泣き虫兵器ベルタ
(分割版)
第3章「鏡の中の勇者」その4
10
ベルタはバイクを駆って浜岡原発の正門前にたどりついた。
そこにはアントンが待ち受けていた。
「よう」
片手をあげ、挨拶するアントン。
バイクをとめて、リアシートのバッグをはずして肩にかける。もう片方の肩にはMP5短機関銃を吊り下げている。アントンに対峙するベルタ。
「……放送は見ました」
「じゃあ、おれたちの仲間になってくれるか?」
「これが私の返事です」
ベルタは短機関銃を向ける。銃身が夏の陽光を反射してギラリと光った。同時に背中の放熱機関を展開。戦術支援電子脳を起動。
(神経パルス加速開始)(神経電流バイパス化、開始)
「……おまえ……なんでだよ!」
アントンが顔色を変える。こちらも背中に翼を広げた。
「そういうことなら、容赦はしないぜ!」
叫んで飛び掛ってくるアントン。ベルタはとっさにバイクに飛び乗った。スロットルを全開にする。後輪を猛烈にホイルスピンさせて突進、アントンはバイク
の前に立ちはだかり、バイクの前輪を両腕で抱え込んで止める。しかしその一瞬の隙にベルタはバイクを飛び降り、門を飛び越えて走る。
アントンがバイクを軽々と放り投げ、追いかけてくる。地面を踏み散らし、時速80キロで巨体をかがめて疾走してくる。だが、ベルタはもっと早い。管理棟
の入り口まであと20メートル。
その瞬間、
(戦術支援電子脳より警告 上方より高速移動物体)
ベルタの電磁感覚が危険を察知した。とっさに脚の筋肉をフル活用、横っ飛びに移動する。
銀色の光が大気を裂いて飛来、ベルタの左肩を撃ちぬいた。焼けた鉄の棒をねじ込まれたような激痛。拳銃弾程度なら止められる皮膚が圧倒的に強大な運動エ
ネルギーによってやすやすと貫通され筋肉が引き裂かれる。
(損害報告 左肩に被弾。関節機能の60パーセントを喪失)
「ぐうっ……」
うめき声をもらした。それでも立ち止まることなくジグザグに走る。顔を上げる。弾丸の飛んできた方角を見た。
管理棟の上に、白い塔が立っていた。細く高い。排気塔だ。原発内部の空気を排出する塔。目測で100メートルはある。その塔のてっぺんに、人影があっ
た。
軍服を見につけた、金髪の少年。
何やら細長いものをもっている。少年の背丈よりも長大。目を凝らす。有機脳の演算リソースを光学パターン解析に配分。視力が増大。銃床とスコープを確認
した。黒い身長ほどもある銃身。あれはアンチマテリアルライフルだ。アサルトライフルの10倍もある弾丸を飛ばす怪物銃だ。
排気塔のてっぺんで閃光がはじけた。マズルフラッシュだ。べルタは飛来する弾丸を目でとらえる。上体をひねって回避。間一髪、巨大な弾丸が頬をかすめ
る。あと百分の一秒遅ければ頭蓋骨を串ざしにされていた。
しかし回避に気を取られすぎていた。
背後にアントンの足音が迫っていた。後方わずか1・5メ一トルの距離に奴がいる。微妙な空気の震動が、こちらの首めがけて伸びるアントンの腕を教えてく
れた。
(接近戦ではアントンにかなわない)
(でも距離を取ったらカエサルの狙撃でやられる)
(いったいどうしたら!?)
