赤星サヨの革命戦記

 1

 6月2日はぼくが革命に参加した日だった。そして全裸の女の子を抱えて逃げまわった日でもある。意味わかんないって? じゃあ最初から順を追って説明す る。つまり……

 2

 ムシムシ暑い午後2時。
 数学教師の鶴見先生(39歳独身、女子による『ねちっこくてキモいランキング』第1位)はドンッと教卓を叩いて叫んだ。
「持ち物検査をする! ついでに服装もだ!」
 女子を中心に教室のあちこちで「なんでー」「えー」と声があがった。
 ぼくも内心、焦りまくり。
 やばい。今日はネームノートもってきてるんだよ。
 ネームというのはマンガの下書きのそのまた下書きみたいなもので、ぼくみたいなマンガ家目指してる人にとっては大切なものだ。
 とりあげられる。どうしよう。  
 鶴見先生は銀ブチめがねの向こうの細い目で教室中を見わたす。『ジトー』という感じの眼だ。
「お前らは最近たるんでるんだよ。こないだの模擬テストだって成績落ちてる! 勉強以外のことに気が散ってるんだよ。さあ、まずおまえ、カバンと机の中の ものを全部出せ」
「きゃあっ」
「化粧の道具? 健全な高校生活にこんなもの必要ない! 没収だ」
「ちょ、ちょっとヒドいんじゃない?」
「ヒドい? ヒドいだと? 教師であるオレに逆らう気かぁ? 青山、お前たしか推薦希望だったよなぁ? 内申書の点数がどうなってもいいのかぁ? そうそ う、それでいい。次にお前! お前もだ! 全部出せ! なんだそれは? マンガ本! こうだっ」
「や、破くことないでしょ」
「学校に持ってこなけりゃいいだろうが。さあ、みんなも余計なものを持ってたら全部捨てちまうぞ? そうだ、その眼だ、俺に逆らっても無駄だと分かりきっ ているその目だぁ」
 もうクラス中の誰も逆らわなかった。
 鶴見先生が教室を歩き回り、ひとりひとりの机をチェック、カバンをチェックした。「なんでこんなものが勉学に必要だ、言ってみろ」と没収していく。 「シャツのボタンが止まってないぞ」「なんだこの髪の色は?」とかケチをつけていく。
 くそう。この先生が嫌われる理由がよくわかる。本物のヤンキーには注意しないくせに。
 先生はぼくの隣まで来た。
 いやだ、とりあげられたくない!
「先生! やめてください!」
 ぼくは立ち上がって声をあげた。
「あん? なんだ、工藤だったか?」
「工藤じゃありません。九条(くじょう)。九条マモルです。先生のやり方はひどすぎると思います。なにも没収することはないと思います」
「ほう! ほう!」
 鶴見先生は「愉快愉快!」という感じで顔をゆがめてズンズン歩いてきた。ぼくの机の中に手を突っこんだ。
「うわ! だからそれをやめろって言ってるんです!」
「やめろだあ!? なんかろくでもないものを隠し持ってるんだろう?」
 ノートを一冊一冊出してチェックされる。あ、ネームノートも見つかった。
「なんだこの落書きは!?」
「マンガのネームです。それを参考にしてマンガを描くんです」
「学校でそんな遊びをやっていいと思ってんのか!?」
 先生はぼくの顔をのぞきこんで大声を出す。
「休み時間にやってるだけです!」
「そんな理屈は通用しない!」
 力づくでとりあげられた。
 ぼくはクラス中を見る。誰か応援してくれる人は?
 いなかった。男子も女子も目をそらす。イヤそうな顔して。みんな鶴見先生のことをウザイと思ってるけど口に出しては逆らえないんだ。
 そうだね、仕方ない……
 また書けばいいか。
 こんどは、絶対学校には持ってこないことにしよう。
 と、思ったそのとき。
 教室前の戸がダーン! と開いた。
 女の子が入ってきた。 
 美少女だった。
 服装はセーラー服の夏服。この学校の制服はブレザーだからぜんぜん違う。ふつうの女子たちと比べてスカートが妙に長い。登山用みたいなでかいリュックを しょっている。よく日焼けした、すらりと長い手足、背も170センチくらいありそうだ。テニスラケットとか持たせるとよく似合いそうだ。髪はまったく染め てないショートカット。顔立ちはおそろしく整っていた。切れ長で吊り眼気味の眼を挑戦的に光らせていた。 ひとことで言えば「キリリとした美少女」。男子 に告白されるより女子の後輩にカッコイイっていわれそうな感じの。
 でも美少女っぷりをたったひとつのアイテムがぶちこわしていた。
 ヘルメット。
 彼女は工事現場の人みたいなヘルメットをかぶっていた。
 そしてヘルメットにでっかい文字でこう書かれている。

