぎた。
 不意に、マサキが言葉をもらす。
「……ひとつききたい」
 弱々しい声だった。
「……なによ?」
「ぼくはこれから、超えてはならない一線を超える」
「え?」
 リリコは眼を丸くした。マサキの表情が一変していた。貧相なネズミ顔に、緊張と決意が宿っていた。目つきは鋭く、それでいて澄んでいた。リリコは長い人 生の中でこんな眼を見たことが何度かあった。命がけの戦いに赴くものが、決まってこんな眼をするのだ。
「リリコさん、君は世にも恐ろしいものを見るかもしれない」
 マサキはリリコの眼を見つめたまま続ける。その声にも静かな気迫があった。
「それでも、ついてくるか?」
「も、もちろんよ」
「わかった。それなら僕はやる。
 アストラッハを復活させる」
 重苦しい、うめくような声だった。 

 11

 ルイーゼは浅草ウンコビルにいた。
 墨田川沿い、浅草駅の向かい側に、金色のビルが建っている。
 ビル自体が金ぴかで、屋上には「人魂」とも「倒れたソフトクリーム」とも突かない金色のオブジェが乗っている。
 ビールの泡を表現したものだが、むしろ「ウンチのようだ」と呼ばれることが多い。
 ルイーゼは金色オブジェに腰かけ、夜風にスカートを揺らしながら、街を見下ろしていた。ネオンを反射して黒くきらめく隅田川を眺めていた。
 待っても待っても、アストラッハは来ない。
「……やっぱり、わたくしのことなど、どうでもよいのですね……」
 悲しみをこらえ、眼を閉じた。
 はるか遠い昔を思い起こした。
 自分たちヴァンパイアが全欧州の国々を従え、神のように君臨していたあの頃。
 『ルイーゼ、ルイーゼ!』
 ルイーゼの脳裏に懐かしい声がよみがえった。500年間、忘れたことのない、アストラッハの声。
 いつしかルイーゼの心は500年の過去へと飛んでいた。

