泣き虫兵器ベルタ (全面改訂版)

  分割7
第3章

 1

 漆黒の闇。冷たい闇。
 地面もなく、空もない。
「えぐっ……えぐっ……」
 少年がうずくまってないていた。
 ブレザー姿の制服を着ている。前のボタンが千切れ飛んでいる。
 ベルタは歩み寄った。
「どうしたの? またいじめられたんですか?」
 祐樹はゆっくりと顔を上げた。
 手も一緒に上げた。
 指の全てが切り落とされた手。
「もうマンガをかけないんだよ……」
 涙声。手をベルタの顔面におしつける。
「……あんたがやったんだよぉ!」
 
 2

 目を開けた。
 心臓がドクドクと、弾けそうな勢いで脈打っている。
 まず目に飛び込んできたのは、コンクリートむき出しの天井だ。
 コッチ、コッチと時計の音がする。空調機が立てるフォーンという音もする。有機脳の演算リソースを聴覚に優先配分、音の反響でここがどんな場所なのか知 ろうとする。どうやら硬い壁に囲まれているらしい。広さは五メートル四方か。周囲に心音と呼吸音がある。人がいるようだ。
 体に何かが密着している。裸の皮膚の上にバンドのようなものがきつくグルグル巻きにされている。口にも何かが突っ込まれて、喋れないようにされている。
 自分の肉体状態をチェックした。痛みはない。体温も平常。砕かれた膝の皿も治っている。腕の火傷ももう治っている。少なくとも数時間はたっている。いまは朝のはずだ。
 動こうとした。首をめぐらせて周りを見ようとした。
 その瞬間、全身を激痛が叩く。首から足の先まで、すべての筋肉が硬直する。
 高圧電流を流されたのだ。
「あっ……アゥッ」
 かすれた声で呻いた。
「あら、お目覚めですの。ねえさま、おはようございます」
 かわいらしい少女の声がかけられた。ドーラだ。
 視界の中にドーラの顔が入ってくる。
 いまのドーラは服装を変えていた。白いブラウスとプリーツスカートを脱ぎ捨て、都市迷彩の野戦服に身を包んでいる。軍服を着ておきながら、金色の長い髪だけは結ばずにそのまま背中へ流しているのが不思議だ。
「むぐう……」
 なにがどうなっている?
 ベルタは思い出した。
 そうだ、間違いない。あれは現実なのだ。
 夢じゃない。自分が祐樹の手を潰したのは。
「おや、どうしたのですか、ねえさま。いとしのユウキくんと会いたいですか?」
 ドーラはベルタの体を起こした。首根っこをつかんで、空中でぐるりと回す。
 室内の光景が見えた。ソファは部屋の片隅に置かれている。部屋の半分以上を占領しているのは安いスチール製のデスクだ。デスクの上にはパソコンが並んで いる。スーツ姿の白人たちがパソコンに向かってなにやら作業してる。ベルタと眼が合うと、冷たい眼を向けてきた。恐怖と軽蔑の混ざったまなざしだ。
「ここはフェルトヘルンハレが東京に作った拠点ですわ」
 そう言いつつ、ドーラはさらにベルタの体を回す。
 自分は今までソファに座っていたらしい。ソファの向こう端には祐樹が座っていた。手錠を猿ぐつわをかけられている。
 祐樹の目はうつろだった。
 青ざめた顔には涙のあとが幾筋も残っていた。ベルタを見ようともしない。空中を見ている。
 ベルタは眼球だけを動かして祐樹の手を見る。
 息が止まった。赤茶けた包帯に覆われた手。握りこぶしが異常に小さい。指が全部なくなっているからだ。それにしてもなんだ、まるで治療を受けていないのか?
