三雲岳斗の諸作品について

 
三雲氏は天才ではない。
 一流の作家ですらない。
 しかし彼は「偉大なる二流」である。その力は時として一流を上回る。

 
三雲氏は実に頻繁に批判を受ける。その多くは「パクリだ!」というものだ。なるほど、他の作品と設定が似ている場合は多いかも知れない。時としてキャラクターの性格や雰囲気まで似ていることもある。
 だが、オリジナリティは絶対だろうか?
 いや、そもそもオリジナリティとは何だろうか?
 全く新しいアイディアやキャラクター、ストーリーを生み出せた。それはもちろんオリジナリティの発露といえるだろう。だが……それだけがオリジナリティなのだろうか?
 「どこかで見たような設定だ。ストーリーもそうだ。キャラまでそうだ。でも、それでも、何か他の作品とは違うものが伝わってくる」これも立派なオリジナリティではないか。
 三雲氏は無から有を生み出すことができない。しかし、だからどうしたというのだ。「真似だ」と言われたら、「確かにそうだが、俺の方が面白い」と言えばいいのだ。
 これは私がいつか言ってやろうと思っているセリフである。
 私には無理だが、三雲氏にはそのセリフを口にする資格がある。

 「コールド・ゲヘナ」シリーズの批評
 「レベリオン」シリーズの批評
 「M・G・H 楽園の鏡像」の批評
 「海底密室」の批評
 「アース・リバース」の批評
 「竜の遺跡と黄金の夏」の批評
 「DEAR SONG」の批評
 「ランブルフィッシュ」の批評


 コールド・ゲヘナシリーズ(電撃文庫)


 
「コールド・ゲヘナ1」
 デビュー作であるこの作品からして、「FSSだ」「ワースブレイドだ」と散々である。
 実のところ、この作品に関しては「そうかもしれん」としか言いようがない。裏の設定はずいぶんと異なるものなのだが、第一印象を覆すのはなかなか難しい。
 心理描写がちょっと浅い、女の子のキャラクターがいまひとつ魅力的でない、コメディ的な場面で笑えなかった……そういった欠点も感じた。
 最初にこの本を読んでしまった人は、三雲氏のことをあまり高く評価できなくなってしまうかも知れない。それはとても不幸なことである。

 「コールド・ゲヘナ2」
 詰め込みすぎ、説明不足という印象がぬぐえなかった1巻に対し、2巻はもう少し完成度が高くなっている。
 ゲストキャラの技術者がけっこう良い感じである。

 
「コールド・ゲヘナ3」
 これで完結編にしたほうがいいと思うのだが、まだ続けるらしい。
 本編とは関係ないが、このイラストはどうにかならないのか。私はこれほど格好悪い人型兵器を初めて見た。
 逆にいえば、三雲さんはイラストに頼らず魅力的なロボットアクションを描ける作家である、ということになるが……さすがにそれは、少しばかり持ち上げ方に無理がありすぎかも知れない。

 
「コールド・ゲヘナあんぷらぐど」
 未読のため詳しくは述べない。短編のひとつ「お買い物に行こう!」を読んだ限りでは……この人のコメディはいまひとつテンポがよくない。

 「
コールド・ゲヘナ4」
 つまらなくはない。ただし、ストーリーに意外性は乏しいし、主人公が戦いに勝つ理由に、筋の通らないものを感じる。シリーズの他の作品同様、あまりおすすめできない。


 「レベリオン」シリーズ (電撃文庫)

