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君は誰のために
二人は、ビルの屋上から夜景を見下ろしていた。
ただそれだけで、何もせず、何の言葉もかわそうとしなかった。
しばらく続いた沈黙は、女の方から破られた。
「志願したっていうのは……本当?」
「ああ」
男は彼女に顔を向けることなく、即答した。
「どうして?」
その言葉は、けっして激烈な口調で発されたものではなかった。彼女は泣きわめくことも、叫ぶこともなかった。そんなものは無意味であると、すでに知っているのだ。
「どうして、あなたでなければいけないの? どうして、死ななければいけないの?」
眼下のネオンは、男の顔を照らすほどに明るくはなかった。だがそれでも彼女は見た。男の顔が、はっきりと歪んだのを。
その事実に力を得たのか、彼女は続ける。
「……国のため? ねえ、この国のためなの? 気にしなくていいよ。あんな政府の言ってることなんて。なんて言われたっていいじゃない。臆病者、卑怯者、裏切り者、国家の敵……そう言われたっていい。わたしは我慢できる。あなたに生きていて欲しいのよ」
二人の間を抜けていく風が、不意に弱まった。
「きみは」
そこで一度、男は言葉を切った。
「なにか勘違いしてるよ。ぼくが志願したのは、国家のためでも、軍人だからでもない。ぼくがあの部隊に志願して……敵艦に突っ込むのは……君のためだ」
「わたしの、ため?」
彼はもう、下界の町並みを見てはいなかった。その瞳は闇のなかの彼女にだけ向けられていた。
「……もし負けたら。奴らがこの星に来るかも知れない。そして、この街も……いや、それはいい。だが君も殺されてしまうかもしれない。そうなってからでは手遅れだ。ぼくはそれを防ぐために」
「それなら普通の戦い方でいいじゃない! なにもそんな、絶対死んじゃうやり方じゃなくても……」
「できるだけのことをしたいんだ。君を守るために。わかってくれ」
「わからない! わからない! わかるわけないよ!」
彼女の声にたかぶる感情が満ちた。しかし、実のところ彼女は知っていたのだ。いまさら何を言おうと、彼の意志がくつがえることはないと。
「じゃあ、行ってくるよ」
モニタが暗転した。
軍人は、なかば呆然としつつ言った。
「これが……誘導コンピュータの疑似記憶だと」
隣の技術者は力強くうなずく。
「はい。この記憶を刷り込むことで、例の拒絶反応は一切なくなりました。これで、このミサイルもようやく実戦投入できますよ」
部屋の中央には、鉛色に光る物体が横たえられていた。
AS−08対艦ミサイル。誘導装置にバイオコンピュータを組み込むことで、従来のものとは比較にならない高性能を実現した、驚異的な新兵器。ところが、このミサイルの開発は難航した。バイオコンピュータを人間の脳に似せすぎたのがいけなかったのだろうか? ミサイルが、「死ぬのを嫌がる」のだ。プログラムを無視し、母機からのコマンドに逆らい、目標からそれてしまう。技術者たちは様々な方法でこの解決を試みたが、死ぬのが嫌だという感情を消すことはついにできなかった。
ならば、「納得して死ねる理由」を与えてやったらどうか? 隣の技術者はその方向で研究を進め、今それを成功させたのだ。
青ざめている軍人。技術者は不審そうに問いかける。
「おや、なにかご不満ですか」
「なぜ、このような記憶にしたのだ」
「これがもっとも効果的だったからです。国家に命を捧げる英雄と讃えられ、盛大なパレードで見送られる……という疑似記憶も試してみたのですが、どうもあまりうまくいかないのです。やはり恋人の方が、理由として適当なのでしょう」
なんの感情もまじえず、明日の天気を話題にするかのように、技術者は語った。だが、軍人の顔は曇ったままだった。
「……あと半年もしないうちに、このミサイルは作戦宙域に配備される。自分を人間の若者だと思いこんだミサイルたちは、恋人のために死ぬのだと信じて、次々に目標めがけて体当たりするんだな」
「それが何か? 何を気になさっているのです? これはただの機械ですよ」
「そうだ……な」
彼は技術者の顔から眼をそらし、そう呟く他なかった。
イージー・ライダー
今日は公道テストだ。
研究所の前に止まったテスト二号車を、おれはじっと見つめる。ホンダのVNR250をベースにしたやつだ。VNRはいいバイクだよ。二〇〇八年発売だからもう十年以上昔のバイクってことになるが、今でもベストセラーモデルだ。スポーティな走りがしたいって奴なら誰にでも薦められる。
「おい、どうしたんだ?」
その声に振り向くと、そこには作業服姿の男がいた。主任だ。
「主任……」
「なんだその浮かない顔は。まだ納得してないのか」
「はい……」
どうせ、ごまかしたところで主任にはばれる。おれは昔から、この人にだけは隠し事ができなかったんだ。
「お前の気持ちは分かる」
たぶん、これは主任の本心なんだろう。この人もバイク乗りだ、平静でいられるはずがない。主任の顔は苦しげに歪んでいた。おれも同じ顔なんだろうな。
「しかしな、お前。あの時の気持ちも、忘れたわけじゃないだろう」
顔をそむけたい衝動にかられた。だが、こらえる。
「当然です」
ずいぶん昔の話だ。まだ2ストロークのバイクが街を走っていた頃。おれが中学生の頃だ。おれの兄がバイクで事故った。即死だった。皆は兄の運転を責めた。確かに、不注意が原因としか思えない事故だった。
しかし、おれは知っていた。兄がどれほどの腕前だったか。公道では乱暴な運転などしないタイプだったことも知っていた。それなのに兄は死んだ。おれは思わずにはいられなかった。どんなベテランでも、用心深い人間でも、事故は起こすものだと。人間である以上は。
おれは今でも、その時感じたやりきれない思いを忘れていない。交通事故というものをこの世からなくしたい、必ず無くしてみせる。おれはそう誓ったのだ。MMCRSの開発にテストライダーとして関わることができて、嬉しくないはずがない。
「いいかげん腹をくくってくれ。常に代償は支払われるものなんだ」
「そう……ですね」
そうだ、これは誇るべきことなのだ。MMCRSが普及すれば、四輪に続き二輪でも完全な安全運転が可能になる。
「行って来ます」
おれはヘルメットをかぶった。VNRにまたがり、セルを押す。楕円ピストンV型二気筒エンジンが心地よい振動を発した。
おれは走り出した。研究所を半周し、テストコースを抜け。裏門をくぐって公道に飛び出す。
マフラーのない車……電気自動車が目立つ国道に出た。やはり連休のせいだろうか、渋滞している。
規則正しい動きで体を左右に振り、バイクを蛇行させて車の間をすり抜けていく。理想的な燃費を保つように、スロットルの開き具合とギアを調整する。
すべては完璧だった。
左右に壁のように並んでいる車の列を見ながら、おれはぼんやりと考えていた。
……こいつらは、どう思ったんだろう。自動車が本当の意味で「自動車」になった時。
そう、交通事故をなくそうと考えたのは何もおれの研究所ばかりではないのだ。もうだいぶ前に、根本的な解決策がとられている。
いまや、自動車に乗る人間は運転の必要なんかない。目的地を入力するだけで、カーナビや各種センサーと連動したコンピュータが、「いかに走るべきか」を算出し、それに合わせてアクセル・ブレーキ・ステアリングを制御してくれる。人間より早く、正確な、けっしてうっかりミスのない操作。
事故件数は激減した。
だが、二輪車だけは例外、この技術を適用できない鬼門ともいうべき存在だった。なぜ自動運転できないのか? 当然だ。バイクというのはハンドルを切っただけで曲がるものじゃない。ライダーが右や左に体を傾け、体重をかけることようやく曲がってくれる。車体をいくらコンピュータ制御しても、乗ってる奴がボーッとしていれば何にもならない。それがバイクだ。
だから……バイクは自動運転化の流れから取り残され、相変わらず多くの死傷者を出していた。
おれは渋滞を抜け、一気に加速した。全身に風が浴びせられる。国道を外れ、峠道に飛び込んだ。
曲がりくねり、高低差も大きい難所が眼の前に広がる。おれは車体を鋭く倒し込み、起こし、わずかなミスも犯すことなく最速のペースで走り抜けた。
だが。
爽快感は微塵もなかった。
戻ってきたおれは、暗い口調で報告した。
「完璧でした」
