| 泣き虫兵器ベルタ (全面改訂版) 分割6 2 カエサルは潮風を浴びて目を細め、横浜ランドマークタワーを見上げていた。 真夏の陽光を浴びて真っ白く輝くタワーが、青い空に向かってそびえている。いくぶん小ぶりなビル群周囲に従え、女王のような風格だ。 携帯電話が鳴る。 「もしもし」 「オレだ」 電話の向こうから、怒りを押し殺したような野太い声。 「ああ、アントンにいさん」 「……ベルタの奴には逃げられた」 カエサルは不機嫌そうに髪の毛を指でかき混ぜる。 「やっぱり失敗か。アントン兄さん、バカすぎるよ」 「なんだと?」 「ボクが前から言っていた通りさ。正攻法を使うからダメなんだ」 「しかし……」 「不満かい?」 「できれば真っ向から勝負がしてぇな」 「そんなことを言ってるから兄さんはだめなのさ。ボクは賢いやり方でやらせてもらうよ」 そう言って電話を切った。 カエサルは隣を見る。肩の触れ合う距離に金髪の美少女がいた。チェックのプリーツスカートに白いブラウス、まるで学校の制服のようなものを着ていた。 まず目につくのが、まぶしい夏の陽光を浴びて鮮やかに輝く金髪だ。長い黄金の髪が腰まで伸びて風に踊っている。うりざね型の顔は町を歩く誰もが足を止め るほどに美しい。切れ長で吊り目気味の眼はエメラルドグリーンだ。ランドマークタワーのすぐ横に係留されている一隻の帆船を、興味深そうに見つめていた。 「ドーラ、そっちはどう?」 カエサルの問いに、少女ドーラは振り向く。挑戦的にほほえんで、 「準備完了ですわ」 3 編集部にて。 コッチ、コッチ。 机の上にある置時計の音がひどく大きく聞こえた。 倉本祐樹は顔を伏せている。イスに座って、拳を両膝の上においている。握った手の中にじっとり汗がにじんでいるのが自覚できた。冷房はキンキンに効いている。それでも冷や汗が止まらない。 視線を少しだけ上げて、机の上をさまよわせる。机の上には紙コップに入ったアイスコーヒーがあるだけだ。祐樹に出されたコーヒーだが、全く手をつけていない。氷が溶けてすっかり小さくなってしまっている。 パラリ、パラリ。 テーブルの向かい側からそんな音がする。祐樹は音のたびに体をこわばらせる。パラリと紙をめくる音、頭を引っかくボリボリという音が連続した。だんだん頭のボリボリが増してゆく。 やがて、二つの音が消えた。 「……倉本くん」 テーブルの向かいから声がかけられた。 「はいっ」 緊張そのものという声を出して、顔を上げる。 目の前は中年の男がいた。ワイシャツをだらしなく着崩している。ボサボサ頭で、目の下に病的なクマがある。しかし眼光は鋭い。 編集者だ。 「読ませてもらった」 そういって、彼は手にした紙の束をトントンとテーブルで叩いてそろえる。 この紙の束は「ネーム」。マンガのコマ割と台詞を書いたものだ。 「……どうでした?」 祐樹は問う。消え入るような小さな声になってしまっていた。 編集者は大きくうなずいた。 「いいね」 「え……」 気難しそうにしていた表情を一変させ、柔らかく微笑んで編集者は言う。ネームを広げて、その中の一コマを指差す。 「とくにこの台詞がいい。荒削りだが、間違いなく魂がこもってる」 祐樹は息を呑んでいた。彼がマンガの賞をとってデビューしたのはほんの最近のことだ。もともと地方在住ということもあって、この編集者とじかに会うのはこれがたったの三回目である。それでも「この人はお世辞を言わない、むしろ厳しいほうだ」と分かっていた。 そんな厳しい人が、ここまで褒める。 思わず頬が緩む。 「……おいおい、まだ喜ぶには早い。魂なんていくらこもってても、読者に伝わらなきゃ意味ないんだ。これと、これと、これ……このへんの台詞は悪い。あ と、この構図も平板。せっかくアクションなんだから、もっと戦いを盛り上げないとダメ。映画とか見ないでしょ? ダメダメ」 そうは言っても彼の口元は緩んでいる。