 
「レベリオン 放課後の殺戮者
 私の知る限り、三雲氏の最高傑作である。
 初めて読んだ三雲作品がこれであったことを、私は本当に幸福だと思っている。
 しかし、ネット上ではさんざんな評価だ。
 「駄目な麻生、駄目なブギーでしかない」「読者が麻生俊平を読んでいなければ楽しめる」「キャラ配置やテーマに至るまでミュートスノートの同工異曲、亜流としか言いようがない」とまで言われている。
 そうだろうか?
 同じ題材を、よりきっちりとまとめることができるのは才能ではなかろうか?
 なるほど、麻生作品に比べると、登場人物の心理的な掘り下げがかなり浅い。その代わり理系の設定に力が注がれている。コールド・ゲヘナでも、「疑似慣性制御」だの「マイスナー効果」だのといった単語を持ち出してSF風にまとめようとしていたが、この作品でも同様だ。主人公達が手に入れる超常的な能力を、可能な限り現実世界の言葉で説明しようと試みているあたり、この人の資質は「麻生俊平+山本弘」なのかも知れない。もちろん、それぞれの良いところを併せ持つという意味だ。
 私はなにより、この作品の雰囲気を買いたい。ラストに漂う、まさしく「哀切」という他ない独特の雰囲気は、その瞬間に限っては麻生俊平を確実に凌いでいた。


 
「レベリオン 弑殺校庭園」
 続編となるこの作品でも、三雲氏の魅力は損なわれていない。
 謎解きの面白さ。
 次から次に現れる超人たちの「強さ」を、あくまで科学的に説明しようとするSF魂。
 アクションは実際の戦闘というよりアニメや格闘ゲームに近いものだが、それでも迫力や緊迫感は十分だ。
 そして、キャラクターたちの魅力。
 そのどれにも隙はない。テーマ的にもそうだ。人類は進化すべきなのかという「大きな問い」と、少年や少女が自分の心のあり方について悩む「小さな問い」が、ちゃんと絡まっている。これはミステリ作家であり、SF作家であり、なおかつライトノベル作家である三雲氏にしか書けない作品だ。傑作である。
 ……ここできりたいところなのだが。
 今回登場した新キャラクター「沢渡美古都」は、非常に聞き覚えのある名前である。
 私はてっきり、狐の能力をもったレベリオンかと思った。(思うな)
 いや偶然だ。そうであってくれ。 


 「M・G・H 楽園の鏡像」(徳間書店 ハードカバー)
 がらりと作風を変え、SF風のミステリに挑戦した三雲氏。しかもこの作品は「日本SF新人賞」を受賞した作品なのだ。三雲氏を「切り張りがうまいだけの作家」と称する人々は、この作品の前に沈黙する他ないだろう。
 実際、このMGHには他作品の模倣と思われる部分は存在しない。彼が本当に得意としているのはこういったジャンルなのだろうか?
 キャラクターの掘り下げ不足といったものは感じないでもないが、ミステリとして非常によくできている。
 一つ問題をあげるとすれば、この作品に少しだけ存在する「人間存在の本質とは何か? 肉体が本質なのか? それとも精神なのか? 人間の心をコンピュータ内に再現できれば、もう肉体の方はいらないのか? また、人の心は何のためにあるのか?」といったSF的問いかけが、他のミステリ部分とかみ合っていないこと。
 これを欠点と見るか、それとも「多面性のある作品だということだ」と高く評価するかは、あなた次第だ。


 「海底密室」(徳間デュアル文庫)
 「MGH」に続くSFミステリ第2弾。
 相変わらず理系、機械的トリックや科学、物理などによって全てが説明される。実際に死体が登場するまで相当かかる「MGH」と異なり、すぐに事件が起こる。読者をあきさせず、最後まで引っ張る工夫がさらに完成度を増しているということだろう。


