だめてん 第4話 1 「な、なんて数だ……セーター一枚に……ああもう」 慎一はぶつくさ言いながら、人ごみの中を飛んでいた。両手に手提げ袋を持っているから、袋を人にぶつけないよう注意している。なかなか難しかった。 とにかく上下左右に人! 人! 人! 天使の翼をつけているものも、つけてない一般天界人もいる。 全員が全員、もみくちゃになって叫んでいる。 「俺にも! 俺にも!」「私が先だ!」「あたしよ! 横入りすんな!」 ここは天界の超大型デパート「てんたま屋」。 天界ニホン州では3大デパートのひとつといわれる。 8階、婦人服売り場。 人ごみが何層にも連なっている先にチラリチラリと「春の大安売り セーター6割引き」の立て札が見える。 なんとか回りこんでいけないもんだろうか。 慎一は少し距離を置いてみた。 20メートル離れると、空中に人間のカタマリがあることが分かる。 セール商品を入れたワゴンが空中にあって、そのワゴンを中心に客がたかっているのだ。 客の一人が、ねずみ色の何かを持ってカタマリから離脱した。見事、つかみ取りに成功したのだ。 ところがその客はもっと大柄な別の男からタックルを受け、もっているセーターを手放してしまった。男の手を離れたとたんセーターはタックルをしかけてき た男の手におさまる。 「うーん、弱肉強食」 カタマリの周囲をめぐってみた。 上。 天井につっかえるくらいまで人がぎっしり。満員電車状態。 下。 ごつっ! 頭を思い切り蹴り飛ばされた。 「ちょっと!」 抗議の叫びを上げたが誰も聞いてない。 そもそも頭上に何百の靴があって猛烈に上下している。どれが自分の頭を蹴ったのかわからない。 「まいったなあ……」 右も左も同じ結果だった。 強行突破ではなく、地道に並んで順番を待つのがいいのか? 自分以外は誰もちゃんと並んでないのに? どうも納得がいかない。 しかも……そもそも地道に待って買えるのか? いま人のカタマリから脱出してきた天界人の若い女性に声をかけてみた。 「すいません!」 「なによ?」 「それセーターですよね? つまり今はまだあるってことですよね? あとどのくらいでなくなるんですか?」 「さあねえ……もう2割くらいしか残ってないように見えたわ」 「参ったなあ。それじゃたぶん間に合わないよ」 慎一、手首の時計を見る。 15:49 そしてワイシャツの胸ポケットから出したメモを見る。 買い物内容がぎっしり書いてある。 野菜や魚から始まって、洋服、文房具に洗剤、天界アイテムまである。もちろん打っているところはそれぞれ違う。 2時間ですべての買い物を済まして帰らなければいけない。それなのに1時間半たった今、まだリストの半分ほどしか消化されていない。 無理だ。 ミレイに謝ろう。 だいたい、「買い物いってきてくれ。難易度が高いところを選んだ。時間制限もつけておこう。これも立派な修行だ」とかいうミレイの言葉を真に受けるのが いけないんだ。 電話、電話をさがして…… と、そのとき。 「シンシチさん! シンイチさんじゃないですか!」 どこかで聞いたような声。 声のした方向に振り向くと、そこには背広姿の若者が。 ほっそりした体。金髪の巻き毛。彫りの深い整った顔立ち。 「……ミヒャエル」 慎一の口からその名前が出た。 そう、研修所で会ったミヒャエルエルことミヒャエルに間違いなかった。 「やっぱりシンイチさんだ」 ミヒャエルは整った顔にさわやかな微笑を浮かべ、慎一が両手に下げた袋を見て、 「買い物ですか」 「そうなんです。ちょっとお使いを頼まれて……ここのバーゲンでも買わないといけないんだけど無理っぽい」 「え? 簡単ですよこのくらいの混雑なら。何をとってくればいいんですか?」 「サイズMのセーターを2着」 「わかりました」 ミヒャエルは即座に床を蹴って、空中でもみ合う客たちに飛びこんだ。 たった2、3秒後に出てきた。 彼の手にはセーターが2着しっかり握られていた。 なんと彼の着ている背広には靴の跡がひとつもない。まったくふまれずにあの中を突破したのだ。 「はい、これ」 「すごい!」 「べつにすごくありません。生体エーテル波を読みとって動きを予測しているだけです」 「生体エーテル波……?」 「研修所で習ったでしょう、霊体理論の基礎」 「うん、天界のあらゆるものはエーテルという霊体でできていて、固有の波を出してるとか」 「そう。感覚を研ぎすませば、人間から出ているエーテル波を感知して、次の動きが読める」 「でも、それって上級天使のワザでしょ?」 「訓練すればできるよ」 ……研修所の成績もそうだったけど、やっぱりただものじゃないなあ、この人。 と思いながら慎一はミヒャエルの顔や体をチラリチラリと見て、驚いた。 頭の上の輪が、白い。研修所でもらったのはピンク色の輪だ。 「その輪……もう昇級したの?」 「ええ。第9階位になりました。そんなに難しくはなかったですよ」 「そ、そうなの……」 頭の中が混乱した。 ……簡単なはずあるか。 「あの……天使としての実績を積まないと試験を受けることもできないんだよね?」 「ああ、でも一ヶ月経ってますから。12くらい仕事をこなしたら上司に推薦してもらえました」 「そ、そうなんだ……」 「顔色が悪いですけど……どうしたんですか? シンイチさんはお仕事どうですか?」 「い、いやあ、あはは。まあ大体なれましたよ。そんなに難しい仕事でもないですよねー。ぼくなんかもガンガン解決してます。ガンガンとね、ははは」 慎一は笑った。自分でもはっきり分かる、無理のある笑い、ひきつったうそ臭い笑い。 実際には一度も、ちゃんと仕事をこなしたことはなかった。 アリスの恋愛がどうしたという初仕事は、結局ミレイの「やっぱりあれはグロ吉の手柄だ」という一言で片づけられた。それから一ヶ月、いろいろ仕事が入っ てきたが、ミレイやグロ吉に手伝ってもらってやっと解決した。自力でできたことは一度もない。 それなのに大ボラを吹いてしまった。 「そうだ、すこしお茶でも飲んでいきませんか。仕事の話とか詳しく聞きたいです」 ミヒャエルは自然な口調でそう訊いてきた。 ……え? いまの嘘に気づかなかったの? 「いや……ぼくは用事あるから。買い物して帰らないと。時間が決まってるんです」 「そうなんですか。残念です。シンイチさんとは友達になれそうだと思ったのに」 「え……ともだち?」 「そうですよ。だってぼくのことを助けてくれたでしょう、研修所で」 そう言って、慎一の眼を真正面から見つめてにっこり笑うミヒャエル。 「……そ、そうかな。ぼく行くよ、ごめん。手伝ってくれてありがと」 慎一は一気に喋った。言葉を叩きつける用意喋った。 そして頭を下げた。きょとんとしているミヒャエルの顔が胸をしめつけた。 意志の力を振りしぼって全速力でその場を去った。両手に下げた紙袋が手に食いこんで痛い。人と人との間をすり抜け、人をよけようとしてマネキンにぶつか る。店員ににらまれ、「すいません!」 ……情けなかった。 何もできない自分が。 天使として出世するどころか、まるっきり半人前の自分が。 同じキャリア1ヶ月のミヒャエルが、早くも1階級上がったというのに! それだけ圧倒的な力を見せながらウヌボレのウの字も見せない、友達だと言ってくれるミヒャエル! それなのに見栄を張って本当のことを言えない自分! ……胸の中にドロドロした暗い気持ちがつまっていた。あのままミヒャエルと一緒にいたらとんでもない暴言を吐いてしまいそうだった。 ……ミレイさんはなんていうだろう。 しかりつけるだろう、いつものように。 ……マユリさんはなんていうだろう。 「元気出してください、じっくりやっていけばいいじゃないですか」ってやさしく言うだろう。 それがわかって、その言葉に甘えてしまう自分が予想できた。 だから嫌だった。 デパートの正面入り口から飛び出し、ますます速度をはやめて街の中を飛んでいく慎一。 ……いつの間にか自分が泣きそうになっていることに気づいた。 2 あのあと、すべての買い物を片づけて事務所に戻ってきた。 時刻はすでに夕刻。 赤い光に照らされた事務所に、戻ってきた。 「ただいま戻りました」 ドアを開けると、巫女服をきっちり着こなした少女が頭を下げて、ニコニコ笑顔で出迎えてくれた 。 「おかえりなさいっ。おそかったですねっ」 「マユリさんか……ミレイさんは?」 「ミレイきょくちょーなら、出かけました。緊急の仕事が入ったんで」 「そうですか……」 「ねっねっと『亀屋』の芋ヨーカンは買ってきてくれたんですか? 買えました?」 「え……あ、はい。これです」 「うわー。いまお茶入れますね! 二人でいただきましょう! ミレイきょくちょーの分は、またあとで買ってくるということで! えへへっ」 思い切り子供っぽく笑うマユリ。 だが、そんな彼女の頭上で光っているのも白い輪。慎一より階級が高い第9階位天使のあかし。彼女が作った報告書を読ませてもらったこともあるが、「喫茶 店がはやらなくて困っている」という不幸をひと月かけて解決、ついでに家族の不和まで片づけた見事な腕前だった。時間は多少かかるが、マユリはちゃんと仕 事をしている。 自分だけだった。何もできないのは。 「すいません、マユリさん?」 「ふぇ?」 マユリ、我慢できなかったのかもう芋ヨーカンを食べ始めていた。 「あう、ごめんなさい今すぐ用意しますね! つい我慢できなくて……くいしんぼうだから……」 「いや、そうじゃないんです。 仕事をさせて欲しいんです。 こういう雑用じゃなくて」 「え……」 慎一の表情を見て真剣さを悟ったのか、ミレイも表情をひきしめた。漆黒の瞳からいつもの『ぽややん』とした雰囲気が消えた。 「立ったままもなんですね、座ってください」 椅子を向かい合わせにして片方に座った。もう片方には慎一が腰を下ろす。 「……仕事なら、ミレイ局長からもらってるじゃないですか」 「ええ。でも、自力ではできてない。ミレイさんとかグロ吉に助けてもらってやっとできてるんです。自分の功績じゃない。成長したと思えない。このピンク色 の輪っかが変わることもない」 慎一、頭の上で浮いている輪をつまむ。 ピンク色の安っぽい光を放つその輪は、最下級の天使「デミエンジェル」に与えられるもの。デミエンジェルとは日本語で「亜天使」「天使もどき」。 早い話が半人前なのだ。 「それが嫌なんですね、シンイチさんは。一発ドカーンとでかいお仕事をやって『ほんとは貴方ってすごい人だったのね、キャーステキー』って言われたいんで すね」 「いや、後半は別に……でも、そろそろ一人で挑みたいんです」 「挑める力量がない、と判断されてるからミレイ局長が監督してるんですよ?」 「でも……ぼくは時間がないんです。5年も10年もかけて、というわけには行かない」 「はいはい。それはわかってますよ。地上にいかなきゃいけない理由があるんでしたよねー?」 「は、はい」 「そんなに固くならないでいいですよー。カッチカッチだと女の子とと喋っても挙動不審でフラれちゃいますよ?」 「お、女の子は関係ありません」 「んー、じゃあそういうことにしておきましょうか。では。シンイチさんは、ミレイさんの判断に逆らってでも独力で頑張りたい! その結果失敗して下界の人 を不幸にしちゃっても、ただの自己満足で迷惑かけちゃっても、それはしょうがないんだ、ってゆうことですねー?」 「いえ、そんなことはいってません」 「言ってるんですよ。それが。天使の力は割とすごいですから。使い方を間違えれば人間の人生なんてメチャクチャです。だから十分な思慮深さとかー、機転と かー、まあいろいろと必要になってくるんです。シンイチさんは、まだまだぜんぜん、ですねー」 「……マユリさんはどうだったんですか? ぼくと同じようなことを思ってなかったですか? 早く一人前になりたい、周りの人においていかれたくない、一気 に逆転する一発が欲しい……そんなふうに思ったことはありませんか?」 「ありますよー、もちろん、ハイ。でもわたしがそう思ってたのは下界にいたころですね。いろいろなお仕事をしてまして。巫女さんとか。旅館とか。お団子屋 さんとか。外国の御曹司をつかまえて……そうですね、わたしの人生がいちばん波瀾万丈だったのは、欧州大戦のとき……」 「その話はまた後で聞きますから」 「ざんねん。しょんぼり……とにかく、わたしの場合は、天国にきてからはのんびりやってます。もう歳もとらないですしね。あせって出世する必要なんて、何 もないです」 「……そうですか、すいません、わかってもらえないなら、それでいいです」 席を立つ慎一。 心の中はドロドロだ。 分かってもらえなかった。 「無限の時間がある、のんびりやればいい」って人に、ぼくの苦しみなんて分かるわけないよ。 仕方ない…… がっくり肩を落とし、ため息をついて、「お茶、入れますね」と流しに向かう。 そのとたん、背後で声が爆発! 「このどあほうー! へたれー!」 「え?」 振り向いた。 確かにそこにはマユリがいた。 