泣き虫兵器ベルタ

 (分割版)

 第2章「私がそばにいる」その2
 
  2

「眼が覚めましたか?」
 さわやかな男の声で眼を覚ました。
 眼をあけると、まぶしい光をバックに男がいた。自分は寝ている。男が自分を見下ろしている。体に濡れている感触がない。服の感触がない。裸の皮膚がその まま空気に振れている。
 自分は全裸だ!
 ベルタ、一瞬にして意識が覚醒。戦術支援電子脳を起動、肉体の各部位をチェック。筋組織内臓組織に大きな欠損なし。ただし両腕両脚組織に疲労に尿酸蓄 積。
 体を起こそうとして、
「待った!」
 若い男が白衣に包まれた腕を動かす。ベルタの肩に手を置いた。肌に直接触られる。
 無視して跳ね起きる。体のあちこちでプチプチと音。裸の体に電極を取り付けられていたらしい。電極がことごとく外れる。眼球だけを動かして周囲の状況を 把握。ここは金属の壁に囲まれた4メートル四方の部屋。壁はすべて白く塗装され、自分はベッドの上に寝かされていた。室内にいるのは白衣姿の若い男、それ から彼の横に並ぶナース服姿の女たち。
 武器。なにか武器はないか? 見当たらない。ベッドの上から舞い降り、ナースの真後ろに着地して羽交い絞めにする。 
「おとなしく……」
 おとなしくしろと叫ぶつもりだった。だがそこまで動いたところで全身の筋肉が悲鳴をあげる。脳回路が数百のエラーメッセージで埋め尽くされる。
 それ以上動くことができなかった。体が鉛のように重かった。腕と足から力が抜ける。両膝を折ってその場にくずおれた。
「う……う……」
 うめく。あせりで冷静な思考ができなくなっていた。どこだここは。この男は誰だ。敵だ。敵に違いない。
「だから、動いちゃいけないって言ったでしょう。あなたはスタミナ切れでまったく動けないはずです」
 白衣の青年が歩いてきた。ベルタの肩をやさしく抱く。びくっとベルタは体を痙攣させる。
「……そんなに怖がらなくていいですよ、ベルタさん」
 なぜ自分の名前を? 驚愕に眼を見開くベルタ。
「……あなたは誰?」
 にらみつけるベルタ。青年は整った顔立ちに微笑を浮かべ、答える。
「ぼくは上月礼一郎といいます。聞いたことはありませんか。ここはぼくの持ってる船、ルナール2世号」
 知っていた。新聞でこの名前を見かけたことがある。上月一族といえば数多くの巨大企業を経営する資産家一族だ。礼一郎は製薬会社・上月製薬をまかされて いたはずだ。
「……知っています」
「うん、テレビなんかにも結構出てるからね。はじめまして、ベルタさん」
「知ってるんですか、私のことを。いったいどこまで」
「もちろん。君が『組織』で開発された人造人間だということも、人が殺せない『失敗作』だってことも。基地を逃げ出して日本をさまよっていることも。甘い ものに目がなくて新しい土地では必ず喫茶店に行ってスイーツを注文することも」
「あなたは……」
 全身に鞭打って、何とかたち上がろうとする。この男は私を見張っていたのか。
「ああ、怖がらなくていいって言ってるじゃないか。かわいそうに、今までよほどつらい目にあってきたんだね」
 青年……礼一郎は微笑むと、ナース服の女に目配せした。女は部屋の隅にある台からガウンをとってきた。もうひとり女がやってきて、二人がかりでベルタを 立たせる。ベルタの裸身が、控えめな胸のふくらみが、折れそうにほっそりとした腰が、股間を彩る淡い茂みがあらわになった。「くっ……」恥ずかしさと悔し さに唇をかみしめ、そこで意外なことに気づいた。礼一郎はベルタの裸体から目をそらしてくれている。その整った造作には気恥ずかしさが浮かんでいる。好色 さなど微塵もない。
 (この人、意外に紳士)
 ナース服の女二人はベルタの腕を持ち上げ、ガウンを着せた。帯を結んで、最後に位置の微調整。
「よくお似合いですよ」
 そういってナース副女二人はにっこりと微笑む。思わずこわばった顔が緩むほどの暖かい笑みだった。
 礼一郎はこちらに視線を戻し、あからさまな感嘆の表情で手を叩く。
「いいな。いいじゃないか。ガウン一枚でこんなにも違う。『組織』は、ベルタさんを作るとき美にも気を配ったんだね。
 さて……単刀直入に言います。
 私は……。いや、ぼくは。ベルタさんを保護します」
「保護」
「そう。ぼくは上月グループの情報網をつかってベルタさんのことを調べてきた。実にベルタさんはつらい目に合ってきた。人殺しをしたくない、それだけの話 なのに許されなかった。どこにいても狩りたてられた。安息はどこにもなかった。そうでしょう。
 ぼくは、そんなベルタさんを守りたい。救ってあげたい。上月グループの総力をあげて君を守る。誰にも手出しはさせない。ベルタさん、もうベルタさんは闘 いを強要されることはないんです。ずっと平和な暮らしを送れる。逃げまわることもない。毎日、好きなシュークリームやホットケーキを食べられる。学生生活 に憧れがあるなら、学校を手配してもいい」
「な……」
 絶句した。平和な毎日。どれだけ望んだことか。だが猜疑心が残っていた。
「……なぜ。なぜ私に、それだけのことをしてくれるのですか」 
 おっかなびっくりの問いだった。もしきつい一言がかえってきたらどうしよう。
 だが礼一郎は、満面お笑顔を浮かべて、それこそ子供のように邪心のない表情で、即答した。
「君が好きだから。愛してるから」
 
