ヒマラヤ巡礼

Himalayan Pilgrimage
デイヴィッド・ルウェリン・スネルグローヴ著


(SHAMBHALA Boston Shaftesbury 1989)


本書(以下三冊)はDavid Llewellyn Snellgrove; Himalayan Pilgrimage. a sutady of Tibetan religion by a traveller through Western Nepal. Bruno Cassirer, Oxford, 1961の全訳です。

 1956年(昭和31年)にネパール西北のトルボ地方(ダウラギリ・ヒマールの北方)から東進し、カリガンダキに出、ムクチナートからアンナプルナ・ヒマール北面に、なおも東進し、8000m峰に日本隊が初登頂したマナスルの麓を通り、ブリガンダキに出てカトマンヅまでの長いルートを踏査した時のものです。これらの地方(ネパール北辺部)はチベット族が生活圏としているところで、すべての事がチベット仏教の影響を受けていると言っても過言ではない地方です。日本の西北ネパール学術調査隊(川喜田二郎隊長)がトルボのツァルカ村に入ったのは、この2年後である。
 著者スネルグローヴ氏は仏教学者なので当然、チベット仏教に関する事が多く出てくる。人工物はチベット仏教関係以外にほとんど無い地方なので、致し方ないが専門の仏教関係や村の名前、由来などで、チベット語の読み書きが、堪能な所を、随所に見せている。この本を読んでから、”なるほどそうだったのか”と思う事が、しばしば有り、ぜひ読んでおきたい本のひとつです。
 前述した日本のマナスル隊が仏教徒なのに経典を読めない仏教徒なんかおかしいと、地元民のひんしゅくをかったり、登山を拒否された事もあった。この時代(昭和31年)でも、海の向こうの外国を知らない現地民に、イギリスを説明する、もどかしさもある。また途中から一緒に行動したチベット犬を返すくだりで、犬がスネルグローヴ氏についてくる状況にホロリとする場面もあったりする。原著には86葉の写真が掲載されているが、訳本にはその内の20葉に加え、1972年12月、奥トルボを横断した、東京山旅倶楽部隊が撮影した2葉の写真(内、一枚は2002年版表紙)が掲載されている。写真説明のクラ・
ンをンに、1972年11月撮影を12月に訂正をお願いします。(1981年版が正しいです)

最下段(2002年版)の表紙写真の背景にある山はネパールがフィンランドの援助で作成した5万分の1地図 TINJE(Sheet No.2983-10)でKula Lekの5584mと記されている山である。1992年秋から、このトルボに入域され、取材しておられる大谷映芳氏(テレビ朝日ニュースステイション デレクター)の写真集「ドルポ」(解説:吉永定雄 七賢出版 2001年刊)で『聖なる山』として、クーラ・カンリを周遊する「クーラの祭り」に詳しい。
 スネルグローヴ著 「Four Lamas of Dolpo」のヤンツェル・ゴンパ内の写真(1961年撮影)と、大谷氏の同ゴンパ内(1993年撮影)の写真を見比べると、以前には机に切り抜き模様があったが、32年後に撮影された大谷氏のは粘土で埋められている。富士山頂より高所(約3830m)にある寺なので読経をするのに足元が寒いので埋めてしまったのか?天井や壁に吊るしてあるもの等が、まったく同じだったりして、時が経過した双方の写真を見比べるのもおもしろい。
また訳者の吉永定雄氏は1971年秋にトルボの西にある第二高峰と当時言われたツォカルポ・カンに初登頂し、1998年、2000年には西北ネパールの山へ、2001年秋に北ムスタンに入域、2003年夏には奥トルボに入り、精力的に活動されている。
 
 この地方の登山やトレッキングする人に限らず、ヒマラヤの北辺国境付近を学ぶ原典であるので、目を通しておきたい。その1981年版は昭和57年学校図書選定書に選ばれた本である事も付記しておきます。
この種の本としては根強い人気があり、1981年版は購入チャンスを失い、出版元に問い合わせたりし国立国会図書館から借用した思い出がある。

 その他の著作は
Buddhist Himalaya 1967
The Hevajra-Tantra 1959(国訳一切経 密教部二)
Four Lamas of Dolpo1967
The Nine Waya of Bon 1967
Indo-Tibetan Buddhism
Snellgrove/H・Richardson「A Cultural History of Tibet」1968 (チベット文化史 奥山直司訳 春秋社 1998年)等がある

 著者はインド・チベット仏教研究家。1920年6月29日英国ハンプシャー州ポーツマス生まれ。サザンプトン大学、ケンブリッジ大学クイーンズ・カレッジ卒。兵役後再びケンブリッジの東洋学研究所に入る。ケンブリッジ文学士、文学修士。ロンドン大学哲学博士。ケンブリッジの文学博士の号を得、1969年ブリティッシュ・アカデミー(英国学士院)会員。1960年以来ロンドン大学チベット語講師、1972年〜82年教授を勤め、名誉教授。1966年にH・E・リチャードソンと英国でチベット学協会を創設。ヴァチカン教皇庁の非キリスト教部門の事務局顧問。1953〜54年をかわぎりに1980年代までインド・チベットを数多く訪れ、ヒマラヤ周辺の仏教僧院などの現地調査を行う。密教を中心とするインド・チベット仏教関係の第一人者。

 訳者は1932年(昭和7年)生れ、大阪山の会、日本ネパール協会、日本山岳会、各会員。
ヒマラヤ巡礼以外の訳本などはここに記して有ります。


ヒマラヤ《人と辺境》 5 (全7巻)
ヒマラヤ巡礼
吉永定雄訳
1975年10月20日 白水社刊
(定価 2000円)





ヒマラヤ巡礼
吉永定雄訳
1981年11月25日 白水社刊
(定価 1800円)





白水社の『名著リクエト復刊』 12巻中のひとつで
2007年11月現在販売されています。
ヒマラヤ巡礼
2002年10月10日刊
四六判 382頁 
(定価 3045円)

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