泣き虫兵器ベルタ (全面改訂版)

  分割10

 10

 倒れたアントンに近寄った。
 有機脳の演算リソースを聴覚に優先配分。心音と呼吸音を聴取。
 心音なし。呼吸音なし。
 死んでいる。
 すでにベルタの右腕は炙られたプラスチック片のように萎縮している。残された左手を握り締めた。くちびるを引き結んで、アントンの無残な死体を見下ろす。
 あれほど強大に見えたアントンだが、死体になってみるとまったく力強さを感じない。大きさすら半分に縮んでみえた。
 重苦しい罪悪感がわきおこってくる。
 メッシュジャケットを脱いで、かぶせてやる。小さすぎて尻と背中を覆う事しかできなかった。
 しゃがみこんで、アントンの腰のベルトから無線機を取る。
「……ドーラですか? わたしです。アントンとカエサルを倒しました。降伏しなさい」
 
 11

 管理棟の廊下をベルタは走っていた。
 背中でリュックが揺れている。
 あのあと、転がっていた武器を回収できるだけ回収した。アントンのM2ブローニングは弾切れでカール・グスタフはひん曲がってもう撃てそうになかったが、89式小銃はなんとか使えそうなので肩に下げている。
 耳にあてた通信機からはドーラの声がきこえてくる。
「あなたこそ降伏なさい、ベルタねえさま。わたくしに手も足も出なかったことをもうお忘れですの」
 しかしドーラの嘲笑するような口調をベルタは笑い飛ばす。
「でもあなたの兄弟たちを私は倒しましたよ? たったひとりで何ができるんです? いますぐ降伏してください。いま降伏すれば死刑にはならない可能性が……」
「はっ! ふざけるのもいい加減にしてください。いまさら善人ぶるのですか。死など恐れません。わたくしはフェルトヘルンハレの兵器ですから。最高傑作です」
 まったくためらいのないドーラの言葉に、ベルタは舌打ちする。
(交渉の余地はないんですね)
 やがて、中央制御室のある階にたどりついた。
 廊下に職員が倒れている。頚動脈を切断され絶命している。
 手を合わせて、脇を通り過ぎた。
 中央制御室。そうプレートのかけられた部屋を見つけた。
 十メートルばかり離れて立ち止まる。室内の状況を知りたくて、耳をすました。
 壁を通してドーラの心臓の鼓動音が聞こえてくる。足音も聞こえてくる。足音の位置が室内を移動している。同じ場所をぐるぐる回っているのだ。
 間違いない、ドーラは不安を感じている。
 通信機で、再びよびかけた。
「あなた、わたしが恐いんでしょう?」
「なっ……」
 驚愕と怒りの声が聞こえてくる。
 同時に中央制御室のドアが爆発した。いや内側から銃撃で吹き飛ばされたのだ。ベルタはとっさに跳躍して銃弾の列を避ける。一瞬前までベルタの存在していた空間を多数の銃弾がなぎ払ってゆく。
 足を天井に突き刺してぶら下がる。
 89式小銃を管制室に向けようとして、やめた。中の機械を壊してしまったら原発をとめられない。
 ドーラの判断力はどの程度か? 冷静な判断力があるか?
 きっとあるはずだ、自分で最優秀だと自称するなら。
 そう思ったベルタは、背中のリュックから金属の塊を取り出す。
 鉛色で、金属で作られ、タプンと水音を立てる。
 燃料タンクだ。アントンを倒した後、ベルタは駐車場に行って適当な自動車から燃料タンクを引きはがして持ってきたのだ。
 燃料キャップを開けて、「ハッ」と超音波を照射する。とたんに燃料コックからガソリンが噴出する。タンクをドアの向こうに投げ込んだ。
 とたんに銃声がやむ。
 撃ったらガソリンに引火して爆発するからだ。
 ベルタ、天井から飛び降り、勢いよく室内に駆けこむ。
 そのとたん軍服姿のドーラが飛び掛ってくる。
 心臓を串刺しにしようとナイフを突き出してくる。
 ベルタは軽々と跳躍した。足の下でナイフが銀光を放って空を切る。突き出したドーラの腕の上に着地し、そこを踏み台にして背後に飛び降りる。
「なっ!?」
 まさか避けられるとは思っていなかったのだろう、ドーラは驚愕の声を上げて振り向く。
 ベルタが反撃に転じた。89式小銃を棍棒代わりにして殴りかかる。ドーラは横に飛びのいて避けた。室内に並ぶ椅子の上に飛び乗った。ベルタは跳躍して追 いかけてくる。縦に、横に、斜めに振り下ろす。 ドーラはそのたびに跳躍してかわす。二人は影となって室内を飛び回った。
 ドーラはキックで反撃を試みた。 
 しかし中段の蹴りが銃で叩き落とされる。衝撃で銃がひん曲がったが、痛みでドーラの動きが一瞬だけ止まった。
「くっ」
