泣き虫兵器ベルタ
(分割版)
第3章「鏡の中の勇者」その3
7
異様な姿だった。
べルタは東名高速を走っていた。
ヘルメットもグローブもなしでバイクにまたがり、長い黒髪を吹き流しのように乱れさせ、時速280キロで。すさまじい風にパジャマの裾はまくれ上がり、
前のボタンは外れ、白いレースのブラジャーがあらわになっている。白いお腹に刻まれた形よいスリット、臍まで見えている。
操っているのは緑色のバイク、カワサキZX−12R。吊り上がった二つの目を持つ。クレープを食べてすぐにこのバイクを見かけ、奪い取った。
タンクの上にぴったりと伏せてスロットルを開けている。スピードメーターは時速280をさしている。回転数計は11000、レッドゾーンまでまだ余裕が
ある。
灰色の防音壁にはさまれた東名高速は片側三車線、わりとすいている。時速80キロで流れている。原発テロの現場にいきたがる物好きはあまりいないのだろ
う。
べルタは80キロで流れる車の流れを280キロで泳ぎわたっていった。車体を右に左にヒラリヒラリと倒して車の間を抜けてゆく。
一瞬ごとにいくつもの車が視界に飛びこんでは後方に流れて消えてゆく。運転者たちは全員、猛スピードで通りすぎるベルタを見て目を向いていた。スピード
の早さにも驚いているだろうが、暴走バイクを駆るライダーの異様な格好にも驚いているのだろう。
走りながらベルタはラジオのニュースに耳を傾けていた。耳に突っ込んだイヤホンからニュースが流れ出す。
『浜岡テロの続報です。現在、政府による犯人グループとの考証が進められています。原発を中心に30キロのよう避難地域では警察を動員した住民避難が続
いており、ただいま政府が当該地域への立ち入りを自粛するよう呼びかけています。現在、新たな犠牲者はでておりません。このテロに関してネット上などで多
くのうわさが流れておりますが、すべて事実無根です。冷静な対処をお願いします。……次に三時のニュースです。」
べルタは猛烈な風の中で目を細め、唇をかみしめた。
そうだ、もう三時になってしまった。時間がない。
前方に『御殿場 3km』の標識が出現する。右手に富士山が見える。すでに100キロ走った。だが浜岡まではまだ100キロある。
(もっと早く!)
べルタはスロットルをさらに思いきり開けた。
右手でスロットルをあけながら左手を後ろに回し、リアシート上に固定されたバッグからアンパンとクリームパンを取り出す。口に放り込む。
8
それから20分後。ベルタは残る百キロを走破した。
浜岡原発のもよりインターチェンジ・相良牧野原に到着した。
「おきゃくさん、へルメット……うわっ!」
東名高速の料金所を勢いよく突破し、一般道へと駆け降りた。
あたりは畑の中にレストランやコンビニやガソリンスタンドが点在している。避難をはじめているのか、無人のガソリンスタンドが目立つ。
このあたりでいちばん大黄な国道・国道150号線に入った。
しばらくバイクを走らせると、目の前に黒服の男たちが立ちふさがった。
青い警察のバス、迷彩色に塗装された自衛隊の装甲車が道を占領している。車両の周囲にはバイザーつきへルメットの機動隊員、迷彩服で自動小銃を持った自
衛隊員がいる。
「とまれーっ!」
男たちは両腕を広げてベルタのゆく手をさえぎる。
べルタはバイクを止め、男たちに問いかけた。
「なにをしているのですか? 住民が入らないように?」
警察官がうなずいて大声で言う。なぜか彼の身体からは濃厚な血の匂いが漂っていた。
「そうだ! あんたも入るな、危険だ!」
ベルタはバイクから降りる。
「いいえ、私はいかなければいけません。その銃を貸してください」
「あんた、何を言ってるんだ?」
警察官たち、自衛官たちの目に不審の色が宿る。
当然、この反応は予想していた。
「みてください」
次の瞬間、ベルタは背中の放熱機関を展開。雪の結晶のように輝く白い翼が6枚、パジャマを突き破って広がった。
「……げ……」「同じだ……あのバケモノと……」
自衛隊員たちは反射的な動作で銃を向ける。警察官たちは恐怖と怒りのない交ぜになった表情を浮かべて拳銃を抜く。
「き、きさま……」
たくさんの銃口がベルタをとらえた。ベルタは悲しげに顔をくもらせる。
「……そうです。私は『エインヘリヤル』。超人兵士です。あのテロリストたちと同じ生き物です」
「行かせねえ!」
警察官たちは震えていた。顔の筋肉が完全にこわばっていた。こわばったまた、それでも銃口をベルタに向けていた。
「アントンに警察のみなさんが殺されるところを、私も見ました。
でも、私はアントンたちの仲間ではありません」
ベルタは言って、人々の顔を見る。
警察官も自衛隊員も、まるで信じていない顔つき。
「……信じてくれないなら、仕方ありません。
でも、私はこれから、アントンたちを倒します。
もうこれ以上、みなさんは死なせません」