 「打 倒 学 帝」

 意味わかんないよ!
 こういう人たちのことをテレビで見たことがあった。「過激派」とかいうんだ。昔よく「革命を起こす」とか言って暴れていたらしい。でも今の時代にいるな んて。
 ヘルメットの女の子は教室に入ってくるなりぼくを指差す。口を開いた。
「少年よ! 権力に屈していいのか!?」
 男言葉とよくマッチした、低い声だった。アニメでクールな少年を演じてる女性声優みたいだった。
「え? あ? ぼく!?」
「そうだ! 君だ! 君には守るべきものがあるのではないか!」
「あ、あるけど!」
「ならば戦え! 我々はーッ! 少年の勇気ある闘争と連帯するぞーっ!」
 腕を振り上げて叫ぶヘルメット少女。
「な、なんだお前は!?」
 鶴見先生がヘルメット少女にむかって怒鳴る。
「わたしはサヨ! 赤星(あかぼし)サヨ! 革命家だ! この学校を解放するために来た!」
 やっぱり過激派だ!何十年前のヒトなんだ、この人!?
「授業の邪魔をするなッ!」
「嘘だ! これは授業ではない! 弾圧である! 諸君! この者を教師と認めるか! 否! 断じて否である! ちっぽけな権力を振りかざし己の優越感のみ を満足させんという反動的人物だ!団結しよう諸君! この教室を解放するのだ! この火花がやがて全世界を焼き尽くす炎となる!」
「戦争しちゃうの!?」
 急に大きくなりすぎて思わずツッコミを入れたぼく。
「ちょっとまてーい!」
 鶴見先生、真っ向「からヘルメット女・サヨさんをにらみつける。
「なにをわけの分かんないことを! 俺は当然のことをやっているだけだ。授業で不要なものを取り上げて何が悪い!」
「悪いな! あまりにも醜悪な構図だ。生徒たちが授業に集中しないのはなぜか!? それはあなたの授業がつまらないからだ! 生徒の反抗は権力への反逆の 狼煙である!」
 この人の言ってることも相当おかしい!
「なにい!? 教師にそんな口をきいていいのか!? 」
「教師だからなんだというのだ、わたしは革命家だ。革命が成功した暁には、赤い党員証をつけて真っ先にあなたの家に行き、あなたを高く吊るす!」
 なにその意味わかんない脅し!?
「なにが革命だ! そういうデカいことは学生生活をちゃんとやってからにしろ! 先生はお前みたいな屁理屈屋をよく知ってるぞ、実力がないから理屈でごま かしてるんだ、悔しかったら……」
 サヨさんはまったくひるまない。鶴見先生にズンズン詰めよっていく。
「な、なんだ? 暴力か?」
「いいや、真実を暴く! ごまかしているのはあなただ! 」
 サヨさんは一気にダッシュ、鶴見先生の真横を駆けぬける。彼女の手がひるがえり、先生の頭を、いや髪の毛を、むしりとった!
 七三に分けられた髪の毛がきれいに取れた。カツラだったんだ。その下から現れたのは、バーコード頭とハゲ頭の中間状態!
「これがあなたの欺瞞だ! 見よ諸君! 権力の滑稽な姿を!」
「か、完璧に隠しぬいてきたのにい!」
 おおお、プププッ。教室がどよめきと笑い声でいっぱいになった。
 鶴見先生は真っ赤になった。サヨにびっと指を突きつける。
「お、お、お前なあ! 俺が若ハゲだからなんだっていうんだ! 人間を外見で判断するのか! 人間は中身だって教えるのが学校だろう!」
「その通り! ならばカツラなど外し、『俺はハゲだ』と胸を張ればいい! 偉大なる同志レーニンのように! レーニンはそれができたから偉大なんだ!」
 違う気がするよ! 
「それなのにあなたは頭を隠す! 人間は外見で決まるといっているようなものだ! 自分でも信じていないことを生徒に教える! それでいいのか! そんな 人間が若者に何を教えられるのか! あなたは頭がハゲなのではない、魂がハゲているのだ! さあ諸君! 教師を弾劾するぞー!」
「くっ、き、き、きさま……うわあああ!」
 よほど辛かったらしい。ぼくから奪ったノートを放り出し、走って教室から飛び出していった。
「すげえ!」「追い出しちゃったよ!」
 クラスのみんなが拍手する。歓声を上げる。いっせいにサヨさんを質問攻めにする。
「転校生!?」「どこから来たの?」「ヘルメットかぶってるのはなんで?」「彼氏とかいる?」
 サヨさんは教壇に向かった。
 そして鶴見先生がやったよりも何倍も激しく、するどい音を立てて両手でバンッと机を叩いた!
 みんながシーンと静まる。
 サヨさんは静まった全員を見まわし、一気に早口で、なにかを読み上げるようにして語る。北朝鮮のニュースみたいな喋り方だった。
「わたしは転校生だ。革命拠点として最適の学校をもとめて全国を転々としている。ヘルメットは権力の攻撃から身を守るためにかぶっている。彼氏はいない。 革命家に必要なのは同志だけだ。
 それではこれより革命拠点建設のため特別授業に入る。なにか質問は」
 女子の一人が手をあげる。
「えー? 自習じゃないの?」
「当然だ。わたしがこの教室を解放したのは遊びのためではない。革命の拠点とするためだ。まず諸君らには社会主義理論と唯物論的弁証法を学んでもらう。そ して教師に頼らない自主学習体制を整え、権力との闘争にそなえて肉体を鍛錬し……」
 こぶしを振り上げ熱く演説。
「やりたくないー!」「めんどくせー」
「めーわくだよー」「カクメーなんてやったって受験とカンケーねーじゃん」
「諸君! そんなことでいいのか。権力に対する徹底的闘争の姿勢を見せない限り、闘争に勝ち残る力を身につけない限り、学校の卒業も、大学への合格も、 けっして諸君らに幸福をもたらすものではない! 権力の生み出したシステムに組み込まれ搾取を受けつづけることにはかわりないのだっ!」
「あのさー駅前のミロンて喫茶店あんじゃんアレの新メニューが」「サエキとユッコってつきあってんの? それってありえなくね?」
 誰も聞いてなかった。
「わたしはとても悲しい! この学校も革命拠点にふさわしいものではなかった!」
 あきらめるの早すぎ!
「大衆はブタだっ!」
 叫んで教室から出ていこうとする。
「うわ、まってまって!」
 ぼくはサヨさんを呼び止めた。勢いあまって肩をつかんだ。
「なんだ!」
 ふりむいたサヨさんをみて驚いた。サヨさんは泣いていた。頬をつたう涙をあわてた様子でふき取る。
「な、泣いてなんかない! ただお前たちの意識の低さに涙腺がゆるくなったにすぎない!」
 などといってるサヨさんの顔は、まるっきりくやし泣きをこらえる子供。
 なんだかかわいそうになった。それにサヨさんはぼくの力作ネームを守ってくれた。変人だけど悪い人じゃない。 
 だからぼくは言った。
「まだあきらめるのは早いよ。友達になって少しずつサヨさんの考えを話していけば……」
 サヨさんは目を見張った。
「そうか! そうかなるほど! 君がいたか!」
「へ?」
「君の名前は? 同志!」
「いや、名前はマモルだけど。九条マモル」
「マモルか。君は教師権力にも立ち向かった!ならわかってくれるな!? わたしの革命を!?」
「え、いや、たしかにありがたいとは思ったけど……」
「ともに戦おう、革命を!」
 笑顔でギュッと手を握られた。
「え? あ? なんでこうなるの!?」
「君は漫画を描くそうだな? プロパガンダ戦では重要な戦力だ、ぜひ闘争に協力して欲しい」
 ぼくはオロオロとクラス中を見渡す。
「いってこい!」「がんばれ!」「なかよくな!」「責任とれよ!」
 うわあおもいっきり見送られてる! 手まで振られた!
「さあいくぞ!」
 ぼくはサヨさんに引きずられていく。なっ、なんでこうなるの!?

