泣き虫兵器ベルタ
(分割版)
第3章「鏡の中の勇者」その5
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無線機からベルタの声がきこえた。ドーラは管制室で無線機を手に震えていた。
怒りと焦りのためだ。
(二人もいたのにやられるなんて)
「……こちらドーラ。降伏はしません」
きっぱりと言い切る。無線機の向こうでため息をついた音。
「はあ……わかっているはずです。たとえ原発をジャックしても、日本全体を降伏させるなんてできるわけがないんだって。たった一人で、何が出来ます? お
願いです。降伏してください。闘いたくないんです。いま降伏すれば、なんとか死刑を免れることも」
ベルタの声は真剣だ。ドーラは心の中でせせら笑った。
(ばかばかしい。いまさらやめると思ってるの? なんて甘い)
「ベルタ姉さま。あなた、なんにもわかってませんのね。
わたくしたちの戦いは、復讐のようなもの」
「……人間をたくさん殺すこと自体に意味がある、そういうことですか?」
「わかっているじゃありませんかベルタ姉さま」
返事は返ってこなかった。
(きっとベルタはわたくしを止めに来る)
(今度こそ勝つ)
ドーラは管制室の中央に立ち、モニターに表示される原子炉の各種データを見ながら、自分の装備を確認した。
自分は迷彩服を着込み、手にしているのはG3アサルトライフル。そして腰のナイフホルダーには大型のコンバットナイフ。
背中には背部放熱機関を広げている。
ベルタの武装はどうだろう?
果たして勝てるか? 2対1の状況で勝ったベルタは、いったいどんな作戦を使ったんだろう?
だんだん恐ろしくなってきた。
(恐れるな。震えるな。わたくしは最強のエインヘリヤル)
(筋力、反射速度、すべてのスペックでベルタを三十パーセント以上凌いでいる!)
だがそれでも恐怖はなくならなかった。
やがて壁の向こうでコツッという足音。廊下に面している壁だ。
ズガガガッ!
足音の方角にG3ライフルを向けて射撃。壁をぶち抜いて弾丸の嵐を叩きこむ。連続十発。横に薙ぐ。薄いベージュの壁に規則正しく円い穴が穿たれた。
しかし悲鳴が聞えてこない。人間が倒れる音もしない。手応えなし。
(……どこにいるんです?)
ドーラの額を汗が伝った。
次の瞬間、ズガン!
入り口の扉が開け放たれた。ふっ飛ぶような猛烈な勢いだった。とっさに扉に銃口を向ける。なにか人の形をしたものが飛びこんでくる。引き金を引いた。ズ
ガガガ! 銃弾がほとばしり、「何物か」をめった撃ちにして、「何物か」は電撃に撃たれたように手足をバタつかせて転がる。
そのときドーラは気づいた。
「に、にいさま?」
転がりこんできたのはアントンだった。物言わぬアントンの亡骸を放りこまれたのだ。
むきだしの真っ赤な上半身にライフル弾を突きたて、アントンは天井を見上げる形で横たわっていた。うつろな目が、まるでドーラを責めているようだった。
「……っ!」
兄を撃った。短い人生のすべてを共有してきた兄を。ドーラの脳は一瞬だけ判断不能状態に陥った。ドーラの頭上を黒い何かが横切った。『え?』と当惑し、
戦術支援電子脳が最大級の警報を発する。
全力で身体をひねって振り向く。
背後に、満身創痍のベルタが降り立っていた。ナイフを構えていた。
ひどい風体だ。身につけているのは白いレースのパンツのみ。肩と腕と腹に10ヶ所以上、大きな傷痕がある。傷痕に血の塊がこびりついている。小さな乳房
の間には青黒い痣がある。顔面が腫れ上がっている。目を大きく開けることも出来ないようだった。
しかし、薄く開けられた眼には鋭い光があった。
とっさにドーラは銃を向ける。判断ミスだ。距離一メートル、銃の間合いではない。ドーラが銃口を向け、ベルタの脚が電光のように跳ね上がり、ふたつは
まったく同時、引き金を引くよりも早くベルタの脚がライフルを蹴り飛ばし、飴細工のように捻じ曲げて天井に吹き飛ばす。
(ちっ!)