べルタの心を焦りが充たした。
「えいっ!」
声を張り上げ、大地を蹴って跳躍した。エインへリヤルの跳躍は助走なしで10メートル、助走すれば20メートルに及ぶ。ぺルタの体は軽々と宙を舞い、管
理塔の屋上へと着地。
顔をあげると、そこには白い排気塔がそびえたっていた。
塔の頂点に白い光。マズルフラッシュ。軽くステップを踏んだ。降ってきた銃弾は大きく外れて天井をえぐるだけだった。
べルタの狙いどおりだった。上からの射撃になれば敵は頭を狙わなければいけない。格段に当てにくくなる。
ベルタは排気塔に駆けよった。排気塔外側にあるハシゴを片腕でつかんで、のぼり始める。足を巧みにつかって、はねるような勢いで上った。
顔をあげて塔の頂上をにらむ。カエサルがアンチマテリアルライフルをこちらに向けていた。本来ならば2脚に固定するものを手で持っていた。またマズルフ
ラッシュ。
とっさに顔の前に短機関銃をかざした。銃弾の飛来にタイミングをあわせて銃身を振るう。ギインと金属音。弾丸をなぎはらい、はじき飛ばす。
「……!」
排気塔の上から、驚愕のうめきが響く。まさか防御されるとは思わなかったのだろう。
だが、いまこの状況だからこそ防御できるのだ。敵は正確に頭を狙ってくる。弾道がわかっていれば対処もできる。
べルタは全力で梯子をかけ上った。頭上から矢継ぎ早に銃弾が飛来した。
べルタは顔に向けて飛んでくるものだけをはじき飛ばした。顔から外れたものは無視した。肩に、腕に40グラムもある銃弾が音速の3倍で突き刺さり血しぶ
きがほとばしった。押し寄せる激痛は無視した。
「まちやがれっ!」
足元でアントンの野太い声。距離50メートル。追いかけてきている。
(時間がない!)
べルタはついに排気塔のいちばん上にたどり着いた。
外縁に片手をついて逆立ち、両脚を振り回してカポエラのようなキック、カエサルの持つ銃を蹴り飛ばした。アンチマテリアルライフルはくの字に曲がり、
無力な鉄塊と化して落下する。
キックの勢いに押されてカエサルもバランスを崩した。100メートル下の大地に転げ落ちそうになる。とっさに腕を振るって平衡をたもち、跳躍してベルタ
から離れた。
べルタ、体を縦回転させて排気塔の上に立った。足をつける場所は縁の部分、わずか幅10センチしかない。あとは空洞だ。風が強かった。塩気を含んだ強い
風に体を持って行かれそうになる。立て直した。
べルタとカエサル、排気塔てっぺんの穴をはさんで、真正面から向かい合った。
べルタは肩、腕、脚から真っ赤な血を流している。スプーンを肉にねじ込んでえぐったような大きな破口がある。
それだけの傷を負いながらベルタは闘志を失っていなかった。
「……なぜなんだ、姉さん」
カエサルがうろたえたような声でつぶやく。青い瞳に驚愕の光があった。
「なぜ命がけで闘うの? ボクたちに追われたから憎いの?」
「違います」
「人間が、命がけで守るに値するっての? だってベルタ姉さんも思い知ったでしょう、人間はとても汚い」
「その通りかもしれません。でも。……友達がいるんです。友達と約束したんです。逃げない。闘い続ける。いま君たちを止めなかったら、約束を破ったことに
なるんです」
「友達……?」
カエサルの端正な顔立ちに、いよいよ困惑の色が強くなった。
「その友達が何をしてくれたの? どこにいるの? 姉さんを助けてくれるわけでもないんでしょ? そんな奴のために……姉さんは騙されているんだ」
厳しい糾弾の叫びだった。ベルタの心に、かつて味わった裏切りの記憶、自分は一人ぼっちだと感じた辛さが蘇ってきた。
しかし、目をしっかりと見開き、カエサルを見つめたまま言い切る。
「……そんなことはどうでもいい。そばにいてくれなくてもいい。私を助けてくれなくてもいい。涙をぬぐってくれなくてもいい。……もう顔をあわせなくたっ
て構わない。
……世界のどこかで、同じように闘い続けてくれるなら……彼は友達なんだ。
だから、私は闘う!」
ベルタ、叫びとともに疾駆。
裸足の指で排気塔の縁をとらえ、摺り足で移動するべルタ。移動速度は時速40キロ。エインへリヤルの走る速さとしては異常に遅い。足場が不安定で全力を