 3
 
 廊下を歩きながらサヨさんはぼくに話しかけてくる。
「まずはどんな形で闘争をはじめるベきだと思う? 同志よ」
「べつに同志じゃないのに……ところで赤星さんの『革命』ってどんなもの? どういうことがやりたいの?」
「ふむ、革命か」 
 眼を細め、うっとりとほほえんだ。
「つまり理想社会の建設だ。戦争もない、差別もない、あらゆる人間が幸せに暮らせる世界だ」
「でも……ぼくはけっこう幸せだよ。戦争も日本にはないし。革命いらないんじゃない?」
「そんなことはない。革命すべき点はどこにでも転がっている。もちろんこの学校にもあるはずだ」
 ぼくはポンと手を叩く。
「あ、たとえばイジメ問題なんてのはどうかな?」
「イジメ?」
「うん。この学校にはイジメやってる人がいるの。持ち物検査やってるヒマがあったらイジメとりしまってほしいよね」
「なるほど、イジメか。たしかに革命の障害だ。革命技14、『きけ人民の声』」
 サヨさんは両耳に手を当てた。
「きこえる……人民の弾圧される声が……イジメで苦しむ生徒の声が……こっちだ!」
「電波を受信してる!」
「電波じゃない。わたしには助けをもとめる人間の心の声が聞こえるんだ」
「それを電波っていうんだよ」
「とにかく、来い!」
 サヨさんはぼくの手を引いて歩き出す。
 男子トイレの前に着いた。
「ここだ! ここでイジメが行われている!」
 そのまま男子トイレに入ろうとする。
「ちょ、ちょっとちょっと!」
「どうした? なぜとめる?」
「だって女の子が男子トイレに!」
「フフン、国家体制に挑戦しようという者がその程度のタブーにひるんでどうするのだ」
 とびこんだ。あわててあとを追う。
 中は、まさにイジメまっ最中。
 茶髪と坊主頭の二人組が、床に転がってる男子生徒を囲んでボッコボコにけっとばしていた。
 ぼくはこの二人を知っていた。ヤンキーの下っ端で、よくカツアゲをやってる。
「やめて、いたい、やめて!」
「オラッ、だったら金だせよ!」
「もうこれ以上は……」
 すごく古典的だった。
「そこまでだっ!」
 いじめていた生徒二人が、「ハァ?」みたいな顔をする。
「だれ、おまえ?」
 サヨさんは腕を組んで胸を張る。
「わたしは革命の戦士、赤星サヨ!」
「電波さんか?」
 ヤンキーさんは自分の感性に正直だ。
「いますぐイジメをやめろ!」
 サヨさんの声は真剣な怒りでいっぱいだった。やっぱりいいひとなんだ。
「なんだと? 俺がだれをイジメようとかんけーねーだろうが!」
「あるな! 暴力は革命にこそ使われるべきだ。無駄使いなど許せん!」
 怒るポイントがおかしいよ! 感心して損したよ!
「ゆるせねーからなんだってんだ? やんのかこら? 女相手でもおれは遠慮しねーぞ」
「反革命分子は……粉砕する!」
「だめだよ! 勝てないって!」
 2対1でヤンキーと喧嘩して勝てるわけない!
 ぼくはサヨさんを捕まえようと手を伸ばした。でも間に合わなかった。サヨさんはヤンキー二人にむけてダッシュ。ダッシュしながら、背中のでっかいリュッ クから「何か棒のようなもの」を取り出す。
「ハッ!」
 サヨさんはヤンキー二人の間にとびこむ。
「てめっ!」
「このっ!」
 ヤンキーふたりがサヨさんに殴りかかる。サヨさんは軽々と体をひねってかわして、同時に「棒のようなもの」を振り回す。
 ヤンキーふたりの服が裂けた。ズボンがちぎれ、ワイシャツが四散し、Tシャツとパンツもまっぷたつになってヒラリと床に落ちる。一瞬でズタズタに斬っ た!?
「わ……のわぁぁ!?」
「ひ、ひええ、あわわ!?」
 フルチン化したヤンキーふたりはあわてて股間をおさえ、不思議な踊り。
 ぼくがプッと吹き出した。
「てってめえ何をしやがったッ!」
 茶髪のヤンキーがわめく。
 彼の鼻先にサヨさんが「棒のようなもの」をつきつける。やっとぼくにもわかった。棒じゃなくてスコップだ。トイレの窓から差し込む光がスコップの先端を ギラリと光らせた。
「これぞ革命技16、ソビエト連邦の誇るスコップ格闘術だ。服の次はどこをバッサリいこうか?」
「う……お、おぼえてやがれっ!」 
 服の着れっぱしを拾って、走って逃げていった。
「うーむ、実に古典的でわかりやすい悪役だ」
「すごい! すごいよ赤星さん! どこでそんな武術身につけたの!?」
「これは『革命仙人』様より伝授された『革命技』のひとつだ」
「か、革命仙人!? なにそれ」
「うむ。山梨県の山中に住んでいる謎の老人で、白いヒゲにヘルメット、もう三十年もひたすら革命の修行をしている。わたしは仙人様に拾われて育てられたん だ。子守唄はインターナショナルとワルシャワ労働歌、絵本がわりにマル・エン選集を読みきかせられ、革命思想をたたきこまれ、777ツの革命技を会得する ため修行の日々……」
「ちょっ、ちょっと待って。革命なのに仙人? 山の中で修行してるだけなの? 矛盾してない?」
「わたしもおかしいと思った。だが『革命はもともと矛盾をはらんでいるものぢゃ』などとサラッと流された」
「ミもフタもない人だなあ」
「とにかく、『いまはまだ時が来ておらん、技を磨くことに専念しろ』が口癖で……だがわたしはやはり、身につけた革命技を世の中のために使いたかった。だ から仙人様とたもとをわかち、山を降りてきた。どう思う? 世界に苦しみがある以上、力あるものは行動すべきではないか?」
「赤星さんもいろいろ考えてるんだね……」
「当然だ。ひとつ反革命を粉砕したが、道は遠い。しかしわたしはあきらめないぞ」
 そのとき下のほうから変な声がした。
「あのー」
 サヨさんの足の下に、いじめられっこの男子生徒が下敷きになっていた。
「盛り上がる前に、どいてくれるとうれしいです……」
「……忘れていた」
「ひどいよー、いじめだよー」
「革命には犠牲がつきものだ」
「サヨさん、そーゆーのをイジメっていうんじゃないかなーと」

 4

「もう夕方だね」
 ぼくは学校の廊下に雑巾がけをしながら言った。
 サヨさんは廊下にポスターを貼りながらこたえた。
「そうだな」
 あのあと、ぼくたちは「革命闘争」を続けた。
 イジメ粉砕2件、教師論破3件、あとは掃除とビラくばり。
「何で掃除が革命なのか不思議なんだよね」
「民衆の支持はゲリラにはどうしても必要なものだ。チェ・ゲバラの『ゲリラ戦争』に書いてある」
「でもそんなの貼っちゃったら支持は得られないと思うんだけど」
「なぜだ?」
 サヨさんは首をかしげる。
 ぼくはポスターをみてため息。
 ポスターは写真を使ったもので、ビルが大爆発してるポスターだった。ギザギザしたヘンな書体で『ファシストどもに死を 我らは断固前進する』とか書いて あった。
「明日になったらぜんぶゴミとして捨てられると思うよ」
「そうなのか……革命が理解される日は遠いな」
「いやビルが爆発して『ファシストに死を』とか誰も理解できないから!」
「そうなのか? じゃあ君がもっと大衆に訴えるものを描いてくれ。漫画家だろう」
「大衆といわれても……女の子を出してみるとか」
「なるほど。女子生徒たちが制服姿で……」
「そうそう」
「バールや角材を持って教師たちを殲滅している絵だな」
「血なまぐさいのから離れて! ほら、かわいい感じにするとか」
「かわいい感じ……」
 サヨさんは腕組み。「む! ひらめいた!」と、ポスターに極太マジックで一筆入れる。