次の動作でドーラは腰のナイフホルダーからナイフを取り出し、間合いを詰める。
ベルタの脚が迎え撃った。先ほどの蹴りで高く振り上げられた脚が大気をつんざいて落下、途中で軌道を変えてムチのようにしなりながらドーラの顔面に襲い
かかる。
襲い掛かる横凪ぎの蹴りを、身をよじり、ギリギリのところでかわす。頬の表面ほんの二センチほどのところを裸足の甲が通過、風圧が頬をえぐり、歯をきし
ませる。
(なんなの、この力強さ?)
当惑した。ズタボロの姿からは想像も出来ない。
(まあいい、攻めるのみです!)
ドーラはナイフを握り、ベルタの心臓めがけて一突き。相手はキックの途中、よけられないはず。
だがベルタは後方に飛んで回避した。軽やかな動きで、イスの背もたれの上に着地。飛び降りて、またナイフを構えなおす。
ドーラは踏み込んだ。距離を詰め、矢継ぎ早にナイフを突き出す。腕を切り落とそうとなぎ払う。
ドーラはたった4.3秒間で25の斬撃、18の刺突を浴びせた。
その全てが防御された。ベルタは身体をほとんど動かさずナイフの動きだけで受け止め、横からつついて軌道をそらしている。
(ばかな、そんなはずありませんわ!)
やっきになって手数を増やす。機関銃の勢いで突きまくる。しかし壁でもあるかのように止められた。
(どうして当たらない? わたくしのほうが高性能なのに!)
筋力も反射神経も自分が3割上のはずだ。現にベルタがナイフをひらめかせる速度は遅い。それなのにこちらの刃を確実に受け止める。まるでこちらの動きが
すべて先読みできているかのように。
ベルタが反撃に移った。攻撃は重く、鋭かった。全身を使った斬撃を、狙いすまして放ってくる。ナイフで受け止めようとしたがスルリと抜けられ、あわてて
飛びのいて回避した。首筋に汗が浮かぶのを感じる。何度も突きが襲ってきた。そのたびに下がってよける。死体を踏んづけて脚が滑った。頬ギリギリをベルタ
の斬撃がかすめる。
(なぜ? なぜ?)
カカトが壁に当たった。愕然とする。いつのまにやら追い詰められていた。
「な、なぜ……」
どうして新型の自分が? 困惑と焦りが、ついに台詞となって口から転がりだした。
ベルタはナイフの切っ先を素早くひらめかせながら、短く叫ぶ。
「経験の差です!」
「くっ……」
しかし、あきらめるつもりはなかった。誰が降伏などするものか。
(……わたくしにはまだ奥の手がある。)
ドーラ、心の中で呟く。
(目覚めよ、黄金なる蛇海)
頭の中で戦術支援電子脳が冷徹な声を発する。
(有機脳演算リソースの98パーセントを配分)
(白兵戦支援兵装『黄金なる蛇海』、起動)
ドーラは全身から力を抜いた。肩を落とし、両腕をダラリと下げる。ベルタの眼に当惑が浮かぶ。しかし振り上げたナイフは止めない。ドーラの肩めがけて突
き入れる。
そのときドーラの髪、腰まで伸びる黄金のウェービーヘアーが、生き物のように波打った。猛烈な勢いで重力に逆らって持ち上がり、ベルタの身体に巻きつ
く。手首、足首を捕らえた。突き刺さる寸前でナイフが止まった。
「な……」
自分の体を見回し、眼を見張るベルタ。彼女の知らない攻撃だった。
新型であるドーラには、白兵戦能力を高めるため「随意頭髪・黄金なる蛇海」が装備されている。彼女の髪は全てが静電誘導マイクロモーターで駆動される腕
なのである。
ベルタは髪の力がさほど強くないことに気づいたらしい。ぐっと力をいれ、身体を拘束する金髪の触手を断ち切った。しかし、あとからあとから髪は襲ってく
る。何十何百の細い触手となって四方八方から殺到する。ナイフでなぎ払い、手で引きちぎり、しかしすべては食い止めきれない。
髪の毛数十本からなる細い金色の触手が、ナイフの刃をかいくぐってベルタの眼に飛びこんだ。眼球の裏側に回り、糸ノコギリのように視神経を切断する。ベ
ルタの顔面がひきつったのがドーラにはわかった。眼の焦点が合わなくなった。目から真っ赤な血の涙が流れた。
これこそが随意頭髪の正しい使用法である。
しょせん髪の毛の力は筋力に及ばない。腕にはできないこと、「狭く柔らかい場所への侵入」に使うのが正しいのだ。侵入し内部から破壊する。
(視力を奪った! 圧倒的優位です!)