竹ボウキを握り締めている。 少し垂れた黒い眼に、おちついた美貌に、静かな怒りが宿っていた。 「あなたは! たかがその程度でひきさがるんですかっ!」 「え……あ……はい? マユリ……さん?」 顔面をバシィとホウキでひっぱたかれた。 竹のフサの部分で鼻や頬をグリグリされる。 「いたっ! いたっ! やめてっ! いたっ」 「あなたは、どうしてもやりたいことがあるんじゃなかったんですか! どんな迷惑をかけても! 誰の心を傷つけても! 突き進みなさい! 怒鳴ってでも、 拝み倒してでも、騙してでも、わたしやミレイさんを動かしなさい! そんな程度の気概もないんですか!」 「え……」 慎一、その場で立ちすくむ。 マユリはホウキを慎一の顔から離す。 小脇に抱えて、慎一の顔をじっと見つめ。 クスリと笑って、 「……って、ミレイさんなら言うでしょうね」 「ちょ、ちょっと! いまのはどう見てもマユリさんの個人的意見だよ!」 「ちがいますよそんなこと。わたしヤマトナデシコですから。男の人を『ヘタレ!』とか『どあほう!』とか、『ふにゃちん!』とか言いませんよ?」 「思いっきり言ってる!」 「気分は和みましたか?」 「え? あ、うん。はい」 「で、結局どうですか? 何が何でも這い上がりたい! そういう意気地は、ありますか?」 「……うん。ある」 「その言葉を聴きたかったんです! ありますよ、慎一さんにピッタリの仕事が!」 「やります! やります! やらせてください!」 「約束しますね? 必ずやると! どんな困難な仕事でも! どんなに忌み嫌われる仕事であっても!」 「はい!」 気分の高まってきた慎一、拳を握りしめてさけぶ! マユリはホウキを放り出し、慎一の手をぎゅっと握った。 「ありがとう! 困ってたんです! ミレイさんが出場を嫌がって!」 「は? 出場?」 「これ、お願いしますね?」 マユリはどこからともなくタスキを出した。慎一の手にぐいぐい押しつける。 タスキには「天界奉仕局 ヒドリ町分局」と書かれている。 「……なにこれ」 「イースター運動会のタスキです! はいこれ今年度のパンフレット。今回の大会には運動会の常識を超えた新趣向が……」 「ちょ、ちょっとまって! ぼくは仕事をほしがってるの! 運動会に出るのは仕事じゃない!」 「なに言ってるんですか! 『どんな仕事でもやる』って言ったでしょ? 嘘ついちゃうのは十戒とか大罪とかに反しますよ? キリスト教的にブッブーです よ?」 「巫女さんのかっこしてる人に十戒とか言われたくないよ!」 「しってます? 天使が白い翼を生やしてるのは聖書とは関係なくてギリシャ神話が元ネタなんです。だから巫女さんの天使がいてもいいんです。同じ多神教で すから」 「おかしい! その理屈絶対おかしい!」 「じゃあこうしましょう。この白衣の白いのは純潔の象徴です。キリスト教にぴったり。それで袴の朱色は、えーと、血です血。キリストの」 「神社と教会両方に怒られるよ!」 3 「おっかしいなあ……」 でかいスタジアムの真ん中に立って、慎一は首をひねっていた。 なにかが悪い夢のようだ…… 次の瞬間、「はっ、夢だったのか」とかベッドの上で眼を覚ましたらどんなにいいだろう。 しかし事実なのだ。 朝早くたたき起こされ、スニーカー履きで体操着という姿に着替えさせられ、タスキまでかけられて、こうしてスタジアムに立っている。 ヒドリ町分局の代表として。 なんでも、イースター運動会は天界7大イベントのひとつで、奉仕天使局などの公的機関からはかならず代表が出場することになっているらしい。 仕事の話はどこにいったのか、なんでイースターで運動会やるのか、このスタジアムは雨が降るわけでもないのに何で東京ドームみたいに天井がついてるの か。 「うう……」 こんなんじゃいつになったら上級天使になって美弥子さんに会いにいけるのか分からない。 なんだかとてもユーウツな気分になって、しゃがみこんで頭を抱えた。 「おい、気分でも悪いのか」 後ろから声をかけられた。 「え、なんでもありません」 振り向くと。 白ヘルメットにサングラス。黒いライダースーツに身を包んだ男が立っていた。 慎一はその男を知っていた。 「げ!」 男は慎一を指差して叫ぶ。 「お、お前あのときの!」 「げ! な、なんですか知りませーん!」 男は、ツバメに乗って慎一を追いかけてきた、あの男だ。 ……グロ吉にまたがってすさまじい速度で振り回されたこと、勇気をふりしぼってしがみつき続けたこと、顔面に張りついたパンツの感触、そしてブリュブ リュッというグロ吉の脱糞音。忘れられない記憶だ。最後のはできれば忘れたい。 「嘘をつけ! お前はあのときのマグロ乗りだろう! 服を替えても分かるぞ!」 「ちがいます、人違いです!」 「忘れないぜ! 『最速』の名を傷つけられた屈辱! マグロの糞まみれで建物に突っ込んだ屈辱! 天界軍だと言っても信じてもらえなかった屈辱! 捕まっ て取調べを受けた屈辱! 持ってたブラジャーの入手経路について根掘り葉掘りきかれた屈辱! 俺を尊敬してた後輩たちが一気に冷たい眼で見るようになった 屈辱! そして! そしてえ! 毎朝出勤すると机の上にウンコメーンと書いてあるようになった屈辱! しかも筆跡が毎日違う!」 「小学校のイジメか!? 天界軍って一体!?」 「とにかく、お前だけは許さん! スピード違反と前方不注意と公務執行妨害と下着窃盗とそれから漫然運転あたりでしょっぴいてやるー!」 肩を思い切りつかまれた。 「いてっ」 「逮捕だー!」 慎一、背中の翼をつかんで、羽根を取ろうとする。 もちろん、目当てはグロ吉だ。 天界獣に乗ったらもちろん反則だが、そんなこと気にしていられない。 ところがつかんだ羽根を目の前でかざすと、こう書いてあった。 「カキ氷製造機 ひやひや」 「違うー!」 「はっ! アイテムも満足に出せんのか! 俺なんか一発で手錠を! ハッ!」 サングラス男は気合一発、背中の羽根を引き抜いて! チューリップの花に変化させた。 3本。赤と白と黄色。 「なに!? しまった手錠はもってこなかったー! 公務中じゃないから!」 「チューリップをなんに使うのか知りたい……!」「そりゃ子供を落ち着かせるためさ。俺はコワモテで、子供が気味悪がってどんどん逃げてくからな。下界に いたときからそうだった。だけど平気だぜ俺は! 果てしない道をさ迷い歩く旅人! それが俺!」 「子供が逃げるのは顔のせいじゃないと思う! ポエムとか! 電波っぽいから本能的に危険を感じて!」 「なんだと!?」 ピッピー! ホイッスルの音がした。 ジャージ姿のお姉さんが飛んできた。乗り物は小型の馬。ポニー型天界獣。 ピッピー! ピッピー! 「そこー! サングラスのおじさん!」 「お兄さんと呼べ! そうさ俺は少年の心を……」 「ポエムはいいから!」 「なんだお前は?」 ジャージおねえさんは自分のかけているタスキを指差す。タスキの文字は「実行委員」。 「私は実行委員です。他の選手をつかむ、殴るなどの妨害行為は原則として禁止されています! ただちにやめてください!」 「こいつは犯罪者だ! スピード違反と……」 「現行犯ですか? 証拠はありますか?」 「俺は天界軍交通機動隊のガイエルだ! たしかにこの眼で見たんだ! こいつの暴走行為を!」 「ぷっ……ガイエル? あのウンチまみれで女子更衣室に突入したあのガイエル!?」 「有名なんだ?」 「うれしくない! とにかく俺はこいつを逮捕する!」 「残念ですが明確な証拠がない限り保安部隊員といえども逮捕はできません。またこれ以上の騒乱行為は退場となります」 実行委員さんはあくまで冷静だ。 「くっそおー! あとで覚えてろよ!」 ガイエルは手を離した。 「今度なにかやったら別件逮捕してあの手この手ですっげえ罪状つけてやるからな! 地獄送りだ! 300年は出て来れないようにしてやる!」 「うう、変なのに目をつけられちゃったよ……」 慎一はもう泣きそうな気分だ。 そのとき、妙に安っぽいキンキンした声が響いた。 スピーカーで拡大された声だ。 「……れでぃーすあーーんどじぇんとるめーん! 恐れ知らずついでに恥知らずの野郎ども! 姉ちゃんたち! 第138回イースター運動会、64地区予選がそろそろはじまるぜーっ! 実況と司会は! この俺! ナイスでダンディーな司会者、リッキー池島だー! よろしくぅ!」 「なにこのアホっぽいテンションの人」 「なに? おまえリッキー池島を知らないのか? 天界ラジオきいてないのか? いいかリッキーは生前は横須賀でDJをやっていてだなあ、15年くらい前に 天界に来て、いまじゃすっかり天界ラジオの有名パーソナリティで……」 「す、すいませんラジオは知らなくて、アニラジしか聴いたことがなくて」 司会者のキンキン声はつづく。 「地区予選に参加してくれたのは1000名! しかぁーし! 悲しいかな悲しいかな、この中で予選突破できるのはわずか12名のみ! 競争率80倍の過酷 なバトルだー!」 「バトルなのはいいけど、運動会ってなにやるのかなあ」 マユリに渡されたパンフレットにはやたら仰々しいことが書いてあるだけで「具体的にどんな競技が行われるのか?」ということがまったくわからなかった。 ぎりぎりまで伏せて驚かせるつもりらしい。 「みんなには7つの試練をうけてもらう! まずは第1の試練っ!」 スタジアムの屋根が開き始めた。 屋根にすきまができて隙間はどんどん大きくなり、その向こうから見えたのは…… 「なんだろう、あれ?」 なにか妙なもの、灰色や茶色のカタマリが何百も浮かんでいる。 グエーグエー 変な声が聞こえてくる。 屋根は全開状態になった。 カタマリはだんだん、ゆっくり大きくなってくる。降りてくる。スタジアムの中に入って、さらに降りてくる。 「変な声」も大きくなってくる。 ぴぴぴぴぴぴ! ガガガガガガッ! グェーグェー! ちゅんちゅん! 大合唱だ。 鳥の声だと慎一は気づいた。 よく見れば、浮いているのは鳥の巣! 何百という鳥の巣! 茶色や灰色、泥や木の枝で作られた鳥の巣が星団のように無数に浮かんで、巣の穴から鳥が顔を出してギャーギャーピイピイ。 「うひゃあ……」 鳥の巣が何百も。慎一たちの頭上2、30メートルで止まった。それ以上降りてこない。 ピピピピ! 鳥たちはしきりに巣穴から顔を出してはひっこめ、高い声で鳴く。 「で、でかい!」 思わず叫ぶ慎一。 どの鳥も人間より大きい。額に十字架が光っている。鳥型天界獣だろう。 でかい鳥型天界獣はもちろん見たことがあったが、これだけ集まるとすさまじい迫力だ。 「マッハスワローがいない、けしからん」 ツバメ男ことガイエルは不満そうだ。 「レディースアーンドジェントルメーン! 恐れ知らずでついでに恥知らずの野郎どもアーンド姉ちゃんズ! 第1の試練を説明する! 試練の内容は簡単簡単ちょー簡単! 『エッグハント』!! まさにイースターにふさわしい! きみたちの頭上には巣が200ある! その中から卵を奪いだせ! もちろん親の天界獣は卵を守るために必死だ! 制限時間は10分! 10分以内に手に 入れられなかったものはここで失格ー!」 慎一は思わず突っ込みをいれる。 「それはエッグハントじゃない!」 近くにいた「実行委員」タスキのお姉さんが飛んできた。さきほどのお姉さんとは別人だが、やはり乗り物は馬型天界獣。乗り物としてはごく当たり前だが、 魚だのツバメだのをさんざん見たあとだと逆に新鮮だ。 「はいはいー、なんですかー。クレームですかー?」 「いや、クレームっていうか、エッグハントってこういうのじゃないでしょう、石で作ったイースターエッグを探すだけで」 お姉さんがにっこり微笑んだ。 「だってそれだけじゃ面白くないじゃないですか! でっかい鳥と格闘したり、知恵を絞ってかすみ取り! そっちのほうが絶対盛り上がりますよ!」 「……うわ言い切られた!」 「イベントなんですから、エンターテインメントですから! じゃあ頑張ってくださいねー」 お姉さんは行ってしまった。 ハイテンションなアナウンスは続いている。 「さーてカウントダウンスタァァァト! ごう! よんっ! さんっ! にっ! いぃぃち! スタートだ! 卵をゲーット!」 慎一の周りで、前後左右で、選手たちは動いた。 割と大きさの小さい巣に、数十人が殺到する。・ 「どけっ」「どいてくれっ」 押し合いへしあい。 そこに響くリッキー池田の甲高いアナウンス。 「おーっと! 言い忘れてたぜ! 第1試練では他の選手を傷つける妨害行為は認められていないぜ! 反則だから気をつけろよ!」 おしあいへしあいの勢いが急に弱くなった。 その隙をついたのか、「おしあいへしあい」の中から小柄な少年が飛び出して巣の中にもぐりこんで、 「ピーッ!」「ぐあああ!」 少年、逃げ出してきた。 その尻を、巣から顔を出したキツツキに思いっきり突かれ突かれ突かれ、削岩機状態。 「ぎゃあああ!」 選手たちは「この巣はダメだ!」と叫んで他の巣へ散ってゆく。 ……どうすりゃいいんだ! 周囲を見回してみる。 鳥の巣につっこんでいく選手たち。 撃退されてヒイヒイ逃げ出す。 どこを見ても同じ光景。 「質問! お姉さん!」 ジャージお姉さんがまた飛んできた。 「はいーなんでしょうか?」 「天界アイテムは使用禁止?」 「もちろん! 知力と体力と時の運で戦ってください。だってアイテムつかったら簡単すぎじゃないですか」 「どうすりゃいいんだ……」 慎一はおじつけづいた。アイテムもなしに翼長数メートルの鳥と戦って勝てるとは思えない。 「ふん、この程度の課題でビビってるのか! 話にならねーな! やはりここは鳥型天界獣を知り尽くしたこの俺が華麗かつエレガントに決めてやるぜ!」 「華麗とエレガントは意味が同じ……」 「うるせえ! 日本に来日して何が悪い!」 「逆切れされた……」 ガイエルは飛んでいった。 「ぴっぴっ、ちゅんちゅん、ご主人様でちゅよー」 鳥の鳴きまねと幼児語を叫びながら。 「な、なんだーっ!? 鳥語? 鳥語でしゃべってるの?」 頭上に並ぶ鳥の巣何百のなかに、やたら口が狭くツボのようになっているものがあった。 ガイエルは「チュンチュンピッピー!」とツボに近づき、 ツボから飛び出してきたでっかい蛇に、上半身をぱっくり食われた。 「……! ……!」 声も出せず残った下半身をもだえさせる。 「うわあ!」 助けないと! 慎一はとっさに上昇、ガイエルの足をつかもうとして、黒光りするブーツで蹴り飛ばされた。 「いで!」 「……! ……!」 ガイエルの脚の動きがますます激しくなっていく。「断 末 魔」の三文字を連想させた。 「おねえさーん!」 慎一、あわてて周囲を見回し、実行委員のお姉さんを見つけると大声で叫ぶ。 「はいはいー!」 お姉さんは明るい声で答えて飛んでくる。 「あらー、うっかりですねー!」 「うっかりじゃないって! この人死んじゃう! ……天界で死んだらどうなるの?」 「霊力を大量に失うと消滅もありえます。いま助けますねー。ただし実行委員によって救助された場合は大会規定14条にもとづきリタイヤあつかいです、よろ しいですね?」 「……! ……!」 「異論がないようなので同意とみなしまーす」 お姉さんはすばやく蛇の横にまわりこみ、小声でなにやらボソボソと。 蛇がガイエルを吐き出した。そのまま剥製のようにおとなしくなった。 「ううう……」 「大丈夫ですか? 天界アオダイショウは毒がないから平気だとは思うんですが……」 「くうう……この俺がこんなところでリタイヤとは……」 「残念でしたねー、でもタマゴだから鳥とはかぎらないんですよねー。うっかりでしたねー、今度から気をつけてくださいねー」 「くそっ!」ガイエルはずれたサングラスの位置を直し、慎一に顔を向け、「俺は脱落するが、今度会ったときは必ず逮捕してやるからな! 覚えててろよ!」 叫んで、スタジアムの外の方に飛んでいってしまった。 慎一、ふと疑問をおぼえて、 「実行委員さん、いま蛇をおとなしくさせたのは何やったんですか?」 「え? 知らないんですか? 耳元で神の名を唱えたんです。天界獣はそうすれば言うことをききます」 「……蛇の耳ってどこですか?」 「ちゃんとあるんですよー。コツをつかめばすぐ見つけられます。それじゃ、がんばってくださいねー」 お姉さんも飛んでいった。 慎一、途方にくれる。 「そんなこと言われたってなあ……」 肩をすくめてあたりをみまわす。 多くの選手が鳥の巣に突っこみ、悲鳴をあげて逃げ出していた。ヒョコっと首を出したところに神の名を叫ぼうとした者がいた。うまく場所があわなかったの か翼の一撃で吹き飛ばされる。 「……どうしろってんだろ」 甲高いアナウンスがスタジアムに響く。 「おーっと! もう5分もたってしまったーっ! しかししかし! タマゴをゲッチュした勇者はまだ100人もいないぞーっ! みんな勇気が足りなーい!」 「やばい、もう半分!?」 ふと疑問に思った。 交渉することはできないかな。天界獣って言葉を喋るんだし。 ……交渉にむいた鳥は……知能が高そうなのがいいな…… そのとき、視界の隅に鮮やかな黄色が。 近づいていった。 黄色のオウムが巣から顔を出し、選手の一人となにやら話し合っていた。 筋肉の目立つガッチリした体に角刈り、ランニングシャツに半ズボン。 ……なんかホモ雑誌の表紙みたい。いやそんなの読んだことないけど。 選手は深々と頭を下げて、 「お願いします! タマゴをひとつ貸してください!」 人間には絶対出せない超音波声でオウムは答える。 「だめだー! 渡すわけにはいかない!」 「お願いします! なにもとって食おうってわけじゃないんです! あくまで一時的に借りるだけで!」 「ダメだ! ……そうだな、わたしと勝負して勝ったらタマゴをわたしてやろう!」 「どんな勝負だ!」 レスリングのような姿勢をとる選手。 「ちがう! 物まね勝負だ! わたしがもっとも得意とする物まねで勝て! さあ、お題を出すぞ! 飛行機が墜落しそうなパイロット!」 「え……?」 「エッじゃない! 飛行機が墜落しそうなパイロットの物まね!」 「う……『うわああ! 飛行機がおちるー! たーすけてくれー』」 棒読み。 「小学生か! そのまんまだ! 不合格! お前の番だ、何かお題を出せ!」 「えーと……小学校の先生に怒られる子供!」 オウムは一瞬だけ沈黙し、 「……『先生ごめんさい! もう悪いことしません! ごめんなさいっ!』」 超音波声は、まさに小学校の男の子そのものという声に変わっていた! 小声になって一言つけくわえる。 「『……ばーかお前だっていつも教頭にしかられてるくせにっ』」 「……す、すごい演技力だ」 「というわけでお前の負け」 マッチョ選手はすごすごと引き下がった。他の鳥の巣に向かう。 かわりに慎一はオウムの巣へとフワリ近づく。 ……力づくでは無理でもコレなら勝てるかも。 「なんだお前は?」 「次はぼくが相手をします」 黄色オウムは一抱えもある頭をグリグリ動かして慎一を見る。 「ふうーん。若いな。下級天使か? やり方は今ので分かったな。じゃあ、まずお前からお題を出してみろ。どんな真似でもしてみせる」 慎一は一瞬沈黙。 どんな真似がいい? こいつにできないのは? ぼくのアドバンテージは? 「……お題は」 「言ってみろ!」 「5年ぶりに兄と再会して兄のことをが少し好きなんだけどはっきり表せずついツンケンしてしまう義理の妹キャラ!!」 「……な、なんだそりゃ? おまえ……もしかしてオタクか?」 「そうですオタクです。できますか妹キャラ」 「こんな感じか? 『いやだわお兄ちゃんたら……』」 「ちがうちがうちがう!」 慎一は大げさに首を振った。一歩ふみこんで、黄色オウムとおでこをつき合わせるようにして叫ぶ。 「それじゃ作り物っぽい! わかってない! 妹っぽくない! そんなサッカリン的人口甘味料の甘さなわけないでしょ義理の妹キャラが! とくに妹属性じゃ ないぼくでもよくわかるぞ! こうだ! ……『兄さん? なんどいったらわかるんですか? え? なに言ってるんですか、まったくもう……』ここで万感の思いをこめてため息! そして目線を少 し兄からそらすわけです! ちなみにこの段階ではまだフラグが立ってないのでアプローチしてもバッドエンドエンドです」 「な、何の話をしてるんだ? 特定のキャラクターの話だったのか? ゲームとか……」 「違います。数年間別れて暮らしていた・ツンケンしちゃう・義理の妹キャラ! これだけで脳内に物語やゲームが作れるんです! いえ、勝手にできちゃんで す! どうです? 気持ち入ってましたか? 本物っぽかったでしょ?」 「う……確かに……」 落ち着かなさげに頭をキョロキョロさせる黄色オウム。 「じゃあ第2のお題やってみせてください。『プログラムで人間的な動きをするだけのはずだったのに奇跡的な偶然とかがいろいろ重なって人間的な心が目覚め ちゃった美少女アンドロイド!』」 「な……よし、こんな感じか……?『なんだろう、この気持ち……分析できない……』」 ちゃんと可憐なアニメ声でオウムは演じる。情感たっぷりだ。 だが慎一はまたしても首を振りまくり、 「カットカットカットー! ちーがーう!」 「あんたはどこの監督だ!?」 「とにかく違うんだって。そんな安易なことでいいんですか。美少女ロボットが心を持つ話なんていくらでもあるんですよ。差別化しないと」 慎一は眼を閉じた。長年つちかったオタク妄想力をふりしぼった。 「……『いけない……人類の是非を判定しなくては……わたしは探査体201539……でも、使命よりも大切なものができてしまった……』」 「なんだ人類って!? 使命って何の話だ?」 「つまりね」 いつの間にか敬語も忘れて慎一は、 「この美少女ロボットは宇宙から送り込まれてきたんです。『人類は生きてていいか?』を判定するために」 「なんだその三流SF設定は? そんなことさっきはいってなかったぞ」 「でも一瞬でキャラを見ただけで設定が出てくるんです。そういう妄想ができるんです。あっでもさっきのは描写が安易すぎるかな。美少女ロボットには20年 の歴史があるんだよなめるなよ! えらいひとに怒られてしまう。うーん」 空中に浮かんで腕組み、真剣に悩み始める慎一。平凡でしまりのなかった顔が苦悩に歪んで迫力すら感じさせた。 「え……えーと……わかった! 他のお題にする! なんか怖い、お前が」 「まってくれ、もう少しでつながりそうなんだ! 萌えの根源に!」 「なんだよそりゃ? と、とにかく次のお題は……」 そこでオウムはググッと巣から乗り出してきた。 「……『オタクを気味悪がる女の子』だ! どうだ、できないだろう!?」 冷ややかに、笑うように叫ぶオウム。 しかし慎一は一瞬もためらわなかった。 「やだ……アニメみてんのー?」 慎一の口から不自然に甲高い女声がでた。吐き捨てるような声色だった。蔑みの視線を宙に向け、さも気持ち悪そうに口元をおさえた。 一歩あとずさって、嫌悪の表情のまま言葉を続ける。 「部活やってないのはアニメのせいなの? あなたいくつよ? こないだ先生がアニメの話したとき「アニメといってもいろいろあるんだ」とブツブツいってた のはやっぱりそういうことなんだ? 廊下で慢研の人とわけわかんないことギャーギャーしゃべってたのはオタクどうしのケンカ? きっもいよねー。あたしら フツーの人にとっちゃロボットは全部ガンダムなのにさー。眼の色おかしーのよねー。うちの弟も中学なのにまだアニメみてんのよ。しかも女の子が変身する 奴。もうそろそろ卒業させてやんいとあんたみたいになっちゃうわよねー。こまったもんよー」 それだけ一気に言い切ると、小首を傾げまゆをひそめて、 「は? なにその顔。なんか文句あんの? ほんと、あんたたちオタはふて腐れてばっかりね。あたしに話しかけないで、あたしまで変な眼で見られるから さー」 そこまでいって慎一は演技を終了。顔にうかんでいた軽蔑の表情がきれいさっぱり消滅。にっこり笑って背筋をのばす。 オウムはクチバシをあんぐり開けて、 「み、見えた……茶髪の女子高生がオタクを罵っている姿が……お、お前恥ずかしくないのか? そんな演技して自分がいやにならないか?」 「ぜんぜん平気です。この程度でイヤになるならオタはできません! きもーいきもーいといわれるのは日常ですから!」 胸を張る慎一。 「ちなみにオタクは歳をとるとファッションに気をつかったり女友達を作ったりしてキモーイ認定から逃れようとする「偽装型」、きもーいと言われるのがうれ しくて仕方ない「覚醒型」、なにを言われようと気にしない「解脱型」の3種類に別れるんだけど、ぼくはまだ修業中だからどの道も選んでないんです」 「なんなんだ、お前らは……」 「で、どうでした?」 「ご、合格だ。わたしの負けだ! もっていけ!」 巣の奥から卵を持ってきた。 「ありがとう!」 真っ白いサッカーボールほどの卵を抱きしめる慎一。 まさにそのとき「ピッピー!!」高らかに鳴り響くホイッスル。 ぶち切れハイテンションでリッキーが叫ぶ。 「おおーっと残念! 時間切れだーっ! まだ卵を手に入れてない選手は涙涙の一回戦負け! 悪あがきしないで退場だー! 残念賞として運営委員会より ティッシュ一箱が進呈されるぞー! なんかイヤミだイヤミだとよく言われるこの残念賞、あふれる涙をやさしくぬぐうこの親心がわからないとはウーン残 念!」 あちこちで鳥がピイピイガアガアとわめく。 「くそ!」「あと少しだったのに!」「あかんわー!」 失格が決まった選手たちが無念の声をあげて、ふらふらとスタジアムから飛び去っていく。 慎一は彼らの後姿を眼で追った。 ……勝った? 勝ったの? ようやく実感がわいてくる。 アナウンスがどこか遠くで聞こえた。 「……さーて選手の数は……いま天界野鳥の会のみなさんが一生懸命カウントしております……325! 1000名が325名になってしまったーっ! なん ということだー! タマゴを守る天界獣の本能はこんなにも強いのかーっ! 