アベシャー峡谷(*4)
1972年12月02日撮影 1958年西北ネパール学術探検隊(川喜田二郎隊長)の 登山班(小方全弘、西岡京治、並河治、曽根原悳夫の諸氏)は トルボ最奥の村、ポ(ポェ村)に到達したのち、 並河治、曽根原悳夫両氏はカンジロバ・ヒマールを探し、この地から ナムラン(ラングー・コーラ)の川岸に降り立ち一泊した。 ポカラを出立してから43泊目であった。 その写真には「偵察隊は両岸の迫った河に、行く手をさえぎられた」(*1)と記されていた。 この地点はどこなのか私には長い間不明だったがやっと判明した。 |
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1972年12月02日撮影 ナムラン(ラングー・コーラ)の高巻き(撮影地点3130m高度計値) 並河治氏が1958年に撮影されたのはほぼ青四角内で 「行く手をさえぎられた」(*1)や国立民俗学博物館データベース(*2)に 発表された周辺である。 左の赤丸の中はわれわれのポーター。 赤矢印はギャグ・ラ(4370m高度計値)《この峠を越えて奥トルボに向かう》 右緑矢印奥はツォ・カルポカン(*3)北壁。 この地点から上流のギャグ・ラを越えるまで ナムランの川沿いの詳細は不明だったが 最近衛星画像(Google Earth)で見ることができる。 |
緑矢印の三角の山の奥に 当時、第二高峰とよばれていた 現在のツォ・カルポカン(*3)北壁が 南南東に確認できる.。 |
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1972年12月02日撮影 中央奥のX字に切れ込んだ右奥が「はばまれた」と記された画像青四角箇所で 並河氏らはポ(ポェ村)からカンジロバヒマール探索でナムラン(ラングー・コーラ)の この地点まで踏査し、キャンプしたと思われる。 |
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(*1)チベット人 ─鳥葬の民─ 川喜田二郎編 角川書店 昭和35年10月5日刊。74頁グラビア上段。 (*2)国立民俗学博物館データベース: ネパール写真データベース(データ番号:X0217376)の写真説明では「カンジロバ・ヒマール目前に、 両岸のせっまった川にはばまれた」と記されている。 (*3)ツォ・カルポカン(6556m) 大阪府岳連隊(隊長:阿部和行 吉永定雄 水谷弘治 三好司二)が 1971年10月25日16時15分にこの写真の向こう側(南側)から初登頂した。岳人 297号 (1972年3月号) (*4)アベシャー峡谷:カルマロンのポーターがアベ・シャー「父の肉」=「悪い」意で使っていたのを仮に付けた。 |