泣き虫兵器ベルタ

 (分割版)

 第1章「君、微笑んだ夜」その2

 4

 次の日の夕方、ベルタは駅前の喫茶店にいた。
 コメダ珈琲店。この地方ではどこに行っても見かけるチェーンの喫茶店だ。
 店内は、壁面にレンガ、床とテーブルが暖かさを感じさせる木目調。
 椅子はお芋を思わせる茶色。とにかく茶色系統に統一されていた。
 すべての席が一杯になっている。
 ベルタは窓際の席に座り、ウェイトレスを呼び止めて、
「シロノワール3つ!」
 明るい声で注文した。
「……は?」
 ウェイトレスがベルタのほうを見て、伝票を片手で持ったまま、眼をパチクリさせる。
「シロノワール3つです」
 注文を繰り返すと、ウェイトレスはベルタの顔や格好をじーっと見て、さも不思議そうに2秒ばかり考え込んだ後、いきなり営業用スマイルを顔にはりつけ る。
「かしこまりました!」 
 深く考えない、という結論を出したらしい。
 ウェイトレスだけでなく、隣のテーブルを囲んでいる家族連れも、そのまた隣で文庫本を読んでいた老人も、ベルタにいぶかしげな目を向けている。
 しばらくして、注文の品が来た。
 銀色の盆に載った、シロノワール3つ。
 シロノワールとは、ドーナツ型の柔らかいパンにソフトクリームを載せたものだ。ベルタの好物だった。甘いものはみな好きだが、この地方にきてからはシロ ノワールばかり食べている。
 直径実に20センチ。ふつうは家族やカップルで食べるものだ。
 それが3つもテーブルの上に置かれる。テーブルの上が埋まる。壮観だった。
「いただきまーす」
 思わず頬がゆるんでしまう。明るく笑って、ついてきたメープルシロップをトロリトロリとパンにかける。
 となりの席でベルタの見ていた家族連れが「ほんとに食べるんだ」「スゲー」とあきれている。
 さて、とベルタは熟考する。
 (どう食べるか。ソフトクリームを先に食べるか。それとも下のパンと交互に食べるか。どちらも捨てがたい)
 しかも数は三つある。ゆっくり味わって食べているとソフトクリームが溶けて崩れてしまうのだ。溶け落ちたソフトクリームがメープルシロップの中に崩落 し、まったく別種の味わいであるふたつの甘さがまじってしまう。なんたる悲劇か。この悲劇をベルタは過去2回も経験した。
 (よし)
 先の四角くなっているアイスクリーム用スプーンを手に取った。手が緊張と期待で震える。
 ソフトクリームにスプーンを差し入れ、すくいとって口に運ぶ。
「ああ……」
 思わず、声が漏れてしまう。
 甘いものを思う存分食べる。ベルタが知っている最大の幸福だった。「組織」にいたときは体調を完璧に管理するため、特別メニューの軍用糧食だけを毎日食 べさせられた。量は普通の食事より多かったが、デザートの類は粉末ヨーグルトとキャンデーだけでまったく物足りなかった。脱走してすぐにやったのが喫茶店 でパフェを食べて食べまくること。
 あっという間に一つのシロノワールが消えた。
 慎重にソフトクリームの溶け具合を探りながら、二つ目に取り掛かる。
 甘いものが大好きといっても、普段は二つしか食べない。
 三つ食べるのは、最後のお別れだから。今日でこの街を出ていく。何百キロも離れた街まで一気に移動するつもりだ。そこにはコメダ珈琲店はない。シロノ ワールは食べられない。だからこれが最後のお別れ。
 一口一口、味わって食べるつもりだった。
 そのとき、
 ダンダン! ダンダンダン!