勝ち残った325名は第2の試練開始まで15分の休憩が許される! ギャラリーによる応援もいまのうちだーっ! 休憩時間中にはギャラリーによるスタジ アム内立ち入りが許可されてる! 懸命に戦った選手たちを思いっきりねぎらっちゃうのは今しかない! だけど」 ……そうだ、ぼくは間違いなく勝ったんだ。 慎一、緊張が解けた。 その場にふらふらと座りこむ。 「……シンイチ? どうしたシンイチ?」 どこかで聞いたような声。ミレイの声だ。 「……え?」 顔を上げてみれば、眼鏡をかけた金髪の娘。アーミールックもいつもどおりの、ミレイ。 「……なんでミレイさんがここに? え?」 「応援に来てるんだ。わたしはあのへんに座っている。さっきからずっといたぞ」 ミレイはスタジアムの一角を指さす。 「ぜんぜん気づかなかった……」 「それにしてもなんだ、ヘナヘナになって?」 「いや、その……『やった、勝ったんだ』って思ったら緊張が解けちゃって……」 「緊張してたのか? あきれるくらい堂々と演技してたぞ? とくに最後の女の子。よく何万人の前であんなことできるな、感心した」 「……いや……その……」 慎一は恥ずかしくなって顔をそむけた。 「……なんていうか……あの時は夢中だったから」。いまにして思うと……その……」 「急に恥ずかしくなったのか? 面白い奴だなあ……」 「オタクはたいていそうだよ。好きなことに関してバーッとぶっちゃけちゃったあとで、その時は酔っ払ったみたいで恥ずかしくなくて、そのあとで『あーやっ ちゃった』……」 「そういうものか……でも、うまくいってよかったな。突破するのは無理だと思っていた」 「……ひどいな」 そういいながらミレイの顔を見て、慎一はおどろく。 ミレイの顔にはけわしさがまったくなかった。優しげな微笑だけが浮かんでいる。 「……ところでスタジアムの中に入ってきていいの?」 「いまは休憩時間だ。休憩時間は出入り自由だってさっきアナウンスでいってたろう?」 「……そうだっけ?」 「ほんとに集中してたんだな」 「でも今回だけです、運が良かっただけだから」 「まあそういうなよ」 笑うミレイを見て慎一はおもった。 ……そういえばこの人はぼくの体育祭出場をどう思ってるんだろう。 「……ミレイさん、ぼくはここで運動会なんて出ていいんですか? 遊んでていいんですか?」 「遊ばせてるつもりはないよ」 「どういうことですか?」 「たぶんやっているうちに分かる。君が仕事で失敗する理由もわかる」 「……?」 「あと10分あるな。話をしようか、シンイチ。そのあたりに座って」 「う、うん」 「喉がかわいただろう、これを飲んで」 ミレイは紙パック入りのジュースを取り出す。 慎一は「どうしてこんなに優しいの?」と不思議に思いながらパックを受け取る。 「……わたしの顔に何かついてるか?」 「いえ、なにも」 「……いまだけ優しいのが不思議なのか?」 「うん」 「ほめるときはほめる、叩くときは叩く、人材育成の基本だ」 「相変わらずカタいっていうか、計算でやってるだけなんですね」 「君もキツいな」ミレイは照れくさそうに笑う。 「下界にいたときもそんな皮肉屋だったのか?」 「え……? いやそんなことはなかった……です。どっちかっていうといつもオドオドしてて、自分の好きなことだけブワーッとしゃべっちゃうみたいな」 「じゃあ天界にきて変わったのかな。それとも私がナメられてるの」 「なめてなんかいないですよ!」 「いいんだよ、萎縮されるとこっちもやりにくい。『なにが元天界軍だ、おまえ訓練がつらくて逃げてきた脱落組だったりしね〜だろうな?』とか思われたくら いのほうがいい」 「そ、それ本気で言ってるんですか? 『上官侮辱だオラオラオラァ!』とか言って殴りません?」 「殴ることもあるかも知れない」 ミレイは真顔だ。 「それじゃやっぱりダメじゃないですかー!」 「悪ノリまで含めて、互いに忌憚のない意見をぶつけあう。言われた側もそれを受け止められる。理想的な関係じゃないか?」 「そ、そういうもんですか……」 「天界軍でもそういう関係を作りたかったんだが、どうもうまくいかなくてな」 「……そういえばミレイさん、どうして天界軍やめて奉仕天使なんてやってるんですか? 軍隊とか今でも好きそうなのに」 ミレイはふと表情をくもらせた。悲しそうな、それでいて自嘲するような表情だ。 「逃げてきた、といったら?」 「え? またまたー」 「本当だよ。つらくて逃げてきたんだ。あくまで私の主観ではそうだ。この 罪は、いつか償わなければいけないだろうな……」 「えーと……あの、すみません。いやなこと思いださせちゃって」 「べつにいい。君はやさしいな。ところで君はどうだったんだ?」 「は?」 「君は下界にいたころは……生前は、どんな人生をおくっていたのかってことだ」 慎一、とまどう。ミレイの声はひどくまじめだ。さっきからずっとにぎっていたジュースを、一気にチュウと吸う。 「ど、どんな人生って……そりゃ……」 なぜだか急に恥ずかしくなって慎一は、 「まあなんていうか……学校いって、勉強して、友達とマンガとかの話して……家にかえってきたらマンガよんで小説読んでアニメ見て……ネットやって……親 とかに『勉強は?』とか『将来のこと真剣に考えてるの? 』っていわれたらごまかして……じぶんでもよく考えてなくて……ただなんとなく、小説かいたりアニメのシナリオかいたり、趣味に関係ある仕事ができたらな あって……でもじっさいには……なにもやらなくて」 言葉が途切れてしまった。 「……それだけか? 楽しかったことは? 誇らしい思い出は? 卑下することはない、必ずあったはず」 「……それを思い出すのはつらいです。あったけど、それはもう……」 「戻ってこない幸せだからつらい?」 「はい」 「なにを気弱なことを言ってるんだ。君は『この先』にいきたいんだろう? 好きなあの子にひとめあいたい、ゆくゆくは生き返りたい、だから出世したい、そ うだろ?」 「それはそうですけど」 慎一はうつむいた。スタジア厶の赤いコートと、その上にわらわらとむらがっている天使や天界人たちが見えた。 赤や青のジャージ、白いランニングすがた……数人にひとりのわりあいで、白い翼を持つ天使がまざっている。 自分も同じ天使だ。翼と輪をあたえられている。それなのにまるで実感がもてなかった。 「……ちゃんと目標があってがんばってる、はずなんですけどね……」 力なくため息。 「自信がないのか?」 「いつまでたってもちゃんとした仕事ができなくて、『やった仕事だ!』と思ったら運動会で……ションボリもしますよ。いつになったら、って感じです」 ミレイは神妙な顔つきで少しだけ沈黙した。 「わたしも天界で修行をはじめたときはおなじことを思った。だれだってその不安を乗り越えているんだ」 「説教ですか。でもミレイさんはもともと軍人だから、厳しくしごかれるのはなれてるでしょ? でもぼくはヌルーい普通の日本人だから」 「軍人? わたしがもともと軍人?」 「えっ違うんですか? ヨーロッパの度っかの軍隊で『きさまー、なにをやっとるかーっ! セミになれーっ! サーイエッサーといえっ!』みたいな……」 「そんなことはやってなかった」 「特殊部隊を率いて、敵中突破200キロ……」 「やってない。生前のわたしは」ミレイはいつのまにやら飲み終えていたジュースのパックをぎゅっと握りつぶして 、 「学生だった。高校生。きみとおなじ日本の高校生。ただ時代は10年以上違うから話はあわないかもな。わたしが生きていたころにはケータイはまだなかっ た」 「部活は軍事研究会とか? それともサバイバルゲーム部?」 「そんな妙な部活はなかった。部活は陸上部。友達も体育会系が多買った。ただ父親が軍人だったから、軍事的なものに親近感はあったかもしれない」 「親が軍人? どこの?」 「現代日本にすんでる外国人で『親が軍人』といえば在日米軍に決まってるだろ」 慎一はとまどった。頭の中で情報を整理する。 「じゃ、じゃあ普通の高校生!? いったいなんでそんなに軍人軍人してるんですか?」 「天界に来てからいろいろあったんだ。人間、死んでからだっていくらでも変わるもんだ。死後の世界についてかいてある本は地上にたくさんあったが本当のこ とはどの本にものってない。天国にはジュースと運動会があってマグロが空を飛んでるなんて、どこにも書いてない」 「そりゃ書いてないですよ! あ、でもぼくはこの天界って嫌いじゃないです。キリスト教そのまんまの天国よりずっといいです。あれじゃ北朝鮮といっしょで すよ!」 ついロを滑らせた、怒られる、そう思った。なにしろ天使にむかってキリスト教の悪口だ。 だがミレイは怒らなかった。苦笑した。 「大差ないかもな。天界がそんな場所じゃなくてよかったよ。……天界には自由がある。戦争はない。たわいもない娯楽に血道をあげることができる。いいとこ ろだ。どうした、なにを驚いてる。なんだその顔」 「……てっきりミレイさんは戦争が大好きなんだと思ってました」 「そんなわけないだろう、軍人はたいてい、戦争が嫌いだよ。『軍事オタク』だったら好きかも知れないが」 「おなじクラスに戦車とかが好きな軍事マニアいましたけど、彼は戦争嫌いだっていってました」 「そりゃ興味深い。どんな理由で?」 慎一に顔を近づけたミレイ。なぜか真剣な顔つきだ。 慎一はボソリと、 「……兵器が壊れるから嫌いなんだって」 ミレイはきょとんとした顔に。ついでプッと噴き出し、爆笑。 「アハハハ……いいなぁ、そりゃ傑作だ、実にいい!」 空中に浮かび上がり、体を折って笑う。 もちろん慎一は、大爆笑するミレイなどはじめてみた。 「あ、あの、ミレイさん? 大丈夫ですか?」 「し、心配は無用だ。別に変になったわけじゃない」 スイッチでもきりかわったかのようにミレイはおとなしくなった。からだをピンと伸ばして表情も冷たいものにもどす。 そのときまたキンキンたかいアナウンスがはじまった。 「れでぃーすあーーんどじぇんとるめーん! みんなたっぷり休息とったかな選手たち! 休憩時間はもう終わりだっ! 『えーヤダーもっとあの子とラヴ るー!』というあなたも、残念だが勝負に戻ってもらうぜっ! あと2分で第2試練開始! それまでにギャラリーもサポーターも観客席に! さあ戻った戻っ た! そこのにーちゃんとねーちゃん! 別れのキスなんてまだはやーい! キスはすべての試練を終えてからごほーび! それでこそ燃えるってもんだぜみん な!」 ミレイはの手を軽く握った。 ごつごつした岩のような手をイメージしていたが思いのほか細い。 「じゃあ、わたしは応援に戻る。がんばれよ」 微笑んで、手を振って飛び去っていく。 「……ミレイさんどうしちゃったのかな……」 今までからは信じられないほどやさしくなった。自分の過去に関することだってはじめて話してくれた。 ただの訓練機械だったミレイがいきなり人間になった、そんな気がする。 戸惑いはしたけれど、うれしかった。 ……ちょっとだけ、僕のことを仲間と認めてくれたのかな? ……やる気がわいてきた。 半人前なんだから負けて当然。第一試練は運がよかっただけ。そう思ってたけど。 よし、やれるところまでやってみよう! 4 ちゃんちゃんちゃん♪ ちゃんちゃらちゃ♪ ちゃっちゃっちゃー♪ 鳴り響く軽快な音楽は「天国と地獄」。 小学校の運動会では定番の曲。 しかし本物の天国でこの曲を流すというのは何か冗談のようだと慎一は思う。 思いながら精神を集中、前方のゴールに向かって加速! 例によってキンキン声でアナウンスが。 「はいっ終了ー! そこまでー! 今の時点でゴールまでたどりつけてない人は失格だぜー!」 まさにそのナレーションが響いたのと同時に、慎一は口にでっかいアンパンをくわえた状態でゴールへとびこんだ。 「はいセーフー! セーフですー」 ジャージ姿のお姉さんが旗をもって待っていた。 全速力で飛んできたものでブレーキがきかず、お姉さんと激突。 「うわ!」「きゃ!」「すっすいません!」 ふっ飛んだアンパンを引っつかんで慎一は頭を下げる。 「実行委員」タスキのお姉さんはほっペたをぷうっとふくらませて、 「よくいるのよねー、勢いあまったふりしてぶつかってきて、わたしらのお尻とか胸とか触るひとが」 「ちっ、ちがいます! ぼくはそんなのじゃありませんっ!」 「それならいいけど」 お姉さんは慎一の頭からつま先までじろじろ見て、 「まっ、いいけどねー。とにかく第5試練のパン食い競争もクリアーね。おめでとー」 「う、うん」 周囲を見回した。 スタジアムの外側、観客席にはいまだに何万人だかの天界人と天使がびっちり並び、ところどころで旗やボンボンを振り回して応援する女の子の姿があって。 だがスタジアムの中、残っている選手は、たった100人程度。最初と比べて10分の1。 ……信じられない。 ……ここまで勝ち残ってしまった。 