 いてもたってもいられなくなった。暴れようとする。ドーラの手から逃れようとする。
 また背中に稲妻が打ち込まれた。全身の筋肉が瞬間的に数十回も痙攣。ドーラが手を離した。体が落下。背もたれに頭を打ち付けてソファに墜落する。
「うっ……あっ……う……」
 ドーラが見下ろしながら言う。
「動いちゃだめですわ、ねえさま。その服は、『エインヘリヤル専用拘束服』ですもの。少しでも動いたら、脊髄に撃ちこまれた七十二本のスパイクが高圧電流を流します。アフリカ象が即死するくらいの電流ですのよ?」
 筋肉の痙攣が止まらない。口が半開きになって、よだれが垂れて喉をつたっていく。
 みじめだった。
「ぬぐうっ、めぐうっ」
 目を動かして、祐樹のほうを見る。
(もうわたしはどうなってもいい、ユウキさんだけでもたすけて)
 そう伝えたかった。
「あら、ねえさま、どうしたんですの?」
 ドーラはベルタの首筋からあごにかけてを、細い指でなでさする。
「おなかがすいたんですの? それとも……おしっこ?」
 小首を傾げるドーラ。力エサルが割りこんでくる。彼も軍服に着替えている。
「うーん、『この人をたすけて』って言ってるんじゃないかな?」
「ああ、そうかも知れませんわね」
「そいつはできねェ相談だな」
 野太い男の声。視界の外から響いてくる。アントンもいるらしい。
「言っておきますが、ねえさま。降伏してもムダですのよ」
「そもそも、もうボクたちはべルタ姉さんを必要としていないんだ。『貴重なサンプルだから回収したかった』のは昔の話。今のフェルトへルンハレは方針が変わった」
「世界各所で行った実戦テストで、あまりにもすばらしい成績を上げたのですわ。だからフェルトへルンハレの幹部は思った。もう傭兵派遣でせせこましく稼ぐ必要はないと」
(では、いったい何をする気?)
 当惑するべルタ。ドーラはしゃがみこんで目線をあわせ、ぞっとするほど美しい白面に愉悦の表情を浮かべ、
「……わたくしたちは世界を掌握します」
(……なんだって?)
 ドーラはその言葉を残し、振り向いて歩み去ってゆく。
 カエサルも軽薄な笑みを浮かべて手を振って、
「さようなら、姉さん。ぼくたちの戦いを見ているといいよ」
 そして視界の外へ去っていった。ドーラとカエサルの足音が遠ざかる。大きく重いアントンの足音も遠ざかる。そしてすぐにバタンとドアの閉まる音。

 3

 それから二時間後。
 新宿アルタ前。
 平日の午前十時ということもあって、町を歩いている人々は背広姿が多かった。カバン片手のサラリーマンが、アルタの前に立ち、六百インチ巨大画面に映し出される携帯電話のCMをボンヤリと見上げている。
 そのかたわらで若い男が携帯を取り、「あ、おれおれ。サヨコいまどこ? えー? キャンセル? なんか先週のデートの時も……わかったよ、また今度な……」肩を落として歩き出す。
 と、そのときだ。
 突然、画面が乱れた。
 携帯のCMが消え、ニュース映像に切り替わる。
 スタジオ内にいるはずなのにアナウンサーは汗だくだった。
「……臨時ニュースを申し上げます。たったいま、静岡県の浜岡原子力発電所が、武装集団に占拠されました」
 サラリーマンは口をぽかんと開けて画面に見入る。かたわらの若い男も、そのとなりと歩いていた若い女も、なぜかセーラー服姿でアイス片手にうろついていた女子高生も、すべて立ち止まって画面に注目する。
 画像が切り替わる。アナウンサーが消える。「浜岡原発」というテロップとともに、「緑に包まれた、白い建物と煙突五本」の映像が出てくる。
「この浜岡原発は日本第二の規模を持つ大型原発です。本日九時半ごろ、武装集団が原発内に侵入、警備員を殺害して占拠しました。……ただいま本テレビ局宛に画像が送られてまいりました。放送です。犯人が放送をしています。中継いたします!」