 窓を叩く音が響いた。
 音のする方角を見て、ベルタは口にくわえたスプーンを落とした。唇の端からみっともなくソフトクリームをこぼしてしまう。
 窓の外に少年がいた。昨日出会った、いじめられっこの少年だ。猛烈な勢いで窓を叩いている。ベルタが自分のほうを向くや、口をあけて何かを大声で叫んで いる。
 (な、なんで彼がここにいるんだ?)
 (どうして自分がここにいるってわかった?)
「あの、お客様……」
 ウェイトレスが困惑顔でベルタに言う。
「あちらの方はお知り合いですか?」
「え、えーと、知り合いというか、なんというか、その」
「このままですと、他の方のご迷惑になるのですが」
「わ、わかりました」
 窓の外の少年に手招きを見せる。少年、ぱっと顔を輝かせる。
 店内に駆け込んできた。
「あ、あ、あの、あの……」
 ベルタの席まで走ってきて、少年はどもりながら何かを言おうとする。立ったまま両腕をブンブン振り回す。
「えーと、まずここに座ってください。なにか飲みます?」
 ベルタ、少年の肩を押さえて強引に座らせる。
「あ、はい、コーヒー。アイスコーヒー」
「かしこまりました」
 ウェイトレスが去ってゆく。
 少年はベルタにぺこりと頭を下げる。
「あの、あの、さっきはごめんなさい。あの、ぼく、どうしても会いたくて。あの、あの、怒ってる? 怒ってますよね?」
「いえ、怒ってはいません。怯えるのもほどほどにしたほうがいいと思います。それで、どうしてこの場所がわかったんですか?」
 この街は人口50万人。駅周辺の喫茶店やレストランだけで10や20はある。駅前にはジャスコがあるるし、となり駅にも商店街がある。
「探したんです。会いたくて。きっとどこかでご飯を食べてるって」
 ベルタの眉がひそめられる。
「まさか……全部の飲食店をあたったんですか?」
「はい! どうしても会いたくて。朝からずっと。10時間くらい」
 勢いよくうなずく少年。
「そ、そうですか……」
 あっけにとられる。一体なんだ、この積極性、この行動力は。
「お願いがあるんです」
「なんでしょう」
 嫌な予感がした。気がついたらスプーンから手を離し、ぎゅっとテーブルの上で握っていた。握った掌に汗がにじんでいた。
「……あの、ぼく、あんなこといってもらえるのはじめてで」
 少年、ベルタをじっと見つめて、泣きそうに瞳を潤ませて言う。
「嬉しかったんです。……これからも、これからもいっしょにいてください!」
「あ、あの……」
「いっしょにいてくれないとダメなんです!」
「うわー……修羅場」
 女性の声が聞こえたのでそちらを見た。銀盆にコーヒーカップを載せたウェイトレスが、目を丸くして立ちすくんでいた。彼女の口元が笑みの形になってい る。
 修羅場、という言葉の意味は知っていた。恋愛関係のことだと思われた。
「ち、違うんです」
 ベルタはあわてて否定する。なぜか顔が熱くなった。
「いえ、いいんです。若いっていいですよね」
 ウェイトレスは急にまじめな表情になって、
「はい、こちらコーヒーです。ごゆっくり」
「なにか誤解されている……」
 ため息をついた。顔がまだ火照っている。
「なんていえばいいのかな……」
 ベルタが口を開くと、少年は身を乗り出すようにして、目をきらきらさせて、
「はいっ」
「うう……なんだか疲れる……」
 こんなときどうすればいんだろう、と内心で頭を抱える。
 これまでベルタは日本各地を放浪してきた。最初は日本語も話せなかったのに今ではマンガ週刊誌を読んで笑えるほどになった。電車の乗り方でとまどうこと もなくなった。山中に身を隠す方法も学んだ。