 ファシストどもに死を☆ 我らは断固前進する♪

「かえって怖い!」
「むう……そういうものか?」
「そろそろ帰りたいんだけど。今日はもういいでしょ、明日またポスターを考えるということで」
「そうだな」
 お、意外に素直。「学校を埋め尽くすまで帰らん!」とか言われるかと思ったのに。
 校門のところまで二人で歩いて、ぼくはサヨさんに軽く手を振った。
「それじゃ、さよなら」
 サヨさんは小首をかしげる。
「……さよなら? どういうことだ? 学校での活動が終わりなだけだ」
「ええー!?」 
 頭の中に新聞記事が浮かんだ。
 『M田駅前女子高生大暴れ 警官2人けが 動機は革命 自称革命家のA子さん 同級生のK君の証言によると……』
「いや、あの、ぼくはもう家に帰りたいんだけど。ほら、あの、マンガかかないといけないし」
「知っている。だからついていくんだ」
「はあ? 僕の家に?」
「そうだ。革命の同志についてよく知るべきなのは当然じゃないか? 階級的に革命の担い手として適当か、革命思想を受け入れる余地はあるか、どの程度の訓 練に耐えられるか……もちろん、君のマンガも見たい」
 女の子に「あなたの部屋に行きたいの」とか言われた。健康な男子高校生としては大いに喜び、勢いあまってハアハアするべきかも。
 でも理由が理由だからハアハアできないよー。
「いや、その、マンガは……ちょっと。まだ人に見せられる出来じゃないから! それじゃ!」
 ぼくは早足で歩き出した。
 校門を出て住宅地を進む。
 住宅地を抜けて踏み切りを越えて商店街を突っ切ったら僕の家だ。たった10分。
「待て。いまの発言は敗北主義的だ」
 うしろからサヨさんの声。ついてきたよ!
「マンガ家は他人の心を動かしたくてマンガを描いているはずだ。ならば他人の眼を恐れてはいけない」
「うう、なんか凄くまともな意見が! アレな人ってたまにまともなこと言うから恐いよな……」
「なにを言ってる。わたしはいつだってまともだ」
 ぼくは歩きながら、サヨさんの説得を試みた。
「とにかく、疲れてるんですぼくは! だから家にかえって休みたいなーと思ってるんです」
「疲れたときは『革命しりとり』で精神に活を入れるのだ」
「コミュニケーションが成立しないよこの人!」
 ぼくの嘆きを無視してサヨさんは指を一本立て、まじめな顔で解説。
「革命しりとりとは、革命に関係ある言葉のみで行われるしりとりだ。手本を見せよう。なにか言ってみてくれ」
「なんで高校生になってしりとりを? えーと『りんご』」
「『強欲な資本家階級』」
「ちょっと待ってよ!? それ文章でしょ? 単語じゃない。反則だ」
「ちがう。『強欲な資本家階級』でひとつの単語、ひとつの概念なんだ」
「そ、そういうもんかなあ。じゃあ『う』だね? 『うさぎ』」
「『欺瞞に満ちた資本家階級』」
「なんだそりゃ!?」
「だから『欺瞞に満ちた資本家階級』という単語だ」
「そんな単語ないって。『う』だから『牛』」
「し……『死んだほうがいい資本家階級』」
「それ絶対反則だ! っていうか単に『資本家階級』でいいじゃん!? なんでデンジャラスな形容詞くっつけんの!?」
「きみは『革命しりとり』の真価が分かっていない。ふつうのしりとりは語彙の豊富さを競うものに過ぎない。しかし『革命しりとり』はどんな単語でも革命に 結びつけることで革命家としての闘志を養うのが目的なのだ」
「できないよそんな普通の人には!!」
 サヨさんは小首をかしげる。
「わたしはまだ5歳にもなってない頃からこうやって遊んでいたが」
「どんな子供だよ!」
「君は子供の頃どうやって遊んでいたんだ?」 
「え? ぼく? ぼくは……マンガとかアニメとか好きだったから。ノートにへタな絵描いたり、あとは……」
 たまたまプラモ屋さんの前を通ったので、ショウウィンドゥのなかを指差した。
「あとはあれ。ガンダムのプラモつくったり。……サヨさんはアニメとかみてないよね」
「いや、ガンダムは知っている。『腐敗した官僚を粛清する』という革命的精神に富んだ作品だ。登場人物がロボットに乗ってイデオロギー闘争をするのもなか なか熱い」
「いや……楽しみ方がちょっと変なんじゃないかなーと思ってみたり」
「ほかにもマンガやアニメの知識はあるぞ。革命教育の一環だからな。日本政府は悪の秘密結社だと看破して体制批判を行った『仮面ライダー』、われわれに必 要なのは愛だと言いつつ数億人を虐殺し軍国主義の根源的欺瞞を暴いた『宇宙戦艦ヤマト』、人民が力をあわせて独裁者を倒す『ボルテスV』……」
「なんか覚え方がおかしいよ! 政治だけじゃないんだって、アニメは!」
 もうツッコミいれるのも疲れてきた。
「楽しそうだな」
「え? とんでもない。ぼく困ってるよ?」
「だが、笑っているぞ?」
「え……」
 ぼくは自分の顔に手をあてた。本当だった。笑っていた。
 そうか……たしかに、けっこう楽しいのかもしれないな。
 お祭りみたいだった。悪いことをしてるドキドキ、仮病で学校を休んだとき、先生の目を盗んで授業中せっせとマンガ読んだりネーム書いたりしてる、そんな 楽しさ。
「……うん、楽しいのかもしれない」
「君にも革命戦士の適性があるということかな」
「いや、それはちょっと違うし……っていうかサヨさん、ヘルメットとらないの?」
 さっきから通行人がじろじろとぼくたちを見ている。薄気味悪そうな顔してる人も。
「とらない。これはわたしの魂だから。サムライが刀を差して歩くのと同じだ」
「へんなの……」
 しかし、「ぼくまで変人扱いされて恥ずかしい」とは思わなかった。
 たしかにぼくは、変人サヨさんといっしょにいることを楽しんでいたんだ。

 5

 しばらく歩いて、ぼくの家についた。
 築30年くらいの古臭い団地だ。クリーム色で同じ形をした4階建ての建物がずらっと並んでいる。
「はい到着」
「到着……く、く、『苦難を乗り越え戦え革命家』」
「しりとりのネタはもう終わった!」
「ネタとか言うな!」
「とにかく、着いたよ」
「なるほど団地か。いかにも労働者という感じでいいな」
「あのさ、家にくるのはいいけどさ、あんまり変なことを言わないで欲しいんだけど。母さんビックリするから。革命とか粛清とか、国家転覆とかゲリラとか潜 伏するとかアジトとかシベリア送りとか」
 サヨさんは口をとがらせてすぐにツッコんできた。
「シベリア送りは本来の革命とはまったく関係がない。あれはソビエトがロシア帝国時代の非民主的な体質を残しているという証拠にすぎない。革命後の世界に おいても退廃思想者や革命の敵を処罰する施設は必要だが、シベリアのラーゲリ(強制収容所)のような無用の苦痛を与えるものではなくあくまで自発的に革命 の重要性を理解させ仲間としての連帯を取りもどす教化施設であるべきで……」
 胸の前で拳を握りしめて語った。どんどん目つきが真剣になって声に熱気がこもる。
「だからそういうのがヤバイ発言なんだよ! 母さんの前では普通の女子高生っぽく振舞って。もちろんヘルメットもはずして」
「断る」
「なんでさ」
「権力の襲撃から身を守るためだ」
「襲撃なんてないよ! だいたい6月にヘルメット暑いでしょ? おでこに汗かいてるよ?」
「暑くなどない。『わたしはいま、酷熱の砂漠で米帝の暴虐と戦うパレスチナ人民と連帯しているのだ』という幸福な気分を味わっている」
「ようするに暑いんじゃないか」
「屁理屈をいうな!」
「どっちがだよ!」
 などといってるうちに、ぼくとサヨさんは階段をのぼって302号室、ぼくの家の前まできた。
「ただいまー」
「あらマモルちゃん、おかえりなさいー」
 ぼくの母さんが玄関で出迎えてくれた。やたら若い母さんだ。小柄でエプロンをつけて、髪型はやわらかそうな三つ編み、たれ目ぎみの眼。これ以上詳しく書 くとマザコンだと思われるので以下略。
「あらあら、こちらの方はおともだち?」
「はじめまして。わたしは……」
 サヨさん頼んだよ? ちゃんと自己紹介してよ、無難な奴を頼むよ? 革命とか言わないでよ?
「わたしは彼とともに革命の道を歩む同志、赤星サヨです」
「なにその無難と正反対の発言!?」 
「あらあら、まあまあ! 彼女ができたのね! おめでとうマモルちゃん!」
「なにその超解釈!?」
「あらマモルちゃん、だって同じ道を歩むって……結婚を前提につきあってるってことでしょ? 」
「なんでー!? 革命とか同志とか妙な単語は無視!?」
「恥ずかしがっちゃ駄目よマモルちゃん」
「こっちも会話が成立しない!」  
「さあ、あがってあがって、赤星さん」
 ペコリと頭を下げ、家にあがるサヨさん。
「ねえ母さん、素朴な疑問だけどさ、革命とかへルメットかぶってるとかそういうことはスルー? 気にしないの?」
「マモルちゃん、そんなちっぽけなことを気にする母さんじゃないわよ。マモルちゃんが選んだ人ならそれでいいの」
「なんか妙な誤解があるような……」
 サヨさんがぼくの耳に口を寄せてヒソヒソ話しかけてきた。
「きみのお母さんはわりと大物だな……」
「……ぼくもそう思う」
 家にあがったサヨさんとぼくは、台所と一体になった食堂につれていかれた。ぼくや母さんがいつもごはんを食べてるテーブルがある。
「赤星さんはそこに座って待っていてね。いまお茶いれますから。ホットケーキ焼きましょうか?」
「いただきます」
 サヨさんはへルメットをぬいでテーブルに向かう。とまどったような表情だ。
「どうしたの赤星さん、変な顔して? ホットケーキきらいかしら?」
「いえ。なんでこれほど親切にされるのかと不思議に思って」
「当然じゃないですか、うちの子にはじめてできた彼女ですよ?」
「いえ、別に彼女ではなくて革命の道を行く同志……」
「ロマンチックよね。わたしもそんな恋がしたかったわ……マモルをよろしくね、赤星さん」
 一気にしゃべり終えると母さんは台所のコンロに向かった。
「るーるーるーふたりーは、れきしーのかわーのなかでいきーるー、かくめーのこいー♪」
 謎の鼻歌を歌いながらホットケーキを焼き始める。
 サヨさんがポツリといった。
「……君のお母さんはかなりの大物だな」
「ぼくもそう思う」