 12

 ルイーゼは黒いドレスのス力ートを両手でつまみ上げ、シュタインローゼ城の中を駆けた。
 石造りの狭い廊下を突進し、血まみれの兵士を飛び越え、バラの描かれた扉を蹴り破り、突き進んだ。
 出くわすのは死体ばかりだった。濃密な血と、硝煙の臭いが大気を支配していた。
 偉大なる吸血覇王・アストラッハの居城であるこの城に、「神の剣」を持った「勇者の軍勢」が攻めこんだのは、つい数時間前のこと。
 激戦の果てに、アストラッハたちの軍は打ち破られ、いまこの城は落ちようとしている。
 また扉を開けた。 
 城の中庭に出た。
 まぶしい光、金色の光が眼を焼いた。中庭は金色の光にあふれていた。
 太陽ではない。今は深夜だ。しかし黄金の光が中庭を照らし、折り重なって倒れる屍たちを照らしていた。
 光を浴びた瞬間、ルイーゼの全身に痺れが走る。体が何倍も重くなり、脱力感に包まれる。
 光の源は、中庭の中央にあった。
 一人の男が、金色に輝く剣を振るっていた。男は十字架の描かれた甲冑を見につけていた。
 剣の名は『黄金剣エル・メセリオン』。教皇庁と錬術士たちが総力を挙げて作り出した「神の剣」。その輝きは弱小ヴァンパイアを消し飛ばし、強力なヴァン パイアからも魔力を奪う。
 剣を振るう男は「勇者エミリオ・レッジアーネ」。教皇庁の最強剣士だ。この男の剣によってどれほど多くの仲間たちが倒されていったことか。
 勇者エミリオの真正面にアストラッハがいた。
 アストラッハは長い金髪を振り乱し、漆黒の剣を振るってエミリオと剣をまじえていた。
「アストラッハさまッ!」 
 ルイーゼは叫び、血生臭い夏の大気と屍の山の中を進んでいった。
 アストラッハはルイーゼに気づき、こちらをちらりと見て絶叫。
「ルイーゼ! なぜ来た! 落ちのびろと言ったのがわからぬのか!」
 叫んだ瞬間、勇者エミリオの剣が彼に襲いかかる。
 なんとか黒剣をかざして受け止めた。
「たいした余裕だな、アストラッハッ!」
「ちっ、調子に乗りおって、人間め!」
 屍の中心に近づいた。
 ルイーゼがアストラッハまで10歩ばかりの距離に近づいたそのとき、アストラッハの黒剣が勇者エミリオの首を斬り飛ばした。血しぶきが噴出する。金色の 巻き毛に覆われたエミリオの頭部が吹っ飛んで転がった。
 やった! ルイーゼの胸に興奮が走った。
 だが次の瞬間ルイーゼは硬直する。勇者は己の最期とまったく同時に、黄金剣をアストラッハの胸に突きたてていたのだ。
 どう、と音を発して地面に倒れる勇者。
 ゲボッ、と血の塊を吐き出すアストラッハ。
「アストラッハさまぁぁ!」 
 絶叫し、駆けよるルイーゼ。
 彼女の姿をみとめるやアストラッハはにやりと笑った。牙がむき出された。
「ルイーゼか。お前の予言通りになったな」
 止めどもなく血を吐きながらもよろめくそぶりすら見せずに仁王立ちしていた。
 しかし黄金剣はアストラッハの胸を深く貫き、背中のマントまでも達していた。間違いなく心臓をえぐっていた。黄金剣の力はヴァンパイアのあらゆる力を低 下させる。生命力さえもだ。このままでは絶対に助からない。
「アストラッハ様、アストラッハ様っ、いま、お助けします!」
 黄金剣のつかを握り、引き抜こうとするルイーゼ。その瞬間、黄金剣はいよいよ激しく発光、ルイーゼの手が焼けただれる。
「くうっ……」
「無理をするな、ルイーゼ、もういい、もういいのだ」
「しかしアストラッハさま、このままでは……」
「そうだ、オレは間違いなく死ぬ」
 笑みを浮かべたまま言いきる。絶句するルイーゼ。
「そして、オレたち吸血鬼の時代も終わるだろう。人間どもが世界を支配する。オレたちは狩り立てられる。
 すべてはオレの失敗だ。まさか人間どもにここまでの力があるとはな。おろかな王だ、オレは」
「そのようなことをおっしゃらないで下さい、アストラッハさまはわたくしたちに美しい夢を見せてくださいました。ただわたくしたち臣下が、『13騎士』が 不甲斐ないばかりに」
「フフ、いつもそうやって素直だとよかったんだがな……お前とは喧嘩してばかりだった」
 アストラッハの体から力が抜ける。地面にひざを突きそうになり、剣で何とか体を支える。
「もうそろそろお別れのようだ」
「アストラッハさま。わたくしも参ります」
 決然とした表情で言いきり、あたりの地面から拾い上げた剣を自分の喉にむける。
「やめろ、ルイーゼ!」
「なぜおとめになるのですか。アストラッハさまのいなくなった世界に未練などありません」
「誰が『永遠の別れだ』と言った。
 オレはかならずよみがえる。地獄に落ちようとまた這い上がって見せる」
「ならばわたくしは、かならず見つけ出します。この魔鏡で、世界のどこに生まれても、何百年を経ても必ず見つけます!」
「ありがとう、ルイーゼ。そのときは、また……今度は……間違いを……繰り返さない。復活した暁には……再び、世界を」
「お待ちしております、このルイーゼ!」
 アストラッハの表情から苦痛が消えた。爽やかに微笑んだ。
「まって、いろ」
 たったそれだけの言葉を吐き出した。
 そして眼を閉じた。唇が再び動くことはなかった。アストラッハの全身がハラハラと灰になって崩れ始めた。上半身と下半身がちぎれて大地に転がった。同時 に黄金剣もその力を使い果たしたのか砕け散る。
 ルイーゼは最後の一歩を駆け寄り、主君の上半身を抱きしめた。抱えた腕の中でアストラッハの体が崩れていく。
 やがて魔王の肉体は跡形もなく消滅し、ただ灰だけが残った。
 ルイーゼは立ち上がる。
 天を仰いだ。黄金剣の光が消えて、満天の星空がよみがえっていた。
 一滴の涙も見せず、思いつめたような表情で、彼女は呟いた。
「待っています、アストラッハさま」