 そのときはもう遅かった。ベルタはドーラの長い金髪を左手でつかみ、逃げられないようにして「ギャラルホルン」を叩き込む。
「ハッ!」 
 至近距離で超音波のシャワーを浴び、ドーラは痙攣する。眼が血走って服が破ける。胸元がはじけて、量感たっぷりの乳房と乳房を包む白い質素なブラジャーがあらわになる。
 大出力の超音波を浴びた場合、人間なら血管の中に無数の泡が出来て即死する。外傷がまったくないのに死ぬのだ。強靭なドーラの肉体はなんとか耐えたようだ。しかし口の端から白い泡が漏れている。管制室の壁にもたれかかったまま動けないようだ。
「……なぜですの……この強さ……きのうとはまるで違う……」
 端正なドーラの顔が驚愕で歪んでいた。
 ベルタはドーラの視線を受け止めたままひるむことなく答える。
「なぜでしょうね?
 でも、力がわいてくるんです。
 わたしをおもってくれた、信じてくれた人がいるから。
 わたしには闘う理由がある。
 いままででいちばん、そう思ってます」
 そのとたん、ドーラの眼に嘲りの光が走った。
「ほざきなさい!」
 ドーラは叫ぶ。黄金の髪が燐光に覆われる、つかんだベルタの手の中で暴れだす。触手のように伸びて襲いかかってくる。
 ベルタはとっさに手で髪の毛を払う。だが全部をさばききることができない。防げなかった数本が両目に入る。眼球の後ろに回りこんできた。バチンと視界を閃光が包む。そして暗黒。
『損傷報告。視神経に重欠損。視力ゼロ』
 数百本単位の束が口と鼻から進入してくる。口の中をモゾモゾと髪の束がうごめき、舌をグルグル巻きに縛り上げる。喉の奥に侵入してくる。吐き気に身をよじった。次の瞬間、吐き気は激痛によってかき消された。喉が切り裂かれる。強引に声帯が髪の束によって押し開けられる。
『損傷報告。ギャラルホルン使用不能』
「ガハァッ」
 ベルタは声を出そうとする。だが出たのはそんな声だけだ。
 さらに一本が袖口から入ってくる。また一本がシャツと肌の間から進入しパンツの中に入りこんでくる。
 体中の穴という穴を髪の毛が侵略していた。内側から肉体を破壊されていた。いまや痙攣するのはベルタのほうだった。全身の筋肉から力が抜ける。その場に 膝をつく。股間からなにか温かいものが流れ出してパンツを汚してゆく。太ももをつたっていく。失禁したのか、それとも出血か。おそらく両方だろう。
 暗闇の中でもがくベルタに、ドーラの声が叩きつけられる。
「……これがわたくしの特殊兵装、『格闘支援兵装ヨルムンガンド』ですわ。ねえさま、強くなったと思っていましたが……その甘さ、相変わらずですね。さっさと止めをさせていれば勝てたものを」
 くすくす、と笑う声が続いた。
 ドーラが椅子につかまって身を起こす音がした。
 目玉に侵入した髪の毛がますます奥へ進んでくる。
 脳をやる気だ。
 やられてなるものか。
 暗闇の中で闘志を奮い起こし、ベルタは全身をさいなむ激痛をこらえて歯を食いしばる。手を顔のあたりに持ってくる。髪の毛の束を引っ張って抜く。髪の毛 の力はそれほど強くなかった。股間や口に入った髪の毛も抜くことができた。しかし抜いても抜いても手の中で暴れまわり、また口や目に入りこもうとする。
 もがいた。椅子につかまって立ち上がった。
「やりますわね。でも……その有様でどう闘う気ですの?」
 そのとおりだ。いまの自分は視力すら失っている。ギャラルホルンももう撃てない。
 しかし……
 ベルタは突進した。
(髪の毛の力が弱いことはわかった。わたしを傷つけることはできても止めることはできない!)
 たちまち空気を裂いて四方八方から髪の毛が襲い来る。手足を髪の毛が縛る。もがいてちぎる。目玉にまだ突き立つ。知ったことか。無視する。脚を進める。突進。ただ突進。耳にも入りこんでくる。鼓膜に激痛が走る。破られた。だがどうでもいい。音は皮膚でわかる。 
 今ドーラがどこにいるか、それはまさにドーラの髪が教えてくれる。目も耳もいらない。
 綱引きのように髪を引っ張った。同時に突進する。立ちふさがる全てを踏み砕いた。
 何かが体に当たった。そのままタックルで押し倒す。机の上に押し倒す。
 相手の髪の毛をつかんでいる。身動きを止めている。その状態で上にのしかかってパンチを叩きこんだ。腹に、顔に、大きく膨らんだ乳房に当たった。相手も腕を伸ばして抵抗してくる。ベルタの顔にドーラの指が食いこんだ。はらいのける。ナイフで腹を刺された。気にしない。
 ベルタは至近距離からドーラに肘打ちを叩きこんだ。ちょうど顎の骨に当たった感触。ドーラは動かなくなった。
 