 6

 そのあとぼくとサヨさんと母さんは、3人でホットケーキを食べた。紅茶を飲んだ。
 サヨさんの食べ方はものすごくガツガツしてて、下品だった。ろくに切りもせず頬張る。
「うまひ。しゅばらしひ味だ」
 飲み込んでからしゃべってよ。
「おいしそうに食べてくれてうれしいわ」
「あまり高級なものを食べる機会がないもので」
「え? ホットケーキが高級? どういうことかしら」
「革命戦士はつねに質素であるべきだと思います。一時期は『店で野菜を買うのはブルジョア的行為ではないか』と考え、野菜を拾って食べていました。革命技 69です」
「まあ、変わった冗談ね」
 いやたぶん本気だと思う。 
「他には山岳ゲリラ訓練の一環として蛇などを食べました。肉が臭くてそのままでは食べられないのでカレー粉をかけて食べました。これは革命技29です」 
 そりゃ傭兵サバイバル術だ。
「まあ、じゃあこんどおいしいカレーをご馳走しますね。ネパール風カレーって言うのを試してみたいの」
 母さんは平然と会話についていく。
「ごちそうさまでした」
「うわ、サヨさんが普通にごちそう様って。わりと意外」
「失敬な。わたしは労働価値説に基づきすべての労働に敬意をあらわす。調理もむろん労働だ」
「やっぱり普通じゃないや」
「ねえ赤星さん、晩ごはんとかどうします?」
 母さんが話しかけてきた。
「そうですね、晩ごはんよりも、同志マモルとふたりで用事があります」
「あらあら、まあまあ! マモルちゃん頑張りなさいよ? 女の子が積極的なときはあなたもおじけずいちゃダメよ?」
「なにを早まってるんだ母さんは! いこうサヨさん」
 ぼくはサヨさんとふたりで自分の部屋に向かった。
 畳じきの六畳間。机と本箱がある。
 小さい頃バアちゃんに買ってもらった勉強机。でも机の上には教科書よりマンガが多い。本箱だってマンガばかりで、たまにある小説もマンガ絵のついた奴 ばっかりだ。壁にはアニメのポスターとか貼ってあるし、本箱に入りきらなくなったマンガ本が無造作に積み上げてある。
 ……オタクっぽいって思われるかな? 女の子が来るってわかってたならもう少し片付けたのに……
「ふむ。勉強熱心はいいことだ」
「ごめんねサヨさん、いますぐ片づけるよ」
「必要ない。君の描いたマンガというのは?」
「はい、これと、これと、これ」
 ぼくが机の引き出しを開けてサヨさんに原稿を渡す。
「拝読させてもらう」
 サヨさんは原稿を受け取って椅子に腰かける。パラパラとページをめくりはじめる。
 あれ? なんだかどんどん眉間にシワがよってくぞ? 
 ひとつの原稿を読み終えて、次の原稿へ。まだしかめっつらのままだ。
 なんかほっぺたが痙攣して? あれ?
 ページをめくるサヨさんの手がどんどん早くなる。顔はひきつったままだ。
 怒ってる? 怒ってるの? なんで?
 なんとなく言葉遣いを敬語にして、おっかなびっくり話しかける。
「どうですか、絵はあんまりうまくないといわれるけどネームの作り方は本読んで勉強したからそれなりだと思うんですよ、漫画研究会の女の子達だって面白 いっていってくれて……サヨさん? サヨさん?」
「……」
「あのーサヨさん、こういうのもあるんですけど、同人誌。これはぼくが考えた話じゃなくて既存のアニメとかのキャラクターを使った……」
 その瞬間、サヨさんは原稿をまとめてタタミにたたき付けた!
「なんだこれはっ!」
「えーなんてことを! どうして怒ってるのさ!」
 サヨさんは立ち上がった。ぼくをにらみつけた。
「なんだこの思想的退廃の塊は!」
「えっ退廃っていわれても」
「まずこの漫画! なんだこのヒロインはなんだこのフリフリした服は!」
 サヨさんはマンガ原稿をバッとひらいてかざした。
 見開きで、フリフリドレスに金髪ツイテールの美少女が少年に抱きついていた。
「ああ、それはヒロインのお姫様が主人公に愛を告白するシーンで、でもその好きになった理由というのが勘違いで……」
「ストーリーの説明なんて聞いてない、王族という資本家階級の人間が『心やさしい愛すべき存在』として描かれているのが問題なんだ。政治的に正しくない。 こんなマンガを書くことは革命に敵対する行為だっ」
「えっ、でも……」
 ぼくの弁解を聞かず、サヨさんは別の原稿を広げた。
 セーラー服の少女と剣道着の少女が必殺技を放ち戦っていた。
「なんだこれは?」
「なんだこれはって、新選組とか幕末の志士が現代の女子高生に転生して……」
「新選組は人民でありながら封建体制徳川幕府の延命に力を貸した革命の敵だ。そんな連中を英雄扱いするなんて許されないことだ。歴史的なものを扱うなら、 民衆のために戦った者を描くべきだ。大塩平八郎の乱とか、秩父困民党事件とか……」
「そんなの萌えマンガにできないよ!」
「あるいは労働の尊さを訴えるとか。貧乏な農民が一生懸命働いて金持ちを見返す物語……」
「それじゃマンガ日本昔話にしかならないよ!」
 ぼくはそのへんにある段ボールをひっかきまわして、コピーを綴じただけの質素な同人誌を取りだした。
「これはどう? これなんか貧乏なメイドさんが主人公だよ?」
「拝読する」
 あいかわらずむつかしそうな顔をしたまま、サヨさんは同人誌を受け取って読み始める。
「……」
「どうサヨさん? 実は結構自信作だったりするんだ」
「……なんだこの話は! 腐敗している!」
 サヨさんは椅子を蹴倒して立ちあがり、同人誌をまっ二つに引き裂いた!
「うわぁなんてことをー! なにが気に入らないのさっ!」
 サヨさんは机をダアンと仇のように叩く。
「いいか、この物語には階級対立が登場する! 領地を持ち多数の使用人を従える貴族の少年と、使役され搾取されるメイドの少女。そして少女は己の境遇に絶 望せず、少年は少女を愛する! ならば物語は、ふたりをひきさく真の敵、欺瞞に満ちた階級社会をこそ描くべきである! しかるに! 実際に描かれているの は個人レベルの葛藤とその解消、身分違いの恋というありきたりの悲劇にすぎない! 作者は反世界闘争というテーゼを放棄し、問題を『個人の心の問題』へと 矮小化した! これは革命への明白な裏切りである!」
 サヨさんの目はヤバイ感じにギラギラしていた。
「ちょっと待ってよ、マンガの描きかたはいろいろあっていいじゃない?」
「それが間違いなのだ。心を動かす力を持ちながら、教師に反抗する意思を持ちながら、なぜムダにする! わたしは裏切られた!」
 ぼくの胸の中に怒りがこみあげてきた。「わたしは裏切られた」って何だよ。君が勝手に期待しただけじゃないか。ぼくは革命マンガ描いてるなんて一言も いってないぞ。それに、変な見かたでマンガをけなされて……
「サヨさん、それはただの押し付けだよ! そんなやりかただと革命なんて絶対成功しないよ!」
 サヨさんの表情から怒りが消えた。冷たくこわばった、思いつめたような顔になった。
「……つまり、わたしは迷惑か?」
「うん!」
 きっとケン力になる、でもやっぱりさっきのけなし方は納得できない、受けて立つぞ。
 ところがサヨさんは乗ってこなかった。さびしげにほほえんで、椅子にかけてあったへルメットをとり、床のリュックを背負った。
「邪魔したな」
 そっけなく言って、振りかえりもせずに部屋を出ていった。
 ドアのむこうで母さんとサヨさんがしゃべっている。
「あらあら、まあ、もうお帰りなの?」
「はい。ここはわたしのいるベき場所ではなかった」
 気づくの遅いよ押しかけてきたくせに、とぼくは心の中で悪態をついた。
 ドアが開いて母さんが心配そうな顔をのぞかせる。
「マモルちゃん、赤星さん帰っちゃったわよ?」
「……だからなに?」
「フラれちゃったの? よく考えて、情熱を持って何度もアタックよ?」
「ちがう、べつにつきあってたとかじゃない。友達でもない気がする」
「え、でも同じ道を歩む仲間って」
「妄想みたいなもの。あいつの思い込みだよ」
 母さんはとてもマジメな顔になった。
「それでいいの?」
「いいんだよ」
 ぼくは自分に言い聞かせた。
 原稿破られてまで、つきあってられるか。