嬉しそうに目をきらきらさせている。 「がんばります。かきなおします」 「どのくらいでできる?」 「明日にでも!」 「おいおい……いいの? 東京に泊まりじゃなくて、今日はもう帰るんだろ?」 「親戚が横浜にいるんでそこに泊まります。大丈夫、ネームなんて紙とペンがあればどこでも描けます。あ、いまちょっと描いて見せていいですか」 祐樹は足元においてあって自分のカバンを持ち上げる。中からノートを出し、鉛筆を紙面にたたきつける。 「こう……こう……こんな感じで。どうですか、さっきのシーン。構図良くなりました?」 編集者は苦笑した。 「いいね」 祐樹はその後、いろいろ編集者と話し、充実感をたっぷり感じて、出版社を後にした。 このネームが通れば、また読みきりを雑誌に載せることができる。 連載も近い。 鼻歌を歌いながら、本屋と喫茶店の並ぶ神田神保町の町を歩いてゆく。 地下鉄の入り口はどこかな……あ、道路の反対側か。 そのとき「ふらんす軒 カレー」という看板が目に入った。言われてみれば「スマトラ風カレー」「薬膳カレー」「元祖カレー」など、カレー屋の看板がやけに多い。 きゅう、とおなかがなった。 なにか食べてからにするか…… と、そのとき、背後でブレーキ音。 すぐそばだ。 危険を感じて振り向く。 目と鼻の先に、一台の真っ黒いBMWが止まっていた。いや、ブレーキをかけて歩道に乗り上げて、たったいま止まった。ひいてしまう寸前で止まったのだ。 「うわっ」 持っていたショルダーバッグを落として飛び退く祐樹。 すぐ八十センチほどの距離にあるBMWのドアが勢いよく開け放たれた。中から女の子が飛び出してくる。見た瞬間に美貌が目に焼きついた。腰まで届く長い 金髪を翻し、学校の制服にしか見えないチェックのプリーツスカートもあざやかに、美少女は飛び出してくるなり祐樹の腕をつかんだ。 「いでっ!」 女の力とはとても思えない握力で骨がきしんで祐樹は身をよじる。そのまま車内に引きずりこまれた。体のバランスが崩れ、BMWの中にころがりこんだ。美少女の体の上に倒れこむ。 「なっ、なにを……」 いま自分の尻が少女のやわらかい腰に触れた。しかし興奮や恥ずかしさより恐怖と混乱が何倍も大奇異。悲鳴を上げて腰を浮かし、逃れようとする。 「えいっ」 かわいらしく少女が言う。ドアノブをひねるような軽いしぐさ。 それだけで手首がパキンと抜ける。腕の筋肉が高圧電流でも流されたように硬直。全身の汗腺から冷や汗を噴出してシートに尻もちをつく。 「逃げるのはダメですわよ」 金髪の少女がにっこりと微笑む。丹精そのものの顔が祐樹を冷ややかに見ていた。 シートが震える。車は走り出した。 「ぼ、ぼくをどうするんですか。あなたはいったい、いでぇっ」 また手首をねじられた。このまま腕をへし折られたらどうしよう。そう考えただけで祐樹の全身に鳥肌が立った。 「おとなしくしていただけません?」 美少女は祐樹の肩に腕を回してきた。白いブラウスを押し上げている豊かな胸のふくらみが祐樹の手に触れてしまった。 相手の吐息を感じられるほどの至近距離で、美少女は語りかけてくる。 「う……」 「……わかりました?」 「わ……わかった」 「たすかりますわ」 美少女はつかんだままの祐樹の手首を軽くひねる。電流が流れたような鋭い痛み。パコッと音を立てて祐樹の手首ははまった。 前の助手席からも一人の少年が身を乗り出してくる。金髪の巻き毛で、目を見張るほど美しい。 「ドーラの言うことはよく聞いたほうがいいよ」 「あなたたちは……?」 「わたくしはドーラ」金髪少女は祐樹を見つめながら言う。「ボクはカエサル」と少年。 「さて、ユウキさん」 「どうしてぼくのことを……」 祐樹の質問をドーラがさえぎった。 「ベルタのことを話してください」 その言葉を聴いた瞬間、背筋を悪寒が走った。 そうだ。決まっている。ぼくを何者かの危険が襲うとしたら、それはきっとベルタさん関連だろうと。 