 「アース・リバース」(角川スニーカー文庫)
 「コールド・ゲヘナ」で電撃大賞を受賞。そして「MGH」で日本SF新人賞を受賞。これだけでも驚くべき事なのだが、ついに三雲氏は三つ目の賞まで取ってしまった。それが、スニーカー大賞受賞作の本作品である。
 コールド・ゲヘナ同様、ロボットアニメを彷彿とさせる物語だが、三雲氏は物語の裏面、基礎工事とも言うべき部分を作りこむ。「なぜロボットが飛ぶのか」からはじまって、この世界はなぜこうなっているのか、すべてを理詰めで説明しようと試みるのだ。
 ロボットアニメを見て、科学考証が物足りないと思う。あるいは逆にハードSFを読んで、もっとキャラクターが受け入れやすいものであったらいいと思う。そう言った人になら自信を持ってお勧めできる。三雲氏の真価は、異なる複数のものを融合させたときにこそ発揮される。
 これは、ハードSFロボットアニメなのだ。
 難点をあげるとすれば、最後に登場する敵か。あの敵があまりにステロタイプな悪役であったがために、物語の深みが少しばかり削がれてしまった。


 「竜の遺跡と黄金の夏」
 (早川書房「2001」収録)

 SFアンソロジー「2001」には、三雲さんをはじめ、森岡浩之、藤崎慎吾など、21世紀のSF界を担う期待の若手作家が短編を寄せている。ベテランや重鎮もいるが。
 さて、三雲さんの作品だが……
 「海底密室」と同じ路線の作品である。「殺人事件を解決する。科学的なトリックを解き明かす。」その部分は非常によく出来ている。人物の描写が浅いのに数が多いから混乱するとか、環境の激変で爬虫類がドラゴンになったという少々無茶な設定を造り出したのにそれが話にぜんぜん関わっていない、という問題もあるが、それは枚数に制限があるから仕方なかったのだ、という気がする。ドラゴンは「SFです」と称するために付け足された設定のよな気もする。これでもしドラゴンが出てこなかったら、「理系トリック・ミステリの秀作」であって、どう考えてもSFではない。

 特筆すべきは、この「2001」の巻末に書かれた著者紹介である。
 「1998年『コールド・ゲヘナ』が電撃ゲーム大賞銀賞を受賞する。砂漠の惑星ゲヘナを舞台に、人型兵器バーンが活躍するというもので、これは『コールド・ゲヘナ』シリーズとなった」
 ……ひ、人型兵器バーン? おいおい。


 「DEAR SONG」(徳間書店「SF JAPAN 002」収録)
 これはかなりシンミリくるいい話だ。
 これまでの三雲作品とは一線を画する。レベリオンのセンチメンタリズムを発展させるとこうなるか。
 自分が周囲にとけこめないことを感じている青年。彼のたったひとりの仲間は、もうひとつの世界にいるもう一人の自分だって。自分とまったく同じ種類の孤独を抱えている彼女。彼女だけがぼくの心を理解できる。ぼくだけが彼女を理解できる。そう思っていた。だが……
 という話だ。三雲岳斗というより菅浩江あたりが書きそうな話だ。
 少しばかり主人公がナルシスティックなのが気になるが……文章は美しく、ひとつひとつの言葉が確実に胸を打つ。
 つきはなしたように見えて希望のあるラストもいい。


 「ランブルフィッシュ」シリーズ(角川スニーカー文庫)

 
「ランブルフィッシュ1」
 巨大ロボットの存在する近未来。ロボット格闘トーナメントの学校を舞台に繰り広げられる物語。
 「スラップスティック」と紹介されていたが、実際にはコメディの要素はあまりない。
 理詰めで戦いに勝つ、三雲さんらしいロボ戦闘が読める。それもゲヘナより数段質の高いものが。
 山ほど出てくるキャラクターにきっちりと個性が設定され、しかもその個性がちゃんと発揮されているあたり、三雲さんが自分の欠点「キャラクターの嘘くささ」を克服しようと苦心したあとがみられる。

 
「ランブルフィッシュ2」
 1からさして間をおかずに出た第2巻。相変わらず好調である。ロボ戦闘の迫力は増し、人間関係を描写したいという熱意も存分に伝わってくる。
 問題は「この世界の裏側にある謎」が、とんでもなく壮大なものであるらしいことだ。収拾がつくのだろうか。納得のいく形が真相を提示できるか。


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