 だが、いまの状況にどう対応すればいいのかは分からない。
 ベルタはずっと一人だったから。誰かと一緒に旅をしたことも、一緒に住んだこともない。友達も作らなかった。
 わずかに知っているのが、マンガや小説で聞きかじった知識。
「ねえ、……えーと、名前をきいていいですか」
 そうだ、自分はこの少年の名前さえ知らないのだ。
「はっはいっ。名前は祐樹、倉本祐樹といいますっ。す、好きなものは……」
「わたしはベルタです。『二番目』という意味です」
「ベルタさん」
「苗字とかファミリーネームとか、気の利いたものは私にはありません。わたしは人間ではないからです。見てわかりましたよね」
「は、はい。ベルタさんは、白い翼があって、とても綺麗で……天使みたいだなって思ったんです」
「あまり言わないでください。恥ずかしい」
 翼のことを綺麗なんて言われるのも初めてだった。
「で……わたしは人間ではありません。手短に言うと、『兵器』なんです。遺伝子操作で作られた、人のかたちをした兵器」
「ベルタさんが……?」
「はい。漫画とかで読んだことあるでしょう? 超人兵士を作り出している組織があるんです。わたしはそこから逃げ出してきました。いまでも『組織』の追っ 手はわたしを探していると思います。友達とか仲間とか作ってはいけないんです。他の人を巻き込んでしまうから」
「で、でも……」
「だめです」
 ベルタは言いきった。きっぱりと言いきったつもりだった。
 祐樹の顔を見て「きっぱり」が崩れた。
 祐樹は、この線の細い少年は、泣いていた。
 薄い唇を噛みしめ、両の眼から一筋の涙を流していた。
「う……う……」
 口元が震える。鼻をすすりそうになる。テーブルの上の紙ナプキンを手にとって鼻と口を抑えた。
「うぐっ……えぐっ……」
 声を殺して泣いていた。
 本当なら号泣したい、そんな気持ちが伝わってきた。
「……い、一日なら」
 ベルタの口からそんな言葉が飛びだした。
 自分は何を言おうとしているんだ
「一日なら。付き合ってもいいです」
「えっ」
 祐樹は紙ナプキンを取り落とした。花開くように明るい顔になった。
「ほんとうですか!」
「いえ、一日だけですよ」
「はい! はい! ありがとうございます!」
 祐樹、ベルタの手をぎゅっと握って、上下にぶんぶん振る。
 また彼の頬を光るものが伝い始めた。嬉しさのあまり涙を流しているのだ。
「では、いきましょう。早く涙をふいて」
 胸が締め付けられるような苦しさをおぼえて、ベルタは言う。
「はい、デートですね!」
「で、デート……というのとはちょっと違う気が……わかりました、デートでいいです」
 ふと気づくと、お盆を持ったままのウエイトレスが興味津々といった表情で見ている。となりの席の家族連れがチラリチラリと見ている。小さい子供が思い切 り身体を乗り出して見ている。
「い、いきましょうっ」
 祐樹の手をとって立ち上がる。
 ウェイトレスが優しい声で、
「がんばってください。応援してます」
「違うんですってば……」
 恥ずかしくてならない。
 しかし不快ではなかった。心のどこかに浮き立つような気持ちがあった。

 5

 二人は書店にやってきた。
 暖かい空気、ずらり並ぶ本棚。レジ横には女の子のフィギュアがディスプレイされている。壁の高いところには漫画家のサインが飾られている。テレビがあっ て、美少女アニメのオープニングを流している。
「あの、本当にここでいいんですか」
 祐樹はきょろきょろと視線をさまよわせ、不安そうだ。
「いいんですよ」    
 ベルタは祐樹に微笑みかけてそう答える。
 さきほどまで二人は商店街にいた。アジア小物の店、おしゃれな喫茶店をめぐっていた。