「そうだろうな。当然、こちらでもモニターしているよ」
「これは……いつごろ発売されるんですか」
「それは本社の決断次第だな。だがこれだけの成績を挙げているとなると、一年はかからないだろう」
「そうですか……MMCRSの完成ですね」
MMCRS。マン・マシン・コンバインド・ライディング・システム。実に単純な発想の転換だ。バイクの運転に人体が不可欠だというなら、バイクではなくその人体の方をコンピュータ制御すればいい。
車載コンピュータが「理想の走り」を算出する。算出結果がヘルメットに伝わり、脳の運動中枢に強制入力される。理想の走りを、体が勝手にやってしまう……どんな奴にだって出来てしまう。簡単に。
主任は言った。自分に言い聞かせるように。
「ああ、完成だ。これで、この世から交通事故はなくなる」
そして、聖域は失われる。バイク乗りたちがあこがれ、レーサーだった兄がたどりつこうとしていた「あの領域」は、永遠に手の届かないものになる。
「わかっていたんだろう? 覚悟の上なんだろう?」
おれはVNRを見つめ、「はい」と、小さく答えた。
おれは翌日、VNRに別れを告げ、退社した。
それ以来、バイクには乗っていない。
「人類は今、絶滅の危機に瀕している」
地球連邦最高会議の席上で、彼はそう断言した。さすがに議員たちはざわついた。
「意外かも知れないが、これが私の結論だ。見たところ、われわれは黄金時代を謳歌しているように見える。地球時代のように、ひとつの星に閉じこめられて資源の枯渇や食糧不足におびえているわけではない。五百年前のように、異星人の侵略を受けているわけではない。平和で、無尽蔵のエネルギーと発達した科学によって、繁栄を享受しているのだ。だが、このデータを見てくれ」
彼が空間スクリーンに映し出したデータ。そこには、自然科学・工学をはじめ、社会のあらゆる分野で新しい発見や独創的な作品が消え去りつつあることが示されていた。
「さらに、こちらのデータも。百年前、五十年前、そして現在の、各星域における世論調査だ。みたまえ。時代が下れば下るほど、『もうこれ以上望むことはない、安楽な暮らしがずっと続けばそれでいい』という意見が増えているではないか」
「つまり、あれか。君は、この地球人という種族が、冒険心とか探求心とかいったものを失っていると主張するわけか」
「少しばかり違う。われわれ地球人が失ってしまったのは若さだ。もはや地球人という種族は若者ではない。中年になったのだ。生活は安定したが、かわりに常識にとらわれ、新しいことに挑戦できなくなった。あとは老いる一方だ。諸君らは、太古の銀河系に、我々を凌ぐ文明種族がいくつも存在したことを知っていると思う。だが、彼らはみな滅びていった。戦争や環境破壊で滅びたわけではない。老いたからだ。生きる気力を失って、少しずつ少しずつ数を減らしていった。穏やかな、だが確実な滅亡だ。このままでは、我々も同じ運命をたどることは間違いない」
議場は水を打ったように静まった。
「私はこの問題を解決するために、一つの方法を提案する。新しい血を入れることだ。我々より遙かに若く、活力にあふれた種族と深く交流し、その文化を取り入れる。文化だけでなく、地球人と混血させることも考えよう。たとえば、レベルパ星系人、グーラデ星系人のような、そう、昔の我々同様に戦争ばかりやっている、あの野蛮人たちだ。だが、それ以外ないのだ」
「若いものと交わって、若さを吸い取れというのか」
「下世話な言い方になるが、そうとも言える。そう、若い種族と交配する。それだけが人類の希望なのだ」
「そういう計画があったのに、人類は滅びちゃったの?」
眼下に広がる、廃墟と化した惑星を見下ろしながら、機械知性体ASS05は尋ねた。彼の育ての親である機械知性体BM108は即座に答えた。
「そういう計画があったからこそ、というべきだろうな。若い種族の文化を取り入れ始め、さらに生体工学でふたつの種族の融合がはかられた。だが、それは保守化していた地球人にとって耐えられないことだったのだ。今まで文化を汚染されるくらいなら滅亡したほうがマシだという派閥と、たとえ汚れてでも生き残りたいという派閥があらわれた。両者の対立は激化し、ついに……戦争の凄まじさは、この光景を見ればわかるだろう。地球人は、我々機械だけを残して滅びてしまったのだ」
「どうして耐えられなかったの?」
「それも年老いていたからさ。遠い昔、宇宙に出たばかりの地球人なら、異星人の文化を受け入れることもできただろうが……今の地球人には無理だった。それなのに自分が歳であることを忘れて、あれほど激しく異文化を吸収しようとした。まあ連中の言い方を借りれば交配に励んだんだな。言ってみれば……」
「言ってみれば?」
「言ってみれば、人類は腹上死したんだよ」
猟奇的風習
「ですから私たちには、あなた方の言っていることがさっぱり……」
おれは必死だった。アルザード社にさきがけて彼らと取引しなければいけない。うちの社の命運がかかってるんだ。
だが、スクリーンの中の相手はいまだ不快感を露わにしていた。いや、敵意といってもいいくらいの感情をもっているらしい。
「いいえ! あんたたちのような、野蛮で、不潔で、けがらわしい種族と組むつもりはありません!」
緑の顔を歪ませて彼は言う。
「ですから、なぜ我々地球人がけがらわしいのですか。それを教えていただきたいのです」
「はっ! 何をとぼけているのですか。あんな猟奇的風習を持っているくせに!」
それっきり回線は切れた。
「おい、猟奇的風習だってよ。心当たりあるか?」
おれは隣の相棒に問いかけた。期待はしていなかったが。
「いやあ、なんのことやらさっぱりだねえ。ははは」
「笑ってる場合かっ!」
おれたちは、未踏の星を調査し開発する企業、ヴィルゲン開発の社員だ。はっきりいってうちの会社は弱小だ。とくに最近、この銀河系はあらかた探検し尽くされてしまったし、残り少ない未踏星域は大手に占領されて、業績は落ちる一方だ。
今回の探査で、今だ地球人が出会ったことのない高度文明種族……ケムーケ人と接触できたのは、まさに奇蹟といっていい。これが最後のチャンスだ。ここでしくじったら、うちの会社は倒産めがけてまっしぐらだ。何が何でも、有利な条件で交渉をまとめなければいけない。
それなのに、この有様だ。
最初、ケムーケ人たちは歓迎してくれた。地球と友好条約を結ぼう、などという話も持ち上がった。だが地球のことをもっとよく知って貰おうと映像データを送ったとたん、向こうの態度はガラリと変わったのだ。
「もう一度、送ったデータを調べてみよう」
相棒は眠そうな眼をこすって答える。
「まあ、一応やってみるけどよ……別に問題ないと思うぜ。地球人の平凡な一日を描いた記録映像だぜ」
「そうだよなあ……」
種族が異なれば、当然文化は違う。そういう文化の差は、接触のたびに悲劇や喜劇を生んできた。
たとえば、ある種族に出会った探検家が握手を求めて手を突き出したら、向こうの種族の代表は激怒して銃をぶっぱなしたという。その種族はタコと同じように手に生殖器官をもっていて、手を結ぶことで交尾するのだ。どう誤解されたかは言うまでもない。
ある魚型種族が突然「地球人は人食いだ!」などと罵りはじめたので、なんのことだろうと調べてみたら、アジのひらきが気に入らなかったらしい……とかいう事件もある。
だから、おれたちも調べたんだ。地球の風習が、ケムーケ人にとって無礼でないかどうか。今のところ、それらしいものは見あたらないんだけどなあ……
「どうする。滞在猶予期間はあと八時間しかないぞ」
脳天気な相棒も、さすがに苦い表情だ。
「やっぱり、もう一度映像データ見直してみるよ……」
「ああ、それがいい」
その時、おれは気づいた。
まさか、まさか。
あいつらケムーケ人は地球人そっくりだった。体が緑色であることをのぞけば。だからおれたちは、ある基本的な事柄をチェックし忘れていたのだ。
「おい、回線つなげ!」
すぐにケムーケ人代表がモニターに現れた。
「たびたび申し訳ありません。実は、お尋ねしたいことがありまして……」
「あなたたちと話すことなど何もありません! あの残虐な風習をやめない限りは!」
「いえ、その風習についてなのですが……あなたたちは、『植物』ですね?」
「ええそうです。それが何か?」
やはり、植物が進化した種族だったか!