 3
 
 呆然としているベルタに、礼一郎は「少し休むといいでしょう」と微笑みかけた。
 車椅子に乗せられた。ナース服の女たちに押されて、船内を進んだ。
 通路は広く、船とは思えないほどだ。
 ひとつの扉の前で立ち止まった。
「こちらがベルタさまのお部屋となっています。ごゆっくりおくつろぎください。それでは」
「待ってください」
「なんでしょう」
「あなたは……看護婦の服をきていますが……」
「はい。わたくしはナースメイドです。公私にわたり礼一郎様のお世話ができるよう勉強しています」
「では、私の体も調べた?」
「はい。ひどくお疲れの様子で」
 そうだろうな、気絶するまで泳いだのだ。
「わたしの体を調べて、何か感想は」
 医学生物学の知識があるものなら、きっと化け物だと感じるはずだ。筋力は人間の30倍、背中に排熱用の翼を持ち、銃弾さえも避けられる運動能力。
「すばらしいですね」
「すばらしい?」
「はい。礼一郎様がすばらしいとおっしゃっていたからです」
「は……?」
「礼一郎様のおっしゃることですから」
「あの……どんな方のですか、礼一郎さんは」
 なにやら一片の薄気味悪さを感じて、聞いてみた。
「偉大な方です。他のどのナースメイドにうかがっても同じ答えがかえってくると思いますよ。わたくしたちを大切に育ててくださいましたし、あの若さで巨大 な上月製薬を切り盛りされているのですから」
「そうですか……彼が言っていた、『わたしを愛している』というのは」
「うらやましいです、ベルタさん。わたくしもあんなことを言われてみたい」
「いや、そうじゃなくてて……」
 真意を問いたかったのだ。だがナースメイドはきょとんとするばかり。
「いえ、いいです。ではわたしはここで休んでいます」
「はい。お着替えのほうは部屋にご用意してあります。なにかありましたらおもうしつけ下さい」
 部屋に入って、息を呑んだ。
 天井の高さが、床の広さが、ベルタのイメージしていた「船室」とはけた違いだった。
 床の絨毯さえもふかふかで、車椅子で踏んでよいのかと心配になる。壁には手すりがって今のベルタでも歩けるよう工夫されていた。
 ベッドまで歩いてそこに腰をおろす。
 ベッドの上の着替えはワンピースだった。それを手にとって眺める。白いシンプルなものだ。白いレースのパンツとブラジャーも置かれていた。
「……どういうことなんだろう」
 口に出してみる。頭の中は疑問符でいっぱいだった。
 あの礼一郎という男は何を考えているのか。一体何のためにわたしをもてなすのか。
 まさか本当に『愛している』はずもない。
 上月製薬はバイオ系の技術も持っているはずだ。私をコピーして生体兵器を作るか。いや、筋力増強や細胞再生のメカニズムだけでも大きな富を生むはずだ。 そんなところか。
 自分の心に言い聞かせた。やつは自分を利用しようとしているだけだ、決して気を許すな。
 しかし疲れた体にフカフカのベッドは魅力的だった。こんなベッドで寝るのはいつ以来だろうと考えて、『生まれてから一度もない』ということに気づいた。 愕然とする。
 (すこしくらい、いいよね、休んでも)
 ベルタはベッドに体を横たえた。

