「おやっさん、このポスターさ、あの、ゼフェルだろ?」
「ダレだよソレ、聞き覚えあるような気もすっけど‥‥。」
「バーカ。ゼフェルつったらゼフェルだよ!なあ?おやっさん。
あーあ、また聴きてえなあ。帰ってこねえかなあ‥‥。」
路地裏のライブハウス。
カウンターの奥の壁に貼られたままの旧いポスター。
この街でのゼフェル最後のライブの時の物だった。日付は5年前の6月4日。
今も遠い街のどこかで歌い続けているらしい。
客席最前列中央の、白い服を着た女性の為に。
インディーズ時代のカリスマ的人気、メジャーデビュー、
そしてゴールドディスク受賞辞退劇。
閃光のように駆け抜けて行った、激しい、熱い、伝説のロッカー。
――――――――――――――――――――――――――――――――
たよりなげな足取りに合わせて、ふわり、ふわりとドレスの裾が揺れる。
白いオーガンジーの、華やかな舞台衣装があまりにも不似合いなこの路地まで、
どこをどう歩いて来たのか、金髪頭は覚えていないだろう。
今日のコンクールは、某有名音楽学校への留学を賭けた重要なものだと、
音楽の大家と評される父は言った。が、
高名な講師に就いてレッスンを重ねて来た甲斐なく、派手に失敗をやらかしてしまった。
弾き終わると、礼もそこそこに飛び出して、
怒りの形相の父を思い浮かべると、帰る事もできない。
母は、冷たくため息を付くだけだろう。
ピアノが、音楽が好きか、と問われれば、肯定すると思う。
生まれた時から、音楽と一緒だった。空気のように、そこに在るもの。
しかし、コンクール用に指導される弾き方は、
感情を込めた「ように」見せ掛ける、正確に計算された、テクニック。
思いのままに、心を音に乗せる、時折考え込むように途切れたり、走ったりする
彼女の弾き方は、父や審査員には評価されない。
それが寂しかった。
幼い頃はこうではなかった、と思う。
父がいて、母がいて、音楽は暖かく部屋を満たしていた。
ふと見ると、細い間口から地下への階段。
暗い地下から、かすかに聴こえてくる音に導かれるように、
少女はゆっくりと降りていった。
ギシッ、と軽く軋む扉を開くと、
音、音、音の洪水。客達の喧噪、天井から1/3程に煙る紫煙、アルコールの匂い。
薄暗いライブハウスの小さなステージ。
そこに、彼――ゼフェルは、いた。
これは、何?
剥き出しの感情を、ぶつけられるような、
鋭利な刃物のような音。
何かを狂おしく求めて、泣いているような、少し掠れた声。
差し伸べる手に逆毛立って威嚇する野良猫のような、銀の髪と赤い瞳の‥‥
拒絶されると分かっているのに、引き寄せられずにいられない。
「あんた、誰?」
「へ?あ‥‥キャー!!」
その赤い瞳に怪訝そうに覗き込まれて、ようやく我に帰った。
なんというのだろう、彼女の衣装とはまた違った意味で派手ないでたちの観客の中で、
最前列ステージ中央まで、人波を泳いで辿り着いた少女は、
明らかに異質だった。浮きまくっていた。
「良い子はオウチに帰んな。
んじゃ、今日のラストナンバー、行くぜ!」
あわてて飛び出したけれど、彼の声と、音は、いつまでも背中に引力を残していた。
行く当ても無い、見なれない街角。
街灯が、ところどころ欠けた石畳の舗道に、紫色の影を落とす。
細い路地に、点々とたむろする若者の群れが、不躾で好奇に満ちた視線を送ってくる。
「よう、お嬢さん、パーティの帰りかい?
ひとりで寂しいなら、俺達と遊んでいかない?
酒もタバコも、なんならもっといいモンもあるぜ。」
「いえ、結構です。放してください‥‥やめてっ‥‥!!」
Brrrroooooooooo‥‥‥
近付いて来るバイクの轟音。
「来い!!」
ライトの向こうから差し出された手に、何故か無謀にも縋ってしまった。
声が、したのだ。頭に残って、惹かれ続けた、さっきの、あの声。
月と星を映してさざめく海沿いの道を、バイクは走る。
腕を回して抱いているのは、さっきの彼なのだろうか、本当に?