 画面がまた切り替わった。
 原発の中央制御室をバックに、美少年と美少女がいた。二人とも迷彩服に身を包んでいた。
 美少年は巻き毛の金髪で、息を呑むほどに整った容姿。澄んだ青い瞳。
 そのとなりにいるのは美少女。ウェーブのかかった金髪に青い目、つんと尖った鼻に、透き通るような真っ白い肌。こちらもかわいらしい。フランス人形と呼んでしまうには瞳に猛々しい光が宿りすぎているが、人間離れした美しさだ。
「……こども?」
 通行人のひとりが巨大モニタを見上げてあっけに取られた。確かに二人の顔だちは幼い。せいぜい十五歳。たとえ軍服を着ていても「凶悪なテロリスト」には見えない
 金髪美少年は口を開く。
「はじめまして、日本の皆さん」
 流暢な日本語だ。口元に笑みを浮かべている。
「ボクの名はカエサル。『エインヘリヤル』の三番目です。こちらは妹のドーラ」
 金髪美少女が髪の毛を揺らしてぺこりとお辞儀する。
「さてみなさん、突然だけどこの原発はボクたちが占拠しました。はい、これ証拠」
 カエサルがカメラのほうに手を伸ばした。手が大きく映る。
 画面の中の映像が揺れた。カメラが揺れているのだろう。
 ぐるっとカメラが回り、中央制御室の中が映し出される。
 部屋は小学校の教室ほどの大きさで、スイッチや計基盤だらけの机が並んでいる。机の上に、『作業服姿の首なし死体』が何人も崩れ落ちている。床にも死体がいくつも転がってる。血だまりが広がり、画面のこちら側まで臭ってきそうだ。
 モニターの映像がカエサルに戻った。カエサルはさも嬉しそうに笑っていた。子供の笑みだ。大好きなオモチャをさんざんねだってやっと買ってもらえたような、屈託のない笑顔だ。
「はいー、わかりましたねー。みなさん死んじゃってます。具体的にはボクが殺しました。いやあ、もう、スカッとしたのなんのって。やっぱり気持ちいいねー」
 ぺちっ。マイクに入るくらい大きな音を立てて、ドーラがカエサルのほっぺを叩いた。
「な、なにすんだよ?」
「にいさまは調子に乗りすぎ。何の話をしているのかもう分からなくなっていますわ」
「悪かったよ……さてみなさん。ボクたち三人はこうして原発をジャックしました。あ、もう一人いるんですよ。アントンっていって、ボクたちの長兄に当たるんだけど。これがもー、全身これ筋肉、筋肉の力だけで装甲車を引きちぎっちゃう。すごいねー」
「にいさま、また言わせるのですか」
「ごめんよドーラ。で、要点を先に言っちゃうと、ボクたちは日本政府を脅迫します」
 にこやかな笑顔のまま、白い指をカメラに突きつける。
「日本政府は三時間以内に、ボクたちに対して降伏してください。さもないとドカーン! ここにある原子炉を破壊します。破壊したらどうなるか、わかるよねみんな? ねえドーラ?」
 小さくうなずいて、ドーラが静かな口調で語りだす。
「ハマオカには百万キロワット級原子炉が五基あります。すべてメルトダウンした場合、放出される放射能はチェルノブイリ事故を凌ぐ一兆キュリー。半径五十キロが永久に居住不能、長期的には四百万人がガンと白血病で死亡します。経済的な損害は、数兆ドルに及びますわ」
 まるで資料を読み上げているような淡々とした喋りだ。
「というわけで、わかったかなみんな。ボクたちに従わない限り四百万人が死ぬんだ。楽しみだなあ。あー、いっとくけど会議とかやっても遅いよ、期限は今日の十三時! 一分でも過ぎたらドカーン、もくもく!」
 楽しそうにはしゃいで手をパチパチ叩くカエサル。と、急に我に帰って、
「あ、邪魔をしたって無駄だから。警察も自衛隊もボクたち三人には勝てないよ。