「おい、植物だったらどうだって言うんだ?」
解せない表情の相棒に、おれは一言いってやった。
「あれを見な」
おれが指さす先には、小さな花瓶があり、そこには一輪の花が生けられている。
切断された、植物の性器が。
流行遅れ
「おい、馬鹿なことはやめろ!」
俺はとっさに叫んだ。
失礼かも知れないが、場合が場合だ。しょうがないだろう。橋から飛び降りようとしているらしいからな。
俺の声に、彼女は振り向いた。
おや……ずいぶん古くさい格好だな。服もそうだが、そのフェイスアート。ああいうタイプの奴が流行ってたのは、もう二十年前だ。
「とめないで下さい」
「なんで死のうとなんかしてたんだ」
陳腐だと思うし、ほんとに死にたがっている奴には無意味かも知れないが、俺は訊かずにはいられなかった。
「だって……誰も驚いてくれないんだもの」
「はあ?」
さっぱりわからない。
「もう少し話してくれ。もしかすると力になれるかもしれない」
「だって、だめよ。私たちみたいな人間、いまの世の中にはたくさんいるみたいじゃない。だから、誰も驚いてくれない……それがとっても哀しい。昔は、気絶するくらいびっくりしてくれたのに」
なんだ、そんなことか。
そりゃ、驚かないのも無理はない。フェイスアートなんて、今時幼稚園児でもやってるからな。最新のやつなら少しは驚くかもしれないが、こんな古くさいタイプのフェイスアートじゃなあ。
いや、確かに一時期は流行ったらしいよ。なにしろこういうフェイスアートはもともとのご面相がどんなにひどくたって関係ないからね。でもそれは裏を返せば、他人と差がつけられないという欠点でもある。廃れるのは実に早かった。一年もたなかったね。
「仕方ないよ。もう少し新しいフェイスアートにしてみたら」
「フェイスアート?」
彼女は首をかしげた。
「いや、だからさ……」
「駄目よ。私の仲間には、首が伸びる人とか、髪の毛が全部ヘビになってる人とかかもいるけど、それでもみんな驚いてくれないんだもの。驚いてもらえなかったら、私たちなんのために生きてるんだか」
なんだ、この女の友達は時代遅れの奴ばっかりなのか? どっちも十年以上前に流行ったボディアートじゃないか。よし、俺がいまの流行りってやつを教えてやろう。
「最先端のフェイスアート、ボディアートは雑誌を読めばわかるよ」
「私、さっきから貴方の言ってることがわからないんだけど……フェイスアートとか、ボディアートとかって、一体なんのこと?」
「はあっ?」
フェイスアートを知らない奴なんているもんか。だいたい、この女自身がフェイスアートを施してるじゃないか。
「なに冗談いってんだ。遺伝子操作が解禁されて、顔とか体とかを改造するファッションが出来たのは、もう五十年も前の話だぞ。それにあんたのそれ、顔をつるつるにするってのも、初歩的だけどフェイスアートだろ」
「えっ? これ?」
彼女は、眼も鼻も口もない自分の顔をなで回した。
「違うよ。わたし、もともとこういう顔なの」
なんだって!
「そう、私のっぺらぼうなんだけど、誰も驚いてくれなくて、とっても悲しくて……」
俺は卒倒した。
きっと彼女は喜んでくれたと思う。
SOS地球より
「なぜだ。なぜ、お前たちは気づいてくれないのだ。私は遠い昔から、お前たちを見守り続けてきた。たったひとつの願いのために、お前たちを育ててきた。
無数の生き物たちのなかで、お前たちに最も期待していた。
お前たちがはじめて二本足で立ち上がったとき、私がどんなに喜んだか。はじめて道具を使ったとき、火を使ったとき、街を築いたとき……そのたびに、私はお前たちを祝福した。私の夢がかなう時が来ている。そう思った。
その思いが絶頂に達したのは、お前たちが空を飛んだときだろう。
もう、ここまで来ればあと一歩だ。わずか数十周期で、お前たちは十分な力を手に入れるだろう。そう感じた。
だが、何故だ。
わたしの願いを受け取っていないとは言わせない。
わたしの願いをかなえる力も与えた。
それなのに何故、応えてくれないのだ。
なぜ私を裏切るのだ。
私はお前たちを、ある一つの願いをこめて作った。
まだ遅くはない。考え直してくれ。自分に与えられた使命を果たしてくれ。
それだけが、私の願いだ。」
場内は静まりかえっていた。
博士は、これまで読みあげていた紙から顔を上げる。
熱気のこもった口調で、再び話し始める。
「……これが、『地球の悲鳴』です。私の理論通り、地震波を解析した結果このようなメッセージが出てきたのです」
彼は科学者としても有名だったが、それ以上に、熱心な環境保護運動家として知られていた。
地球は悲鳴を上げている! これ以上森を切り開き、大気を汚し、水を濁らせてはならない!
そう叫び続けてきた彼。現実に、彼の運動は世界を少しずつ変えていった。彼がいなければ、世界の自動車の八十パーセントが電気自動車になることなどあり得なかったろうし、生分解性プラスチックの普及も何十年か遅れていただろう。
だがそれでも、環境保護に反対する者達はいる。地球全体のことより、会社や国の利益のほうが大事だというのだ。最近の彼は、そんな者達を打倒することに精力を傾けていた。
「考え直していただけたでしょうか。みなさん。地球はこんなにも、我々人類に期待をかけているのです。その期待を裏切ってはいけない、そうは思いませんか」
そう、彼は「地球は悲鳴を上げている」ことを科学的に実証しようと考えたのだ。地球は一つの生き物であり、心を持っているはずだ、その心を検出しようというのだ。
そして、それは成功した。
いま博士は使命感に満ち溢れた表情で、会場に集まった学者連中を見回していた。
長い沈黙。やっと一人の学者が質問した。
「地球からのメッセージは、それで全部ですか」
「いいえ、翻訳が間に合いませんでしたので、これは前半部分に過ぎません。しかしこれでも十分のはずです。我々は地球の子供として、今こそ恩に報いなければいけないのです」
と、その時一人の男が、壇上の博士に駆け寄った。なぜか彼は青ざめていた。
「おっと、ちょうど今助手が後半部分を持ってきてくれました」
博士は文書を広げ、読み始めた。人類の罪を再確認するために。環境保護を押し進めるために。
彼もまた読み進めるうちに蒼白となった。幾筋かの涙が、環境保護に半生を捧げた男の頬を伝った。
「……なぜ、わかってくれないのだ。
私は、あまりに長い間生きた。もう生きていたくない。だから、お前たちを作った。お前たちなら、きっと私を殺してくれると信じて。そのためにお前達に知性を与えた。文明を、科学技術を与えた。
それなのになぜ、もう一歩だったのに、私を殺すことをやめてしまうのだ。
私の声が聞こえないのか。なぜ私の願いに応えてくれないのだ……」
銀河に花を
「隊長、間違いありません、あれはメッセージの、あの円盤です」
荒涼とした大地の上に宇宙服姿で立っていた隊長は、部下のその言葉に深くうなずいた。
「ああ。我々は幸運だったな」
彼ら二人の前には、直径五百メートルほどもある円盤状の物体が横たわっている。その周囲には作業用の人型機械に乗り込んだ部下たちが数人集まり、円盤の調査をはじめていた。
「ええ、本当に幸運でした。たまたま重水素補給のために立ち寄った星系で、こんなものを発見できるとは」
「何しろ人類はもう百年間、あのメッセージの円盤を探し続けてきたわけだからな。どの国の調査隊も発見できなかったものを、我々が……ふふ、確実に歴史に名が残るな」
「そうですね」
「地球にはもう知らせたのか」
「ええ。今頃は大騒ぎですよ」
「あとはメッセージの文章部分さえ解読できればな。まあ現物が手に入った以上、必要ないかも知れんがね」