しばしの沈黙があった。
警察官のひとりが、自分の銃を差し出す。MP5短機関銃である。
「おい、おまえ……!」
自衛隊員が怒鳴りつける。得体の知れない奴に銃を渡すな、そう顔に書いてあった。
しかし銃を差し出した警察官は、弱々しくほほえむ。
「……俺たちには、他に頼れるものがないんだ……さあ、使ってくれ」
ベルタは微笑を返し、拳銃を受け取った。
「ありがとうございます。必ず勝ってきます」
「祈ってるよ。……あんたの名前は?」
銃を肩にひっかけ、ベルタはその警察官をまっすぐに見つめて名乗った。
「ベルタ」
9
喫茶店の店内には映画音楽が流れていた。
倉本祐樹は音楽のことなどなにもわからないくらい緊張して座っていた。
彼の目の前にはスーツ姿で首から携帯電話を下げた男がいる。編集者だ。天然パーマ気味の頭をポリポリとかきながら、紙の束を持っている。
マンガの設計図とも言うべきもの「ネーム」。新作だ。
ぱらり……ぱらり……
眉間にしわを寄せて編集者がネームをめくってゆく。
だんだん、彼が頭をかくペースが速くなってゆく。
やがて最後のページを読み終わったらしい。
バサリ、テーブルの上に無造作に投げ出す。
虚ろに濁った目を祐樹にむける。
たっぷり一呼吸の間をおいて、言った。
「……君、コレ、面白いと思ってる?」
「いや、その……悪くないかな、なんて」
祐樹が目線をそらしながらボソボソと答える。
「悪くない。悪くないねえ。本気で言ってる? あのね、マンガ家の倉本祐樹センセー」
マンガ家の、というところに強いアクセントを置いて編集者は言った。彼の姿勢はイスにふんぞり返るようなものなのに、祐樹は巨体がのしかかってくるよう
な圧迫感を覚えていた。呼吸が苦しかった。
「あのね……俺は手抜きのネーム読まされるほど嫌いなものはないんだよ」
「手抜きなんかじゃありません」
「いいや、手抜きだ」
そう言って編集者は、ネームのうち1枚を選び出し、祐樹の前にかざす。
「さあ、このページをよく読んでみてくれ。『お前たちの怒り、オレが受け止めた』この台詞だけどさ。
いったい『お前たちの怒り』ってなにさ。敵にすげー悲しい宿命があるらしいってのは匂わせてるけど、具体的にどんな辛い目にあって、どんな風に怒ってる
のかまったく伝わってこない。回想シーン書けとか、設定資料つけろっていってるわけじゃないよ。ちゃんとしたプロの作家なら、コマ一つ、セリフ一つ書いた
だけでもキャラの背景にあるドラマを伝えられる。『断面』の切り取り方が上手いんだ。でも君のマンガでは、敵の背負ってる怒りが全然伝わってこない。ぶっ
ちゃけて言うと作者もちゃんと考えてないんだろうな。だからまるで説得力がない。ようするに、どのセリフも上っ面だけでとても薄っぺらだ。君にはこの言葉
を授けよう。『単語のポテンシャルだけに頼ったセリフ回しは最低』だ」
祐樹はうろたえた。編集者の声には深刻な失望が満ち、蔑みすらも含まれていたからだ。長年のいじめられ経験のせいで、負の感情には敏感になっていた。
うろたえながら反論する。恐いので顔をあげずに、視線はテーブル上にさまよわせたままだ。
「あ、あの……で、でも。マンガ家の中には、読者置いてけぼりで思わせぶりな台詞をボンポンいわせる人だっているじゃないですか。それなのにどうして僕だ
け」
編集者の「はぁ」という深いため息が、祐樹の耳に飛びこんで胸を深くえぐった。
「あのね、倉本センセー。あの人たちはプロなんだ。ちゃんと芸風を確立して、読者の支持を得ているんだ。
読者が受けいれた以上、それはオーケーなんだよ。欠点じゃなくて『味』で『芸風』なんだ。
きみはそれができなかった。俺を納得させられなかった。だから欠点だ。……顔をあげて俺の顔を見てくれ」
促されるままに表をあげる。祐樹の目前に、苦虫を100匹まとめて噛み潰したような渋い表情の編集者。
「……結果をだせばすべて許される、という事ですか」
「あたりまえじゃないか。それがプロの世界だ。それがいやだったら、いますぐにやめたってかまわないよ。せっかく東京まで来てくれたのに、こんなこと言っ
てなんだけどさ」
「……で、でも、前にみせた奴は面白かったんでしょ?」
「うん」
編集者はうなずいて机の上のコーヒーカップを傾け、唇を湿らせた。
「デビュー作はよかった。構図とか仕上げは荒削りで、いかにも若いって感じだったけど……情熱がこもってた。若いし、大成すると思った。でも俺の目も曇っ
たもんだ。このネームにはデビュー作にくらべて100分の1の情熱もない。『やっつけ仕事』としかいいようがないよ」
「ま、前のより悪くなってますか」
「ああ。今までのネームでいちばん悪い」
「……そうですか」
言葉につまる祐樹に、編集者は追い討ちをかける。
「あのさ、君、『俺はもうプロになった』とか言って安心してるだろ? 気を抜いただろ? ま、こんなもんかな……という気持ちで書いてるようにしか見えな