ドーラは勝利を確信した。口元をほころばせた。だがその笑みが凍りつく。
視力を奪われてもべルタはひるんでいなかった。それどころか突進してきた。両目から血涙を流しながら、コンバットナイフを腰だめに構えて体ごとぶつかっ
てくる。視力も必要としない大雑把な攻撃。しかしよけられない。10万本の随意頭髪を自在に操るのは大変な作業で、脳の処理能力を使いきってしまう。髪を
使っている間は体をまったく動かす事ができないのだ。ぎりぎりまで随意頭髪を使わなかったのは致命的な欠点があるからだ。
(ならば攻撃あるのみです! 脳深く突き刺して! 前頭葉を切り刻んであげるわ!)
頭髪に指令を送りこむ。髪がうごめき、眼窩の奥深くにもぐりこみ、
間に合わなかった。体当たりされた。腹部に深々とコンバットナイフの刃が食い込む。超振動を帯びた刃はやすやすとドーラの皮膚を貫通し腹筋を切断する。
ヘソのあたりに灼熱の感覚が生じた。腸が切断され中身のはじける感触。
(損害報告 下腹部に負傷。内臓機能代謝機能に35パーセントの低下)
激痛のあまり体を折った。ベルタの突進の勢いを受け止めきれずにそのまま倒れこむ。転がる。椅子の上に転がりこんで椅子を粉砕し、破片をまきちらして転
がる。壁に背中がたたきつけられた。いまドーラは壁にもたれかかるような姿勢だった。体の上にベルタが覆い被さっていた。ふたりの体は一本の刃で接続され
ていた。ドーラの顔のすぐ前にはベルタの顔があった。青黒く腫れあがり両の眼から血の涙を流す顔。乱れた黒髪がすだれのように顔を覆っている。それでも口
元にだけは笑みが浮かんでいる。
(恐ろしい)
理解を超えたものに対する本能的な恐怖がドーラの思考を麻痺させていた。激痛が麻痺に拍車をかけた。
だから反応が遅れた。髪を動かすべきか手足を動かすべきか迷った。一瞬の迷いは致命的だった。真下からベルタの肘が打ち上げられた。密着した状態。かわ
しようがない。顎の先端に思いきり肘うちを食らった。首が勢いよくスイング。視界が思いきりゆれる。意識が闇に落ちた。
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ベルタはドーラにのしかかった姿勢で、漆黒の闇の中、満身の力をこめて肘打ちを放った。眼が見えなくても問題はない。重い感触が腕に伝わってくる。みご
と顎にヒットした。脳震盪必至の一撃だ。
ベルタの目に突き刺さってうごめいていた髪が、そのとたん動きをとめる。片手でつかんで一気に引き抜いた。ドーラの体が急にやわらかくなる。手を伸ばし
てドーラの顔面を撫でさする。反応がない。呼吸はしているが、どうやら気絶したようだ。
立ち上がる。自分の顔を撫でた。指に血がまとわりついてくる。眼から下がすべて血涙に覆われているようだ。
(なんとか勝った……)
ほっと一息。すぐに自分の頬をたたいて気合を入れる。
(まだやることはたくさんある。武装解除、原発を止める)
ドーラの体の上にしゃがみこんだ。ナイフを腹から抜いて、髪の毛をつかんで切り落とす。完全に武装解除しなければだめだ。
ドオン!