 12

 ベルタの目につき刺さってうごめいていた髪が、そのとたん動きをとめる。片手でつかんで一気に引き抜いた。ドーラの体が急にやわらかくなる。手を伸ばしてドーラの顔面を撫でさする。反応がない。呼吸はしているが、どうやら気絶したようだ。
 立ち上がる。自分の顔を撫でた。指に血がまとわりついてくる。眼から下がすべて血涙に覆われているようだ。
(なんとか勝った……)
 ほっと一息。すぐに自分の頬をたたいて気合を入れる。
(まだやることはたくさんある。武装解除、原発を止める)
 ドーラの体の上にしゃがみこんだ。ナイフを腹から抜いて、髪の毛をつかんで切り落とす。完全に武装解除しなければだめだ。
 と、そのとき、ビリビリと床が震えた。
 鼓膜は破れて聴力が低下している。だが今のは確かに『大きな音』がしたのだ。
(あの音は何!?)
 ドーラの首根っこをつかんで揺さぶった。焦りのにじんだ声を叩きつけた。
「おきてください! 起きなさい! あの音は何?」
「くすくす…くすくす……」
 ドーラが眼を覚ましたらしい。闇の中から笑い声が響いてくる。鈴が転がるような可憐な声だけに、嘲笑が際立つ。
「どういうことです! いいなさい」
「くすくす……いわなくてもわかるでしょう、ベルタ姉さん。あれは原子炉の配管が破裂する音ですよ。方角からして一号炉かしらね」
「なっ……」
「ばかなベルタ姉さん。わたくしを倒したくらいでいい気になって。とっくの昔にわたくしたちは原子炉を暴走させていたんですのよ」
「止める方法を教えなさい!」
 そう叫びながらベルタは四方を見回す。もちろん見えるのは闇だけ。あたりのキーボードやスイッチで原子炉の状態を制御できるはずだが、眼の見えないベルタはどうすることもできない。
「い・や・で・す・わ。誰が教えるもんですか。拷問したって無駄ですわよ。こうなった以上、みんなを道連れに死ぬつもりです。ああ。わくわくします。人間たちが放射線まみれになってひとりまたひとりと血ヘドを吐いて。くすくすっ」
 ドーラの声は高揚感に満ちていた。潤んだ瞳を宙に向ける姿が脳裏に浮かぶほどだった。
「というわけで、せいぜい絶望なさい!」
 戦慄にふるえるベルタ。ここには五基もの原子炉がある。自分一人ではすべてを止めることなどできない!