 ちょうどいま警察の人がきたみたいだから、そのへんのこと見せてあげるよ。テレビ局の人、しっかり撮るんだよ? じゃあね、また何かあったら連絡するよー」
 明るくさわやかに笑ってカエサルはカメラに向かって手を振った。それっきり映像は消える。
 モニターの中にはスタジオが戻っていた。
「えー……」
 アナウンサーはますますこわばった表情で、
「以上のように、『エインヘリヤル』を名乗る武装集団に占拠された浜岡原発ですが、この件につきまして古泉首相は『テロには毅然とした態度で挑み、早期解決に全力を尽くす』と述べております。
 たったいま、警察の対テロ部隊・SATが浜岡現地に到着したとの情報が入りました。
 空撮映像に切り替えます」
 アナウンサーの言葉とともに画面がまた変わった。 
 空から見下ろす映像が映し出される。
 海沿いに白い大きな建物が5つ、そのすぐそばに煙突。全体が緑に覆われている。
 敷地に面した国道に、一機の大型へリコプターが着陸している。
 ヘリコプターからは、黒いプロテクターで身を固めた男たちが次々に降りてくる。背中に『POLICE』と書いてある。数は二十人ほどか。整然と展開する。

   4

「整列!」
 号令に応じて、真っ黒いボディアーマーをつけた部下たち二十人がずらりと並ぶ。前列の男たちは透明な防弾盾、後列の男たちは銃を持っている。自衛隊が使っているものと同じアサルトライフル、「89式小銃」だ。
 見事に隊列を組んだ男たちを、隊長は自信ありげに見つめた。
(この日を待っていた)
(我々の実力が発揮できる日を)
 この事件を解決すれば我々は英雄だ。しかし手に負えなければ自衛隊の出番となる。警察の威信は丸つぶれだ。
(なんとしても俺たちの手で)
 そのときヘリから、インカムをつけた男が顔を出した。
「隊長! 市民の避難完了しました!」
 警察の役割は犯人逮捕ばかりではない。一般市民を避難させるのも重大な役割だ。浜岡原発は住宅地に囲まれている。巨大ショッピングモール・メガマートが隣にある。
 隊長は報告を受けて大きくうなずいた。
「すばらしい、実に迅速だ」
 部下の一人が笑顔を浮かべて言う。
「このへんは東海地震の件で、みんな避難慣れしてるんですよ」
「ああ、それはあるな。では、まずは交渉を開始する」
 隊長は胸の無線機を手にとった。
 しかしその瞬間、彼の目が細められる。
「む?」
 原発正門の中に、人を見つけたのだ。
 道をまっすぐ歩いてくる巨体。数十メートル離れても、その男がプロレスラー並の体格である事がわかった。下半身はアーミーパンツ、上半身はタンクトップ一枚。丸太のような二の腕を向きだしにしていた。
 大男はのっしのっしと歩いてくる。だんだん顔が見えてきた。短く刈った金髪、四角い顔に猪のような太い首、太い眉毛に荒々しい顔立ち。白人の若い男だ。隊長は、かつて知り合ったアメリカ海兵隊員を連想した。
「手ぶらだ……投降でしょうか?」
 部下の一人が首をかしげる。
「わからん。あれだけの大事をやらかして投降というのも解せんな。気を抜くなよ?」
 隊長は部下たちに気合いをいれ、拡声機を大男に向けた。
「警察だ! 投降を望むか?」
 大男は答えない。ゆっくり歩いているように見えるがよほど大股らしく、たちまち正門の手前までやってきた。
「よーう!」
 大男は片手をあげて挨拶する。
「原発ジャック犯だな?投降を決めてくれて感謝する。我々は無意味な流血を望まない。直ちに投降してくれるなら……」
「アーッハッハッハ! ぐははははーっ!」
 突然の笑声に、隊長は呆然とする。
 大男は腹を抱え、身をよじって爆笑していた。
「い、いったいどうした?」
「どうしたって、そりゃおめェ……おめェらがあんまりバカだから笑ってんだよ!
 投降するだと?