風が、容赦無く頬と髪をなぶって、一瞬ゾクリとした。
家はどこか、と問われて答えたきり、何も会話はなかった。
もう、この辺りは見覚えのある土地。
昼間は賑やかにリズムを刻む線路も、この時間は静まりかえっている。
海を望む山の斜面の、家に続く坂道のふもとで、バイクは止まった。
「待って‥‥まだ、行かないで。」
立ち去りかけたゼフェルは、右肘を「クン!」と引っ張られて振り返った。
「私、家には帰れない‥‥‥。」
見上げてくる碧の瞳は、しっとりと光ってエメラルドのようだった。
ライブの打ち上げを終えて帰る道すがら、偶然出くわした見覚えのあるドレスの少女を
親切にも拾ってここまで運んでやったのだ。
これ以上付き合ってやる義理はないのだが、
青い月光を浴びて佇む姿が、サワサワと軽い音を立てるドレスの生地のように‥‥
透き通って、そのまま――夜露になって、消えてしまいそうに見えて、
赤い瞳を凝らした。
理由を聞くのは面倒だった。
言葉で適当にあやしたり取り繕うのが得意な人間なら、
そもそも歌い手になどなるまい。
ゼフェルは草原に腰を下ろし、ギターと共に歌い始めた。
唇をキュッと咬んで俯いていた少女が、
その音に弾かれたように顔をあげて
サビのメロディーのリフレインに、不意にカウンターラインのハーモニーが乗った。
ゼフェルは少し驚いた顔をして、それからストロークを強めた。
近付いて、離れて、絡み合って、ほどけて、2つの声は流れてゆく――海へと。
曲が終わると、ゼフェルはギターに突っ伏して笑い出した。
「オメーよぉ‥‥『少年少女合唱団』みてぇな歌い方だな。
ちったぁ曲に合わせようとか思わねぇ?」
「え‥‥えぇーっ、変、かなぁ‥‥ソルフェージュは得意なんだけどな‥‥
音、外れてた?」
「いや、そーじゃなくてサ‥‥ま、いーんじゃねェの?キレーな声だったぜ。
ただ‥‥そうだな、ンな『きをつけ!』って発声じゃなくて、
もっと自由に歌った方が楽しいぜ。」
「自由‥‥‥に?」
いいのかな、本当に、そうしてもいいのかな‥‥今まで誰も言ってくれなかった事
ずっと、やってみたかった事‥‥。
幼い頃から、レッスンに縛られて、友達と満足に遊べなかった。
有名になってから、演奏旅行で留守がちになった父。
それにつれて、しだいに頑になっていった母。
欲望に正直な、父の取り巻きの弟子や、関係者達。
話終えた時、返ってきたゼフェルの言葉。
「オメーは、誰のために音楽やってんだよ。」
どちらからともなく手を繋ぎ、並んで家の前まで歩いた。
門の前で立ち止まる。
小さな沈黙。
そういえば‥‥名前、きいてなかったっけ。
「アンジェリーク、か。」
あの声で、彼女の名は、彼の唇に載り、風が少女の耳へと運んだ。
――――――――――――――――――――――――――――――――
開け放った窓で、カーテンが揺れる。
poro---nn
今夜はFのコードが、バルコニーへの客人の到来を告げる。
月の光りで 花を盗みに
手をつないでて ドキドキしてる
猫のまねして 影をかさねた
見える 見えない
背中の羽に
ふれるふれない とまどうばかり
パジャマのままで 窓からおいで
夜があけるまで 幽霊ごっこ
朝 目を覚ましても
知らない気持ちで
おなじキスして ちがう意味でも
つい愛なんか 信じたりして
草原に寝転んで、夜空を見上げると
星たちの歌声が降りてくる。
潮騒に耳をすませる。
夜風にゆれる草原の花も歌っている。
音楽はこの世界中に溢れていた。
そばに寄って触れ合えば、こんなにはっきり分かるのに。
今まで、何も見ていなかった。
初めて世界を知るアンジェリーク、
同じ視線で、もう一度世界と出会うゼフェル。
夜にだけ開く淡いピンクの花としろつめくさを、
ゼフェルは意外な器用さで編みあげて、
照れかくしなのか、すこしぶっきらぼうにアンジェリークの頭に載せた。
女の子ならあたりまえのこんな遊びですら、してこなかったというのだ。
「金持ちのお嬢様も、案外カワイソーなもんだな。
ちょっと同情するぜ。」
C(ツェー)は大地の音。B♭(ベー)は梢の木漏れ日。
E(エー)は、涙の予感。G(ゲー)を重ねて、晴れた空。
A(アー)なら‥‥恋。
Dm7から、G7sus4、不安な気持ちは、まばたきひとつで消して。
遠くに雷鳴。Amがカーテンをノックした。
今夜もまた、アンジェリークはバルコニーから
ギターを抱えた銀色の猫と、草原へ駆け出すのだ。
つま先立って、白い花の揺れる中を、踊るように、泳ぐように。
線路を伝って歩く。古い映画の少年たちの真似をして。