リッキーのきんきんアナウンスがどこか遠くのほうで響いている。 『れでぃーすあーんどじぇんとるめーん! よくぞここまで勝ち残ったたいしたもんだっ! でも本番はこれからだぜ! 第6試練第7試練とくらべればこれまでの試練など顔見世興行にすぎん! ってな感じだ! 第6試練は過酷な過酷なバトルロイヤル! わずかな疲れや気のゆるみが勝敗を分けるぜ! だから10分間休憩だ! 本番にそなえてきっちり休んでくれっ!」 アナウンスが終わった。 ようやく「ここまで勝ち残った」という実感がわいてくる。 「やあ、シンイチさん」 きき覚えのある声に振り返る。 金髪の美少年がそこにいた。短パンにランニングのマラソンスタイルだ。頭の上には白い輪っ課が輝いている。 「ミヒャエルさん!」 「ほらやっぱりシンイチさんだ」 「ミヒャエルさんもでてたんですか」 「局から一人出さなくちゃいけなくて。俺が希望したんです」 「え? ミヒャエルさんはエリートなのになんでこんな変なのに出るんですか? ぼくなんてだまされてつれてこられたんです」 「うーん、『こんな変なの』って言っちゃうのはどうかと思いますよ。天界の体育祭はちゃんと、天使としての能力を試されるようになってるんです。たとえば 最初にやってた『エッグハント』、あれはもちろん『天界獣の性質や性格にどれだけ精通しているか』ってテストです。つぎの借り物競争は臨機応変な判断力、 だれが望みのものを持ってるか推測する洞察力、実際に貸してもらう交渉力。3つめの障害物競争は……」 「わ、わかりました。なるほどー」 「だから運動会参加はいい訓練になるんです。ここまでくるとは、やっぱりシンイチさんは実力ありますねえ」 「え、いやー、それほどでもないですよ、うはははは」 わざとらしく笑った。 冷や汗が額をつたった。 ミヒャエルはもちろん慎一のことを買いかぶっていた。 実際には運がよかったからここまでこれた、というだけのことだった。 たまたま自分のオタクネタが鳥をビビらせた、借り物競争ではたまたますぐに見つかる「マンガ雑誌」がお題だった。ほかの連中が「ハムスター」だの「つり 竿」だの「顕微鏡」だの、会場で見つかるはずもないお題に四苦八苦しているのをしりめにさっさとゴールできた。第3第4第5の試練もおなじだ。 慎一のウソに気づいているのかいないのか。ミヒャエルは整った白い顔にさわやかな微笑を浮かべたまま言う。 「次の試練でお相手するのが楽しみです」 「い、いやあぼくも。全力で行きますよー」 言ってしまった。「自分がここまで来たのは運のせいだから次は勝てっこない」って素直に白状すればよかったのに。言えなかった。 「それじゃあ。ぼくはポジションとりがありますんで」 「ポジションとり? って何ですか?」 ミヒャエルはすこし戸惑ったようだった。「なんでそんなあたりまえのこときくの?」とでも言う風に。 「だって第6試練はバトルロイヤルでしょう? 『はじめ!』って言った瞬間に殴りあいでしょう? だからポジションとりが重要になってくるんです。できる だけ弱い者のそばにいて、スタートした瞬間に一撃。逆に強いものを何人かで囲んで、力をあわせて倒す……作戦なんですよ」 「そ、そうなんだ……がんばってね……」 ミヒャエルを見送った慎一、あたりを見まわす。 ランニング姿で毛深いマッチョマンと視線が合った。 背中にくっついた翼とマッチョっぷりがたいへんミスマッチだ。 ……うわ、この人には勝てそうにない。 視線をそらすと、サムライがいた。 いや、浪人だ。 くたびれた着流し姿で、鋭い眼で周囲をキョロキョロと見回している。翼も輪もない。 ……普通の天界人か。この人なら勝てるかな? ところが彼は背中のズタ袋から木刀を取り出して素振りした。振り下ろされる木刀の迫力に慎一はあとずさった。 ……も、もっと弱そうな人…… 視線をさまよわせる。 だが、自分より弱そうな者は誰もいない。みな自分より上級の天使か、さもなければ何か武術を見につけていそうなものばかり。 弱い奴を見つけるどころが四方から鋭い視線を浴びて、「……あいつデミエンジェルか」という呟きを耳にして、じろじろ見つめられて、怖くなってきた。 自分より弱い奴なんてこの中に一人もいないんじゃないのか。 スタートとなった瞬間、全員が飛び掛ってきて瞬殺されるんじゃないのか。 と、そんなことを考えながら人と人の間をうろついていた。 また見知った顔にでくわした。 頭にターバン。大柄で褐色の肌。 天界ニホン州ではほとんど見かけないアラブ風の顔立ち。 向こうが先に気づいて頭をさげてきた。 「……おお、シンイチさん」 「ラシードさん」 弁当やヨーグルトを事務所に売りに来るアラブ系天界人、ラシードだ。 ……ちょっと苦手なんだよな、この人。 なにしろ出会ったときに大迷惑をかけ、逆上したラシードに剣を切り殺されそうになった。 ミレイのとりなしでその場を収めたはいいが、慎一はいまでもなんとなくこの大男が怖いし、申し訳ない気もする。 慎一は笑顔を作って明るい調子で話しかけた。しかし自然な笑顔を作れた自信はない。 「ラシードさんも出てたんですか。こないだの新商品おいしかったです」 「うれしいです、シンイチさん」 ラシードは顔の下半分を覆うヒゲをふるわせて笑った。 「ラシ一ドさんも出場してたんだ。やっぱりお金?」 「ははっ、はっきりいいますねえシンイチさんは。ええ、金です。クニでは家族がわたしの仕送りを待っているんです。以前お話しましたっけ? わたしたちが イスラム自治州から出稼ぎに出ると、ただ居座るだけで登録更新料がかかるんです」 「そ、そうなんですか……」 ラシードの声にはさびしさが宿っていた。 「それじゃあ、頑張らないと……」 「ええ。……完全に抹殺する気で行きますので、よろしく」 「ハァ!? ま、抹殺ってタスキとるだけでしょう!?」 「命のやり取りをするくらいの覚悟がないと勝てません。普通の天界人と天使にはそのくらいの差があります」 「そ、そうなんですか……」 「というわけで、今回もジハードでアッラーアクバルです」 「……」 笑いながら言われたので、かえって怖くて仕方なかった。 ……この人にも勝てないかもしれない…… そう思ったまさにそのとき、もう耳に染みついてしまったキンキン声のアナウンス。 「さーていよいよ第6試練だ! 知っての通りこれまでは競技! これからはバトル! 第6試練は単純明快、残った選手100人によるバトルロイヤルだーっ! 選手のみんなは首からタグを下げてもらう! このタグを命だと思って守ってくれ! 奪い合ってくれ! とられた選手は失格、死亡と同じ! いさぎよーく 場外に出てほしい! 殴る蹴る自由、天界アイテム使用自由、思う存分やりあって15分間生き残ったものがクリアだーっ! おっと観客からブーイングがあがっている! なんでもこーい! ご意見をうかがってみましょう! わが実行委員会とリッキー池島はどんな厳しい意見から も目をそむけないぞーっ」 アナウンスが途切れて別の声、オッサンの声に切り替わった。『ブーイングをあげている観客』にマイクが渡されたのだろう。 「えと、あの、俺は格闘技やプロレスが好きで、今回の種目に格闘があるときいてとても楽しみにしてたんですが……だめですよバトルロイヤルじゃ。観客から はごっちゃごっちゃになってよく見えないし、『対決!』の緊張感もない! 観客からはごっちゃごっちゃになってよく見えないし、『対決!』の緊張感もない! ここはやっぱりトーナメント戦で、一人一人カッコイイ通り名とコス チュームを用意して、リッキーさんの激燃えなアナウンスで盛り上げながらバトル伝説を気づく、コレですよ!」 「熱い要望ありがとぉー! でも甘ーい! 格闘トーナメントが見たいなら天界のあちこちで武道大会がやってる! なぜあえて同じことをしなければいけない のか! あえてバトルロイヤルである意味があるに決まってる! 乱戦ならではの魅力! 新しい世界が! けっして跡で試合ビデオを高く売りつけたいわけ じゃない! はい終わり!」 観客席のブーイングはますます激しくなっているように見えた。 「さーて、実行委員のお姉さんがみんなにタグを配るぜ! どうせクレームがくるなら『どうしてお姉さんはジャージ姿なんですか? ブルマは天界でも滅亡し てるんですか?』とかそういうのが欲しかったぜー!」 「アホなこといってるんじゃありません!」 ポニー型天界獣にまたがった実行委員のお姉さんがアナウンスにツッコミを入れた。 「おっともしかしていまのはセクハラ発言かーっ!? などとわかりつつデンジャーを目指すのが俺の選んだ道! さて実行委員のおねーさん、どうぞー!」 息あってるなあ……などと思う慎一の前に実行委員のお姉さんが飛んできて、タグを渡してくれた。 「はいこれ。どうぞ」 チェーンにつながれた、電車の切符2枚分くらいの金属片。 つまみあげてみると、 『名前 シンイチエル 性別 男 階級 デミ工ンジェル(第10階位) 死亡年月日 2005年12月20日』 などといろいろ書いてある。 「死亡年月日が書いてあるんだ……誕生日の変わりに……」 自分が死んでからもう3ヶ月か…… と感慨にふける慎一。 タグにはほかのことも書いてあった。 『趣味 アニメ鑑賞 ゲーム等 性経験 なし』 「そんなことはバラさなくていいんだー!」 『注意書き キリスト教の価値観では童貞であることは尊いことです 胸を張りましょう』 「無理だよ! 張れないよ!」 『職種 奉仕天使 所属 ヒドリ町奉仕天使分局 同分局代表 局長ミレイエルによる評価 しっかり負けて大きくなれ』 「なにこの後ろ向きすぎる応援!」 タグを放り出したくなったそのとき、 お姉さんの「はいっ、バトルロイヤル、スタートっ! 」で我にかえった。 いかにもアクションという勇ましい音楽が響き渡り、慌てて周囲を見回した慎一の視界に、タックルをかましてくる短パン姿の大男が! 「……ひ!」 短い悲鳴をあげてとびのく。大男は慎一の体をかすめるようにしてふっとんでいき、その行く手にはくたびれた着流し姿で木刀を持った男がいた。 さきほど素振りをしていた男だ。 「いやァァ!」 烈迫の気合とともに木刀を振りおろし大男の脳天を一撃。 「ぐう」とうめいて動かなくなった大男のタスキを奪い取る。ざんばらに伸ばした黒髪の下にはつりあがった黒い目が光っていた。 木刀の男と慎一の目が合った。 距離は10メートル以上離れていた。それなのに慎一は、背筋に冷たいものを感じた。とても勝てない、次にやられるのは自分だ、そんな気がした。 その怯えは木刀男に伝わったらしい。表情にはっきり現れていたのだろう。木刀男は唇の端を吊り上げ、あからさまなあざけりの笑みを浮かべる。 木刀男は慎一を次の標的に定めたらしく、 「イィヤァァ!」 会長のような叫びをあげて空中を突進してきて、 しかしその瞬間、慎一の体が動いた。 自動的に動いた。 相手は体をタテにして、地上を走るのとおなじように飛んでくる。 慎一は体を横にした。何もない空中にねそべった。 ミレイに教わったのだ。 『空を飛べるなら直立にこだわる必要はない、むしろ体を横たえて移動し前方投影面積を減らせ! それが天界軍戦闘マニュアル初歩の初歩だ!』 そして目の玉をひんむくほど相手の突撃を見つめ、見つめつづけ、木刀男が大きく木刀を振り上げたその瞬間、 空中にねそべったまま真横に動いた。体を滑らせた。 木刀男は慎一の体のすぐ横をかすめるようにして飛んでいき、 勢いよく振りおろされた木刀男の木刀が空をきり、 「なに!?」 木刀男はうわずった叫びをあげて左右を見回した。 とっさに慎一は背中の翼から一枚の羽根を取り出して、天界アイテム「ざんげハンマー」に変化させる。 「どぇぇい!」 奇声をはりあげ、ざんげハンマーを力いっぱい振りおろす。 がしっ ハンマーが木刀でとめられた。 「やるじゃねえか、オタクの小僧」 木刀男はニヤリと笑う。 「あの、どうしてぼくがオタクだと?」 「最初のエッグハントのときをみてりゃわかる」 「えええ! あれを見てたんですか!」 「おうよ! ちなみにおれはおまえたちオタクって奴が大キライでなァ! ボッコボコにしてやるから覚悟しやがれ。棄権はゆるさねえっ」 木刀をグイグイ押しこんでくる。 ……このひと本気で怒ってる。 総髪を振り見出し眼を血走らせ腕はプルプルとふるえ、いかにも大激怒だ。 「なんでですかっ」 「おれには妹がいた。年が離れたかわいい妹だ。オイ! 変な想像するんじゃねェぞ! おまえらオタクときたら『妹』ときけばエロ、『姉』ときけばエロ、ほ かにやることねェのかっ!」 「エロじゃありません! 『萌え』です!」 「それがわからねェ! 薄っ気味わりい! とにかく俺には妹がいた! 俺は妹にも剣の道を歩んでほしかった! それを! それをォ! おまえらオタク がァ!」 「ま、まさか……」 さすがに尋常ではないものを感じて慎一はひるんだ。 もしかして殺されちゃったとか。オタクに。 「おれは妹に剣道漫画を読ませた!」 