トルボ
ギャー・ルンパ最上流で1972年12月24日撮影。

カンジロバ・ヒマールからナムラン(ラングー・コーラ)を遡行し、
冬の奥トルボを経てカリガンダキへの横断で一番いやな橋だった。
チベッタンの猛者でも渡るのを躊躇して、手を引かれて渡った。



製材された肉厚の板が使われ、しっかり出来ていた。
ムグ・カルナリ河 ツェティにて。
1972年11月10日撮影。

長い架け橋。
ムグ・カルナリ河にて
1972年11月11日撮影。



ムグの橋。
1972年11月15日撮影。
最近の衛星画像では
この橋の隣にもうひとつ橋がある

ナムラン(ラングー・コーラ)の下流部では
木を切り倒し丸太橋を作りながら渡った。



ナムラン遡行序盤

切り倒した丸太を渡す。
ナムラン・ルンバで

ナムラン遡行序盤

奥トルボ、ティリン(村)付近
ティリン・ツァンジュン(ナムグン・コーラ)を
右岸に渡り、
ラパ・ツァンジュン(コンマ村へのルート)に入る丸太橋。
1972年12月9日撮影。



奥トルボ
凍ったパンザン・コーラを右岸(画像左側に橋を渡る)とシーメン(村)
欄干のある立派な橋だったが作製されてから
年数が経過しているようだった。
1972年12月11日撮影。



奥トルボ
テンギューの橋。
1972年12月13日撮影。

橋の袂の親柱(に相当するもの)が
この時にはない。
以後テンギューに入られた方の写真(*1)や
url(*2)の画像では立っている。
橋の修理や付け替え等をした時に立てるのか?
1972年12月13日撮影。

奥トルボ
ツァルカ(村)東側の橋。
製材された比較的新しい板でしっかりできていた。
沢は凍りつきツァルカから簡単に渡れたので
私一人でこの沢の上流に向かいこの橋を渡った。
後に流失したようである。
日本人でこの橋を渡ったのは私だけかな?
1972年12月17日撮影(対岸がツァルカ側)。


32年後の2004年夏、
この橋の下流ツァルカの家屋がある近くに
根深誠氏の尽力で鉄製の橋が完成した(*3)




ギャー(ケハ)・ルンパ最深部を右岸に渡る。
右に丸太橋があるが凍り、滑るので
ポーターは渡渉した。
対岸の断崖絶壁上部にはサンダ(村)がある。

1972年12月26日撮影。

カリガンダキの小橋。
対岸右下流にカクベニが見える。
1972年12月27日撮影。



ジョムソンの橋
現地では「ジョムソンバ」と聞こえたが「ゾン・サルバ」
「新しい砦」の意(*4)。
1972年12月29日撮影。

カリガンダキ
1972年12月30日撮影。



カリガンダキ
トニー・ハーゲン著 ネパール(*5)
表紙カバー(あぶないつり橋を渡る)付近。
右写真の立派なつり橋になっていた。
1973年1月1日撮影。

カリガンダキ
左の写真はこのつり橋上で撮った。
1973年1月1日撮影。
(*1)季刊 民族学 119号 河口慧海の道 文・写真=河口慧海研究プロジェクト 財団法人 千里文化財団 2007年
(*2)大阪山の会URL 1999年6月23日 http://www.showa-p.co.jp/oac/japanese/dolpo/dol_0623.html
(*3)ヒマラヤにかける橋 根深誠著 みすず書房 2007年4月2日刊
(*4)デイヴィド・ルエリン・スネルグローブ著 ヒマラヤ巡礼 吉永定雄訳 白水社 1975年(初版)1981年(二版)2002年(三版)
(*5)Nepal -The Kingdom in the Himalayas- Toni Hagen 1961

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