 7

 次の日、ぼくは学校をサボった。
 いつもどおりの時間に家を出て、でも学校には向かわず商店街をうろうろ。
 サヨさんに会うのがいやだった。
 喧嘩したことなんて忘れて革命革命っていわれるんじゃないか、ウザったいなあと思った。
 それからもうひとつ「なんとなく顔をあわせづらい」という気持ちもあった。
 あそこまでキツイ言い方することなかった。悪いことをした。謝りたい。でも頭を下げるのはなんだか腹が立つ。だって本を破られたんだよ?
 要するに、どんな顔して何を話せばいいのかわからない。
 そんなわけで街をウロウロ……しかしやることがなかった。
 今まで学校をサボったことなんてなかったし、ヤンキー連中とのつきあいもないのでどうやって遊んだらいいのかわからなかった。
 本屋にいって、みんなの目を気にしながら本を立ち読みして、公園のべンチにすわってネームを考えて、でもさっぱり作業が進まなくて。胸の中のもやもやし た気持ちがどんどん大きくなっていって。
 気がつくともう夕方。
 ぼくはゲームセンターに入った。バイトやってないからたいしたお金がなくてゲームにはハマれない。なけなしの小遣いをガンシューティングをつぎ込んだ。 頭の中をからっぽにして、出てくるゾンビを撃って撃って撃ちまくり……
「おい!」
 いきなり大声をあびせられて肩をつかまれた。
「なんですか?」
 ふりむいたぼくの目に映ったのは、茶髪で体格のいい男。ジーパンにTシャツ姿。
「やっぱりおめェか! 今日はへルメット女いねェのか?」
 ヘルメット女? サヨさんのこと? そこで気づいた。制服着てなかったからわからなかったけど、この茶髪はこないだサヨさんにやっつけられた下っ端ヤン キーだ。
「し、知らない」
「ウソつけ! 兄ちゃん!」
 茶髪下っぱヤンキーが叫ぶ。
 対戦ゲーム台が並ぶ列の向こうで、でかい奴が立ちあがった。
 こちらに歩いてくる。
 げっ、なんて体格。
 ジーパンにノースリーブの黒Tシャツ姿、肩や腕の筋肉がこぶのように盛り上がっていた。180センチをこえる筋肉の塊。日焼けした顔にニヤニヤ笑いを浮 かべていた。
「おう、どうした?」
「見つけたよ兄貴、こいつの友だちにやられたんだ」 
 え? このマッチョマンが兄貴?
「おうおうおう! うちのかわいい弟になんてことしてくれんだよ?」
 マッチョ兄貴はぼくの胸倉をつかんだ。ぼくはカバンを落っことしてうめく。
「い、いたい、やめて」
「弟は恥ずかしくてガッコーいけなくなったじゃねえか。このままヒッキーになったらどうしてくれんだよ?」
「そ、そんなの知らない」
「で、ツレの女ってのはどこにいるんだ? 答えやがれ」
「そうだぞお前、答えないとためにならないぞ。兄ちゃんは俺と違ってすげぇ怖いぞ?」
 マッチョ兄貴の威を借りて大いばり。
「サヨさんが……どこにいるかは、しらない。学校じゃないの」
「学校には真っ先に行ったけどいねぇから探してんだよ! おめえのツレだろ?」
 尻を蹴っ飛ばされた。
「知らない、ホントに知らないんだ」
「携帯の番号とかは?」
「きいてない」
「チッ、使えねえ奴。どうする兄ちゃん?」
 早く解放してくれ、そう思ったけどマッチョ兄貴はよく日焼けした顔をにやりと歪ませて、
「こいつだけでもボコろうぜ?」
「そうだね」
「なんでそうなるの!?」
 ぼくが抗議する。と、顔面を殴られた。衝撃で頭がくらくらした。痛みがあとからわいてくる。こいつら本気だ、という恐怖もわいてくる。
 ベスト姿のゲーセン店員さんが走ってきた。
「お客さん、店内で暴力は禁止です、リアルバトル禁止!」
「おう、ここじゃダメだな」
「兄ちゃん、マンションに連れて行こうぜ」
「そうだな、あそこでボコれば思い出すかも知れねえ」
 うわあなんでこうなるの? 兄弟そろって満面の笑顔。こいつら人を殴るのが楽しくてしょうがないんだ。
 うらむよサヨさん、完全にとばっちりじゃないか。