「ま、マンガ? あなた江戸時代のひとじゃなかったんですか?」 「誰がいつそんなことを言った! おれが死んだのはたった6年前だ!」 「じゃあサムライのかっこしてるのはコスプレ!?」 「おまえらオタといっしょにするな! 生き方の問題だ!」 「天界ってそんなひとばっかり!?」 「とにかく、おれは妹に剣道マンガを読ませた! 剣術に興味を持ってもらいたかったからだ! だがおまえらオタが邪魔をした! 妹はそのマンガに夢中にな り! そのマンガのキャラどうしがやらしいことをするマンガ描き始めたんだよ!」 「ふ、腐女子化!?」 「すっかり妹はそっちの世界にいっちまったよ……あの清らかだった妹が! 妹の人生を台無しにしやがってー! これでもかっ! これでもかっ! これでも かーっ!」 一度木刀を引き、何度も何度も振りおろしてくる。冷静さを失っているためか太刀筋は鋭くない。必死になって木刀をよけつづける慎一。 「うわ! うわ! うっひゃあ! そっそんなの! 逆恨みじゃないかっ! いっ妹さんだって自分の趣味くらい! ぎゃ!」 ついに肩口に木刀直撃。 生身の体だったころと変わらない痛みが慎一の肩にはじけ、からだ全体がこわばって動きが止まった。 「う……あなたの勝ちです、タグ持っていってください」 「ふふん! 降参は許さないといってるだろう! じわじわと痛めつけてやるよ! 悪く思うなよ、おまえたちオタクが妹を汚染したのがいけないのだ!」 ……どう考えてもその理屈おかしい! 焦った。四方をちらちら見た。 ……だれか助けてくれないか。 ……だめだ。みんな斬りあいなぐりあっている、こっちなんて見てもいない、自分の戦いだけで精いっぱいな感じだ。 ……実行委員のお姉さんは助けてくれないのか? 入り乱れて殴りあう選手数十人の向こうにポニーの鼻づらがちらりと見えた。 だがこちらに来てくれない。 木刀男の行動は反則あつかいにならないのだ。 ……自分の力できりぬけるしかない。 だが、どうやって。 「さーて、まずは顔からいっとくかァ!」 あからさまに悪役な叫びをあげて木刀男は木刀をスッと振り上げる。 その瞬間、慎一は絶叫した。 ありったけの気力をこめて叫んだ。 「それでいいのかっ!? 君は剣士だろう! マンガにでてくる剣術家のように力ッコよく生きたかったんじゃないのか!」 「……!」 木刀男の動きが止まった。 「……それなのにいまはなんだ! 自分より弱い奴をネチネチといたぶるだけ! 勇気も武士道もない! 君は悪役だ! それも剣客マンガの第一話でヒロインにからんで流浪の主人公の必殺技おひろめであっさりやられちゃうザコ敵だー! 君はそんなのになりたかったのかー!」 「ち、ちがう、おれは……」 「違うだろう!? 堂々と戦ってこそ剣士だ! 闇の道に落ちた邪剣士を『より深い悲しみ』とかで改心させたくないか!? 卑怯な手をつかってくる敵と戦っ てズタボロになりながら新必殺技を編み出して勝ちたくないか!?」 木刀男の顔はこわばったままだ。 慎一はふと不安にかられた。 ……いいのか? この路線でいいのか? 剣士をあつかったマンガといってもいろいろだ、勝手にバトルけいしょう年マンガにしちゃったけど本当にこれで いいのか。剣道少年の話が好きだったりしたらどうしよう? しかし動揺を押し殺した。顔には出さなかった。 オタクネタを熱く語っているときには動揺なんかしちゃいけない。これが世界一カッコイイって勢いで語らなきゃいけない。そう、力ラオケでアニソンや特撮 ソングを歌ってるときには絶対照れちゃいけないのとおなじ! だから慎一は一気にまくしたてた。 「君は思い出さなきゃいけないんだ! はじめて剣を手にした、あの少年の日のことを! 流した汗とマメの痛みを! ライバルにうちのめされて未熟を悟った あの日の涙を! どんなにどんなにバカにされて現実の世界では必殺技なんて使えないって思い知っても、その心だけは失っちゃいけないんだーっ!」 慎一は泣きそうな顔になっていた。自分の言葉の熱さに当てられていた。 「すっ、すまなかったーっ!」 木刀男は顔をくしゃくしゃにして泣きながら叫んだ。 「おれは間違っていたっ。おれは、おれはヒーローになりたかったはずなのに……この勝負、おれの負けだ! 持っていけ!」 木刀男の差し出すタスキを受け取って慎一は微笑む。 「わかってくれたか!」 「ああ! きっと次の戦いでは『剣の心』をとりもどすぜ!」 剣の心ってなんだよ? と当然思ったが、わかった振りをして力強くうなずいた。 わからないものをわかった振り、みえない物をみえた振り、オタクとしては基礎的なスキルである。そうでなければ架空のキャラクターを『俺の妹』『俺の彼 女』などと称して喜んだりはできない。 「がんばれよ!」 「おう!」 木刀男は晴れ晴れした表情で叫ぶと、天高くまい上がっていった。 「……よかった、ノリやすいひとで」 ほっとため息をつく慎一。 「やりますな」 きき覚えのあるのぶとい声に ハッとしてふりかえった。 そこにいたのはラシードだ。 「え……ら、ラシードさん?」 思わずうめいてしまったのは、そこにたつラシードの姿があまりにすさまじいものであったから。 まず、頭から顔面にかけて大きな刀傷が走っている。傷は片目を完全につぶしている。パックリ切り裂かれた傷口からは白い霧のようなもの……霊的エネル ギー、エーテルがあふれだしている。 さらに左の腕がひじで切り落とされて半分の長さになっていた。切断面の近くを布で縛りあげているが、それでもエーテルは噴き出しつづけている。 とんでもない重傷だ。 なにしろエーテルが大量に失われてしまえば、霊体を維持できなくなって体が消えてしまう。こんどこそ完全に死んでしまうのだ。 「……い、いたくないの?」 言った瞬間後悔した。 痛いに決まっている。生身の体がズタズタにされるのと同じ痛みだ。耐えているのだ、とんでもない精神力で。 「痛いですよ、もちろん」 そういいながらラシードはにやりと笑う。 慎一は背中の翼から羽根をむしった。 天界アイテム「万能膏薬」をつくりだす。ラシードの体に張りつけようとして、 「だめです! まだ試合は続いている。治療を受けたら失格になる」 「そんなこといってる場合じゃないでしょ! き、棄権したら……」 「棄権? 冗談じゃありません。せっかくここまで来たのに。あとすこしです。あとたった二つの試練で賞金が手に入るんですよ?」 ラシードは首から下がったタグを握りしめた。ぎしりと鎖の軋む音。 その声に、引き締まった表情に、すさまじい気迫を感じて慎一は圧倒された。 「……ラシードさん」 慎一は自分のタグを持ち上げた。 「あげます」 「え? 棄権するんですか?」 「うん……ラシードさんはどうしても先まで行かなきゃいけないんでしょ? ぼくはそんな理由ないから。ぼくがリタイヤしても誰も困らないから」 言っているうちにみじめな気分になってきた。自分は今回も、運がいいだけで勝った。ラシードはもちろんミヒャエルと比べても全然がんばってなどいない。 ラシードさんのようなすさまじい執念は自分の中のどこにもない。ぼくはこんなふうになれない。 「ミレイ局長が悲しみますよ」 「え? だってあの人はぼくに期待なんかしてないでしょう。どうせさっさと負けるって……」 「そんなことはありません。あの人はきっと、シンイチさんに……」 と、その瞬間、ジリジリリとべルの音が鳴り響く。 ついでアナウンスが、 「はいはいはいっ、それまでーっ! バトルロイヤルはおわり! おわりだってば、そこっ! 殴りあってないの! やめないと失格にするぞ! やめろって ば! 実行委員のおねーさんに『めー』してもらうよ! はいとまった、よーし! さて第6試練も終わり、勝ち残ったのは……ひぃ、ふう、みい……んー、ざっと30人くらいか? わりと多いねえ。たいしたもんだまったく。でも次の最終 試練できっと振るい落とされ……」 慎一は愕然として叫ぶ。 「お、おわっちゃったの!?」 「そうらしいですな」 ラシードは重々しくうなずく。 「やあシンイチさん」 明るい声とともに飛んできたのはミヒャエルだ。 「ど、どうも。ミヒャエルさん」 「やっぱりシンイチさんも勝ち残りましたか」 そういうミヒャエルはラシードとはまったく対照的に傷ひとつない。それどころか着衣にも金色の髪にもまったく乱れがない。圧倒的な力をもっていることの 証明だった。ミヒャエルが片手に握るタグの数は……慎一は眼を疑った。なんと6つだ。慎一がやっと一人倒したあれだけの時間で、じつに6人を倒した。しか も余裕たっぷりに。 慎一の視線に気づいたのかミヒャエルは、 「ん? ああタグですか? シンイチさんはタグいくつとりました?」 「ひ、ひとつ」 「ひとつ? ああ……これはタグの数を競う競技じゃありませんもんね……生き残りさえすれば敵は倒さなくていい、最小限の労力ってことですか。なるほど、 さすがシンイチさんだ。うんうん、すごいな。俺なんかつい攻撃的になっちゃって」 「い、いやあ、それほどでもアハハハ」 恥ずかしくて逃げ出したくなりながら慎一は笑った。この人わざとやってない? ぼくが運だけのダメダメ天使だってわかってやってない? などと思った。 「おや……ひどい怪我ですね」 ミヒャエルはラシードをちらりと見て、顔色ひとつ変えずにすばやく天界アイテムを出した。膏薬を傷口に張りつけて包帯を巻き、薬を飲ませてテキパキ治療 していく。傷からあふれだすエーテルが止まった。 「さあ、これでひとまずは大丈夫です。棄権はしないんですね?」 「え、ええ、はい」 「わかりました。正直、その怪我では難しいと思うんですが……本人の意思を尊重しましょう」 ラシードはひどくかしこまって頭を下げる。 「ありがとうございます。あなたにアッラーの加護を。あなたに平安がありますように」 「いいえ。どういたしまして」 とミヒャエルがさわやかに笑って答えたその瞬間、 スタジアムの地面の下で爆発音。地面が揺れ、裂けて、青白い煙が噴き出してくる。 「な、なんだこりゃっ!?」 たちまち煙が周囲を包んだ。何も見えなくなる。 「ミヒャエルさん! ラシードさん!」 慎一は叫んだ。 「気をつけてくださいシンイチさん! これはおそらく最終試練の……」 ミヒャエルの声が途切れた。 あたりを見回す。手探りですすむ。 「私を探してるの?」 女の声がした。声の方角を向いて慎一は言葉を失った。 少女がいた。 深い霧のなかで、なぜだか彼女の姿だけは鮮明に。 黒いつややかなセミロング。紺色のブレザーをきっちりと着こなし、少しタレ目気味の優しそうな顔に微笑を浮かべていた。 慎一はその少女を知っていた。 毎日毎日、彼女のことを思った。研修のときも、ミレイにしごかれるときも、汚くて狭い宿舎で「こんな天国やだなー」といいつつ寝るときも。 「……美弥子さん?」 慎一の唇から出たうめきに、彼女は微笑をうかべたまま答えてくれた。 「ええ」 「なんでここに?」 「どうだっていいじゃない」 そうだ、どうだっていい。 何も考えられなかった。 「美弥子さん」 また名前を呼んだ。あとたったひとこと、自分の気持ちを告げるだけでいい。 慎一が口をパクパクさせていると、美弥子はすっと自分から近づいてきた。白い腕を伸ばしてきた。手をぎゅっと握ってきた。 間違いない、本物の感触。 「……みや、こ、さん」 「滝森くん」 一瞬「え?」と当惑し、ああそれが自分の名前だと気づく慎一。 「滝森くんは、ずっと私を見てたよね」 「うん」 「どうして?」 「それは……それは」 美弥子は顔を近づけてきた。やや上目遣いになって、あと一動作でキスができるほどに接近、よくよく見ると彼女の表情は単なる微笑でなくてどこかいたず らっぽいものだった。何かを期待しているような。慎一は美弥子のそんな表情を見たことがなかった。挨拶に毛が生えた程度の会話しかできなかった、軽口を叩 き合える仲になれなかったのだから仕方ないかもしれない。だがいままさに美弥子は慎一に、ともだちに対するような無防備な表情を見せている。 「……それは……それは、美弥子さんが」 「私のことがすきだったから?」 「そう! そうです! 美弥子さんはぼくのことを馬鹿にしなかったから! 本を読んだり友達と喋ったりしてるときも、美弥子さんは特別にきれいで、ずっと 見ていて……」 「だから、たまに喋ったらすごくギクシャクしてたんだ?」 「そ、そうです!」 「……ふうん……」 美弥子は小さくうなずいた。 慎一は深く息を吸い込んだ。つばを飲み込んだ。どこか遠くのほうで非常ベルが鳴っていた。「天界アイテム暴走、緊急事態です! えらいこっちゃ……」 リッキー池島の甲高い絶叫も響いていたが耳に入らなかった。 息をすいこみ拳を握り締めて一気に、 「ぼくは美弥子さんにまたあいたくて……」 慎一は言葉をたたきつけた。 しかし美弥子の言葉がさえぎった。 「あなた、そんなことわたしが望んでると思ってたの?」 さきほどとは別人のように冷たい声だった。 「え?」 