真夜中の、内緒の冒険。
ゼフェルの瞳も、いたずらっ子みたいに煌めいた。
When the night has
come
And the land is
dark
And the moon is
the only light we'll see,
No, I won't be
afraid,
No, I won't be
afraid
Just as long as
you stand, Stand By Me
嵐の前の強い風に、ギターの音がちぎれた紙のように飛んでゆく。
両手でバランスを取りながら線路を歩いていたアンジェリークは、
後ろから慌てて走って来たゼフェルに、抱きかかえられるようにして
敷石の上に倒れ込んだ。
すぐ横を、貨物列車が猛スピードで駆け抜けていった。
駅を素通りし、夜の闇を切り裂いて、あっという間に遠ざかってゆく。
心臓が大騒ぎしているのが、相手の胸にも伝わっているだろうか。
折り重なって倒れたまま、列車を見送っていた二人が視線を戻すと、
息がかかるくらいの至近距離で。
一瞬言葉を躊躇った隙に、大粒の雨が頬に落ちて
豪雨が早足で近付いて来た事を知らせた。
「走れ!」
湿って土の匂いを立ち上らせる枕木の上を、小さな駅のホームまで
手を引かれて走り出した。
なんとか雨雲を振り切って、屋根の下まで辿り着いたけれど、
しばらく帰れそうにない。
駅の待ち合い室のソファに並んで座り、雨宿りを決め込む。
「さっき、びっくりしちゃったね‥‥。」
―――さっき―――
あ。
ほんの数センチの間近にあったゼフェルの顔を思い出して、あわてて目を伏せた。
全力疾走のドキドキが、またぶり返して息苦しくなる。
そ〜っとまぶたを開くと、さっきのシーンがそこにまだ存在していた。
ゼフェルの髪の匂い。銀の髪に、銀のしずくが光る。
睫が触れそうな程近くにある、赤い瞳の中に、落ちて‥‥‥まぶたの裏まで赤に染まる。
あんなに激しい雨音が、一瞬で聞こえなくなった。
感じるのは、ただ、唇に伝わる微熱だけ‥‥‥。
銀の雨と、吹き荒れる風と、夜の帳が
ちいさな部屋を幾重にも包み込んで、
ふたりの秘密を隠してくれる。
アンジェリークは恋を、知った。
幾度、こうして夜を過ごしただろう。
並んで座って、彼のギターを聴いた。
時には、一緒に歌った。知らない歌を沢山教わった。
インナーヘッドフォンのコードを裂いて、片方づつを耳に押し込み、
タンデムでバイクを走らせながら、ゼフェルの初CDを聴いた。
メジャーデビューを果たしたゼフェルは、忙しそうだったけれど、
いつしかお互いが、心安らぐ場所になっていた。
ゼフェルの肌の温もりが、心を触れ合わせる事が、
何より大切な物を、与えてくれた。
アンジェリークにとって、それが全てだった。
コンサートのチケットは、必ず最前列中央をアンジェリークに。
ステージから、暗い客席に浮かぶ月のような
白い服のアンジェリーク一人に向けてゼフェルは唄う。
二人の秘密が壊されたのは、ある写真誌の記事によってだった。
「ゼフェル熱愛発覚!」
父親の権威でアンジェリークの事は公にはならなかったが、
レッスンと見張りの強化で、篭の鳥になってしまった。
父も母も、ロック歌手との交際など、認める気は皆無らしい。
会えない日々。
壊れてしまうの‥‥ゼフェルが‥‥足りない‥‥。
今のわたしたちを
もしも何かにたとえたなら
朝の霧の中で
道をなくした 旅人のよう
いくつもの偶然から
あなたに惹かれてゆく
星は瞳に落ちて
いくつもの夜を越えて渡った
時の迷路
解きあかしてきたのに
失意のアンジェリークの元に、ゼフェルのマネージャーが訪れた。
「ゼフェルとは、別れて頂きたいのです。
彼の持ち味は、あの鋭さと、破壊性なのです。
遊びのつきあいならば構いませんが、恋愛で温厚になったゼフェルなど、
市場は欲しておりませんからね。
よろしいですか、これは彼の為なのですよ。
あなたも、本当に彼を思うのならば、素直に身を引いて下さい。
彼の人気は御存じでしょう、今が一番大切な時なのですから。」
「ゼフェルが、そう言ったんですか?私と、会いたく無いって、
彼の口から聞くまでは、絶対に離れませんから!!」
ゼフェルもまた、アンジェリークと連絡を取りたくて、
しかし電話も取次いではもらえず、
抜け出す事が出来ない程、スケジュールに縛られて爆発寸前だった。
五月蝿いマスコミに、何もかも話して終わらせたかったが、
それではアンジェリークが傷付くから、と事務所に止められていた。
こんなの、オレがやりたい事じゃねえ‥‥!!!