「……何のことを言っているのかな」 ドーラを見つめ返したまま、言う。 「あら、強情を張っても無駄ですのに」 「時間はたっぷりある。いろいろ話してもらうよ。考え直すには十分な時間さ」 クルマは首都高に入った。ETCを使っているのか、窓を開けずにそのまま料金所を通過する。 祐樹は考えた。 どうすればいい? 拷問にかけられてベルタのことをきかれる。恐ろしい。 もっと恐ろしいのが……自分が人質にされることだ。 4 バスタオル一枚の姿で枝に腰掛け、空をみあげていたベルタ。 焚き火をみる。真っ赤に燃える火の上に、燃え移らないよう離れて枝が渡してある。枝には服がかけてある。火で乾かしているのだ。 枝に干してある服を触った。 もう濡れていない。 「よし」 ちいさく呟いて、枝から服を外す。シャツ、パンツ、キュロットスカート、靴下もだ。 焚き火には土をかけて消す。 きょろきょろ周囲を確認、誰もいないことを確かめると、バスタオルを外した。 あらわになった裸身は、白い。 顔かたちはあくまでアジア人のものなのに、肌はそれこそ白雪のよう。つま先、ほっそりした太もも、未発達な腰、片手の中にすっぽり収まるほどの小ぶりな 乳房、全てが白い。染みひとつない。あまりに白すぎて右の乳房を横切る静脈が際立っていた。ツンと上を向いた乳首が鮮やかだった。 裸身の上に、急いで服を身に着けてゆく。 アントンを振り切ってから二時間が経過していた。あの後、結局ベルタは東京湾を南下し、見ウワ半島に上陸した。その後、森を見つけていままで服を乾かしていたのだ。 服を身に着け終わると、リュックをもった。 ずいぶん軽くなってしまっている。中に入っていたマンガ雑誌も携帯電話も地図も、水に濡れてもう使い物にならず、捨てるしかなかったからだ。いまのベルタが持っているのはこの体と服と、後はわずかな金銭だけだ。 でも、よかった。ひとまず逃れることはできた。 これからどうしよう? まずは食べ物だ。そして交通手段。 森から一歩踏み出す。海からの塩気を含んだ風が肩までの黒髪をかき混ぜて乱した。小刻みに左右を見張る。今ベルタは海を見下ろす森の中にいる。片側一車 線の道路が目の前を伸びていた。曲がりくねって山を下って行く道。コンビニがある。大きな駐車場のあるセブンイレブンだ。口の中に唾がこみあげ、思い出し たようにお腹がきゅうと鳴った。 コンビニの店内に入った。空腹でパワーアップされたベルタの嗅覚が、店内の空気に反応する。レジ前のガラスケース内にはフライドポテトと焼き鳥とアップ ルパイが無造作に並べられている。熱されたリンゴのあまったるい臭いは、まるで鼻先に突きつけられたかのように濃厚だ。アイスクリームコーナーからはアイ スクリーム数百種の香りが渾然一帯となって立ち上っている。 よだれが口の中にひろがった。いくらでも糖分をとりたかった。 がまんして、アップルパイ二つだけにする。サイフを出そうとして、レジ横の「災害対策コーナー」に気づいた。地図と水筒、海中電灯に……ラジオ。 「あ、そのラジオも下さい」 今日はあの番組の日じゃないか。 買い物を終えたベルタ、コンビニをあとにする。山を小走りで進んでゆく。これから街に降りて現金と移動手段を盗む。慣れたものだ。今度はどこにしよう、いっそこの国から出ていったほうがいいかも知れない。 そう思うと、なんだか切なくなった。 コンビニ駐車場から見えるのは何の変哲もない田舎の風景だ。国道があって左右を森がはさんで、ガードレールがへこんで、歩道はイチョウ並木で、国道のずっと向こうにはガソリンスタンドとファミリーレストランの看板がのぞいている。 そんなあたりまえの風景も、もう見られなくなる。ベルタは風景のすべてを目に焼き付けた。たった今目の前を通り過ぎた大がたトレーラーのデコレーション、電柱に張ってある色あせたデリバリーヘルスのポスター、こんなものもきっと懐かしく思い出すのだろうと思いながら。 (現在、十七時) 頭の中で声が鳴り響いた。戦術支援電子脳が教えてくれたのだ。 (土曜日の午後五時。あの番組の時間だ) ラジオのスイッチを入れる。 ザザッパリパリと雑音が流れ出してくる。ダイヤルをまわして周波数をチューニング。一二四二キロヘルツだ。 「ザッザザッ。……まゆりんと! 深山京太郎の! 『こっちの汁はあーまいぞ!』」 若い男と女の声が聞こえてくる。軽快な音楽と女性ボーカルが聞こえてくる。 あの少年、祐樹に教えてもらったラジオ番組だ。 ふたりのパーソナリティが友達感覚で話しながら、甘いものにまつわる局をかけてゆく。マンガを紹介する。こんな狭いジャンルのラジオ番組が成立するのだから日本はすごい国だと思った。 「きいて下さいよ京太郎。今日ね、朝ご飯にホットケーキ食べてたらね、ママが『ふとるよー』とか言ってさー」 「それはひどいなー、朝にホットケーキは栄養学的に正しいんだよ。日本のホットケーキはもともとパンケーキという料理で、オリジナルだって知ってた?」 「えー、あれってフランス料理でしょう?」 「フランス料理はパンケーキ。ホットケーキより薄くて、ぜんぜん別のものだよ。そうは言ってもマクドナルドのホットケーキなんかは、どうみてもパンケーキなみの薄さなんだけどねー」 たわいもない会話。友達がいっしょに下校しながらいろいろ話すというのはきっとこんな感じだ。祐樹からこの番組を教えてもらったとき、なんと内容のない番組なのかと呆れた。しかしすぐに、このまったりした感じがいいのだと気づいた。 ベルタはコンビニの壁に寄りかかり、目を閉じる。片耳からはラジオの放送、もう片耳からは風の音が流れ込んでくる。こうしてラジオを聴くのも最後なのか と思うと、胸が締めつけられるような気持ちだった。他の国に行ってもわたしはこんな感じの「小さな楽しさ」を、「日常のかけら」を見つけられるだろうか。 ラジオ番組は音楽に入った。 『はい、ただいまの曲は』『まゆりんのデビュー曲です! タイトルはぷりんあらもーど!』『まゆりん、歌手デビューおめでとー!』ブッ、ザッ。 ベルタは自分の耳を疑った。 (いまのは何? ただの雑音じゃない!) 目を開け、ラジオを耳に押し当てた。有機脳の演算リソースを聴覚に優先配分。耳を澄ます。この状態のベルタはオーケストラ演奏中に虫ピンの落ちた音を聞き取れる。 『でもさーまゆりん、タイトルがぷりんあらもーどってどうかと思うなーオレは』 ザッ 『そーかなー』 間違いなかった。 いまの『ザッ』は、ドイツ語だ。数十倍の早回しで喋っているから人間にはわからないだろう。ベルタ向けに誰かがメッセージを混ぜているのだ。 意味は……『ベルタに告ぐ』『倉本祐樹は預かった』 「な……」 ベルタの唇からうめき声が漏れた。全身がわなわなと震えた。尻餅をついてしまう。 「ユウキさんが……いまさらになって!」 立ち上がった。すでに小さな拳をかたく握りしめている。自分の無能が憎い。迂闊さが憎い。祐樹と一緒にデートしていたころはともかく、これだけ時間がたったのだからもう安全と思っていた。 「……続きは? 預かったからどうしろというのですか!?」 思わず激昂してラジオを握り締める。バキリとラジオのケースが割れる。 『それじゃー、また来週!』 ザッ また「早回し」が混じった。 意味は「本日二十四時、青山墓地のど真ん中で待つ」 『この番組は、あなたの心に潤いを 安永製菓の提供でお送りしました……』 ベルタはラジオをにぎりしめたまま、うめいた。 「……本日二十四時、青山墓地……」 もちろん、メッセージを番組に混ぜたのはアントンたち追っ手だろう。 自分を誘い出して、捕らえるつもりだ。 だがいくしかない。人質を取られていては。祐樹を殺されるのは絶対にイヤだ。 祐樹とすごした短い、だが楽しかった日々の思い出が、脳裏でよみがえる。 