 そんなことひとことも言ってねーっつうの、ボケッ!アーヒャヒャ!」
「では、何のつもりだ!」
 隊長はバッと片手で大男を指し示す。
 後列の隊員二十人が、89式小銃の銃口を上げて大男に向ける。銃と男の間には正門があるだけ、距離わずか五メートル。警官たちが引き金を引けば数百の弾丸が男へと殺到するだろう。
 しかし二十ならんだ銃口を前にしても大男の態度はまるでかわらない。
「なんのつもりかって? ……こういうつもりだよ! ウォォォッッ!」
 大男は叫んだ。全身の筋肉が膨れ上がる。数十本という血管が浮き上がり破裂する。噴出して真っ黒い液体が体を包む。頭を、顔を、肩を、腕を覆ってゆく。
 一瞬にして、男の上半身はすべて黒光りする物質で覆われていた。顔は鉄仮面のようで、目の部分にだけスリットが入っている。
 異形と化した男は、跳躍した。二メートルの巨大が羽毛のように軽々と宙を舞った。正門を飛び越えてSATの真っただ中に男が着地。
 殺戮を振りまいた。
 すべては一瞬のうちに行われた。
 まず最初のコンマ一秒。大男は丸太のような腕を時速二百キロで突きだした。筋肉の杭と化した腕は強化プラスチックの盾を紙切れのように貫徹、勢いをまっ たく現ずることなく警察官の顔面に突き刺さりヘルメットごと脳髄と頭蓋を粉砕、生卵のように砕け散った頭部が薄紅色の粥を撒き散らす。
 次のコンマ一秒。太い足を振り上げて回し蹴りを放った。軍用ブーツに包まれた脚が地上一メートルの空間を時速千キロでなぎ払い、線上に存在するすべての ものをプリンか何かのように潰して弾き飛ばした。警察官の持つ盾が破砕され破片がキラキラと飛び散り、膝が脇腹に打ちこまれそのまま内臓を潰しながら身体 にめりこんで脊椎をへし折って肉を裂いて反対側から飛びだす。
 つまりキックが人体を腹の辺りで真っ二つにした。
 次のコンマ一秒。
 ここまで警察官たちはまったくの無表情だった。あまりに出来事のスピードが速すぎて「何が起こったのか」もわからなかった。しかし破砕された人体がしぶきとなって警察官たちの顔面にふりそそぎ、このときやっと彼らは「仲間が一瞬で殺された」と知った。
 顔面を恐怖にこわばらせて、いっせいに銃の引き金を引いた。
 ズガガガガガガッ!
 89式小銃の発射音は爆竹を強烈にしたような音だ。
 二十の銃口がいっせいに鉛弾を吐き出す。大男の上半身が無数の弾丸に包まれる。89式小銃は特殊なスチル弾芯を使用することで貫通力を増している。防弾チョッキも役に立たないはずだ。
 一秒、二秒たった。警察官たちが引き金を緩める。
 彼らは見た。
 二メートルの巨体、顔面や肩に銃弾の突き刺さった男の姿。
 突き刺さっていただけだった。大男がニヤリと笑って頭を振ると、頬にめりこんでいた銃弾が落ちる。背筋を伸ばし、腰をひねり、胸板をパンパンと叩くと、すべての銃弾が大地に落ちた。体から一滴の血も流していない。ボロ切れと化した服が落ちているだけだ。
「マッサージうまいじゃん、お前ら」
「……!」
 隊員たちは唖然とする。
 ゼロ距離からライフル弾を数百発撃ちこんで、蚊が刺したほどにも感じていない!