「それでわたしが喜ぶって? どうして? どんなカンチガイすればそんなことに? おかしくない?」 「え……だって」 「ずっと遠くからハアハア言いながら見てるだけの奴なんて、そんなの好かれてうれしいと思う? そんな女いると思う? だいたい、わたしが滝森くんに優し くしたのってただの気まぐれよ? 道路で死にそうな生き物がピクピクしてたからかわいそうだと思っただけよ。それを何? あなた思ってるでしょ? 『この 人は僕のことを好きかもしれない』」 「お、思ってない!」 動揺もあらわに叫ぶ。 「いーえ思ってるわ。自分を特別扱いして欲しがってるのね。『いいこいいこ』してもらえると思ってるのよ。相手のことなんて何も考えてない。自分だけ」 「違う!」 慎一の叫びは悲鳴に近かった。 立っていることができなかった。 その場に体を丸めて浮かんだ。 これは幻だ、ほんとうの美弥子さんがこんなこと言うはずがない、そう思った。念じた。 しかし美弥子は消えない。 蔑みの目を相変わらず向けて、 「……現実を見なさいよ、あなたみたいな気持ち悪い生き物を好きになってくれる女なんて、いるわけないじゃない」 「で、でも……ぼくが死んだとき、クルマにはねられとき、美弥子さんは……あんなに悲しそうに……」 「あれはね、ただ人が死んだから悲しそうにしただけよ。世間の常識だし、世の前でクラスメートが死んでヘラヘラってわけにも行かないしね」 「ち、ちがう……美弥子さんはこんなことを言う人間じゃない……」 「滝森くん、あなたわたしの何を知ってるの? 家族でも友達でもないのに。頭の中で勝手にイメージつくってるんでしょ? 100パーセント明るくて優しい お姫様を。そんな人間いるわけないのにね。お人形遊びと一緒よ。あなた、生身の女の子と仲良くなりたいとか思っちゃダメよ。一生アニメだけ見てればいいの よ!」 慎一はもう言葉もなかった。 眼をそらせずに美弥子の顔を見つめていた。 ふっくらと柔らかそうで優しそうな顔立ち、白いブラウスのよく似合う落ち着いた顔立ちのまま、心からの蔑みの光をその眼にたたえて自分をにらんでいる美 弥子を。 ……そうだ。 慎一の心のどこかで声がした。冷静な声だ。 こういわれるのは分かっていた。 地上に戻って告白したからって受け入れてもらえるなんて限らない。ずっと前からそれはわかってた。自分はほんとは好かれてなんかいないって分かってた。 だから何ヶ月も告白できなかったんだ…… 「そうよ」 美弥子はまるで慎一の心を読んだかのように、 「そのとおり、これは現実よ、必ず起こること。あなたが頑張っていることに意味なんてない、自己満足に過ぎない、地上に降りようが生き返ろうが、絶対に振 られる……わかっていたはずよ……」 「……そうかもしれない」 思わず言葉が出た。言ってしまえば楽になった。全身から力が抜けた。涙がこぼれた。 なんだか手足がしびれはじめ、不思議に思って自分の手を見た。 肘から先が透き通っている。『透明化』はみるみる進行して肩まで透明になった。いや、ただ姿が見えなくなっているだけではなかった。動かせない。そこに 腕があるという感触が失われていた。腕が消えてしまったのだ。 あわてて足を振り空中をけって逃げ出そうとした。足にも力が入らない! 靴から足首にかけてが透明化していた。 「きっ、消えちゃう! ぼく消えちゃうよ!」 「そうよ、あなたなんか消えていいのよ」 美弥子の声。 「ちょっと優しくされただけでつけあがるようなキモチわるいひとだもの。生き返ってきたってぜったいあなたなんて好きにならない。だったら消えちゃったほ うがいいわよ。楽になれるわよ?」 からかうような調子の声が慎一の心に染みこんでくる。そうだ、と思った。思った瞬間、腰の感触も消えた。 恐怖はあった。だが叫ぶ気力はもうなかった。ああそうなんだ、と心の奥底で納得の声が上がった。 体の感触が薄れていく、ある意味気持ちがよかった。 そのとき。 美弥子と慎一の間に、そのときひとつの影が飛び込んできた。 「そこまでだ! 幻影!」 立ち込める白い霧を裂いて飛んできた影。 全身を包むのはモスグリーンの服。斑点状の迷彩服だ。金色の短い髪の上にグリーンのベレーを乗せ、眼鏡をかけた細いからだの…… 「ミレイ……さん?」 「シンイチ、君はこの場から離れろ」 「え……なにを……言ってるの?」 戸惑う慎一。突然現れたミレイに向かって美弥子は、 「あなた、せっかくわたしが真実を教えてるのに、邪魔するんですか? あなたみたいな人がいるから、いつまでたってもウソの希望を捨てないんですよ?」 ミレイはフンと鼻で笑った。 「……希望をすべて否定するものは愚かさ。ましてお前のような幻影の言葉に踊らされるのはな」 「え? ミレイさん、何を言ってるの? だって確かに、ぼくは美弥子さんのことを……」 「シンイチ、この女は本物のミヤコじゃない。最終試練の暴走が生み出した幻影だ」 「え……」 「研修所で習わなかったか? 天界アイテム『ウリエルの楔』。人間の根源的な恐怖を実体化させるアイテムだ。天界軍の訓練にも導入されている」 「……幻影? これが?」 慎一は美弥子の顔を見た。肌も髪も完全に人間の質感だ。それにさきほど握った手、やわらかく細い手の感触。 「間違いなく本物だよ?」 美弥子もうなずく。 「ええ、わたしは本物よ」 「ちがう、君の心の奥には『彼女に嫌われるんじゃないか?』という恐怖があった。がんばって生き返っても無駄なんじゃないのか、告白しても受け入れてもら えないんじゃないか……その恐怖が子の女を生んだんだ」 「で、でも……」 「気合を入れろ!」 ミレイが慎一の頬を張り飛ばした。まだ頬には痛覚があった。 「天界人のエーテル体維持は意志の力に左右される! 気力が萎えたものは消えるんだ! さあ復唱しろ、『俺にはまだやらなければいけないことがある』!」 「ミレイさん……」 間近にミレイの顔があった。白い整った表情に、青い瞳に焦りが浮かんでいた。 いや焦りではなかった。 慎一がいままでミレイのなかに見たことがない感情。 心配。そして恐怖。 このままこいつがほんとうに消えてしまったらどうしよう、という。 消滅の心地よさに流されそうだった慎一の心に、わずかだけ力がよみがえった。 「……きえちゃいけないの、ミレイさん」 「当たり前だ!」 「だって生き返っても……」 「お前の人生の目的はひとつか! 好きな女に振られたくらいなんだ! べつの相手を探せ! 趣味に生きろ! うまいものを食え! やりたいことはいくら だってあるはずだ!」 あったかな? とモヤモヤした頭で考え出す慎一。 そうだ、確かにあった。 天界に来てからは何を食べても「地上と味が違う」気がする。見たいアニメ、ゲーム、マンガの続き、親がいまどうしているか。心残りはいくらでもある。 「なんでもいい! 死にたくないと思え! 親でも食い物でも金のことでもいい!」 ミレイの言葉は力強かった。 一言ごとに慎一の心を揺り動かした。 手足に力が通った。動くようになった。 体を温かいものが流れているのがわかる。 血液のような……だが体が霊体なのだからこれが「エーテル」なのだろう。 「さあ、脱出するぞ!」 ミレイが慎一の手首をきつく握った。 「え」と慎一が声をあげるのもかまわず、そのまま飛び始める。慎一は引きずられた。 「まちなさい……まち……」 美弥子が叫ぶが、すぐにその声は途切れ、姿が溶けるように消えた。 「……ほんとに幻影だったんだ」 「言っただろう」 「だって、あんなにリアルで」 「君の中の恐怖が切実だったということだ」 ミレイはそう答えながらキョロキョロとあたりを見回している。とはいってもあたりは霧ばかりで、大勢いたはずの人間も見えない。 「あの、ミレイさん」 「なんだ?」 ふりむいたミレイの顔は緊張にこわばっていた。いらついているようにも見える。 ……「ありがとうたすけてくれて」 と言おうとして慎一は言葉に詰まる。 「いや……どうしたの怖い顔して。もう助かったんじゃないの?」 「馬鹿か君は。本当に恐ろしいのはこれからだ。脳天気すぎる。第一、あの程度は自力で脱出しなきゃだめだ。それをなんだ、ヒィヒィなきわめいてみっともな い」 「ヒィヒィなんて泣いてないよ!」 慎一の言葉についトゲが混じった。 ……だれがお礼なんて言うもんか。 と、そのとき、どこからともなく少年の声が響いてきた。 「その子にはずいぶん優しいんだね、ミレイさん、ぼくのことはまったくみ手くれなかったせいにさ!」 声の主は慎一とミレイの前に立ちはだかるようにして現れた。 どこから飛んできたわけでもない、空中からにじみ出すように現れた。 軍服を着ていた。ミレイの迷彩服とはまったく違う、空のように真っ青で金ボタンと肩に金モールまでついた軍服。昔歴史マンガでこんな軍服を見たことが あった。19世紀の軍服だ。 帽子を頭にくくりつけた少年の顔は、浅黒く日焼けして、ミレイとどこか似た吊り目が鋭い光を放っていた。無造作にまとめられた長髪が彼の野性味を増して いた。 「やあ、ミレイさん。それとぼくの後釜。よろしく」 「誰ですか?」 慎一がそう尋ねると少年は馬鹿にしたような眼を向けて答える。 「ぼくはレイジ。ミレイさんの過去から来た者さ」 慎一はすぐに理解した。 この少年はミレイさんの恐怖が生んだんだ。 自分にとって「美弥子さんに振られる」ことが恐怖だったように。 冷たく突き放すミレイ。 「……きみが幻影だということはわかっている、消えてくれ」 「いやだよ、ミレイさん。どうしてそんな冷たいこというのさ。……ぼくのこと忘れたいの? だからこの子を新しい部下にしたんだ? ぼくとはタイプがぜん ぜん違うから気持ちを切り替えるのにいいかもね」 「消えろ! わたしはもう怖くない! 克服した! 罪の意識なんて感じてない!」 「ウソばっかり。だったらどうしてぼくがここにいるのさ」 少年は静かな調子で、しかし強い感情をこめて言う。空中を歩いてミレイに近づいてゆく。 「や、やめろ……」 慎一は眼を疑った。ミレイがおびえていた。哀願のうめきを発していた。いつもいつも怒鳴ったり勇ましく断言したり、そんな姿しか見たことがなかった。子 の人が泣いたりわめいたりするところなんて想像もできなかった。だが確かにミレイは怖がっていた。目の前のレイジという小柄な少年を。 「やめてくれ、消えろ、消えてくれ……」 うろたえるミレイをレイジは見逃さなかった。ミレイの手首をつかんで自分の胸に押し当てる。 「逃がさないよ。消えろなんて言葉もつかってほしくない。罪の重さを思い知らせてあげる。……ぼくのことを『弟のように思っている』って言ってくれたよ ね。『ふたりで天界を守ろう』って言ってくれたよね。なぜかミレイさんがこの話をするとき顔を赤くしていたのをおぼえているよ。 ……すきだったんでしょう、ぼくのことが。 それなのにミレイさんは気づいてくれなかった。ぼくの心が壊れて傷ついていくのに気づいてくれなかった。 そして完全に壊れたとき、ミレイさんはぼくを殺した!」 「任務だ。天界軍軍人の義務を果たしただけだ。堕天使を放置することはできない」 「その原因を作ったのがミレイさんなんだよ。せめてもうすこしぼくの言葉を聞いてくれれば。 ミレイさんだってわかってるよね。だからぼくを呼び出したんだよね。 苦しかったよミレイさん、だれにも分かってもらえないのは。痛かったよ、ここと、ここと、ここを銃で撃たれて、最後にはここ」 レイジは自分の胸に手を当てる。 「ここをゴッツいナイフでひと突き。霊体の中核を破壊されるのは痛かったよ、全部ウソだったんだね。やさしくしてくれたのはウソだったんだね。 あんなに 思いきりグサリだもんね」 「ウソじゃない!」 ミレイの声はかすれていた。 ……なんでミレイさんは逃げたり戦ったりしたいなんだろう。 慎一は不思議に思い、気づいた。 ミレイの体が消えてゆく。 さきほどの慎一のように、あるいはもっと早い速度で、迷彩服に包まれた腕が、ブーツを履いた足が、透明になって空気に溶けるように消えて、「消滅」はま すます進行して腰が消えて肩が消える。 慎一は研修所で教わったことを思い出した。 天界人の胸にはアストラル体……霊体の中心核がある。これを破壊されたらその霊は絶対に復活できない。 ミレイが完全に消えるまであとわずか。 「ミレイさん! しっかりして!」 「慎一、君は逃げろ。この幻影はわたしの存在意欲を奪うだけだ、君には影響を与えない」 「そんなことできないって!」 「わたしの義務だ!」 ミレイの叫びにかぶさってレイジが、 「そうやって罪をうめあわせるつもりかい!? 無意味だよ。一度おかした罪は決して消えないんだ!」 レイジのその一言がミレイの心に止めをさしたらしい。頭部が、胸が霞のようにぼやけ始める。 その瞬間、慎一の心の中を多くのものが飛び交った。 ……ミレイさんが消えちゃう。 ……いつも怒ってばかりのミレイさんが。 ……でも本当はすごく弱い部分を持っていたミレイさんが。 ……あと一瞬。一瞬しかない。 どんな天界アイテムを使うか、悩んでいる時間はない。 夢中だった。反射的に体が動いた。 慎一はミレイに抱きついた。 すでに体の感触はなかった。 綿菓子のように希薄なものに腕を突っ込んだ感触。 腕が抵抗なくミレイの体にめり込んでいく。 ほとんど体を重ね合わせるようにしながら慎一は叫ぶ。青ざめた、透き通るミレイの顔を目の前にして、絶叫した。 「……それでも軍人かー!」 ミレイの心を奮い立たせる言葉はそれしか思いつかなかった。 「え?」とでもいわんばかりにミレイが眼を見開く。 慎一は機関銃のように言葉を連打。 「ぼくのさんざん怒鳴っただろ! 腰抜けとか怠け者とか無能とか未熟とか言ったろ! ヘマしたらビンタくらわしただろ! さんざんパシリやらせただろ! 軍人と言われてぼくがガンダムの話したら『あんなのはリアルな軍人じゃない』って不満そうだったろ! じゃあ、なんなんだよ! あんたはなんなんだ! さんざん偉そうにして、ちょっと暗い過去の失敗ネチネチされたからって立ち上がれなくなるのが軍人かー! このニセ軍人! ぼくの知ってる軍人はどんな つらいことがあって『任務了解』 とか『肯定だ』とかいって泣き言も言わなくて、人知れず血反吐を吐いて頑張るんだぞ! アニメやマンガも軍人に負けて恥ずかしくないのかーっ!」 ミレイの表情がひきしまった。 唇の端を噛み千切った。 すでに煙のような半透明と化していたその体が、一気に実体感を取り戻す。 「そうだな、シンイチ」 ミレイは振り向いて笑った。 むかし映画で見たアメリカ人のスポーツマンのような明るい笑いだった。しかしその青い眼がうるんでいることを慎一は見逃さなかった。 泣きそうになりながら、こらえて笑ってる。 それがわかった。 レイジは舌打ちした。 整っていた顔をいらだたしげにゆがめてミレイを突き飛ばし叫ぶ。 「……残念だよ、そのまま消えたほうが楽だったのにさ。きっと後悔するよ。ぼくは何度だって現れる! ミレイさんの中の罪悪感が消えない限り!」 ミレイはもうひるまなかった。 「だからなんだ! 来たいなら来ればいい。夢の中にでもなんでも出てくればいい。もう怖くはない。……わたしが君を救えなかったのは事実だ」 「だったらなぜ責任を取らないんだよ。ぼくを弟だと思ってたんじゃなかったの!?」 「……いまのわたしには仲間がいる。やるべきことがまだ残っている」 「……そうかい! ……ミレイさんの気持ちはその程度なんだね! ウソつき! 天界軍から逃げて、ぼくからも逃げて、どこまでも逃げればいいさ!」 レイジは泣きそうに顔をゆがめて、スイッチを切ったように消滅した。 「……よかった……」 思わず慎一の口から安堵の声がもれる。 「……そうだな、この程度の幻想圧力でよかったな。……ところでシンイチ」 「はい?」 「さっきからわたしの胸を力強くアグレッシヴにもみしだいてるのは、なんだね!?」 「え? ええ? うわあ!」 確かに慎一は先ほどからずっとミレイを抱きすくめ、無意識のうちに乳房の辺りを押さえていた。 「ちっちっ違うんですミレイさん! これは無意識のうちに!」 まさにその瞬間、 霧が晴れた。 あたりは、スタジアムは、何十人だかの天界人と天使がぐちゃぐちゃに入り乱れており、 消えかけていたのか「助かったー!」と声が上がった。 「銀色の防護服みたいな軍服、頭部は振るフェイスヘルメット」の集団が舞い降りてきた。集団巨大な掃除機を持っている。ゴウゴウと唸らせて霧を吸い込ん でいる。 「天界軍だ! 救助に来た! 消滅しかけているものはいないか!」 天界軍の部隊一人ずつばらばらになってスタジアムの各所に散っていく。 慎一とミレイのところにも一人来た。 「ご、ご苦労さんです」 慎一は口走る。 天界軍兵士は、ミレイとその後ろから抱き付いている慎一を交互に見て、 慎一に掃除機を向ける。 「まだ消えていないのか! 出力全開!」 「いや、違います違いますって!」 「ウソをつけ! そのスケベったらしいニヤニヤ顔はどうみても性犯罪系の幻影だろうが!」 「なんでそこまで言われなきゃ、って、すいこまれるぅ!」 掃除機の吸入口にすいよせられぺったりとはりついてしまう慎一。 「拘束しろ!」 取り押さえられた。 「な、なんでー!?」 5 天界軍保安局の建物の中、窓もない狭苦しい部屋。 慎一は青い軍服の中年男性にねちっこい眼でにらまれながら訊かれた。 「以上の事実に相違ないかね」 慎一は「天使にもバーコードハゲっているんだなあ。いっそ丸めれば貫禄があるのに、それにしてもおなか減ったなあ。何か出してくれないかなあ。軍用レー ションはまずいって話だけどそれでもいいや」などとまったく関係ないことを考えつつ、 「はい、ああ、はい」 「真面目に答えたまえ!」 「あ、すいません」 しかしどうにもやる気が出なかった。 試練に使う天界アイテムが何かのミスで暴走、スタジアムにいる観客や選手全員の恐怖を実体化させて大混乱。ミレイと慎一は助かったが、完全に消滅してし まったものも何人もいる。 そしてもちろん、運動会は中止だ。 原因を知りたい天界軍はじめ各組織はその場にいた者全員をしつこく取り調べている。 苦労が全てパー、疲れて、悲しいことになった。何もかも無駄だった、そんな気がした。 「ほんとうに何も見てないんだな? 装置の誤動作した瞬間は?」 「はい、見てません。いきなり地面がドカーンと割れて煙がモクモク。……もしかして、ぼくのこと犯人だと思ってます?」 「全ての可能性を考慮している。取調べを受けているのは君だけではない」 「……ミレイさんのことも犯人だと? ミレイさんもこうやって捕まってるんですか?」 「そうだ。……残念ながら君から入手できる情報はこの程度のようだな」 「じゃあ出してくれるんですか?」 「書類を整え、上官の許可を得た上で出す」 「ああ、軍隊っていうかお役所みたい!」 慎一がそう叫ぶと男はさも不思議そうに首をかしげ、肩まですくめて、 「知らなかったのかね? 軍隊は役所そのものだ」」 6 慎一が取調べから解放されたときはすっかり夜になっていた。 建物から出た。 薄闇の中、家や小さいビルが立体的に並んでいる。人通りは少ない。 背中の翼から羽根を一枚だした。 「いでよ、天界獣ロケットツナ!」 魚臭い臭いを振りまいて巨大なマグロが出現。 「グロ吉。……のせてってくれ」 「若、うかねえ顔ですなぁ、どうしたんですかい?」 「……いろいろあってね。散々苦労したけど、全部パーになった」 「……のりなせえ、若」 「うん」 グロ吉は慎一を乗せると暗がりの中をすべるように飛び始めた。 すれ違う人々や天界獣を軽くよけて進む。 「どこに行くんですかい? 若の宿舎に帰りゃいいんですかね? それとも分局へ?」 「あれ……どっちだろ」 決めていなかった。 事故から救い出されたあとのことはひどく記憶が混乱している。ちょっと体をチェックされて「エーテルの流出なし! アストラル核の損傷なし! エーテル 波位相正常範囲内! 問題なし!」といわれて、そのあとは取調べだ。 ミレイとはいつのまにか引き離された。 そのときどんな言葉を交わしたか思い出せない。 「……うーん……終わったらどうするんだっけ」 こんなとき、天界に携帯電話がないのは痛い。 「行ってみましょう、分局に」 「え……でも……」 「まだ閉める時刻じゃねえでしょう」 「うん、それは確かに」 グロ吉は加速した。その力強さは頼もしかった。何も考えずにしがみついているだけで運んでくれる。 しかし、グロ吉は自分のもっている「道具」。命令を出すのは自分なのだ。 「……で、なんだってそんな葬式みたいな顔してるんですかい? いいや葬式ってこたぁねぇな、飼ってる犬が死んじまって、そっから連想して『父ちゃんも母 ちゃんもおれもいつかみんな死んじゃうんだ』って泣いてる坊主みたいでさぁ」 「……よくわからない比喩だけど……」 慎一は事情を語りだした。 自分がさっぱり仕事ができずいらだっていたこと。 仕事ではなく運動会に参加させられたこと。 そして会場で起こった出来事の全て。 美弥子の幻影に言われたことまで含めて。 「……するってぇと、若は『俺はもう頑張りたくない』って思ってるわけですかい?」 「え……」 あまりにあっさりズバリと言い表された。 「……そうだと思う。 ミレイさんに助けてもらえたのはうれしいと思う。 でも、自信がなくなった。 結局自分の力では何もできなかったし…… それに『幻影』の言った事は嘘とは限らないんだ。地上に降りたって美弥子さんはぼくのことなんて相手にしてくれないかも知れない。そう思ってるうちに、 逆に『なんでいままではやる気がでてたんだろ?』って不思議に思えて……」 「そいつぁ若、考えすぎってもんでさ。当たって砕けろ! みじけえ人生だ、ぐるっぐる考えてばかりじゃ時間がもったいねえってもんです」 「いや、ここ天界だし。人生が一度とか言われても」 「言葉のアヤを気にすると女にもてませんぜ若」 「けっこうきついね、今日は」 「いいたいことを言うのがあっしの性分で。まあ、あの世もこの世もかんけぇねえ、行動あるのみってことでさ! 行きやすぜ!」 グロ吉の体が痙攣した。腹の下に筋肉がうねるのを慎一は感じた。 全速力でグロ吉は夜の街を突進しはじめる。 「舌かまねえでくだせえ!」 「はふっ! もう遅い!」 7 今回は普通に事務所の前で止まった。 グロ吉から降りて、ドアをノック。 この瞬間まで、慎一の心の中はドヨドヨしていた。 さきほどグロ吉に打ち明けたとおりの不安で胸がいっぱいだった。 なんとなく仕事やる気もなくなった、やめようかなとすら思っていた。 ドアを開けた瞬間。 パンパンパンッ! クラッカーが鳴らされた。 鳴らしているのはマユリ。 「おかえりなさいー! 祝・生還ー!」 明るく叫んだ。 マユリだけでなく事務所内にはミレイが、そしてラシードが、なぜかミヒャエルまでいる。 全員が慎一を見て、笑顔を向けて、 「おつかれさま、シンイチ!」とミレイ。 「大変だったですねー!」とマユリ。 「ご苦労でした」とラシード。 きょとんとしてシンイチが、 「……え? な、なんでこんなにお祝いされてるの……?」 「え? なにか不審なんですかあ?」とマユリ。 「……だってぼく、結局なにもできなかったし。運動会も中止だから全部無駄になったわけだし……」 ミレイが笑い出した。 「ははっ、そんなわけないだろう! あれだけいろんな試練を突破したんだぞ? 最後の幻影にも打ち勝った。あれはなかなかできるもんじゃない。本来は天界 軍の訓練装置なんだ」 「そうですよ、シンイチさん」 ミヒャエルが相変わらずの爽やかな笑みを浮かべて言う。 「俺はかろうじて耐えられましたが、消えてしまった人間を何人も見ました。シンイチさんの意志力は意外にあります。見くびってました。いつボロを出すかと 思ってたんですが」 「き、気づいてたの? ぼくの自慢がホラだって?」 「見れば分かります。エーテル波ひとつ見定められない天使なんて素人レベルです。でも……」 ミレイに目配せをするミヒャエル。 ミレイはうなずいて、 「でも、あの会場でのきみは確かにわたしを救った。君が助けてくれなければわたしは消えていた。、もう、ホラを吹く必要なんかない。自信を持って言えばい い、ミレイという上司を助けたんだって」 「うふふ。予想以上でしたよねー」 マユリがあっけらかんと笑う。 「マユリさん、もしかしてぼくを運動会に送り込んだのは!?」 「えーと、ここまでは考えてないです。ただあそこの種目ってわりと訓練になるしー。いい刺激になるかなーと軽い気持ちでー。あっもしかして怒ってます?」 「……怒ってません。ありがとう、マユリさん」 慎一はそのとき初めて思い出したかのようにミレイに近づき、頭を下げた。 「……ありがとうございます、ミレイさんも。助けに来てくれて。自分が消える危険を冒してまで」 「……ああ。義務だからな」 そういってミレイは微笑む。 だが慎一には分かっていた。 ただ義務だからじゃない。 かつて犯した罪、天界軍時代に部下を救えなかった。それどころか自らの手で討った。いまもミレイの胸に突き刺さる罪のために彼女は動いている。慎一に厳 しくするのも、命がけで助けてくれたのも同じ理由。 ……そうだ、無駄なんかじゃなかった。 ただの乱暴で厳しい女だと思っていたミレイさんのことを、ぼくは知ったじゃないか。 弱い心を必死に守っているミレイさん。 こんな優秀な人にはぼくの気持ちなんて分からないと思っていたけど。でもこの人と一緒なら、頑張れるかもしれない。 と慎一が物思いにふけっているとミレイが顔を寄せてきた。 キスができるほどの距離。慎一が戸惑っているとミレイはささやく。 「……わたしが取り乱して消えそうになっていたときのことは誰にも話すなよ! 絶対にだ! もし話したら……」 「はっはいー!」 ……やっぱり怖い女だったー! 慎一は心の中で悲鳴をあげた。 第4章おわり 第5章につづく |