 13

 メルトダウンを何が何でも止めるつもりだった。
 まず無線機を手さぐりで操り、外に訴えた。
『こちらベルタ、すでに原子炉は暴走! 私が止めます、専門的な助言者をそろえてください!』
 そして管理棟の外に出た。道を覚えていたとはいえ、手さぐりと音に頼っての移動はひどくまどろっこしかった。行きの二倍の時間をかけて外に出た。
 すると入り口の前に人の気配があった。鼓動音と呼吸音、服の衣ずれ、銃器の接触する音。十人以上いる。
 自衛隊たちだ。
「どうしたんですか、みなさん! 逃げてくれって言ったじゃないですか」
 ベルタは非難の言葉を投げつける。即座に怒りの声が返ってきた。
「冗談じゃない! あんただけ戦わせて逃げるなんてできねえよ!」
「あんた、ひどい格好じゃないか」
 ハンカチがベルタの顔に当てられた。誰かが顔の血をぬぐってくれている。
「よ、よけいなことはしないでください」
「あんた、もしかして眼が見えないのか?」
「はい、不覚をとりました。でもメルトダウンはわたしが止めます」
 誰かにがっしと両肩をつかまれた。息がかかるほどの距離で声が叩きつけられた。
「……悲しいこといわねえでくれよ……俺たちにも手伝わせてくれよ」
「しかし、原子炉の中は放射線が……」
「わかってる、わかってるよ。死んだっていいんだよ。……俺はあのデカブツが攻めてきたとき、部下を殺されても何もできず震えてるだけだったんだよ……腰抜けだったんだよ……腰抜けのままじゃいたくねえんだよ」
 ベルタはようやく、この男が誰なのか気づいた。警察部隊を率いていた隊長だ。
「せめて放射線防護服が来てから」
「そんなの待ってる暇はないんだよ、原子炉は五基もあるし数が足りないんだよ。わかってるだろ?」
 ベルタ、沈黙した。
「……わかりました。ではみなさん、わたしの血を吸ってください」
 ナイフを抜いて両方の手首を切る。血が流れ出す。手首をそろえて突き出した。
「ど、どういうことだよ?」
「わたしの血を吸い、肉を食らえば、肉体が変異して強い生命力が得られます。放射線を防ぐことはできませんが、死ぬまでの時間を伸ばすことはできるでしょう」
 言ったとたん、両の手首に歯の立てられる感触。
(一瞬の躊躇もなく、わたしの血をすってくれる)
(化け物って言われた、このわたしを)
 ベルタの心に不思議な感慨がひろがった。いまこの場にいるものたちは、間違いなく一体の存在、仲間だった。
 広がった感慨は静かな喜びになった。いまや心に焦りはない。かならずできる、という安心感がある。
「やりますよ、みんな!」
「ああ!」