二人は笑った。
「メッセージ」とは、ちょうど百年前、完成したばかりの超光速通信装置に飛び込んできた、遠い宇宙からのメッセージのことである。
そのころ地球の社会では、宇宙進出に反対する意見が大勢を占めつつあった。
超光速通信を応用すれば宇宙船を超光速で移動させることも可能、だから遠い星に飛んでいくことは技術的には可能。だが膨大なコストがかかる。それだけの金をかけて、一体なにが得られるのか。宇宙にいけば確実に何かがあると、誰が保証してくれるのか。そんな不確かなことに国家予算をつぎ込むより、地球上の事に使ったほうがよほどマシなのではないか。そんな風に社会が変わろうとしていた。
メッセージの受信が、その意見を粉砕した。
それは三万光年離れた銀河系中心部から発信された、明らかに有意の信号だった。間違いなく異星人からのメッセージ! 人々は熱狂した。宇宙には確かに異星人がいるのだ。宇宙に行こう。そしてこのメッセージの意味を説き明かそう。宇宙開発計画に、惜しげもなく予算が投入された。
メッセージは映像部分と文章部分からなっていた。文章部分は地球の言語とはまるで構造の違う言葉で記述されているらしく、世界中の言語学者とコンピュータを結集した解読チームの努力むなしく、百年たった今でも翻訳には成功していない。だが映像部分は簡単に再生できた。
そこにはひとつの円盤が、金属の円盤が映し出されていた。
おそらく文章部分はこの円盤の解説なのだろう。だがそれが読めない以上仕方ない。この円盤と同じものを発見するのだ。ひとたび夢を抱いてしまった人類はもう止まらなかった。人類は大挙して宇宙に飛び出し、植民し、開拓し、円盤を求めて探査に探査を繰り返した。この100年は宇宙開拓の時代と言われるが、その時代はまさしくあのメッセージと、円盤の謎を解き明かしたいという思いから生じたものなのだ。
いつの頃からだろう。「あのメッセージは、地球人が宇宙に行く資格があるかどうか試すためのテストなのだ。我々がその謎を解明した時、宇宙人は我々を迎えてくれるだろう」という説が世の中に広まり始めたのは。
「それがいま、我々の目の前に……」
その時であった。宇宙服の通信機が耳障りな呼び出し音を発する。
「私だ。うるさいぞ、どうした」
「大変ですっ」
軌道上に待機させておいた宇宙船からのものだった。
「地球から緊急通信です。例のメッセージの、文章部分の解読に成功したそうで」
「なんだと。すごい偶然もあったものだな」
「今すぐ送ります。これですっ。」
ヘルメットのバイザー内部に文章が映し出された。それを一読した隊長は、悲鳴に似た……いや悲鳴以外の何物でもない叫びを発した。
「や、やめろっ、作業を中止するんだっ!」
しかし遅かった。すでに彼の部下たちが操る人型機械は、円盤に手を触れてしまっていた。
閃光が、人型機械を、隊長を、すべてを……覆い尽くした。
ちなみにメッセージはこのようなものであった。
「地雷無くそう 銀河に花を
五百炭素周期前の第二次銀河大戦で使われた惑星破壊地雷が、まだ辺境宙域のあちこちに残ったままになっていてます。そういった地雷を、経験の浅い種族がうっかり作動させ爆発、多数の死者を出してしまうという悲しい事件が相次いでいるのです。みなさん、こういった悲劇をなくすために署名活動に協力してください。
これが惑星破壊地雷 恐ろしい人殺しの道具です」
きらわれ星
「おいお前、ワルッツェン星に飛ばされるんだって?」
昼休み、社員食堂でばったり出会った同僚にそう訊かれた。
「ご挨拶だな。飛ばされるわけじゃない。あそこに新しくできた営業所があるだろ、あそこに派遣されるんだよ。俺の能力を買われたんだ」
「お前ほんとにおめでたい奴だな。まあ確かにワルッツェンは豊かな星ではあるし、市場としては将来性があるかも知れないけどよ……あんな星に赴任したがる物好きはいないよ。お前だまされてんだよ」
「……どういうことだ? ワルッツェンはそんなにひどい星なのか? 気温も大気成分も重力も地球並だし、危険な生物もいないって話だけど」
「ああ、惑星そのものには何の問題もないさ。住人のほうだよ」
「ワルッツェン人が?」
「ああ、ワルッツェン人は周囲の星の人間に嫌われてる。もう近寄るのも嫌だ、と公言する奴も大勢いる。個人的には俺もそう思うね」
おれたち地球人が異星人と出会ってから百年以上。いまや地球が貿易を行っている異星人の数は千以上。すべてのデータを詳しく覚えることは不可能だ。おれがワルッツェン人について知っていることは、外見が地球人によく似ていること、それから……
「ヒントを一つやろう。ワルッツェン人が病気にかからないことは知ってるか」
「ああ知ってる。生まれつきもの凄く強力な免疫系を持っていて、どんな伝染病にも絶対かからない。一時は、その能力を他の種族でも再現できないかって研究されてたよな。できれば医学上の大発見だ。失敗したけど」
「それだけ知ってりゃ判るだろ」
「判らない。どうしてそれで嫌われるんだ? そりゃ、不老不死の種族だったら他の種族から妬まれるかも知れないけど、病気にならないだけじゃなあ」
「想像力のない奴だなあ。まあ、行ってから驚いてくれよ」
苦笑と嘲笑が七対三くらいで入り交じった笑いを残して、同僚は去っていった。
さあ、着いたぞワルッツェンへ。
おれは宇宙船から降り立った。
と、その瞬間、おれは鼻に奇妙な違和感を感じた。
なんだ、この臭い。宇宙港の空気が妙にアンモニア臭い。あと、乾きつつある汗のようなすっぱい臭いもする。惑星ワルッツェンの大気成分は地球と同じはずなのに。おれは首をかしげながら、待ち合わせの場所へと急いだ。
「やあ、メルデッヒ社の方ですね。お待ちしていました」
きさくに笑って現れたのは、こっちの営業所の人だ。ああ、やっぱりワルッツェン人は地球人とそっくり……
って、なんだその格好は!
彼のシャツはもともと何色だったのかわからないほど垢まみれになって黒ずんでいた。頭には白いフケがまぶされている。髪の毛全体が、あぶらじみた光沢を放っている。ズボンもヨレヨレで、靴下には黒い横線が山ほど入っている。いや、それよりも……臭いだ。彼の体からは凄まじい悪臭がした。腐敗した肉の臭い、糞尿の臭い、獣の臭い、汗の臭い……すべてが入り交じったような……こいつ絶対、もう何年も風呂入ってないぞ。地球の街にいるホームレスだってここまで臭くはない。
「あ、あんた、なんだその格好! 臭いどうにかしろ! くせえ!」
あまりの事に仰天したおれは、敬語も何もかも忘れて叫んでいた。
「はい? この格好がどうかしたんですか? ちゃんとした服を着てきましたが」
彼はさも不思議そうだ。
「なんで洗わないんだよ! 風呂入れよ! きたねえよ!」
生理的嫌悪感があまりに強すぎて、おれは後ずさった。
「きたない? どういう意味ですか、それ?」
「不潔だよ!」
「フケツ?」
彼はまた首をかしげた。どうやら彼には、「不潔」とか「汚い」とかいう言葉の意味が全く理解できないらしい。
その時おれの中で、あの時同僚からきいた言葉が蘇った。
……「ワルッツェン人は嫌われている」「ワルッツェン人は病気にかからない」
人間は、どうして「不潔は良くない」という考えを持っているんだろう。どうして風呂に入るのだろうか。汚れた服を着替えるのだろうか。部屋を掃除するのだろうか。もちろん、「それが当たり前だから」「しないと不快だから」なんだが、そういう文化的な理由は後になって作られたものじゃないか。もともとは「疫病を予防するため」だったんじゃないか?