いんだよね」
「そうかも、しれません」
反論できなかった。マンガが雑誌に載ったとたん、エネルギーが切れてしまった。
「そんな人は大勢いるんだ。『もっと、もっと、もっと……!』という執念を失ってしまった人がね。人間なんて衰えるのは一瞬だから、全力で泳ぎ続けないと
同じ場所で浮いていることも出来ないんだ。それがイヤなら、漫画家に限らずモノカキを志したこと自体が間違いなんだ」
よどみない編集者の言葉のすべてが、祐樹の胸に突き刺さった。
(苦しい……)
果てしないトンネルの中を歩いているような感覚だった。山を登ったと思ったら半分も上っていなかった、という苦しみは言葉では表せない。このところ祐樹
は、どうマンガをかいても「どうせダメなんじゃないか?」という虚しさから逃れることができずにいた。
沈黙する祐樹を見て、編集者がいらだたしげに、
「悪いけど、君のために割ける時間はあまりないんだ。原発テロの件もあるし」
「原発テロ? 何の話ですか」
「ニュース見てないのか? 変な連中が静岡の原発を乗っ取ったんだよ。あそこがブッ壊されたら東京も被爆するから、出版社も脱出しなきゃいけないんだと
さ」
「見てないです、ニュースは」
「まあとにかくだ。いま決めてくれ。次こそ全力で、君の本気を見せてくれるのか。それともマンガで賞をとったのはただの思い出にして、『ただの人』になる
のか」
祐樹、口ごもる。
頭の中で声があがった。「あんたがやりたかったのはデビューだけじゃないだろ」「短編1本載せてそれで満足なのか?」と叱咤の声があがった。
しかしその声は唇から飛び出すことができなかった。何倍も強烈な胸の中の叫びにかき消され、圧倒されていた。
(苦しい、苦しい)(デビューしたあとは、どこに向かって進めばいいのかわからない)
(でも完全にあきらめることも出来ない)(あきらめたらどんなに楽か)
祐樹、テーブルの下で、拳を握っては開き、握っては開き。目線は編集者の顔を離れ、店内をさまよう。
胸の中の叫びはついに祐樹の体全体を支配する。
真正面から、編集者の顔をみつめる。
「……やめ……」
やめます、と言い切ろうとした、その瞬間。
背後の席から、
「天使の女の子だ……」
という声が聞こえてきたのだった。
(……え?)
その言葉に祐樹は凍りついた。
胸の奥に封じられていた思い出がはじける。
天使の女の子。そういわれて連想するのはもちろんベルタだ。
背後の席からは、つづいてこんな言葉が飛んできた。
「闘ってるよ、すげーすげー……」
思わず体が動いた。祐樹は立ち上がって振り向いた。
背後の席にはカップルらしい男女がいた。女のほうが携帯電話を取り出していた。ふたりで携帯電話の画面に見入っている。画面にはなにやらニュースが流れ
ていた。
「み、見せてください!」
裏返った声で叫んで、祐樹はカップルの手から携帯電話を奪い取る。
食い入るように画面を見た。
小さすぎる画面なのでよく見えない。ヘリから撮り降ろした映像だった。緑あふれる中に白い建物がいくつも立っている。建物の中で、翼を生やした大男と、
翼を生やした女が戦っていた。
アナウンサーの声が携帯から響く。
「……白い翼の少女は、大男を振り切って排気塔に上っていきます。排気塔の上からは激しい銃撃が浴びせられているようです。いま、ヘリが上昇しました。巻
き添えを恐れてのことです。あ、少女が排気塔のてっぺんまで達しました」
二人とも豆粒のようだ。顔など分からない。しかし祐樹にはわかった。
(あれはベルタさんだ)
心臓がトクンと高鳴った。全身の血が熱くなった。
(ベルタさんは闘ってる。原発ジャックのテロリストと。ベルタさんと同じ力をもった仲間と)
立ち上がったまま、きしむほどに携帯を握り締めた。膝が震え始めた。
「……ぼくは馬鹿だ。……どうしようもない馬鹿だ」
「返してくれよ!」カップルの男のほうが罵声を浴びせてくる。
「どうしたんだ一体?」
編集者がけげんな顔をしている。祐樹の耳に二人の声は届かない。そんなことはどうでもよかった。
(……ベルタさんは約束を守ってる。闘い続けてる。それなのに、僕はちょっと壁にあたったくらいで)
「……中田さん」
祐樹、編集者に呼びかける。自分でも驚くほど低い、落ち着いた声だった。しかしその落ち着いた声には気迫がこもっていた。
編集者も目を見開いて祐樹を見る。
「……やります。ぼく、やります。必ず書きます。もっとすごいネームを。もっとすごいマンガを。いま書きます。だから待っていてください!」
座り込んだ。傍らのカバンからルーズリーフを大量に取り出す。濃い鉛筆で書きなぐる。
白い紙が、たちまち枠線と、人物の輪郭と、吹き出しで埋まってゆく。
心の中で焔が燃えていた。
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