耳に爆発音が響いてきた。すぐ近くの音ではない。何枚もの壁を越えて伝わってきた音だ。
心臓をつかまれたような衝撃。
(あの音は何!?)
ドーラの首根っこをつかんで揺さぶった。焦りのにじんだ声を叩きつけた。
「おきてください! 起きなさい! あの音は何?」
「くすくす…くすくす……」
ドーラが眼を覚ましたらしい。闇の中から笑い声が響いてくる。鈴が転がるような可憐な声だけに、嘲笑が際立つ。
「どういうことです! いいなさい」
「くすくす……いわなくてもわかるでしょう、ベルタ姉さん。あれは原子炉の配管が破裂する音ですよ。方角からして1号炉かしらね」
「なっ……」
「ばかなベルタ姉さん。わたくしを倒したくらいでいい気になって。とっくの昔にわたくしたちは原子炉を暴走させていたんですのよ」
「止める方法を教えなさい!」
そう叫びながらベルタは四方を見回す。もちろん見えるのは闇だけ。あたりにはコンソールが並び、原子炉の状態を制御できるはずだが、眼の見えないベルタ
はどうすることもできない。
「い・や・で・す・わ。誰が教えるもんですか。拷問したって無駄ですわよ。こうなった以上、みんなを道連れに死ぬつもりです。ああ。わくわくします。人間
たちが放射線まみれになってひとりまたひとりと血ヘドを吐いて。くすくすっ」
ドーラの声は高揚感に満ちていた。潤んだ瞳を宙に向ける姿が脳裏に浮かぶほどだった。
「というわけで、せいぜい絶望にのたうちなさい!」
戦慄にふるえるベルタ。浜岡には5基もの原子炉がある。自分一人ではすべてを止めることなどできない!
14
祐樹は喫茶店でうつむき、一心不乱に鉛筆を走らせていた。
彼の目の前にはネームのかかれたルーズリーフが乱雑に散らばっている。100枚はあるだろうか。テーブル上にはアイスミルクティーのグラスもあるが、
まったく口をつけずに放置され、中の氷もすべて溶けてしまっている。
「な、なあ」
向かいあって携帯電話をいじっている編集者が、やや戸惑ったような表情で問いかける。
「なんですか?」
「ネームの量、妙に多くないか? バージョンちがい?」
顔をあげることもなく祐樹は即答する。
「いえ、それでひとつの漫画です。だいたい200枚くらいになると思います」
「に、200枚? 読みきりを頼んでるんだぞ?」
「でも、とまらないんです。キャラクターたちが、場面が、次から次へと浮かんできて。あれをやらせろ、あれをしゃべらせろって」
「そういうのはたいてい、一人よがりなんだがなあ」
いいながら編集者、ネームを2、30枚ばかりまとめてつかんで読みはじめる。
「……これ……」
「面白いでしょう?」
祐樹は一時間ぶりに顔をあげた。不安げな様子など微塵もない挑戦的な微笑み。編集者は大きくうなずき、次の瞬間ばつが悪そうに苦笑して、
「……まあ、なんだ。悪くないな」
「すごい面白い、って顔に書いてありますよ」
「生意気いうじゃないか。ははっ」
声を立てて笑った瞬間、編集者の携帯が着メロを奏でる。
「はい。中田です。ああ、いま喫茶店です。新人を見てやってるんです……えっ」
急に彼の表情が引き締まる。眉間に深いしわが刻まれた。
「間違いないんですね? 煙が? 二百キロ圏内でしたっけ? わかりました、いますぐ戻ります」
通話を終えた彼は、携帯電話をガツンとテーブルに置き、
「倉本くん、そのへんでやめてくれ」
沈痛な声色で言う。
「え……どうしたんですか」
「いま編集部から電話があった。例の原発、煙を吹いてるそうだ。もうすぐメルトダウンがはじまる。浜岡から東京まで二百キロだから、逃げないと被爆する。
俺はいまから会社に戻る。君も逃げろ。全力で、北へ」
祐樹の心臓が跳びはねた。
(原発がメルトダウン? じゃあ、ベルタさんは負けたっていうの?)