彼の幸せは壊させない。 5 深夜の青山墓地は闇の中に沈んでいた。 真っ暗で、車の音も人の声もまったく聞こえない。ただひたすら、灰色の箱型墓石が並んでいた。 祐樹は墓地の中央にある大きな交差点に立っていた。 左右をドーラとカエサルにはさまれている。 体の節々が痛い。そして重い。疲労がある。 そわそわとあたりをみまわす。両手首をつないでいる鎖がジャラリと鳴った。 「なんですの?」 ドーラがいぶかしげに尋ねてくる。彼女は祐樹と方が触れ合うほどの距離にいるから、顔もすぐそばだ。街灯の白く淡い光に照らされ、エメラルドグリーンの瞳が祐樹を覗き込んでいる。恐ろしく美しく澄んだ、しかし冷たい瞳だった。 「……なんでもありません」 「空腹ですの?」 「いいえ」 祐樹は首を振った。ドーラの眼を見つめたままだ。 じっさい、腹は減っていない。不思議なことだ。昼に捕まってからもう10時間、なにも食事を与えられていないのに。興奮と緊張で感覚がおかしくなっているのだろうか。 「ドーラ、その子はね、ベルタねえさんが心配なのさ。こないでベルタさん、ってね。目を見ればわかるさ。そうだろ?」 ドーラと反対側から、カエサルの声が響く。ボーイソプラノというのか、男にしてはずいぶんと甲高い声だ。嘲笑の響きを帯びていた。 「……」 「そうなんですの?」 「ベルタねえさんは来るかな? ボク、ちょっと疑問なんだよね。やっぱり別の手を使ったほうがよかったんじゃない?」 「聞いた限りでは、ねえさまは他人の危機を見過ごせない性格。間違いなく来ますわ」 そこでドーラは言葉を切り、祐樹の両肩に手を置く。真正面から見つめてくる。 「まあ、あなたがどの程度の絆をつくっていたか、によるのですが」 「……」 目をそむける祐樹。ドーラが彼の足を踏んだ。 「ぐっ……」 炎を押し付けられたような激痛がはじける。 「あまり調子にのらないほうがよろしくてよ。ご自分の立場は人質なのだと、まだお分かりになりません?」 祐樹はあふれそうになる涙をおさえこみ、うめくような声でいった。 「……ベルタさんは……こないよ。人質作戦なんかにひっかかるほど馬鹿じゃない」 「それならあなたが死ぬだけです」 「それにしてもさあ」 カエサルがさも不思議そうに祐樹の体を眺めまわして、 「いったいベルタ姉さんはこんな奴のどこがいいのかなあ。弱そうで、臆病」 ドーラがエメラルドグリーンの瞳に冷笑の光を宿して、 「それが逆にいいんじゃありませんこと?」 二人は日本語でしゃべっていた。わざわざ祐樹にきかせているのだ。 「もしかして、母性本能を刺激されるってこと?」 「そういうことですわ。弱虫の男の子を世話して、『自分はこの人に必要とされてるんだ』って喜ぶ。人間にはありがちな心理ですわね」 「はは。いかにもできそこない。そんなの錯覚なのにね」 知らず知らずのうちに祐樹はカエサルに向き直り、恐ろしいほど整った顔をにらみつけていた。 「ベルタさんの悪口をいうな」 反射的に出てきた言葉だ。 「ははは……こいつはいい。うん、思ったよりこの二人は依存しあってるね。人質、きくかも」 「あ、にいさま。きましたわよ」 ドーラが声をあげる。交差点から延びる道路のずっと先を指差す。確かにそこに光の点があった。だんだん大きくなってゆく。点は小さく、一つしかない。オートバイのヘッドライトだろうか。 「まちがいありませんわ。あれはベルタねえさまです」 ドーラが小さくうなずく。彼女の視力は闇と距離を無視できるらしい。 カエサルは眉根を寄せて首をかしげる。 「なんでコートなんか着てるんだろう?」 祐樹は、近づいてくるヘッドライトに叫んだ。 「来ちゃダメだ! ベルタさん!」 6 ベルタは原付スクーターを駆り、青山墓地までやってきた。着こんだロングコートを風にはためかせている。 戦術支援電子脳は、いまの時刻が十一時四十分だと教えてくれる。 まだ時間はあるはずだ。