 4

 悪夢を見た。
 また、あの夢。
 『組織』の地下施設での戦闘訓練。命のない的ならいくらでも撃てる、でも犬が殺せない。殺せ殺せと詰めよる人々。
々。どうしても殺せないと分かると『おまえはいらない』と言われた。世界で知っているたったひとつの場所、しかし私はそこにいては行けない。脱走を決意し たあの日。
 目を覚ました。全身がびっしょりと濡れていた。 
 室内の時計を見た。もう夜中の12時。10時間以上も寝ていたのか?
 ワンピースに着替えて、ドアから顔を出す。
 と、そこにはタキシード姿の礼一郎が待っていた。
「お目覚めですか? よく眠れましたか」
「え……どこかにカメラでも?」
 なぜ私が今起きたとわかったのだろう?
「とんでもない。レディの部屋にカメラなど失礼なことはできません。ただベルタさんのことが心配だったんです。だから待っていました」
「ここで? 10時間も?」
「まあ、正確にはナースメイドたちに任せていたんですが」
 そう言って礼一郎ははにかんだ。
「しかし、それは失礼に当たると思いましてね。恋人を迎えるのを使用人にやらせるなど」
「恋人……」
 ベルタ、口の中でその言葉を転がした。まるで外国語のように感じられる。自分には縁のない言葉だと思っていたからだ。
「とまどっているんですか? 無理もありません。ベルタさんは戦いの中を生きてきた。でも、これからは違う。いくらだって恋ができる」
「そういう問題じゃありません。出会ったばかりの私のことを、なぜ」
 ふう、とため息をつく礼一郎。
「違うんですベルタさん。恋とは理由など要るものじゃない。まあ、ここにいるうちわかるでしょう。ところでお腹は空きませんか? 食堂へご案内しましょ う」
 ベルタは警戒したまま礼一郎についていった。
 体力が衰えていることは確かだ。栄養分を補給せねば。武器をなくしてしまったのも痛い。補充したい。 いつくかの回廊と階段を通って食堂に案内された。
 食堂は驚くほどに広かった。思わず広さを測定してしまう。
 その広い食堂に長いテーブルが一脚、そして向かい合うようにイスが接地されている。
 料理を載せたワゴンがテーブルのそばに並んで、ウェイターが何人も待機していた。
「ベルタさんの好みがわかりませんでしたが、今回は中華でそろえてみました。さあ、座ってください」
 ベルタが腰を下ろすと、
 だがウェイターが点心の入った盆を次から次へと持ってくる。円卓の上が盆でいっぱいになる。点心の甘い香りが鼻孔を刺激した。くう、とお腹がなる。恥ず かしい。顔がほてる。目をそらそうとした。しかしそらせない。ウェイターが盆をあける。ずらりならんだ中華まん、小龍包が、ヒスイ餃子が証明の下に現れ る。目は釘付けだ。ごくりと唾を呑みこんでしまう。
「……どうぞ、いただいてください。じゃあぼくから。すみませんね、待っていたらお腹が空いてしまって」
 礼一郎は長ばしを手にとり、者ロ論法のひとつを口に運んで、
「うん、これはいける」
 端正な顔を気色満面、崩してみせた。
「……」
 口の中によだれがあふれた。もう止まらなかった。手が箸をつかみ、またたくまに点心をつまんで口に放り込む。租借、租借。旨い。肉汁がこんな多層的な味 わいに見ていてるものだとはおもわなかった。いままでベルタが食べていたコンビニの肉まんとはまるで違うものだ。気がついたら円卓の上の点心を8割型平ら げていた。
「……すごいね、聞きしにまさる」
 礼一郎が感嘆の声をあげ、ようやくベルタは気づいた。
「……あ」
 箸が止まる。恥ずかしかった。自分はいったいどんな恥ずかしい格好で食べていたろうか。唾を飛ばし口の中の粘膜を露出して、ギネスブックに乗れるほどの 速度で食べまくっていたに違いないのだ。
「いや、笑ってるわけじゃありません。いいじゃないですか、食べっぷり。料理人も喜んでくれる。これほどの礼はありません」
「……いえ。それはいいんですけど……」
 ベルタは慎重に言葉を選んで、
「私なんかの何がいいんですか」
 心の中に残っていた猜疑心に無理やり火をつける。目線を皿からあげて、礼一郎の顔をじっとみすえる。
「それは……」
 腕組みして礼一郎が切り出そうとした、その瞬間。
 ドアが勢いよく開け放たれた。屈強な黒スーツの男たちを引きつれ、ひとりの男が入ってくる。日本人離れした背の高さ、三つ揃いのスーツを着こなした男。 年齢は50代か。銀色の髪をオールバックにしている。もとはかなりの美男子だったと推測できる顔立ちだった。