「ベルタさんは……戦いに行った黒髪の女の人がいるでしょう、あの人が負けたんですか?」
「いや、俺も直接は見てないが……」
「まだわからないんですね? ベルタさんが死んだか、まだわからないんですね?」
「ま、まあな」
「それなら大丈夫です。きっとベルタさんならメルトダウンを止めてくれます」
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メルトダウンを何が何でも止めるつもりだった。
まず無線機を手さぐりで操り、外に訴えた。
『こちらベルタ、すでに原子炉は暴走! 私が止めます、専門的な助言者をそろえてください!』
そして管理棟の外に出た。道を覚えていたとはいえ、手さぐりと音に頼っての移動はひどくまどろっこしかった。行きの二倍の時間をかけて外に出た。
すると入り口の前に人の気配があった。鼓動音と呼吸音、服の衣ずれ、銃器の接触する音。10人以上いる。
警察と自衛隊たちだ。
「どうしたんですか、みなさん! 逃げてくれって言ったじゃないですか」
ベルタは非難の言葉を投げつける。即座に起こった声が返ってきた。
「冗談じゃない! あんただけ戦わせて逃げるなんてできねえよ!」
「あんた、なんて格好だ」
ハンカチがベルタの顔に当てられた。誰かが顔の血をぬぐってくれている。
「よ、よけいなことはしないでください」
「あんた、もしかして眼が見えないのか?」
「はい、不覚をとりました。でもメルトダウンは私が止めます」
誰かにがっしと両肩をつかまれた。息がかかるほどの距離で声が叩きつけられた。
「……悲しいこといわねえでくれよ……俺たちにも手伝わせてくれよ」
「しかし、原子炉の中は放射線が……」
「わかってる、わかってるよ。死んだっていいんだよ。……俺はあのデカブツが攻めてきたとき、部下を殺されても何もできず震えてるだけだったんだよ……腰
抜けだったんだよ……腰抜けのままじゃいたくねえんだよ」
ベルタはようやく、この男が誰だかわかった。警察部隊を率いていた隊長だ。
「せめて放射線防護服がきてから」
「そんなの待ってる暇はないんだよ、原子炉は五基もあるし数が足りないんだよ。わかってるだろ?」
ベルタ、沈黙した。
「……わかりました。ではみなさん、わたしの血を吸ってください」
ナイフを抜いて両方の手首を切る。血が流れ出す。手首をそろえて突き出した。
「ど、どういうことだよ?」
「わたしの血を吸い、肉を食らえば、肉体が変異して強い生命力が得られます。放射線を防ぐことはできませんが、死ぬまでの時間を伸ばすことはできるでしょ
う」
言ったとたん、両の手首に歯の立てられる感触。
(一瞬の躊躇もなく、わたしの血をすってくれる)
(化け物って言われた、このわたしを)
ベルタの心に不思議な感慨がひろがった。いまこの場にいるものたちは、間違いなく一体の存在、仲間だった。
広がった感慨は静かな喜びになった。いまや心に焦りはない。かならずできる、という安心感がある。
「やりますよ、みんな!」
「ああ!」
16
べルタは扉を開けた。蒸気渦巻く場所に踏み込んだ。
たちまち熱風が全身を包む。皮膚と髪が200度を超える熱さにあぶられる。
頭の中で戦術支援電子脳が冷たい声で警告。
『体表温度210 筋温度40 ただちの冷却を要す』
最後まで残っていたレースのパンツが、高熱に耐えられず燃えあがる。