それなのに気があせって仕方ない。 いま目の前の信号が赤になった。 舌打ちして、信号無視して突っ切る。 無事でいてくれ、祐樹さん。 青山墓地の中は外界とは全く異質の空間だ。 音がなく、光もわずかだ。街灯のあかりの中にまったく同じ形をした墓石が何千となく並んでいる。 ヘッドライトに照らされた先を見る。 いた。 大きな通りが交差する、墓地の中心。 街灯と信号機に囲まれた場所に、三人の人間が立っている。 ベルタは百メートル離れても彼らが何者なのかわかった。 金髪で、きっちりとしたスーツ姿の少年。カエサル。 ゆるやかなウェーブのかかった金髪の少女。 間にはさまれて立っているのは、祐樹だ。間違いない。 ……少女のほうは誰なんだろう? いっしょにいるということはエインヘリヤルだろうか。 まあそんなことはいい。 どうする。 と、前方から声が投げつけられた。 「来ちゃダメだ! ベルタさん!」 祐樹が叫んでいた。 ほぼ同時にカエサルがベルタに向けて片手を差し上げ、 「止まってくれ!」 急ブレーキをかける。 スクーターを止めて、降りる。 全身の筋肉は緊張させたままだ。次の瞬間にでも飛びかかれる。 しかし、まだ遠い。五十メートル離れている。この距離を走るにはベルタでも二秒はかかる。カエサルのレーザー『グングニル』で黒焦げにされるだろう。 「祐樹さんを帰してください!」 「ダメだね! まず背中のリュックを下ろして」 カエサルの指示に従い、リュックを下ろす。武装解除が目的だろう。 その間もベルタはずっと考えていた。どうにかして、駆け寄るだけの時間を稼ぐ。 (二秒。たった二秒だけ、二人の注意をそらせれば) 「上着を脱いで、両手を挙げたまま、こちらに歩いてきて!」 カエサルはベルタの思惑を知ってか知らずか、次の命令を出してくる。 ベルタの視力は五十メートル離れた彼の表情を克明にとらえていた。 嬉しそうだ。本来なら美の神に祝福されたかのような端正な顔立ちが、嘲笑にゆがんでいる。 と、次の瞬間ベルタは地面に下ろしたリュックサックを高く蹴りあげる。リュックは弾丸の勢いでカエサルたちに向かって飛んでゆき、 カエサルのレーザー『グングニル』が一閃した。彼の右手からほとばしった白い光条が一瞬にして数十メートルの空間を突っ切ってリュックを直撃。リュックは爆発する。布とプラスチックの小片を撒き散らし、真っ白い蒸気の塊が膨れあがる。 リュックの中にはペットボトル入りのコーラがたっぷり詰めこまれていた。レーザーを受けて爆発したのだ。 「なに!?」 白い蒸気が視界を覆いつくす。その向こうからカエサルの叫びが聞こえてくる。 (いまだ!) ベルタ、コートを脱ぎ捨てる。駆け出す。 露になったベルタの体は、全裸! いや全裸ではない。あまりに白く、あまりに輝いていた。躍動する脚も、未成熟な二つの乳房と腰も、服のかわりにキラキラと輝く何物かで覆われていた。光の小片が街灯の光を反射して輝いていた。まるでウロコのように。 白い蒸気の中をベルタは駆けた。前方からレーザーが襲い掛かってくる。光の棒が脚に、胸にあたった。しかし熱いだけだ。蒸気のおかげで拡散している。 (うまくいった。対レーザー防御、その一!) 蒸気はすぐに晴れた。ベルタはすでに距離二十メートルまで接近している。カエサルが額にシワを寄せ、冷たい殺意をこめてこちらをにらみつけていた。こち らに向けられた右手が白く爆発、またレーザーがたたきつけられた。レーザーはベルタの胸に命中、裸身を覆う銀色のウロコがまばゆく輝いて反射した。 小さな乳房に、焼きごてを押し付けられたような痛み。だがそれだけ。貫通されない。 「鏡!?」 今度こそカエサルが驚愕のうめきをあげた。ベルタはレーザーに対抗するため、クルマのバックミラーをたくさん割って体に貼り付けていたのだ。 (対レーザー防御、その二!) その間にもベルタは前傾姿勢で走る。