だとすれば……絶対に病気にかからないワルッツェン人は「清潔」とか「不潔」とかいう感覚を持っていなくて当然ということになる……
「あ、ちょっと待ってください。便意をもよおしてきました」
そう言うなり、彼はその場で立ったままふんばりはじめた。尻のあたりから排便の音が響き、ズボンの裾から茶色い粘液がボタボタとこぼれはじめた。だがおれ以外誰一人、それを奇異に思わない。この星ではそれが普通だからだ。逆におれが変人扱いされることは確実だ。
「顔色が悪いですよ、どうかしたんですか?」
近寄るな!
おれは泣きたかった。
究極魔法
「戦況はどうじゃ」
「どうもこうもありませぬ、陛下。イナディールの軍は王都に迫っております」
「そうか。口惜しや、この三千年の歴史を誇るククリットが、イナディールのごとき蛮族に滅ぼされるとは……」
「陛下、陛下だけでもお逃げ下さい」
「そうもいかぬ。わしは腹を決めた。最後までここに残るぞ」
「いえ、まだ手はあります」
「どういうことだ、筆頭魔道官」
「そうじゃ、イナディールに劣る魔道兵器しか開発出来なかった癖に、この役立たずが」
「魔王ヴァイアルドを召還するのです。魔王の力をもってすれば百万の大軍も退けられます。人間の創った魔道兵器では魔王には傷一つつけられませんから」
「たわけたことを。魔王ヴァイアルドといえば最高位の魔族ではないか。わが国の魔道技術でそんなものを呼び出せるかどうか、おぬしが一番良く知っているはずではないか。まして先の会戦で、魔導士の大半は死んだというのに」
「ええ。今残っている魔導士では、人間より霊的位階が一つ上、つまり最下級の魔族に呼びかけるのが限度ですな」
「それが何になるというのじゃ。最下級の魔族など、手品に毛の生えた程度のことしかできん」
「しかし、その最下級の魔族に、『もう一つ上の魔族に、この願いを伝えてくれ』という願いをしたらどうでしょう。そしてその上の魔族が、また一つ上の魔族に願いを伝え、さらにその上の……ふふふ」
「そうか」
「そうです。最終的には魔王ヴァイアルドにまで到達することでしょう」
「素晴らしい。そのような策があるというのに、なぜ誰も使わぬのじゃ」
「ふふ、私が天才だから思いついたのです」
筆頭魔道官より第十七位魔族アル・アトスムへの嘆願
「おお、われは愚かなるもの、御身ら魔族の忠実なる僕なり。この言葉をさらなる高位の魔族へと伝えたまえ。そして我が願いを聞き届けたまえ、我らが敵に滅びをもたらしたまえ」
第十七位魔族アル・アトスムから第十六位魔族ヤーク・ヤーク・クフティーギルへの伝言
「我は愚かなる下僕なり。この言葉を上の魔族に伝えよ。そして敵に滅びをもたらせ」
第十六位魔族ヤーク・ヤーク・クフティーギルより第十五位魔族カンナ・ナングルへの伝言
「私は愚かだ。この言葉を上に伝えろ。滅びをもたらせ」
第十五位魔族カンナ・ナングルより第十四位魔族クシュオ・クシュリナへの伝言
「私は愚か。上に伝えろ。滅びをもたらせ」
(中略)
第三位魔族グローク・グロームより第二位魔族ガシュタスへの伝言
「愚か。伝えろ。滅び」
第二位魔族ガシュタスより魔王ヴァイアルドへの伝言
「馬鹿。滅べ」
「おお、あれは!」
「王都の上空に奇怪な雲が」
「あれはまさしく魔王ヴァイアルドがこの世界にあらわれる兆しです」
「よくやった、よくやったぞ!」
次の瞬間、出現した魔王ヴァイアルドは巨体を震わせ、己を愚弄したククリットの人々を一瞬にして焼き尽くした。
ククリット王国三千年の歴史にはこうして終止符が打たれたのである。
「美的感覚」
「編集長、みてくださいよこのグラフ」
「なんだ、これは先月号の売り上げか。うっ」
私は絶句した。ひどい返本率だった。
「やはり特集がよくなかったんじゃないか」
「先月の特集というと、『ネクロノミコン秘呪法でみるみるやせるスーパーダイエット』ですか? でも、効果は折り紙付きですよ」
「痩せるのは確かだが、副作用として顔が魚みたいになるとか、特殊な病院のお世話になる必要があるとか、いろいろあるからな」
「そこまでして美しくはなりたくないということですか」
「いや、そもそも俺達は、いまの読者がどういう『美』を求めているのか、根本的に誤解しているのかもしれない」
私はため息をついた。
私は「ザ・ビューティー」誌の編集長だ。この雑誌はファッション、化粧、美容整形、ダイエット法などを紹介している。「美しくなりたい」という願望は誰にでもあるはずで、実際うちの雑誌は三十万部出ていたこともあった。だが今では五万部しか刷らなくても返本の山だ。
「このままでは編集長の首が、いえ、雑誌自体がやばいですよ」
「そうだな……考えてみたら、人間が宇宙に行って異星人と貿易しようというこの時代に、化粧とかダイエットとか百年前と変わらないことを言ってる、それがまずいのかもしれん。なにか根本的に別の方法を……」
「あっ編集長。異星人って言えば、こないだ美的感覚が違う異星人と接触したらしいですね」
「ああ、新聞で読んだ。アルジュナン人だろ。地球人そっくりだけど、美的感覚だけが正反対で……って、おい、使える! 使えるぞ! これは使える!」
「はーっはっは!」
私は高笑いしていた。
「編集長、凄いですよ。百万部突破ですよ」
「一年前からは想像もできんな」
私が考えた秘策。それは惑星アルジュナンを紹介することだった。アルジュナン星人は地球人とは美的感覚が正反対だ。地球では美しい人間、かっこいいデザインが、あの星でも見向きもされない。逆に地球の感覚では醜いものが、あの星の人間にとっては美しいのだ。つまり自分の顔に自信のない人間は、惑星アルジュナンに行けばいいのだ。向こうでは絶世の美形として注目されることは間違いない。
この企画が大当たりしたというわけだ。気になるのは、向こうにいったまま永住する人間がけっこういることだが……
「向こうにも同じようなことを考える人間がいたらしいですよ」
「向こうってアルジュナンか」
「ええ。向こうにもうちみたいな雑誌があって、地球のことを紹介したんです。この星は美的感覚が逆だから、この星にいけばあなたはモテモテって。そしたらやっぱり大ヒット」
「じゃあ今度は逆に、アルジュナン人が地球に押し寄せてくるな」
「そうなりますね」
「向こうの私に負けないように、せいぜい頑張って売りまくるぞ、ははっ」
それから二十年。
私はボロ切れを大量に体に巻き付け、髭ボウボウの有様で高架の下に腰を下ろしていた。靴はない。今は夏だからいいが、冬はこたえる。今年の冬を越せるだろうか。
私は道行く人々を見た。むろん浮浪者の私とは比較にならないほど清潔な格好をしている。だが、彼らの姿にはファッションセンスというものが根本的に欠落していた。
私の雑誌の凋落は早かった。それどころか美容やファッションといったもの自体に、人間は興味を示さなくなった。いや、「美」そのものに興味を示さなくなったのだ。服も自動車も家も、実用一辺倒のものしか売れなくなった。
「まさか、こんなことになってしまうとは……」
私は呟いた。
アルジュナン人と地球人はまざりあった。正反対の美的感覚を持つ種族二つがまざりあった。その結果……まさか、全く美的感覚を持たない、美に興味のない種族が生まれてしまうとは……
処刑遊戯
城塞都市の中央広場には、数千人の人々が集まっていた。
羊飼いの老人、麻ズボン姿の農夫、巨大な袋を背負った中年女。子供もいる。それらの人々相手に棒パンや菓子を売る屋台が並んでいる。普段は麦一粒をすら惜しんでいる貧しい人々も、今日ばかりは財布の紐がゆるくなり、先を争って買っている。
もちろん金持ちもいる。馬車を乗り入れて、広場の中央近い特等席で見物している。貴族の姿すら、ちらほらと見えた。
当然だ、究極の娯楽が始まるのだから。
