マニ石


奥トルボ
シーメン(村)とテンギュー(村)間にある
パンザン・コーラの大きなマニ石。
1972年12月12日撮影。


1958年川喜田隊の並河治氏が右赤四角の経文側から撮影され、
発表された写真(*1)や画像(*2)では彫られた部分はあまり汚れていないので
彫られてから年月経過はさほどないように見える。
当時(1958年)は左にある大きな字の経文(緑部分)は彫られていないようだったが、
14年後(1972年12月)には彫られていた。いつ彫られたのだろうか?



氷河で運ばれて来たのだろうと想像するが
下の写真はまさにそのものだ。
双方人物で大きさがお判りかと。



インド北西部ラホール山群
ミヤール・ナラで1976年秋撮影

(*1) チベット人 ─鳥葬の民─ 川喜田二郎編 角川書店 昭和35年10月5日刊 
(*2)  国立民俗学博物館データベース ネパール写真データベース(データ番号:X0217396)


戻る