アスファルトを蹴る。時速百キロで突進を続行、両腕を上げて顔面をブロック。その瞬間、まさに腕にレーザーが直撃。重ねた腕の隙間から眼もくらむ激しい光が漏れてくる。溶けた鏡が腕に食い込んで痛い。 だが、もうカエサルたちは目の前のはず! ベルタ、大きく地面を蹴って跳躍。 顔面をブロックしていた腕を解く。目を見張り、緊迫した表情を浮かべていたカエサルに飛びかかる。顔面に飛び膝蹴りを叩き込む。ぐしゃりと鼻の潰れる感触が膝に伝わってくる。 そのまま衝撃でカエサルを蹴り倒し、着地。 すぐそばにいる祐樹とドーラのほうに向き直り、 次の瞬間ベルタが見たのは、スカートを翻し電光のようなハイキックを放つドーラ。 思考よりも、戦慄よりも早く体が動いていた。全身の筋肉を総動員してのけぞる。 ごうっ! 大気をつんざいてドーラの脚が振り上げられ、ベルタの額すれすれ、わずか数ミリの距離をかすめる。空気の塊が頭蓋骨を叩いた。鋭利な刃物をつきたてられたような痛み。額が切れて血が噴き出す。 (かすっただけでこんな!) ベルタの背筋を冷たい恐怖が走る。のけぞった勢いのまま1歩下がった。 そのすきにドーラは脚を下ろし、祐樹を横抱きにして走り去ってゆく。 「ま、まちなさいっ」 後を追った。 ドーラは人間一人を横抱きにしていることを丸だ感じさせない動きで走る。軽々と跳躍して墓石の上に飛び乗った。 ベルタもその墓石に向かって跳ぶ。鏡の小片で覆われた腕を広げ、つかみかかる。しかしベルタが跳んだとき、ドーラも隣の石へと跳ぶ。追ってベルタが跳 ぶ。ドーラがスカートをフワリと広げ金髪を波打たせ、跳んで逃げる。余裕のある軽やかな動きだが、必死のベルタよりワンテンポ早い。 「ぎゃあ!」 男の子の悲鳴。ドーラが抱えている祐樹だろう。 悲鳴をきいてベルタの血が凍りついた。怒りが体を突き動かした。今度は思いきり墓石を蹴って、矢のように空中を突進した。それでもドーラは幻のように消える。ほんのコンマ一秒早く、後ろ姿はその場所を去っている。 腕を伸ばすがつかめない。手は空中をむなしくつかむだけ。たった三十センチ四方しかない墓石の上でバランスを崩しそうになって歯噛みする。 それを二、三十回ばかり繰り返しただろうか。 (どうして?) ベルタはあせりと当惑を覚えていた。 ドーラは少年一人を抱えている。重いし、うまくバランスを取れないはず。 (それなのに私より早いなんて!) またしても捕らえられなかった。体重がないかのように軽やかに跳んで、ドーラが墓石の上に脚をそろえて着地、くるりと振り向いた。 大人びたフランス人形のような顔に、微笑をうかべている。 ベルタは膝が笑うのを感じていた。体内の酸素残量も底を突きかけている。すでに体力の限界だ。それなのにドーラは余裕たっぷりといった感じだ。息も荒くしていない。 「な、なぜ……?」 「わたくしは最強のエインヘリヤルなんですのよ。ねえさまのような無能とは出来が違うのです」 ベルタは気づいた。ドーラの表情はただの笑みではない。嘲笑だ。声にも疲れの色がない。彼女にとっては遊びでしかないのだ。 彼女の腕の中の祐樹を見る。ぐったりしている。表情がたるんで、白目をむいている。激しい動きで気絶してるようだった。 「もっと楽しめるかと思ったのに」 くすくすドーラは笑う。腕に力をこめたのか、祐樹が目を開く。表情が苦悶の形に引きつる。ドーラが力を入れれば人間の首など簡単に折れる。 瞬間、ベルタの胸中を怒りと、焦りと、屈辱が交錯した。汗ばんだ手を握り締めた。 (……どうすれば。はっ!) 視界をさえぎり、隙を作ってやれば接近できるはずだ。 ベルタは頭上を仰ぐ。上は木々が枝をめぐらしている。緑の葉がひろがっている。 「ハーッ!」 『ギャラルホルン』を起動、指向性をゼロにして最大出力でぶっ放す。ベルタの口から放出された超音波は頭上にぶちまけられ、周囲数十メートルに広がり、枝を激震させ、葉という葉をことごとく引きちぎる。 