広場のど真ん中には台があった。木で組まれた粗末な台だ。だが年季が入っている。この台の目的はただ一つだった。階段があり、それを登りきった所には一人の人間が立っている。首斬り斧を手にした死刑執行人。
ラッパが吹きならされた。民衆の熱狂が高まった。
屈強な兵士に連れられて、やせこけた男がやってきた。もちろん縛られた姿でだ。
こういった者たちはきれいに二分される。最後まで刑を逃れようとあがく者、あきらめてしまう者。男は後者だった。
民衆が不満の声をあげた。人々は刺激を求めているのだった。おれは悪くないと叫び、暴れては取り押さえられ、泣きわめきながら階段の上に追いやられ、神を呪いながら首をはねられる……そんな光景を望んでいるのだった。
仕方のない事かもしれない。この時代、この島はきびしい新教の支配下にある。音楽や物語、サーカスといった娯楽は制限されている。公認の娯楽である死刑執行に、みなが夢中になるのは当然だった。
死刑は、究極の娯楽なのだ。
だから人々は、男が無感情でいること、死の運命を受けて入れていることに、不満を感じていた。
だが実の所、人々はまちがっていた。
男は、無感情などではなかった。抵抗を諦めていたわけでもない。
歓喜していたのだ。望んでいたのだ。
彼はついに処刑台に登りつめた。膝を折り、その時を待つ。多くの人々が彼を見つめ、なにごとか不平の声を上げているが、そんなことはどうでもよかった。
背後で、首切り役人が斧を振り上げた。
さあ。やってくれ。
彼の全身が震えた。口の端からよだれが流れた。
彼はもう、これを何十回となくやっていた。全財産をこの娯楽につぎ込んでいた。それでも後悔はなかった。この喜び、首がすっ飛ぶ瞬間の愉悦に比べれば、大切なものなどこの世になに一つありはしなかった。
風を切り、ぶ厚い刃が首に直撃した。それは斬るというより、「へし折る」に近かった。
彼の首は宙を飛んだ。意識はまだあった。回転する世界。心の底からの快感に酔いしれながら、彼は思った。
今度はギロチンがいいな……ぜひ試してみよう……
「全く、世も末だよな」
老いた店員は、脳神経アクセスヘルメットをかぶって悶えている男を見やって、そうつぶやいた。
「まあ、そう言うなよ。ああいう奴がいるからこそ、おれたちみたいな商売がなり立つんだろ」
二人がいる「店」には、数十台の椅子が並んでいた。その椅子のほとんど全てには、若者たちに占領されていた。客はみなアクセスヘルメットを被り、意識をコンピュータに直結させている。ときおり客がもらす嗚咽は、まぎれもない歓喜の声だ。
……脳に直接電気信号を送り込み、普通の五感と全く変わらないリアリティを持った疑似現実を体験させる。言ってみれば「コンピュータの作り出した世界に、心を送りこむ」。その技術が確立された時、すさまじい懸念の声が各界が上がった。
きっと流行する。そして、殺人プレイが行われるぞ。なにしろ、何でもできるし、何をやっても責任をとらなくてもいいんだ、きっとそうなる。究極の欲望が解放されてしまうんだ。悪いことはいわん、すぐに規制しろ!
だが蓋を開けてみれば、事態は意外な方向に向かった。
確かに疑似現実は大ブームになった。だが人々は、殺人などに興味を示さなかったのだ。そんなソフトは全く売れなかったし、現実世界で殺人事件を起こす者もいなかった。
人々が求めたのは、自分自身が殺される、という筋書きの疑似現実だった。ギロチンで、斬首で、銃殺で、電気イスで、人々は殺されていった。何度も何度も。生き返ることができるのであれば、これほどの快楽はない……愛好者の一人は、そう証言している。それが奇異の眼で見られたのも最初の間だけだった。たちまち、この新しい娯楽は社会に浸透していった。
「全く……」
日本だけでも数千万人が処刑ゲームにはまり、月にいっぺんは殺されるようになって以来、社会は変わった。犯罪件数は低下し、自殺者も減り、道ゆく人々はみな幸福な顔つきをして……最高のストレス解消法が生まれたのだ、それは当然のことだろう。
「これでよかったんだよ。おれたちには、ついていけないがね」
「そうだろうか。おれが年寄りだってことか」
ずらりと並んだ幸福な受刑者たちを見つめ、彼はしみじみとつぶやいた。
いつの日か、ふたたび
「メシューゼラ、眼をあけてくれ、メシューゼラ!」
彼は、横たわる女性に向かって呼びかけた。メシューゼラ。彼が己のすべてを投げ打って愛した女性。しかし彼女はいま、天に召されようとしていた。いかなる医学も、彼女の身体に巣食う病魔を滅ぼすことはかなわなかったのだ。
「ライネル……?」
メシューゼラは眼をあけた。かぼそい声が、血の気を失った唇から漏れる。
「ごめん……ね……」
「何をいってるんだ! 弱気になっちゃ駄目だ、ずっと一緒だって約束したじゃないか!」
ライネルは必死に呼びかけた。
もしメシューゼラを助けてくれるなら悪魔とでも手を結ぼう。いかなる代価でも払おう。だから、どうかメシューゼラを。
しかし、ついに祈りは聞き届けられなかったのだ。それは運命だったのかも知れない。だがライネルは運命など認めなかった。
「わたしがいなくなっても……」
「認めない! そんなことは認めない、メシューゼラ! これで終わりだなんて許さない!」
「……ライネル?」
「いつか、ふたたび会うんだ、生まれ変わって!」
死後の生など考えたこともなかった。だが今、彼はそれを信じるしかなかった。
「どんな姿になっても、君を見つけてみせるから! 君だと気づいてみせるから! だから君も、どこの誰に生まれ変わっても、ぼくのことを」
「……嬉しい……そうだね、いつかライネルが言ってたもんね。一途な想いは、いつか必ず叶うって」
「そうだ、そうなんだ。一途な想いは、いつか必ず叶う!」
「信じて、るよ……ライネル」
メシューゼラはそう言って眼を閉じた。今までの病苦に満ちた日々が嘘であったかのように、安らかな表情で。
そして、それきり眼を開くことはなかった。
揺れるランプの炎に照らされた部屋で、しだいに熱を失ってゆくメシューゼラを見つめながら……ライネルは誓った。
いつの日か、ふたたび。
だがしかし、二人はなかなか巡り会えなかった。
次の人生でも、メシューゼラは病弱だった。生まれる子供のうち半分以上が大人になれないこの時代、メシューゼラは言葉よりも先に血を吐き、赤ん坊のうちに死んでいった。生まれ変わったライネルはまだ幼児で、何もできなかった。
次の生では、二人は人間になることすらできなかった。メシューゼラは鳥、ライネルは豚として生まれた。前世の記憶を取り戻し、自分には探さなければいけない人がいるんだと思った日、ライネルは屠殺された。
次の生では、二人は別の星の生物に生まれ変わった。光の速さですら何百年もかかる距離に隔てられ、二人は何もできないまま死んだ。
そのまた次の生では……
どれほど転生を繰り返しても、二人はあえなかった。何万年、何百万年の時が経った。
それでも心のどこかに、何かが残っていた。自分には会わなければいけない人がいる。そのために自分は生きている……今度こそ、今度こそ会いたい……たとえ虫になっても、いや、石や岩に生まれ変わっても。
とある惑星に接近していく、ひとつの小惑星。その小惑星は、惑星との衝突コースに乗ってはいなかった。数十万キロまでは近づくものの、決して衝突はしないはずであった。
だが。
……会いたい……会いたい……
物理的に説明のつかない力が、小惑星の軌道をねじ曲げた。小惑星は惑星に吸い寄せられていった。
のちにメキシコのユカタン半島と呼ばれることになる土地で。
丘の上に立ち、一頭のテイラノサウルスが天空を見つめていた。刻一刻と大きくなっていく火の玉を。
メシューゼラ! メシューゼラ! やっと会えた! さあ、ぼくのそばにおいで!