 14

 ベルタは扉を開けた。蒸気渦巻く場所に踏みこんだ。
 プシュウ、プシュウと蒸気の噴く音がする。何十箇所から聞こえてくる。
 たちまち熱風が全身を包む。皮膚と髪が二百度を超える熱さにあぶられる。 
 頭の中で戦術支援電子脳が冷たい声で警告する。
『警告。体表温度210 筋温度40 ただちの冷却を要す』
 超高温の蒸気を浴びて、上半身のブラジャーが、下半身のレザーパンツが燃えあがる。すぐに脱ぎ捨てた。
『警告。対応限界を大幅に上回る放射線被爆。』
 いまのベルタに視力はない。聴力で「プシュ!」の反響を捕らえる。頭の中に立体図を描き出す。今いる部屋は幅十メートル高さ三十メートルの箱型。真中に巨大な金属の塊。
 べルタは足場から飛び降りた。圧力容器の直径は六メートル高さ二十五メートル。白い蒸気の渦の中に体を躍らせ、圧力容器の一番下まで落下。
 体をかがめて圧力容器の下にもぐりこむ。容器の底は身長の五倍はあろうかという金属の曲面で、黒い金属の棒が何本も生えていた。制御棒の駆動装置だ。細い手で黒い棒をつかんだ。
 筋出力最大。『汎用型エインへリヤル』であるべルタは握力八百五十キロ、背筋力七千二百キロ。ありったけの力で黒い棒を握りしめて引きちぎり、へし折った。
 すべての油圧装置を排除した。あとには、一回り細い棒が残った。圧力容器の底に生える二十四本の棒。これが制御棒だ。この棒をのこらず炉心に突っ込めば反応は止まる。
『警告。筋温度、血液温度上昇。四十五度突破。ただちに退避せよ』
 脳の中で響く声を無視して、制御棒の一本を握る。
 ジュウウ!
 制御棒は炉心の熱をモロに吸収し、赤熱していた。ベルタの掌が焦げる。
(この程度、なんだ!)
 痛みをこらえて押し込んだ。動かない。
(熱で変形してる。溶けて、容器に貼りついている!)
 容器の底面にしがみつき、全力で押しこんだ。なんとか入った。一番奥まで入れる。一本、また一本。
 だが、三本目を挿入したところで爆音が轟く。圧力容器の上部で爆発が起こった。いままでの数倍する熱気が押し寄せてきた。皮膚という皮膚が焼けただれた。
『警告。筋温度、血液温度上昇。五十度』
『警告。放射線による代謝障害が活動限界を突破』
『警告』『警告』
 頭の中に連続して何十もの警報が鳴り響く。その全てを無視して、掌の触覚だけに意識を集中して、制御棒を押し込み続けた。五本、十本。もう意識も朦朧としている。最後の一本、どうしても動かない。筋肉繊維が過熱して力を発揮できなくなっているのだ。
『ベルタさん』
 倉本祐樹の声が脳裏に響く。
『もう、ベルタさんは頑張ったじゃないか。もういいよ、もう休んでいいよ』
 柔らかく優しい声。だがその言葉をきいてベルタの胸の中で焔が燃え上がった。
(だめです。もうひとがんばり。だって、約束したから)
『もういいじゃないか。死ぬほど頑張ってるのに』
(だめ。……いまわたしは、やっと、ひとりじゃないって思ってるから。ずっとずっと求めてきたものがここにあるから。だから……)
 すでにベルタの筋肉と血液は凝固温度に達していた。動けるはずがなかった。だが奇跡がおこった。一度だけ動き、最後の制御棒を炉心深くに叩きこんだ。
 すでに五感はきかなくなっている。結果がどうなったのかは分からない。
 全身から力が抜ける。意識が遠のいていった。
 