 8
 
 車でつれてこられたのは、郊外のマンション。
 車に乗り降りするとき、エレベーターに乗るとき、スキをついて逃げ出そうとしたけどダメだった。そのたびにぶん殴られた。
 結局、マンションの一室まで連れてこられた。
 10畳以上ありそうなフローリングのワンルームで、兄弟と同じようなラフな格好のヤンキーたちがたむろしていた。いっせいに見つめられて、ぼくの体がこ わばる。
「女の方は?」
 たむろしていたヤンキーの一人が言う。
「わりいけど男のほうしか見つからなかった」
「なんだよ、それじゃ楽しめないじゃねーか」
「そう言うな。こいつをボコって居場所吐かせりゃすむ話だ」
「知りません、ぼくはサヨさんの居場所とか連絡先とか知りません、だから帰してください!」
「そういうわけにはいかねェ。うちのかわいい弟がナメられて、何のオトシマエも付けねェってわけにはいかねえんだ」
 マッチョ兄貴はそう言ってぼくを突きとばす。すっころんだぼくをヤンキー集団が取り囲む。ごていねいにもポキンポキンと指の骨まで鳴らした。
「悪く思うなよ」
 悪く思うにきまってる!
 なんで? なんでぼくが殴られるの? 絶対おかしい! 
 そのときだ。
 ちゃーんちゃちゃ ちゃっちゃちゃーん!
 ちゃーんちゃちゃ ちゃっちゃちゃーん!
 勇ましい音楽が鳴り響いた。
 なに? なにが起こってるの?
 びっくりして室内を見まわした。
 音楽はテレビから出ていた。さっきまで真っ暗だったテレビに、翻る赤旗が映っていた。
 音楽は歌に変わった。

 立て 飢えたる者よ 今ぞ日は近し
 覚めよ 我がはらから 暁は来ぬ
 
「な、なんだっ!?」
 ヤンキーたちはあわてた。
 ぼくはあわてなかった。歌声の主を知っていたから。
 サヨさんだ。サヨさんは声をかぎりに歌っていた。
 この歌が何かは知らなかった。でも戦いの歌だということは分かった。サヨさんの歌声はますます力強くなっていった。

 暴虐の鎖絶つ日 旗は血に燃えて
 ふるいたて いざ いざ戦わん
 ああインターナショナル われらがもの

 歌がプツンと途切れた。テレビの画面が真っ暗に戻った。部屋の外、ベランダに黒い影が舞い降りた。そしてガラス戸が叩き割られ、「誰か」が飛びこんでき た。
 「誰か」は、ガラスの破片を踏みしめ、夕日をバックに立った。
 サヨさんだった。昨日と同じセーラー服姿、ヘルメットをかぶり、先の曲がった黒い棍棒……「バールのようなもの」をふりかざしている。
「我らは鉄鎖のほか、何も失うものを持たない。
 獲得するものは、全世界である!
 革命の戦士、赤星サヨ、見参!」
 高らかに叫んだ。変身ヒーローのようだと思った。
「サヨさん、なんでここに!?」
 彼女は薄く微笑んだ。
「革命家は同志を見捨てたりしない」
「おめえか、ヘルメット女ってのは! ただで帰れると思うなよ! やっちまえっ!」
 ヤンキーたちがいっせいに跳びかかる。
 ぼくの目にはサヨさんが何をやったのかわからなかった。空中でバールが振りまわされ、銀色の光が弧を描いておどった、としか見えなかった。
 ただそれだけで、

 ズガバキゴシャァッ!
 