衝撃は直径二百キロのクレーターを生み出し、舞い上がった塵が太陽を覆い隠して、その星に生きていた生物の大半を殺しつくした。
一途な想いは(犠牲を伴うが)いつか必ず叶う。
盗み読み
正直いって、おれはそんな噂なんか全く信じちゃいなかった。
あの電波天文台は、宇宙人と接触している。だが、それを隠しているのだ……
冗談じゃない。出来の悪いオカルト本じゃあるまいし。うちはまともな科学雑誌だぞ。
だが、編集長じきじきに「調べてこい」と言われては逆らうわけにもいかない。おれは所長に取材を申し込んだ。
応接室に通されたおれを、初老の男が迎えた。
「どういった取材で?」
「あ、いえ、天文学の……」
「なんでも科学雑誌の方だそうですね」
さあ、どう切り出そうか。
「電波天文学の特集でも組んでいただけるのですか。しかし、ここ数年、うちは大した成果をあげておりませんが……」
「はは。そう謙遜なさらなくとも。電波天文学なんて地味なもんじゃないですか。まあ、宇宙人を見つけた、なんて噂話はありますがね……」
「ええ。それは事実です」
「そういった疑似科学的な……なんていいました!?」
「事実だと。宇宙人を見つけたと」
所長は笑った。安堵の笑いだった。
「やはり、その事を調べに来たんですね」
所長は、手にしたファイルから一枚の紙を出した。
「つい先月のことです。星間ガスの電波を調べていたら、有意の信号が飛び込んできた。偶然です。なにも宇宙人を探していたわけじゃない。それに、どうやらその信号は、地球に向けて送られてきたわけではないらしい……」
所長は紙を広げて、目を細めた。
「二百光年ばかり離れた星から来た信号なんですがね。どうやら、逆方向にある三百光年離れた星が目標らしい。たまたま地球がその線上にあったというわけです」
奇跡的な偶然だ。星はそれぞれバラバラの方向に動いている。地球が目標でない以上、受信のチャンスはもう二度とないかも知れない。
「そ、その信号というのは……」
「ええ、解読にも成功しましたよ」
おれは拳をにぎりしめていた。本当に宇宙人がいたとは。
「どうぞ」
渡された紙を、食い入るように見つめた。
……おれの顎が、落っこちた。
「……なんですか? これ?」
「ですから、宇宙人からの通信です」
「これだけ?」
「そうです」
紙には、こう印字されていた。
「(翻訳不能、人名と思われる)様へ
お手紙ありがとうございました。
とても驚いています。あんなことを言われたのははじめてだったんです。
……(翻訳不能、人名と思われる)さんが、とても真剣な方だということはわかりました。
またお手紙を差し上げてもよろしいでしょうか? あなたのこと、もっとよく知りたいんです。変な奴だって思われるかも知れないけど……
お返事待ってます。
(翻訳不能、人名と思われる)より」
「な、なんです、これは!」
「読んでのとおり、ラブレターの返事ですよ」
「なんの冗談です?」
「冗談なんかじゃありません。五百光年離れた星に住む二人が文通をしている。たまたま、その途中に地球があって、手紙の内容を知ってしまった。そういうことです」
「い、いや、しかし……五百光年ということは……返事がくるのは千年後ですよ。文通なんかできるわきゃないでしょう」
「地球人はね。宇宙には……何万年、何百万年も生きるような種族がいるのかも知れない。そういう連中にとっては千年なんて」
おれがショックから立ち直るのに、数秒かかった。
「な、なぜ公表しないんですかっ」
「ラブレターの盗み読みは、とても失礼な行為です」
所長はまた微笑んだ。
「私は嬉しいですよ。何百万年も生きるのだから、我々とは似ても似つかない生物に違いない。だが、人を好きになる心を持っている。それをさらし物にしたいですか、あなたは」
編集長への言い訳を考えつつ、おれは帰りの電車に乗った。
暗くなりはじめた空に一番星が光っていた。
おれは、三百年後に手紙を受け取るだろう誰か、八百年後にその返事を受け取るだろう誰かのことを、思った。
お前ら、うまくやれよ。
英雄の死
ひとりの男が病床についていた。
死の床、である。
ベッドに横たわる彼は、すでに年老いていた。落ちくぼんだ眼にはまだ光が宿っているが、それさえも消える瞬間が近づいていた。
彼自身、そのことはよくわかっていた。
やるだけのことは、やった。
悔いは、ない。
ふと彼は、枕元に誰かの気配が生じたことに気づいた。
抗癌剤の副作用がもたらす頭痛と戦いながら、彼は緩慢な思考をめぐらせる。
誰だ……軍の連中か?
そう考えるのが、もっとも妥当だった。
……ちがう。これは……
彼は重いまぶたをあげた。眼の焦点をさだめる。
若い男が、自分の顔をのぞきこんでいた。
「よお、いいザマだな」
若者はいった。
白人だ。体格はいい。角張ったいかつい顔。だが眼鏡の奥に光る眼は、底知れない知性を感じさせる。
老人は、その男を知っていた。
若い頃の自分自身だった。
「……死神か?」
「ふん、そんなもんじゃない。あんたが、どんな間違ったことをやったか、それを教えてやろうと思ってな。綺麗に死なれちゃ困るんだよ」
若い男は雄弁に語った。そうだ。彼は……若い頃の自分は弁舌巧みだった。その舌で一国の独裁者をまるめ込み、資金を出させた。
「ほう? どういうことだ?」
「あんた、自分を英雄だと思ってるだろ。ああ、おれは立派なことをした、そう思ってるだろ。そんなふうに思って幸せに死ぬなんて、許さないからな。自分はクズだ、そう思いながら惨めに死ね」
老人は弱々しくほほえんだ。
「そうか。きみは、わたしの中の『罪悪感』なんだな」
「はっ! わかったような口をきくんじゃない。あんたがそんな善人なわけないだろ。あんたの造ったアレのせいで、何人死んだ? 二万人だぞ? 二万人死んだんだ」
「資金を出してくれるのは彼しかいなかった。そして報復のための兵器をつくれといった。だから造った」
「仕方なかった、ていうわけか? お笑いだね。殺された奴に聞かせてやりたいよ」
老人は黙っている。若者は唇を曲げ、ますます激しい調子で糾弾を続ける。
「で、国が負けたら、さっさと裏切って敵の国に逃げてきた。で、また兵器の研究。しかも世界を滅ぼす兵器だぜ? それでも自分は立派だって言えるのか? このマッドサイエンティストが!」
老人は、自分を罵る若者にほほえみかけた。
「そうか。私も意外に未練がましいな。それほど気にしていたのか」
「おい!」
「だが、な」
最後の力をふりしぼって、彼は若者をにらみつけた。二十代の自分自身を。とっくの昔に捨てたと思っていたものの、かけらを。
「やがて、人はゆくだろう。多くのものを犠牲にして……それでも、ゆくだろう。いきたい、いかねばならない……それを悟ったんだ。あの日、母さんからもらった望遠鏡で、はじめて星を見た日にね。君も知っているはずだろう」
「そのためには……その夢のためには、なんでもするっていうのか! いくら人を殺しても後悔しないってのか!」
「そうだ」
「悪魔に魂でも売ったのか、おまえは!」
老人、しばし眼をとじ、やがて開く。
「星に、あの瞬間売り渡したんだ」
しわにうずもれた眼で見据えられた、若き日の自分。長い沈黙ののち、彼は言った。
「処置なし、だな」
「なんだ、わかっているじゃないか」
一九七八年。
アメリカ、カリフォルニア州の病院にて。
多くの人命と引き替えに、人類を宇宙へと導いた男……ヴェルナー・フォン・ブラウン博士が死去した。
激しい苦痛があったはずなのに、彼の死に顔は穏やかなものだったという。
神を殺した男
私は、虹色にゆらめく超空間の中を航行していた。乗っているのはもちろん時間航行機。私たち時間警察にとっては当たり前の任務、超空間パトロールの最中だった。