緑の大瀑布が頭上から押し寄せ、ベルタとドーラを押し包む。 「……ちっ」 葉の乱舞する向こうからドーラの舌打ちが聞こえてくる。 視界がさえぎられた機会を逃さず、ベルタは跳躍。空中を突進して緑のカーテンに飛びこむ。さきほどドーラがやったように、キックを放つ! 風圧で葉が押しのけられて飛んでゆく。緑の中にトンネルができる。トンネルを抜けた向こうにはドーラがいた。すでに距離は数十センチしかない。 ドーラは祐樹を高く抱き上げている! (……!) ベルタは気づいた。血が凍った。頭の中でゴウ、と血の気の引く音がした。 祐樹を盾にされた! 脚の軌道上に祐樹の頭が! 渾身の意志力で、ベルタは脚の軌道を変えた。極小時間ではわずかにずらすのがやっとだった。岩をも砕くキックが祐樹の頭ではなく、手錠で繋がれた両手に突き刺さった。 ぶじゃっ。水でたっぷり濡れた雑巾を、思い切り踏んづけたような感触。 ベルタは着地した。祐樹の体も地面に転がった。墓石の周りにある土の部分にどさりと投げ出される。すぐそばにドーラが音もなく着地。 ベルタは祐樹の手を見た。見たくなかった。だが眼が吸い寄せられた。 彼の手はなくなっていた。圧倒的な力で粉砕され、指の骨と肉がなくなっていた。掌だった部分だけが残っていた。薄紅色で、ところどころから白い骨がのぞ き、カリフラワー状に広がっていた。フェルトヘルンハレの訓練施設でこんな写真を見せられたのを思い出した。そう、地雷を踏んだら手足がこうなるのだ。 「あ……」 ベルタの唇からうめきが漏れた。膝がガクンと折れた。体の震えが止まらなかった。 祐樹は真っ青で、ちぎれてしまった手を顔の辺りにまで持ち上げ、目を大きく見開いている。 「てが……てが……ぼくのてが……ぼくの……あえっ……あひっ……」 目の焦点があっていない。両眼から涙があふれている。激痛のためか。 それとも、もうマンガを描けなくなったからか。 「くすくす……うふふふふっ」 明るい笑い声が聞こえてきた。鈴の転がるような可憐な声。そちらに目を向ける。ドーラが笑っていた。プリーツスカートの腰に手をあてて、さもおかしそうに笑っていた。 「うふふふふっ……あなたがやったんですのよ、それ」 「え……」 絶句するベルタ。ベルタはドーラの勝ち誇る顔と、ちぎれてしまった祐樹の手を交互に見る。 「あなたが、ユウキくんを守って助けるはずのあなたが、やってしまったんですのよ」 表情を引き締め、まったくの無感情にして、細い指でベルタを指差す。 「平和な暮らしがしたかった? 戦いがイヤだった? 嘘ばっかり。友達をメチャクチャにしたくせに。この無能。このできそこない」 ベルタの中で感情が爆発した。怒りと悔しさが渾然一体となった荒れ狂う想いだ。 「うわあああ!」 裏返った声でわめき、無我夢中でドーラにつかみかかった。 繰り出した拳は空を切った。腕をつかまれた。体が浮いた。重力感覚消失。世界が回転する。ならぶ数千の墓石が、空を覆う樹木がぐるんと上下逆転する。 投げられた、と気づいたときには背中から地面に叩きつけられていた。起き上がろうとする。しかしすぐにドーラの脚がひらめく。地面すれすれをなぎ払うようなキックで、ベルタの首を刈る。 「げはっ!」 呻いて、エビのように体をのけぞらせる。裸身を包んでいた鏡の破片が飛び散った。ついでドーラはベルタの体にキックを見舞う。連続して肩に、膝に、その たびにバキン、パキャッ、乾いた木が折れるような音。膝の皿が割れ、肩が外れた。激痛にベルタは体を痙攣させる。手足を震わせる以外なにもできない。心の 中は恐怖でいっぱいだった。圧倒的な強さへの恐怖。そして、自分がやってしまったことへの恐怖。 「おやすみなさい、できそこないの、ベルタねえさま」 ドーラは無表情を崩し、朗らかに微笑んで、ベルタの頭を勢いよく蹴飛ばした。 意識が闇に落ちた。 分割7へ |