周囲は蒸気で白くにごっている。豆スープのようなにごった白さの中に銀色の塊がうずくまっている。直径6メートル、銀色の塊からはたくさんの管が伸びて
いる。管はブルブルと震えて断続的にプシュ! プシュ! と白い蒸気を噴出している。圧力容器の蓋部分だ。
どのみちいまのベルタに視力はない。聴力が「プシュ!」の反響をとらえる。頭の中に立体図を描き出す。今いる部屋は幅十メートル高さ三十メートルの箱
型。真中に巨大な金属の塊
べルタは足場から飛び降りた。圧力容器の直径は六メートル高さ二十五メートル。白い蒸気の渦の中に体を躍らせ、圧力容器の一番下まで落下。
べルタは体をかがめて圧力容器の下にもぐりこむ。容器の底は身長の五倍はあろうかという金属の曲面で、黒い金属の棒が何本も生えていた。制御棒の駆動装
置だ。細い手で黒い棒をつかんだ。
「……筋肉出力全開。生体過給機関、戦闘出力」
拳を握ってつぶやく。頭の中で電子脳が『了解。酸素残量八十五パーセント』と告げる。胸の中に貯蔵された酸素がベルタの全身に行き渡る。筋出力最大。
『汎用型エインへリヤル』であるべルタは握力950キロ、背筋力5200キロ。ありったけの力で黒い棒を握りしめて引きちぎり、へし折った。
すべての油圧装置を排除した。あとには、一回り細い棒が残った。圧力容器の底に生える二十四本の棒。これが制御棒だ。この棒をのこらず炉心に突っ込めば
反応は止まる。
『警告。筋温度、血液温度上昇。四十五度突破。ただちに退避せよ』
脳の中で響く声を無視して、制御棒の一本を握る。
ジュウウ!
制御棒は炉心の熱をモロに吸収し、赤熱していた。ベルタの掌が焦げる。
(この程度、なんだ!)
痛みをこらえて押し込んだ。動かない。
(溶けて、容器に貼りついている!)
容器の底面にしがみつき、全力で押し込んだ。なんとか入った。一番奥まで入れる。一本、また一本。
だが、三本目を挿入したところで爆音が轟く。圧力容器の上部で爆発が起こった。いままでの数倍する熱気が押し寄せてきた。皮膚という皮膚が焼けただれ
た。
『警告。筋温度、血液温度上昇。五十度』
『警告。放射線による代謝障害が活動限界を突破』
『警告』『警告』
頭の中に連続して何十もの警報が鳴り響く。その全てを無視して、掌の触覚だけに意識を集中して、制御棒を押し込み続けた。五本、十本。もう意識も朦朧と
している。最後の一本、どうしても動かない。筋肉繊維が過熱して力を発揮できなくなっているのだ。
『ベルタさん』
倉本祐樹の声が脳裏に響く。
『もう、ベルタさんは頑張ったじゃないか。もういいよ、もう休んでいいよ』
柔らかく優しい声。だがその言葉をきいてベルタの胸の中で焔が燃え上がった。
(だめです。もうひとがんばり。だって、約束したから)
『もういいじゃないか。死ぬほど頑張ってるのに』
(だめ。……いまわたしは、やっと、ひとりじゃないって思ってるから。ずっとずっと求めてきたものがここにあるから。だから……)
すでにベルタの筋肉と血液は凝固温度に達していた。動けるはずがなかった。だが一度だけ動き、最後の制御棒を炉心深くに叩き込んだ。
すでに五感はきかなくなっている。結果がどうなったのかは分からない。
ベルタは微笑を浮かべた。全身から力が抜ける。意識が遠のいていった。
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