出せないのだ。
カエサルの表情から狼狽が消えた。口元に余裕の笑みが浮かんだ。
カエサル、腰のナイフホルダーからナイフを取りだしてパチンと開く。手首を震わせて超振動を刃に送りこむ。刃の切断力が増大。逆手に握って腰を落とし
た。
彼にとってベルタの動きなど止まっているようなものだった。
2人の距離がナイフの間合いに近づいた。距離1メートル。カエサルは一歩踏み込んでナイフを斜め下から切り上げる。一気に首の系動脈を狙った。
しかしベルタは最後の一歩で突然加速。全力ダッシュの速度で突っこむ。カエサルが目を見張る。ありえない。そんな高速では転落するのだ。目測を誤ったカ
エサルのナイフが空を切る。次の瞬間、カエサルはベルタにタックルされていた。全体重をこめて抱きつかれていた。支えきれず、後ろに倒れこむ。そのまま脚
が踏みはずす。軍用ブーツが空中を虚しく踊る。
カエサルとベルタは重力に捕らえられ100メートル下の地面めがけて落下を開始した。
抱き合ったままの姿勢で、わずか50センチの距離からベルタの顔を見たカエサル。ベルタは微笑みを浮かべていた。いまこそ彼は悟った。ベルタは最初から
ナイフコンバットをやるつもりなどなかった。「敵を道連れに飛び降りる」のが目的だったのだ。
落下するのにかかる時間は約四秒。その四秒の間、ベルタとカエサルは激しくもつれあった。カエサルはベルタの腕を払いのけ、黒髪をつかんで金切り声をあ
げ、腹にキックを叩きこんだ。ベルタから逃れようとした。べルタはカエサルの腕にしがみつき、殴られても蹴られても食らいついたまま、「上の位置」を取ろ
うとした。2人は木の葉のようにくるくると回転した。ベルタのパジャマが格闘に耐え切れず千切れて風に舞った。ベルタは下着姿になった。
ついに地面まで五メートル。ベルタはつかみあいに勝った。カエサルの両足をむき出しの腕と脚でしっかりと抱え込み、頭を下にする。逆さ落としの状態。カ
エサルはジタバタと腕を振りまわし体をねじるが逃れる事ができない。下半身は完全に固められている。
高度ゼロ、激突。カエサルの頭が、杭のようにアスファルトの上に撃ちこまれる。衝突速度は時速百六十キロ。二人分の体重がカエサルの頭と首に集中。
ガッ!
鈍い音が響いた。血しぶきが上がる。カエサルの体の痙攣が伝わってくる。
べルタはカエサルの体をクッション代わりにして着地。
両膝の激痛をこらえて背筋を伸ばす。
目の前にはカエサルが、仰向けに倒れていた。
金色の巻き毛に覆われた頭。血が流れている。
近寄るのは危険だ。鼓動音に耳を傾けた。
(索敵・鼓動音を測定。……鼓動あり)
「まだ生きてる……」
しかし白目をむいたままだ。強靭極まりないエインヘリヤルの頭蓋骨は高度百メートルからの落下に耐えたが、中の脳までは耐えられなかったのだろう。
念のため、カエサルのそばにしゃがみこむ。ナイフを取り上げて、両手両足の腱を切断する。これで当分は戦力にならない。エインヘリヤルと言えど腱の再生
には数時間を要する。
次はアントンだ、と顔をあげた。
同時に、太陽がかげる。巨大な影が降ってくる。
とびのくベルタ。眼前にアントンが着地。二百センチで百五十キロの巨体が地響きを立てる。
四角い顔に憤怒の形相。ベルタを睨み付け、咆哮。
「ウオオオオッ!」
身をかがめ、アスファルトの地面がはじけるほどの勢いで突進してくる。
よけられない。視界をアントンの巨大な掌が埋め尽くす。胸に掌底突きを受けた。息が詰まる。視界の片隅を白いものが飛んでいった。いまの一撃でブラ
ジャーが外れたのだ。ベルタは重量がないかのように飛んで管理棟の壁にたたきつけられる。頭の中に火花が散る。
(損傷報告 胸部肋骨に断裂二本)
「ゲホッ……」
地面に落下する。細い裸身を折って咳きこんだ。胸に激痛が走る。
体を起こそうとした。だが間にあわない。アントンの巨体がのしかかってきた。ベルタの上にまたがり、鼻息荒く両腕を伸ばしてくる。
本能的な恐怖をおぼえた。
天高く輝く真夏の太陽をバックに、どす黒いシルエットとなって自分を押しつぶす大男。