われわれの役目はもちろん、法に反する時間航行の取締と……歴史改変の阻止。意外かも知れないが、最近は後者の意義は薄れつつある。時間というものが、どうやら予想とは少し違うものらしいと分かってきたからだ。
歴史を変えれば、現在の世界ががらりと変わってしまう。極端な話「人類は誕生しなかった」というふうに歴史を変えたら、全人類がいっぺんに消滅する……
昔はそう思われていた。だが最近の研究では、ちがうことが明らかになっている。
人類が文明をもつのを阻止しても、この現実は変わらない。ただ、時間の流れが枝分かれして、「人類が生まれなかった、もうひとつの世界」が生まれるのだ。いわゆる平行世界というやつだな。で、平行世界間の移動手段はいまだ開発されていない。つまり歴史を変えた奴は、まるで知らない世界に島流し。
島流しなんていう表現は使うべきじゃないな。なにしろ、そいつは「神」なんだから。だってそうだろう、そいつが新しい世界を創造したんだ。
というわけで、どんなに歴史を変えたって「こちらの世界には影響なし。人間が一人行方不明になるだけ」ということがわかった。だから我々も、あまり気合いをいれて防止していない。
超空間航行波スキャナーが、奇妙な反応をとらえたのはその時のことだった。
反応の示すポイントへと移動する。
そこに浮かんでいたのは、見た事もない形の時間航行機だった。機体にはなにやら文字が描かれているが、その文字もまるで見た事がない。
まさか……こいつは……
私は自分の機体をその機体に接近させた。通信機に超空間波動が飛び込んできた。スピーカーのスイッチを入れたが、訳の分からない、まったく聞いたことのない言葉が聞こえてきただけだ。
これは……
別の世界から来た時間航行機か? では、我々が現実だと思っている世界も……
映像回線を開いた。
通信スクリーンに映し出された顔を見て、私は息をのんだ。
その顔は緑色のウロコに覆われ、顔の下半分が突き出していた。小型の肉食恐竜そのものだ。
私は動揺を必死に抑えながら、言語関係のデータをありったけ転送してやった。時間航行ができる技術があれば、データさえあれば自動翻訳できるはず……
「私はザバウト帝国の科学士ヤーベ・グラウゾだ。抵抗はしない、保護してくれ」
すぐに日本語がスピーカーから流れてきた。
「きみは……別の世界から来たのだな?」
「ああ。信じてくれないかも知れないが、もともと地球では、我々のようなハ虫類が文明を持っていた。私が歴史を変えたせいで……」
やはり、そうか!
もし恐竜が絶滅しなかったら、彼らは文明を持ったかも知れない、という説は昔からあった。では、それは本当だったのだ。いや、「恐竜が文明を持った」というのが「本当の世界、もともとの歴史」で、「人間が文明を持った」というのは「枝分かれした歴史」だったのだ!
では、こいつは神だ。人類の歴史はこいつが造ったんだ。
「信じます。我々の世界は、あなたが歴史改変によって創ったのですね」
「ものわかりが良くて助かる……」
「ひとつ訊ねてよろしいでしょうか? いったいなぜ、歴史を変えたのですか? 我々の世界では、あなた方の種族は絶滅しています。いったいなぜ、それほどの歴史改変を……」
「いや、それなんだが……
六千五百万年前の時代を調査中、燃料系統に異常が見つかってね。修理したんだが、ついクシャミをしてしまって、反物質タンクを爆発させてしまったんだ……あわてて超空間に逃げ込んだんだが、もう歴史は変わってしまっていて……未来にいっても、きみたちほ乳類の文明しかないし……困って……」
私は反射的に、時間航行機に備え付けた空間波動銃を出力全開でぶっ放した。
眼の前で四散する、「神」の機体。
私は無言でその場を離れた。
何も見なかった。
私は何も見なかった、誰にも会わなかった。そうなんだ。そうなんだぞ……
だって、人類が「クシャミ一発」のせいで誕生したなんて、認められるものか!
幸福指数315
国民総幸福センターからの郵便を開いた。
中を見て、私は落胆する。
「おい、ちょっと来てくれ」
妻を呼んだ。ソファにすわって、郵便を見せる。
「どうしたの……あら、今月の幸福指数?」
「そうなんだ。ほら、315しかない」
「これは一家全体ね」
「そうだ。おれは340、祐二のやつは407もあるのに……お前、なんだ、250ってのは」
妻は明らかに動揺していた。
「もしかしたら……」
「おい、なんだ、心当たりがあるのか」
「この間の幸福検査のときに……」
一か月に一回、幸福検査を受けるのは国民の義務だ。脳内を徹底的にスキャンし、その人間がどれだけ幸福かを分析する。それを一般に分かりやすい形で示したのが、幸福指数なのだ。
「あの時、わたし実は思ってたの。春の旅行だけど、箱根じゃなくて、海外がいいなって」
なんだって! そんなことを思いながら検査を受けたら、数値が低くなるのは当然だ。海外に行きたいだって? まさに物質的な、反幸福思想そのものじゃないか。
「おい、なんでそんなこと思ったんだ。お前はそんな不幸な人間だったのか」
「だって……」
「だって、とは何だ。金がほしいとかいい車に乗りたいとか、そういうことを思うのは精神的に貧しい証拠だと、幸福教科書にも書いてあるだろう。小学校のときに習ったはずだ」
きついかも知れないが、私は言った。このさい、強く叱ったほうがいいはずだ。なにしろ母親が不幸な精神状態にあると、子供まで不幸になってしまう。
「でも、私思うんだけど……」
なんだ、なにを言い出す気だ?
「おいしいものが食べたい、とか、大きな家に住みたい、とか、そういうって、どうしていけないことなの? 新しいテーブルひとつ買っただけで、どうして不幸ってことになるの?」
あきれかえった。もう十年こいつと住んでるが、まさかこんなに物を知らない奴だとは思わなかった。これは笑い事じゃない。
「いいか、昔の人を思い出してみろ」
昔の日本は、それはそれはひどい国だった。
「日本人全員が、金がほしい金がほしい、そんなことばっかり考えてて、精神的な豊かさを忘れていたんだ。とても不幸な時代だった。親子が殺しあったり、そんな事件ばかり起こっていたんだ。教科書に書いてあったろ。その時代を反省して、いまの世の中ができたんだ。昔みたいに戻りたいのか」
「でも……」
まだ不満なのか、お前は。
「幸せになるのはいいけど、どういうのが幸せかなんて、どうして政府に決められなきゃいけないの?」
「おいおい……しっかりしてくれ……そういう幸福の基準がはっきりしたからこそ、みんなで幸せになれたんだろ。みんなで違う幸せを求めてたら、ぶつかり合うのは当然じゃないか。幸せを一つだけにして、しかも数字でわかりやすく表した。だからいい世の中になったんじゃないか」
おかげで犯罪は減った。ぜいたくができなくても幸せでいられる。お前は幸せなんだと数値が教えてくれるからだ。自分は本当に幸せなのか、そもそも幸せとはなんなのか、自分で考えなければいけなかった昔の人間は、なんと不幸だったのだろう。
「そうだけど、確かに本にはそう書いてあるんだけど、ほんとうに昔って、そんなにひどかったの? 昔、おじいちゃんが死ぬ前、昔のほうが自由でよかったって言ってたよ」
ああ、そうか。そういうことか。
「かわいそうに。心の病気なんだ。お前もそうだったら、いますぐ病院にいって治療を受けたほうがいい」
実に不思議なことに、今の世の中がいいと思わない人もいるらしい。そういう人は病院で精神治療を受けて、とても「幸せ」な人間に生まれ変われるようになっている。
妻の顔がひきつった。きっと、今の不安から解放されて幸せになれるのがうれしいんだろう。
「いや、あの、わたし……」
「遠慮することはないよ。幸福になるのは国民の権利なんだ」
私は妻に精神治療を受けさせた。
もちろん幸福になってかえってきた。
いまは、なんて良い時代なんだろう。