「で、でもこの本によると女の人と遊ぶときはおしゃれな店を選ぶべきだって……」
 祐樹が肩掛けカバンから本を取り出す。きっちりとカバーがかけてある。中身がちらりと見えた。『これをやったら絶対モテナイ!』『10カ条』などとかい てある。恋愛マニュアル本のようだ。
「本屋の中で本を出したら誤解されますよ」
「え……そうかな、あわ、ちがうんです、これぼくの本なんです!」
 エプロン姿の店員に出くわし、猛烈な勢いで謝る。店員は眼を丸くした。
「そんなに怖がらなくたっていいじゃないですか」
「でも不安で……マンガ専門店なんかに連れて行ったらキモイって書いてあるんです」
 ベルタ、苦笑してマニュアル本を取り上げる。
「本どおりに遊んでの楽しくないですよ。わたしは『ふだん祐樹さんが遊んでるところにいきたい』っていったんです。だから本屋でいいんですよ。はい、この 本しまいましょう」
 ベルタが先頭に立って本屋の中を歩き始める。
「今月の新刊……すごいですね、漫画だけでもこれだけあるんですか」
 漫画新刊コーナーは二メートル四方ありそうな台の上、何百冊もの漫画が平積みにされている。
「ベルタさんは、本屋にはいかないんですか」
「コンビニなら。でも、ここの漫画ってコンビニのとは少し違いますね」
「あ、わかりますか!」
 祐樹の顔が一気に明るくなった。
「そう、そうなんです。コンビニのは不特定多数に売れる本を選んでるんです。でも、この『マンガの城』はほんとにマンガを知ってるマニアのための店なんで すよ。マイナーだけど面白い作品がたくさん置いてるんです。あと、ここではマンガの立ち読みも出来るのが魅力です。普通の本屋とは違いますよね」
 早口にまくしたてて、積んであるマンガの一冊を手にとる。コンビニのマンガより一回り大きくて薄い、表紙は「かわいい女の子二人が抱き合ってる絵」。
「これなんかは、ネット上の無料コミックを単行本にしたものなんです。この女の子はよく見るとほら、戦車と戦闘機なんですよ。兵器を擬人化させたギャグマ ンガっていうかコメディもので」
 確かに、女の子は背中にキャタピラを背負っていたり、ランドセルに小さい翼がついていたり。
「それからこっちは、いまどき珍しい硬派な軍隊ロボット者なんです。ロボットが闘うのは謎の敵で、敵の正体が一つの謎というか魅力になってるんです。ほ ら、この戦闘シーン迫力あると思いませんか?」
 マンガを次から次へと手に取り、中身を開いて解説する祐樹。
 と、そこで彼はわれに返り、顔を赤らめて、
「ご、ごめんなさい……面白くないですよね、こんな話」
「いえ、そんなことないです。楽しそうでした」
「楽しそう、じゃダメなんです。ぼく一人が楽しんでたら。ぼくはダメだから……いつも他の人にはイヤな思いをさせてしまって……」
 ベルタ、祐樹の肩をぽんと叩く。えっと驚いた顔でこちらを見る祐樹に、笑いかける。
「気にすることないですよ。祐樹さんがうれしそうにしていると、わたしもうれしい。まずは、祐樹さんが生き生きするからはじめるのがいいんじゃないです か?」
「こんなのでいいの?」
 祐樹はいまだ半信半疑だ。
「はい。おはなし続けてください」
「う、うん!」
 もう祐樹は止まらなかった。店内を歩き回り、マンガやイラスト集をとりあげては解説した。彼の顔から笑みが消えることはなかった。
 たっぷり2時間、彼はマンガについて喋りつづけ、「喉がかわかないですか?」とベルタがいったのでようやく店をでた。
「祐樹さんて、ほんとにマンガが好きなんですね」
「う、うん。実は、マンガをかいてもいるんです」
「今度、ぜひ見せてください」