 エピローグ

 脳髄に衝撃が走った。
 目蓋を通してうっすらと光が見える。
「心拍数、上昇中」
「体温三十五度七分、上昇中」
「脳波、脳電位、正常値内」
「眼球運動停止。覚醒します」
 男たちの声が聞こえる。
 重い目蓋をゆっくりと開けた。
 白い天井と、眩しいライトが見える。
 白衣にマスクの男たちが自分を見下ろしていた。
「おお、成功だ」
 男たちは目を見張る。
 どうやら自分はどこかに寝ているらしい。裸の背中と尻がシーツに当たっている感触。手や足の指を動かしてみる。どうやら手足はすべてそろっているらしい。
 聴覚が、男たちの心音をとらえ、心音の反響をとらえて部屋の広さを教えてくれる。
 大きな部屋だ。たくさんの機械が置かれているようだ。どこからか電子音がピッピッと規則正しく聞こえてくる。
「自分が誰だかわかるかね?」
 男たちの問い。ベルタは考えてみる。
(じぶん? 誰だろう……この人たちは誰で、自分は誰で、なぜここにいるんだろう……)
 なにも分からなかった。頭の中にもやがかかったようだ。
「ベルタさん!」
 声がした。白衣の男たちを押しのけて、初老の男が顔を出した。この男だけ白衣を着ていない。白衣姿の男たちより頭一つ小さい体をスーツに包んでいる。頭には白髪が混じっている。
(この人は誰だろう……)
(どこかで会ったような……)
 小柄な男はベルタの顔に手を伸ばしてきた。白い手袋に覆われた手。手から歯車やワイヤーの動作音が聞こえてくる。機械式の義手をつけているようだ。
(義手……?)
 頭の中に疑問符が生まれた。義手、指に負傷。連想がつながり、少年の顔が脳裏に蘇った。自分がどこの誰なのか、原子炉内で死んだことまですべて思い出す。
「ゆ、祐樹さん……!」
 驚きの声をあげる。体を起こす。胸や腕につながれていたコードやチューブが引きちぎれる。ベッドの上に起き上がって飛び降りる。途中で激しい貧血に襲われた。ツーンと耳の奥で金属音がする。上下の感覚がなくなる。膝から力が抜けてベッドから落ちる。
「あぶない!」
 とっさに祐樹が腕を伸ばし、受け止める。ベルタの体は横抱きにされた。女一人とはいえ、両腕で持ち上げるのはかなりの筋力が必要だ。体を鍛えたらしい。
「ダメだよベルタさん、まだ起きちゃ。三十年以上、仮死状態だったんだから」
 祐樹の腕に抱かれ、間近で顔を見る。少年だった彼はいまや五十歳ほどの年齢になっていた。だが確かに面影が残っている。よく見れば鼻の形が変わっていない。なによりつぶらな瞳が、別れたあのときと同じだ。祈るような感情をたたえて光っている。
「三十年……どういうことですか。わたしは死んで……原子炉の中で……」
 ハッと息を呑む。
「原発は! どうなったんですか! 止められたんですか!?」
 祐樹は苦笑する。笑い顔は少年のころとなにも変わらなかった。
「さすがだね。真っ先にそっちを心配する。大丈夫だよ。原子炉は止まった。そのかわり自衛隊の人たちはみんな死んでしまったけど。事件のあと、フェルトヘ ルンハレは米軍の徹底攻撃を受けて潰された。原発のそばに記念館が作られて、みんなの死を悼んで、ベルタさんもそこに飾られた。ベルタさんはね、原子炉を 止めたあと、仮死状態になったんだ。生きていけないくらいの放射能を浴びたから、それに適応するため体の状態が変化したんだ。真珠の像みたいになって、 とっても綺麗だった」
 かたわらの白衣男が口をはさむ。
「倉本さんは、毎週のように記念館に来て、ベルタさんを日が暮れるまで見てたんですよ」
「はずかしいな、バラさないでください……とにかく、何十年かたって、やっとベルタさんを再生できる技術が確立した」
「費用を出してくれたのも、こちらの方です。記念館もすっかり忘れ去れましたから、そのままだと捨てられていたかも」
 祐樹は恥ずかしそうにはにかんだ。
「いや……なんていうか、もう一度会いたかったんです。それに、ベルタさんはぼくを助けてくれたから。一度だけじゃなくて、何度も何度も。あのあとぼくは 漫画家になって、へこたれそうなとき、いつもベルタさんのところに来た。ベルタさんの顔を見て、自然に涙があふれて、最初の約束を思い出して帰ってゆく。 そんなことが何度も、何十回もあった。だからぼくはここまで来れた」
 そこで祐樹は深呼吸をして背筋を伸ばし、ベルタの瞳を見つめ、恐ろしく真剣な顔になる。ずっと前から練習していたように、よどみなく一息に言う。
「ベルタさん、ぼくと一緒に暮らしてくれませんか。もう、ベルタさんを追い回す人なんていません。一緒に住んで、やりたかったことをしましょう。一緒に甘 いものを食べよう。マンガの話をしましょう。あの一週間のように、残りの人生をずっと二人で、ベルタさんのことをずっと、ぼくは」
 言っているうちに、彼の瞳が震えて、しわのある頬を涙が伝う。
「……だめかな」
 ベルタは一瞬だけ目を白黒させる。笑顔を作る。
「あいかわらず、泣き虫ですね」
「だ、だめですか」
 急に弱気な声になる祐樹。目はベルタを見つめたままだが、頬が震えている。拒絶を恐れる心がありありと伝わってくる。
 ベルタは笑顔を作った。横抱きの状態から腕を伸ばし、祐樹の肩をぎゅっとつかんだ。
「オーケーに決まってますよ!」
 
  おわり
  
 
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