 13

 額に痛みをおぼえて、ルイーゼは眼を開いた。
 空の一角が赤く輝き出している。
 もうすぐ日が昇るのだ。夜明け前のわずかな陽光でさえ、ルイーゼの体を焼くには十分だ。あとしばらくで彼女は灰になるだろう。
「結局、アストラッハ様は来て下さらなかった……」
 うつむいて、沈痛な表情でルイーゼはつぶやく。
 と、そのとき。
「かあさーん!」
 頭上から声が降ってきた。よく知った声だ。リリコの声だ。
 (まさか)
「ルイーゼさんっ!」
 今度は男の声。アストラッハの生まれ変わり、マサキの声だ。
 ルイーゼは天を仰いだ。星空に二つの人影が浮かんでいた。急速に降下してくる。手をつないでいない。二人とも自力で飛んでいた。
 肌にピリピリと電気のような感触があった。魔力だ。自分を遥かにしのぐ、強烈な魔力が伝わってくる。
 (まちがいない。魔力を取り戻して下さった。復活なされた。わたくしが待っていたのは無駄ではなかった)
 ルイーゼの表情がほころんだ。全身を喜びが駆けめぐった。
 考えるより先に体が動いた。ルイーゼは舞いあがった。リリコとマサキに飛びつく。
「アストラッハさまーッ!
 やはりわたくしを……
 え!?」
 飛びつく途中で全身が硬直した。
 小さな口をあんぐりと開けた。
 マサキの格好は、一言で言ってへンタイだった。
 シャツとズボンを脱いでいた。アバラの浮いた貧弱な裸と白ブリーフを露出していた。ルイーゼそっくりの金髪幼女が描かれた「抱きマクラ」を抱えていた。 両足でカニばさみにしていた。 
 美少女フィギュアを頭のまわりにくくりつけていた。
 そんな格好なのにマサキの表情はおそろしく真剣、両目は真っ赤に輝き、全身からどす黒いオーラをあふれさせていた。500年前の魔王アストラッハがま とっていたものとまったく同じオーラ。
「エ……ルイーゼさん、無事でよかった!」
「あんた今なんて言おうとしたのよ?」
 リリコがすかさずつっこむ。
「あの……アストラッハさま、そのお姿は一体!?」
「ああこれですか。僕は『萌え』の力で吸血鬼化したんです。ということは『萌え』のパワーをもっともっと高めれば、魔力も覚醒するんじゃないかと。やって みたらできました」
 その時マサキの体から吹きだすオーラが、急に弱くなる。グラリと体が揺らいだ。
「うわ、もう魔力切れだ。リリコさん!」
「あーはいはい」
 リリコが、やる気なさそうにカバンからポータブルDVDプレイヤーを取り出す。
 画面にアニメが出てきた。街の中と学校をはしゃぎまわる女の子たち。タイトルが出てきた。
 『吸血幼女ちーこちゃん』
 軽快なオープニング曲が流れ始める。女の子二人の歌声が響く。歌っているのはちーこ役とエリザベート役の声優だ。
 
 吸血幼女ちーこちゃんOP
 『おねがい! ちゅーちゅーさせて』

 おねがい! おねがい! おねがいよ!
 たったひとつの願い事
 真っ赤な血であたしとおにいちゃん
 ひとつに結んでちゅーちゅーよ(ちゅ!)

 歌にあわせてマサキは腰を動かした。抱きまくら(金髪幼女のイラストつき)に股間をこすりつける。
「萌え萌え萌え萌えー! 
 エリザべートたん萌えー!
 ちーこちゃん萌えー!」
 頭を猛烈な速さで振り回した。
「ハアハアハアハアハア!
 き、来た、萌えパワー全開きたー!
 見える! 光が見えるー!」
 思い切りのけぞった。両眼がまばやく光り輝いた。真っ黒いオーラが全身から猛火のように噴き出す。
 すさまじい魔力は周囲の空気さえも鳴動させる。
 ゴゴゴゴゴゴ!
「というわけで、この儀式をやったら3分間だけ魔力が復活するんです」
 腰の動きを止め、眼をらんらんと光らせたまま胸を張るマサキ。
「こ、こ、こんなのアストラッハさまじゃありませんわーっ!」
 ルイーゼは叫んで、気絶して、隅田川に落ちた。
 ぽちゃんっ。
「か、母さーん!」
「やっぱりダメだったか」

 第1話おわり



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