ゼフェルに会わせて‥‥
コンテスト入賞は出来なかった上にこの騒動。
このままでは音楽家への道に支障があると踏んだアンジェリークの父は、
レッスンを放棄して泣き暮らしているアンジェリークを
海外の音楽学校の寄宿舎に入れる手筈を整えつつあった。
ゼフェルは、アンジェリークにせめて歌声が届くように、
切なさを込めて、唄い続けた。
‥‥いつか、必ず迎えに行くかんな!
チャンネル次から次へと変えてると
もう朝が来た
落ち着く場所ありますか?って そんなのまだいらねぇよ
誰かが残していった退屈 あくびがでちゃう(ゴロゴロしちゃう)
平和というのは そんなもんだろか
そんなのアリですか?
飛びだしゃいい 泣き出しそうな
心を蹴って
さがせばいい 街に消えゆく
夢のきれはし
さよならしよう じっと電話をまってる日々に
旅すりゃいい 僕はさまよう
蒼い弾丸
電波にゼフェルの歌が流れない日は無かった。
年末のゴールドディスク受賞は、売り上げ、人気、歌唱力、満場一致でゼフェルに決まった。
きらびやかなステージで、受賞式が執り行われる。
ブロンズを手渡した審査委員長は、アンジェリークの父だった。
「私は認めんぞ。そんなのが音楽だとはな。」
近付いて握手を交わしながら、耳もとに小声で冷たく言い放ち、踵を返した。
背後でゼフェルはおもむろにステージの際まで走っていき、
貰ったばかりのブロンズを、客席に放り投げた。
金色に光る像は、ゆっくりと放物線を描き、歓声と、驚嘆に揺れる客席に沈んでいった。
立ち止まって振り返ったアンジェリークの父に、大股で歩み寄ってゼフェルは言った。
「音楽って何だよ。ココに響かねえようなのは、どんなに御立派な先生のモンでも、
これっぽっちも意味がねえんだよ!」
左の胸を、親指でグっと押さえて、赤く燃え上がる瞳で睨みすえる。
それから客席に向き直り、
「悪ィけど、オレが聴かせてえ相手は、たった一人だ。
ここで唄ってちゃ、そいつんとこまで届かねえから、オレはもう行くぜ。
そいつと一緒に、ホントの、オレの歌を探してくる。あばよ‥‥」
そこまで言うと、ヒラリと身を翻し、駆け出して行った。
それ以来、メジャーの音楽シーンからゼフェルは姿を消した。
留学する意志も、このまま親の示す道を行く気もなかったアンジェリークは、
受賞式の顛末を知り、小さなボストンバッグひとつを持って
バルコニーから抜け出した。
いつものように、あの草原へ。
満点の星空が、白い花のようにまたたいていた。
私達は、片翼だけ持って生まれてきたの。
羽ばたいても、空しく宙を打つだけの、白い翼。
無くした片割れを求めて、心は彷徨い続け、
ここであなたをみつけたの。
二人なら、どこまでも、飛んでゆける。
誰も知らない街に行こう。
そこで、探そう。自分だけの音楽を。
海沿いの道を、ヘッドライトが近付いてきた。
イッパイ夢だけBikeに乗せて
逃げ出そうぜ 二人っきりで
ゼッタイ消えないロケット花火
そんなふうに「現実」を飛び越えて
そう「いつか‥‥」なんて言ってるうち
誰もが 年だけをくって悔やんでる
だから‥‥
Don't stop オマエと
もっと遠くへ 疾走って
疾走るのさ
Don't stop だあれも
追ってこれない 土地へ行こう
Don't stop オレたち
だってこんなに 自由が似合いだぜ
Just 未来へGoi'n My Way!
<I can't stop runnin' to dream>
Goin' My Way
<I can't stop lovin' my girl>
Goin' My Way
FIN
――――――――――――――――――――――――――――――
1998.6.15 ROM /個人で楽しむ以外の転用、複製及びHP上での使用をしないで下さいね。
(文中歌詞引用部分)
Spiral Lovers/Words:Yukio Matuo/Song
by PSY・S 1988
Stand By Me/Ben E King/1986COROMBIA映画.USA
彼と彼女のソネット/Words:Taeko Onuki 1987/Music:Romano
Musumarra
さまよえる蒼い弾丸/Song by B'Z 1998
Goin' My Speedway/Words:Yuriko Mori/Song by
Mituo"ZEPHEL"Iwata 1997