アントンはマウントポジションから鉄拳を振り下ろしてくる。パンチ力は数トンに及ぶ。頬に硬く熱い衝撃がはじけた。
「よくも……よくもカエサルをッ! オラッ! オラッ! オラーッ!」
重機関銃のように、削岩機のように連続した打撃が振ってくる。何の対処もできずベルタは殴られるまま。鼻がつぶれた。顔の中心に強烈な熱さ。鉄の味と臭
いが鼻腔で炸裂した。前歯がへし折れて飛び散った。口の中のやわらかい肉が裂けた。血の味が舌の上に広がった。殴られるたびに視界を火花が覆い、意識が途
切れる。
途切れ途切れの時間の中でベルタは考える、逆転の方策を。
(どうしよう。反撃できない)
ズガッ
(いまは殴ってるけど)
ズガッ
(本気で殺す気になったら)
ズガッ
(無抵抗で殺されちゃう)
ズガッ
(でも体の自由がきかない)
ズガッ
(頭も、ぼやけて)
ズガッ! ズガッ!
すでに顔が腫れあがっているのか、目も半分開かなくなっていた。口の中いっぱいに破砕された歯と生暖かい血がたまって、息をするたびにゴボリと音を立て
た。痛覚は麻痺していた。
戦術支援電子脳が『意識レベル700に低下、危険』と警告してくる。
(酸素はまだ残ってるのに……)
と、そこで気づいた。
(酸素?)
頭の中が澄みわたった。たしかバッグの中にアレがあるはずだ。
最後の賭けだった。べルタは大声で叫ぶ。
「やめてっ! たすけてっ!」
アントンが頬のそばで拳を止める。
「……なんだよ」
「ハッ、ハッ……もう降参します。助けて……」
ゼエゼエと荒い息をしながら言う。
「何が降参だ。てめえはゆるさねぇ。殺す」
返り血を浴びた顔で、白い歯をむきだし、凄惨に笑うアントン。
べルタはできるかぎり哀れで弱弱しい声を作っていった。ゼエゼエという激しい呼吸も続けたままだ。
「わかった……苦しいから、もう、死なせて……フウッ……フゥ……ハァ……」
「おう、ものわかりがいいじゃねェか」
「でも……でも……。最後に、死ぬ前に、タバコを一本吸わせて」
意外そうにアントンが片眉を吊り上げる。
「タバコだあ? そんな趣味があったのか」
「フッ、フッ……ハァッ……わたしの、バッグに、フゥ、タバコとライターが……」
アントンの太い腕がべルタの背中に回された。べルタが肩にかけているバッグを開けてまさぐる。その間も気を抜かず鋭い目つきでベルタをにらんだままだ。
「これか……?」
アントン、リュックからタバコとライターを取りだす。
「体が動かないんです……お願い……」
涙目で訴えるベルタ。アントンはうなずいて、タバコを一本くわえさせてやる。
アントンがライターをシュッと点火、
大爆発が起こった。
指先ほどの炎しか生まないはずのライターは直径五十センチの火球を生みだした。オレンジ色の火の玉はアントンの腕を飲みこみ、ライター内のエタンガスに
引火。ライターが爆発して破片を巻きちらす。飛び散った炎はアントンの皮膚の上を燃え広がる。体毛が燃えているのだ。
燃焼反応、酸化反応が促進されていた。酸素のせいだった。ベルタたちエインヘリヤルの体内には酸素貯蔵機関がある。普通なら体を動かすために使う酸素
を、ベルタは先ほどから吐きつづけていたのだ。あたりの酸素濃度を上げていたのだ。
「!?」
アントンにはそのような事はわからなかった。ただ驚愕のうめきをあげた。大きな口をあんぐりと開けた。
コンマ何秒間の隙。べルタは見逃さない。ありったけの腕力と腹筋力で上半身を起こす。アントンの体をふっ飛ばす。続けざまに跳躍、アントンの体を飛び越
えて背後を取り、
背中から伸びる六本の翼を、力まかせに引きちぎった。
ブチブチィ! 太い繊維の束が断裂する音。ちぎられた翼から白い蒸気が吹きだす。
「ぐああああ!」
大地を震わせるような苦痛の叫びをあげるアントン。
べルタは走りだした。全力疾走。
「まちやがれッ!」
背後でアントンの絶叫。べルタは痛む体に鞭打って走る。裸足でアスファルトを蹴り、管理棟の周りを走る。屋根のあるバイク置き場に飛び込みバイクをハー
ドルのように飛び越えながら走りつづける。駐車場に駆けこんだ。乗用車がぎっちり詰まっている。クルマの屋根から屋根へ飛び移って進む。
(このまま逃げれば!)