「今度? 今日で終わりなんじゃなかったんですか?」
「え……」
 ベルタはあっけにとられる。確かにそのはずだ。自分は何を言ってるんだろう。ごく自然に『こんど』という言葉が出てきた。
「もうしばらく、ここにいることにします」
 つぶやいて、祐樹の顔を見上げた。
「今日のおはなし、とても楽しかったですから」
「マンガの話してただけなのに」
「いいんですよ、それでも。『あたりまえの日常』が、わたしにとってはとても大切なんです」

 6

 次の日、ベルタは朝から落ち着かなかった。
 普段は朝6時に眼を覚まし、警備員の眼をしのんで学校を抜け出し、誰も見ていない場所を選んでストレッチ、筋肉トレーニング。しばらく汗を流した上で街 をうろつく。そのはずだった。
 だがその日は朝4時には眼がさめてしまった。もう少し眠ろうとしたがうつらうつらするのがやっと、しかも祐樹とデートする夢を見てしまった。キスをして 飛び起きた。夢だと分かってからも、全身がかっかとほてっていた。誰かに見られ、笑われているようでとても恥ずかしかった。
 (わたし、祐樹さんのことをそんなふうに考えてるんだ)
 学校を飛びだし、塀を飛び越えて街をうろつく。
 今日もデートの約束をしていた。まずは祐樹にマンガ原稿を見せてもらう約束だった。そのあとどうしよう。決めていなかった。喫茶店でマンガのお話をして もいいし、買い物に出かけてもいい。
 どこまでも夢が広がっていった。どんな事を話そう、と考えるだけで幸せだった。
 (ふつうの女の子って、きっとこうなんだろうな)
 駅前を歩いていると、駅ビルの前にバンが止まっているのを見かけた。
 車体に「焼きたてメロンパン」「メロン果汁いり」とかいてある。
 (これをふたりでたべよう)
 列に並んで、店員さんに笑顔で「ふたつ下さい」。受け取った紙袋からはいい匂いが漂っている。
 紙袋を抱えて、バンから離れ歩き出した。
 と、そのとき。
 背筋に極寒の塊が走りぬけた。
 ベルタにとってはよく知っていた感触だった。『組織』の地下基地で訓練を重ねている間、数えきれないほど味わった。伝導体の急速接近による地磁気のゆが み。背後からの銃撃を回避する機能「電磁感覚」だ。
 即座に戦術支援電子脳を起動。
 (後方より銃弾。推定速度700メートル毎秒。ライフル弾と推定)
 (弾道は後頭部を指向)
 体が反射的に回避行動をとる。
 神経電流伝達速度を加速。30倍に加速。生体過吸システムを起動、胸の中に封じ込められていた酸素を解き放ち血中に放出。五感が変化する。時間感覚が変 化する。自分以外のあらゆるものが遅くなる。周囲の空気が水あめのようにねばついて感じられる。
 全力で首を振って銃弾をよけようとして、
 (だめ! 人がいる!)
 駅前だ。ベルタのまわりには何十人もの人間が歩いている。よけただけでは彼らに当たる。
 首を傾けるかわりに全身をひねって振り向いた。バンが視界に飛びこんできた。凍りついたように動かない人の列が見えた。彼らの上を飛んでくる一発の銃弾 が見えた。秒速700メートルの銃弾を視認した。
 ベルタ、メロンパン入りの袋を放り出し、片腕をかざす。顔の前にかざす。所要時間0.03秒。ちょうどそのとき銃弾がベルタまで到達した。皮膚を貫い た。腕の骨の中心に突き刺さる。弾はそこで止まった。エインヘリヤルの骨は頑丈なのだ。
 (ブロック成功)
 激痛に顔をゆがめ、たったいま飛んできた銃弾の軌道を推論。
 あたりは住宅地、通行人はまばら、誰も銃は持っていない。当然だ、まだ銃声が聞こえない。これだけ遅れて聞こえるのは狙撃者が遠くにいる証拠。狙撃者は どこか? 