「なんだ? こんなもんなのかよ? ガッカリしたなあオイ。もっとスゲーのはないのかよ?」
 黒い装甲で覆われた顔を撫でまわし、こともなげに言う大男。
 隊員の一人が小銃を取り落とす。うめく。
「化け物だ……」
 その一言が恐慌の引き金だった。
「ヒ、ヒィィィィ!」
「うわァァッッ」
 銃を投げ出し、SATはいっせいに逃げ出す。
「ま、待て!」
 隊長が叫ぶ。
「にがさねえよっ!」
 大男も叫んだ。そして駆ける。動きの素早さも超人だった。すぐに追いつき、キックで胴体を両断し、あ頭を握りつぶし、蹴り倒して胸板を踏み抜いた。殺戮、また殺戮。
 たった数秒で、二十名が皆殺しにされた。
 殺し終わったあと、大男はすぐそばにある大型ヘリコプターに走る。
 二つのローターを持つ、路線バスより巨大なものだ。
「オラッ! オラッ! オラッ!」
 蛮声を張り上げ、素手でヘリを破壊した。キックで壁を破り、そこから腕を突っこんで外板を引きはがし、ローターを拳の一撃でへし折る。
 数十トンもある大型ヘリがスクラップとなって転がるのに、わずか三十秒。
「ふう。いい運動だぜ」
 破壊を終えると、大男はたったひとり生き残った隊長に手を振る。
「よお。勇気あるじゃん、あんた? まだ逃げてねえんだ」
 隊長は男の発する圧力にまけじと胸を張って、
「……リーダーだからな」
「で、お前一人で何ができる?」
 隊長はあたりを見まわす。
 国道には死体が散らばっていた。全員、頭や胸などを大きく欠損している。真夏の日差しに照らされたアスファルトの上に、ペースト上の血肉がひろがってじりじりと熱されていた。
 もちろん隊長は、ここまでの修羅場を経験した事などない。戦場ですらなく人間屠殺場である。
「『生き物としての格が違う』って感じだろう? だからオレは素手で闘ったんだよ」
 白い歯をむきだしてニカッと笑う。
「……なめやがって」
 しかし隊長は、大男の狙いが正しかった事を認めざるを得ない。拳銃一丁ナイフ一本使わず、素手で殺戮を繰り広げたからこそ絶対的な恐怖をおぼえたのだ。
「というわけで、お前たちはオレたちに勝てない。何人来ても無駄。思い知ったろ? 日本中がビビりまくったね」
 しかし隊長は大男の顔から目をそらさず、精一杯の虚勢を張った。
「勝ち誇ってられる野も今のうちだ。自衛隊や米軍がきたら、お前らだって……」
「ハン! 話にならないね。原発を攻撃する度胸なんてあるわけねぇ」
「いや、必ずやってくれる……」
「威勢いいけどさ、あんた。これから自分がどうなるかわかってんの?」
 相変わらずの笑顔で言われて、隊長は背筋が凍りつくのを感じた。
 震える手を腰のホルスターに伸ばす。
(勝てないのはわかってる。だが、せめて一矢報いたい)
「無駄だっての、拳銃なんて。さーて、どうやって殺してもらいたい? こいつらみたいに一撃じゃつまんないよなあ? 指を一本ずつもいでくってのはどうよ? それでも泣き出さずにいられたら褒めてやるよ?」
 両手を合わせてポキンポキンと指を鳴らす。 
 そのとき電子音が鳴り響く。
 大男の腰の辺りから響いている。
 大男は腰の後ろに吊り下げていた携帯無線機を取り、なにやら会話をはじめる。外国語なのでまったく内容が分からない。大男は次第に苦々しい表情になってくる。
「……ちっ。命拾いしたな、あんた。『これ以上殺さなくていい』ってよ」
 大男はくるりと後ろをむいて、わざとらしく屍を踏みつけにしながら去っていった。正門を飛び越えて発電所内に消える。
 男の姿が見えなくなって、隊長はその場にくずおれた。
「……うう……」
 涙交じりの嗚咽を漏らす。
「動けなかった……」
 そうだ、彼は動けなかったのだ。
 逃げなかったのは度胸があるのではなかった。体が硬直していたのだ。
 あたりにちらばる骸のひとつを抱えあげる。
 ヘルメットにボディアーマーの黒ずくめ、顔は若々しい。
 まだ二十五歳になったばかりの若手隊員だった。子供が生まれたばかりだと語る彼の楽しそうな顔を、隊長は思い返した。
「……なにも……なにもできなかった……俺は何も……」
 にらみ返して虚勢を張った、相手が見逃してくれたから死なずにすんだ、それがなんだというのだ。
 自分の無力を、深く呪った。
 
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