放熱機関を破壊すれば、相手はオーバーヒートで動けなくなる。そのはずだ。
「クソがぁぁぁ!」
後ろから迫ってくる怒声。
ドコッ! ドコッ! パリィ!
体重150キロに押しつぶされて車の屋根が潰れガラスが砕け散る。
べルタの背筋が冷たくなった。すでに5メートルくらいの距離に近づいている。
(間に合わない? 先に私がやられる?)
駐車場のいちばん端にたどり着いたそのとき、べルタの首に激痛が走る。首根っこをつかまれたのだ。『グキィ!』『ミチミチッ!』首の骨が軋む音、首の中
の脊髄が圧迫される音。
「ウォォォォォッ! オォオォォウウウッ!」
すぐ後ろでアントンの雄叫び。もはや人間の言葉ではなかった。
べルタの両足が宙に浮いた。体が丸ごと持ち上げられた。目に映るのは白い排気塔と真っ青な空だけ。両足をジタバタさせる。だが地面につかない。ごつごつ
した太い指が首の前に回ってくる。喉をしめあげてくる。
アントンの握力は五千五百キロ、ベルタのパワーの約五倍。岩をも砕く力で指が喉に食い込む。気道が圧迫される。息ができない。視界が暗くなった。意識が
遠のいてゆく。
(……死ぬ? 私は死ぬ?)
ふいに首を締め上げる力が弱まった。最後の力を振り絞って頭を振りまわす。指がゆるんだ。べルタは落下する。地面に尻もちをついた。ゼェッと激しい呼吸
をして、とっさに立ち上がり、アントンから距離をとって身構えた。
……身構える必要はない、と気づいた。
アントンは止まっていた。片腕を天に伸ばして何かをつかむ姿勢のまま、彫像のように硬直していた。顔が茹で上がった蛸のように真っ赤だった。上半身がま
るごと真っ赤だった。鼻や口から湯気を吹いていた。青い目は焦点がまったくぼやけ、死んだ魚のように濁っていた。ベルタの聴覚はアントンの心音を捉えるこ
とが出来なかった。死んだのだ。
オーバーヒートだ。エインヘリヤルは人間よりもはるかに高い体温に耐えられるが、それでも体温四十五度を超えれば脳の活動が低下し、六十度を超えれば筋
肉のタンパク質が凝固して死に至る。
殺してしまった。兄弟を。
しかし荒れ狂うような後悔はやってこなかった。
ベルタ、アントンの顔を見つめて手を合わせる。指がきしむほどに強く。
眼を閉じ、心の中で謝罪。
目を開いたそのときには、もう彼女の表情から悲しみが消えていた。眉をきりりと戦闘体勢。
アントンの腰につけられた無線機を取る。
「……もしもし。こちらはベルタです」
無線機で呼びかける。ザザッというノイズが混じって、驚きの声が伝わってきた。女の声だ。
「あ、あなた……ベルタ? どういうこと?」
「どういうこと、ではありません。あなたはドーラですね。アントンは倒しました。カエサルも倒しました。残るは貴方一人です。さあ、いますぐ降伏してくだ
さい」
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