 狙撃に使えるほど高い建物は見渡す限り二つ。すぐ目の前にある駅前のデパート、それから500メートルはなれた場所にそびえたつ20階建ての高層マン ション。
 ベルタ、視力をとぎすましマンションの窓を見る。並んだ100あまりの窓をコンマ2秒ですべてチェック。見当たらない。銃を構えた人影はない。と、マン ション屋上で白い閃光。マズルフラッシュだ。全神経を視力に集中。閃光の中から現れる一発の銃弾を、秒速700メートルで突進してくるわずか数ミリの金属 片を視認。
 また腕を振るった。タイミングを合わせて下から銃弾を凪ぎ払った。銃弾は軌道をそらされて上に飛んでいく。
 そのときようやく、ズドンっと銃声が響く。あたりにいる人々が顔を見合わせる。「なに今の?」と不思議がる。銃声だと認識できなかったらしく誰も伏せな い。
 (このままじゃ!)
 ここにいたら大勢の人間を巻き込む。絶対にできない。
 (隠れる)
 (逃げる)
 いくつもの選択肢が脳裏ではじけた。
 (逆襲する。もとを絶つ。一瞬でも早く)
 結論はすぐに出た。戦術支援電子脳に命令、背中の放熱機関を展開。雪のように白い翼がパーカーをぶち破って伸びる。すでに加熱して湯気をあげていた筋肉 が冷却される。全力で疾走。まずはその場から離れる。時速100キロまで加速、人ごみの中をかき分け、スライディングしてサラリーマンの足下をくぐりぬ け、両手に荷物を持った中年女性に激突しそうになって跳躍して回避、そのときベルタの電磁感覚が3発目の銃撃を感知、空中で身をひねって回避、首筋をかす める銃弾。
 駅前から商店街に入った。ビルとビルの隙間を駆ける。銃撃はなくなった。敵から目視できなくなったのだ。そのまま駆けつづける。時速100キロを維持す る。自転車に乗った老人に出くわし跳んで回避、老人が腰を抜かし自転車を倒す音が聞こえ、そのうち商店街から飛び出して住宅地に入る。あたりには一軒家が 立ち並んでいる。
 そんな家々の狭間に、王者のような風格のマンションがそびえたっている。
 距離200メートル。スパートをかけた。一気にマンションまで突進、裏手に回って非常階段を見かけると3段飛ばしで駆けあがる。脚力に耐えきれず階段が 踏み抜かれ破片が散らばる。20階まで登るのにわずか40秒。屋上へとつながる非常扉を蹴り破った。飛びこむ。
 屋上には、銃をもった背広姿の男たちが6人いた。そのうちひとりが長い銃身のボルトアクションライフルを持っている。残る5人はベルギー製の自動火器 FN-P90をもっている。全員がすばやい動きでベルタに銃口を向け、いっせいに発砲。ベルタは跳躍、すべての銃弾を回避して男たちの真っ只中に降り立 ち、四方八方に向けて拳を見舞う。ローキックを繰り出す。常人の数十倍という筋力で駆動される拳は、男たちの両肩を撃ちぬいて骨を粉砕、ローキックは足首 や膝を粉砕。一秒とかからずに男たちはその場にくずおれた。
 脂汗を流してうめく男たちを、ベルタは観察した。
「ふつうの人間……『組織』じゃない」
 『組織』とは別口の追っ手も珍しいことではない。超人的な戦闘力に不死身の肉体、欲しがる者は大勢いる。
 男たちがベルタを見上げてうめいた。
「ば、ばけもの……」
 その一言はベルタの胸を串ざしにした。男の顔をよく見ると、ごつい顔立ちに本物の恐怖が宿っていた。
「……そうでしたね」
 冷たい声をもらすベルタ。
「わたしは化け物で、こういう世界に生きてるんでしたね」
 背中の翼を閉じた。神経加速を止めた。しかし戦闘体勢を解除しても、心の奥底に広がってしまった暗い気分は消えない。
 (恋人ごっこなんて、やってる場合じゃないんだ) 
 
 
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