 ヤンキー3人がまとめてふっ飛んだ。脳天からピューと血を吹いて転がる。
 サヨさんは倒れた3人には目もくれず、こっちに向かってダッシュしてくる。4人目、マッチョ兄貴が立ちはだかった。
「次はお前だっ!」
 サヨさんのバールがまた光となって空中で翻り、
 ガキンッ!
 マッチョヤンキーの金属バットに受け止められた。ぼくの目にはぜんぜん見えなかったのに。
「え!!」
 サヨさんが驚きの声をあげる。
「なかなかやるじゃねェか、あんっ?」
 サヨさんが一歩退いた。
「ふんっ! ふんっ! ふんっ!」
 猛烈な勢いで振り下ろされるバットを、ボクサーのように体をそらしてかわすサヨさん。よけるのがやっとで反撃できないみたいだ。リーチの違いだろう。そ のうちに他のヤンキーが起き上がり、背後にまわりこんで飛びかかり、しがみついた。サヨさんの動きが一気に鈍くなる。「危ない!」とっさにぼくは叫んだ。 叫んだときにはもうマッチョヤンキーはバットを大上段に振りかぶっていた。
「死ねやオラー!」
 サヨさんは両腕を広げた。叫んだ。
「スカラー波放射!」
 サヨさんの全身が青白い火花に包まれた。火花は5本の触手となって空中を伸び、ヤンキーたちを直撃!
「うぎゃあ」
 バットを振りおろす寸前だったマッチョヤンキーが悲鳴をあげてぶっ倒れた。ほかの連中も服に火でもついたみたいにヒイヒイ言って床をのたうちまわった。
「な、なんだ!?」
「……革命技775『スカラー波照射』。われわれ共産ゲリラは厳しい修行によってス力ラー波という特殊な電磁波を操ることができるのだ。スカラー波を浴び た人間は身体に異常を来たし……」
「それどっかで聞いたことがあるよ!」
「体力の消耗が激しいので使いたくなかった」
 言われてみればサヨさんの顔色は真っ青、おでこには汗のしずくがびっちり。
「ちなみにテレビの画面を操ったのは革命技109・電波ジャックだ」
「それより逃げないと!」
 ぼくはサヨさんの手をつかんだ。手の震えが伝わってくる。手のひらが汗でびっしょりだとわかった。 
 その瞬間、ハッと思いだした。
 そうだ、まだ助けてもらったお礼を言ってない。それに、謝らなきゃいけない。
 いまだ、いま言うしかない。
「サヨさ……」
 ぼくが言おうとした言葉をさえぎってサヨさんが血相変えて大声で、
「マモル! うしろ!」 
 え?  
 と思ったときには遅かった。ぼくの首に腕がまわされた。後ろからはがいじめにされた。体をよじり足をバタバタさせて逃げ出そうとした。目の前に抜き身の 折りたたみナイフが突きつけられた。耳元でドスのきいた声。
「うごくな! ちょっとでも動いたらグサリだぜ」
 弟のほうだ。
「なぜス力ラー波がきかない!? そうか白Tシャツか! 白い布で反射されたか!」
 それも聞いたことある! あの連中の言ってることは本当だったんだ!
「おい女! おまえも動くな! こいつの命が惜しかったらな。武器を捨てろ。そうだ、それでいい、最初からこうすればよかった、ヒヒヒ」
 イジメやってるときよりももっと楽しそうだった。
「……ちっ、小悪党め」
「ああん? そんな口きいていいと思ってんの? こいつの喉をザックリやっちまうぞー」
 ナイフがぼくの顎の下に当てられた。喉ぼとけまで滑っていく。力は入れてないらしく切れない。痛みもなかった。でもぼくの体が恐怖でこわばった。
 サヨさんが苦痛の表情を作った。
「そいつを解放してくれ」
「いやだね! おまえにはさんざん恥をかかされたからねェ、ヒヒ。ただでってわけには、いかねえなあ」
「どうすればいい」
「脱げ! この場で服をすべて脱げ! おれと同じ苦しみを味わえ」
 サヨさんは一瞬もためらわなかった。セーラー服のス力ーフをはずし、上着を脱ぎ捨て、ブラウスを、その下のTシャツを脱いで1枚1枚床に重ね、スカート をおろす。今のサヨさんはもう下着姿だ。飾り気のない白パンツとスポーツブラだけをつけて立っている。
「ぬげ! ブラもとれ!」
 ブラジャーが即座にはずされた。あらわになったサヨさんの乳房はお椀のかたちで、ぼくがマンガやエロ本で見てきたものよりずいぶんと小さかった。
「全部って言ったはずだ!」
 サヨさんはたったひとつ残ったパンツに手をかけた。パンツの前面に赤い星がプリントされているのに気づいた。冗談みたいだけどぼくは笑うどころか痛々し さを感じた。
 胸やパンツばかり見ているのがいやになって、罪悪感をおぼえてぼくは眼をそらした。サヨさんの顔に眼をむける。いきを飲んだ。サヨさんはおびえていた。 こらえきれずに顔が恐怖でこわばっていた。そうだ。怖いにきまってるじゃないか、こんな強姦同然のめにあって恐くないわけがない。
 ぼくのせいだ。
 いちど心の中で生まれた罪悪感はどんどん大きくなっていった。ぼくが人質になっていなければこんなことには。
「サヨさん! 大丈夫だから! ぼくのことは大丈夫だから! 気にしないで戦って!」
 ぼくは思わず叫んでいた。
「よく言った、同志!」
 サヨさんは白パンツを一気に下げた。
 え!? ぼくは思わず目をつぶる。次の瞬間、世界が真っ白になった。目を閉じているのにまぶしかった。ものすごい光が爆発したんだ。「ぎゃあ!」と悲鳴 が後ろで上がる。
 いまだ! ぼくは思いっきり頭を後ろに振った。手ごたえあり。ヤンキーの腕がゆるんだ。もがいて逃げだした。目を開いた。「光の爆発」はもう消えてい た。ヤンキーたちは目を押さえてヒイヒイうめいていた。
「よくやった、逃げるぞ!」
「いまのは何、サヨさん?」
「手製の閃光手榴弾だ。パンツに入れておいた」
「はあ?」
「権力の取調べに備えて最後の武器をパンツに入れておく、革命家の常識だ」
「知らない! そんな常識知らない!」
「とにかく逃げるぞ! ……れ、れ、あれ?」
 ぼくの手を握って駆け出そうとしたサヨさん。でもその場に倒れた。
「どうしたのさ!?」
「走れない……予想以上に体力が消耗していた」
 どうしよう? ぼくは周囲を見回した。
「てってめえ……逃がすか……」
 ヤンキーたちはよろよろと起き上がってくる。もう効果が切れつつある!
 ええい! ぼくが運ぶしかない!
 ぼくはサヨさんを背負った。そのまま後ろにひっくり返りそうになるくらい重かった。人間がこんなに重いなんて。でも仕方ない、いまはぼくが頑張るしかな い。そう思ったら不思議と力がわいてきた。
 そのまま走った。一気に走った。ドアを蹴り破るように開け、廊下を突っ走り、エレベーターのボタンを押して、来ないこない、階段を駆け下りた。上から足 音が追ってくるんじゃないかと怖くて仕方なかった。
 背中のサヨさんがずり落ちそうになったので、後ろに回した腕にぎゅっと力を込めた。柔らかい肉が指に食いこんだ。
「ど、どこ触ってるんだ! そこは! そこは尻だ! 思い切りにぎるなひゃあ!」
「ごっごめん! でも仕方なくて!」
 転がるように階段を駆け下りた。
 マンションの外に出た。買い物袋をもったおばさんと出くわした。おばさんは一瞬口をポカン、キャーと叫ぶ。
 もちろん、素っ裸の女の子を運んでるから。
「違う! 違うんです!」 
 おばさんは走って逃げていった。
 マンションの前はよりによって商店街。
 道ゆく兄ちゃんやおばさんの視線が思いっきり集中した。
「隠れないと!」
 遅かった。自転車に乗った警官に出くわした。もちろん血相変えて追いかけてきた。
「待て! 待ちなさーい!」
「撃退しろ、マモル! わいせつ罪で権力に捕まるなんて革命家の恥だ! 捕っていいのは世界を震撼させたときだけだ!」
「無理だって!」
 もちろん速攻でつかまった。

 9

 交番に連れていかれた。必死に弁解した。犯罪者の嫌疑は晴れたけど、でも猛烈に説教食らった。
 やっと解放されたのは午後9時。
「あーあ、母さん心配してるだろうな……」
 ぼくは商店街を歩きながらぼやく。
 サヨさんはぼくの隣を歩いている。服とヘルメットはなくなって、警察が貸してくれたジャージを着ている。
 しきりにあたりを気にして、きょろきょろしたり、ジャージをつまんで裾を直したり、挙動不審だ。
「どうしたのサヨさん」
「ヘルメットがないと心細くて……それに権力の服を着ていると心が汚染されるようで……」
「君らしいなあ。……ところで交番ではおとなしかったね。暴れるかと思ったのに」
「あそこで暴れたら君に迷惑がかかるからな」
「え?」
 サヨさんは背筋をピンと伸ばし、ぼくと目線を合わせた。
 恥ずかしさと緊張の混ざった表情だった。
 そして、心の中にためこんでいたものを一気に吐き出すように、言った。 「感謝している。助けてくれてありがとう。それから漫画の件は……済まなかった」
 サヨさんの顔まで、距離はたった50センチくらい。白い卵型の顔のなかで切れ長の瞳が不安げに輝いていた。サヨさんの瞳がどんなに澄んでいるか、よくわ かった。なんで不安なんだろう? 許してもらえないのが怖い? どう謝ればいいのか分からなかった? だとしたら、ぼくと同じことで悩んでいたんだ。ぼく より純粋に。
 ぼくは答えた。
「お礼をいうのはぼくの方だよ」
「もしよかったら、これからもわたしの闘争に協力してくれ」
 そうだ、この人はいつだって真剣なんだ。不意にそう思った。真剣に先生とケンカしてヤンキーとケンカして、そのままの勢いでぼくの漫画もバッサリ。
 ぼくが黙っていると、サヨさんは不安になったらしく、視線をあちこちさまよわせて、しどろもどろになる。
「いや、その、イヤだというなら仕方ないんだ。しかし君は、その、あの、漫画を描くという能力があり、ナイフを恐れない勇気があって、せっかくの能力が もったいないのではないかと。その、あの」
「やるよ。革命やるよ」
「ほんとうか!?」
 サヨさんは別人のように、恥ずかしさも不安も全部吹っ飛んだ小さい子供のような笑顔になる。
 これからも喧嘩はするかもしれないけど、でも、このひとの『革命』につきあうのはそんなに悪くないかもな。
「よかった……てっきり迷惑に思われているのかと」
「いや、迷惑は迷惑だったけど。大冒険は見るものでやるものじゃないと思うけど。でもほら、ハダカみたり触ったりいろいろとラッキーな……」
 張り倒された。
「お、お、お前……わすれろ! わたしのハダカのことは忘れろ! 不埒な想像に使うんじゃないぞ!? もし使ったら……」
 道路に這いつくばったぼくの背中にパンチとキックの連打が降ってくる。
「痛い痛いごめんなさいー冗談ですー!」
 こうして、ぼくの革命は始まった。
 後悔はしていない。
 たぶん。

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