「礼一郎! お前は一体何をやってるんだ!」
 男は入ってくるなり礼一郎をどなりつける。
「父さん、食事中ですよ」
 すました顔の礼一郎。
 ベルタは状況の急変に目を白黒させる。
 (この男は? 父さん? じゃあこの人は……)
 頭の中で、新聞やニュースで聞きかじった情報をまとめる。上月礼一郎は上月製薬。その父親は上月重工の取締役。上月グループ第4位の実力者。
「こんな夜中に食事もなにもないものだ」
 苦々しい表情で父親はつぶやく。そしてベルタのそばに歩み寄り、至近距離から見下ろした。眼光鋭い眼に、あからさまな侮蔑の光があった。
「……お前がベルタか。いったいどうやって礼一郎をたらしこんだ?」
「な……」
 あまりに心外な言葉だ。ベルタは仰天する。
「父さん、ばかなことは言わないでくれ。ベルタさんはぼくが自分の意志で助けたんだ。敵に追われていた」
「助けた? ばかはお前だ、こいつは人間じゃないんだぞ、遺伝子操作のバケモノだ」
「そんなことはどうでもいいんです、父さん」
 礼一郎はきっぱりと言い切った。そして立ち上がる。背筋をすっと伸ばし、父を射抜くようににらみ、
「ぼくはベルタさんを愛している。全力で。だからぼくの持てる財力、人脈、能力の全てを駆使してベルタさんを守るつもりだ。それを邪魔するものはたとえ父 さんであっても許さない」
 一息に言い切った。
 その言葉はベルタの胸を貫いた。心臓がドキリと跳ねた。テーブルの上に下ろした手をぎゅっと握り締めた。
 (本気だ)(この人、本気だ)
 礼一郎の真剣な表情から眼がはなせなかった。
「本気で言っているのか、礼一郎。そんな女のどこがいい。拾ってきた野良犬に同情するようなものか?」
「くどいよ、父さん」
 礼一郎は円卓の周りを歩いてきた。ベルタのそばまで来て背中に腕を回し、力強く抱きしめる。
 そのまま立ち上がった。体の中が、顔中がぽっと熱くなっていく。恥ずかしい。礼一郎とベルタの身長差は20センチ、ちょうど胸の辺りに顔がうまった。 「なにをするんですか」といいたくて顔を上げた。礼一郎が自分を見下ろしていた。恐ろしいほどに真剣なまなざしだった。ますます恥ずかしい。父親の怒鳴り 声がどこか遠くのほうで聞こえた。しかし腕をふりほどく気にはなれなかった。不思議な高揚感があった。
「ベルタさんはとても愛らしい」
 礼一郎は言い切った。
「外見も、もちろんそうです。さらさらした黒髪、純真そうな美しい瞳、すらりと伸びた手足。でもそれより心なんです。殺人兵器として作られ、でも彼女の心 は闘いに染まらなかった。逃亡の中でも荒みきらなかった。見てください。彼女は得体の知れないぼくに体をゆだねている。殺そうと思えばぼくの腕だって首 だって一瞬でひっこ抜けるのにやらない。優しいんです。
 そんな優しい心を持ったけなげなこの子の、魂の美しさに惚れぬいた。
 おかしいですか」
「一族の中でつまはじきにされるぞ」
 父の声から怒りが消えていた。気味悪がるような色が変わりに宿っていた。
「きっとみんなわかってくれる。いや、分からせる、彼女のすばらしさを!」
 父親はため息をついた。
「何を言っても無駄のようだな。勝手にするがいい。……帰るぞ!」
 父はきびすを返した。屈強な黒スーツを引き連れ、部屋から出ていった。
 ながい沈黙があった。
 やがて礼一郎はベルタを抱きしめていた腕を緩める。
「ああ、すみませんでした、いきなり無礼ですよね」
 礼一郎の表情には照れがあった。少年のようにあどけない顔。頭まで掻いてみせる。
 ベルタはそのままぺたりといすに座り込んでしまう。
「はずかしかったです……」
 自分の口から出たとは信じられない、かぼそい声。
「嫌でしたか。もし嫌ならば、僕は」
「嫌じゃなかったです」
 とっさに口をついて出ていた。そうだ、男性に抱きしめられるのは甘美な経験だった。この人が生身の人間で、肉体的には自分のほうがずっと強いことは知っ ている。だがそれでも、頼もしかった。抱きしめ得あれる力強さが好ましかった。
「よかった。嫌われたらどうしようかと思った」
 そういってまた破願する礼一郎。
 ベルタはもう疑わなかった。この人が本気であることを。

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