1976年静岡山岳会インドヒマラヤ登山隊


いきさつ  

山田透氏が東京山旅倶楽部代表をやられた後、静岡山岳会会長を勤めた関係で、東京山旅倶楽部とお付き合いをさせていただいた。当時、東京山旅倶楽部の安田輝雄氏はクライミングの写真を二眼レフ(ミノルタ・オートコード)で撮影して発表されていた。その作品はいわゆる山岳風景写真ではない、登攀(者)を撮った剣岳チンネ左方カンテや八ツ峰六峰Dフェース富山大学ルートを登っている岳人掲載写真(第5回岳人山岳写真最優秀賞受賞)が印象に残っていた。こんなことで、この作品の作者安田輝雄氏やモデルとなった柴田 勇氏と知り合うようになった.。
 
静岡山岳会は1974年アラスカのチュガチ山群、マーカスベーカー峰(洞口修造隊長、西村武憲、丸橋章二、勝俣すず子)で全員登頂し、1975年にはヨーロッパ・アルプスへ登山隊(石間哲男隊長、根田登)を派遣していた。  1976年の登山隊では、登山期間を長く取れる人はミヤール・ナラへ、短い人はキヤール・ナラへとした。しかし、残念ながら両登山隊とも、登頂できなかた。反省も含め静岡山岳会会報 22号、23号と東京山旅倶楽部部報30号に報告されています。
登山終了後、ミヤール・ナラ隊の2名が別々にアフガニスタンへ、インド南部に1名、ネパールへ4名。それにキヤール・ナラ隊の1名もネパールへ、それぞれ、旅立った。

1976年静岡山岳会インドヒマラヤ登山隊 (ミヤール・ナラ)
(隊長) 柴田 勇
(登攀隊長) 洞口修造
(会計) 佐藤真智子
(食料) 佐野静男
(渉外) 増田宣春
(装備) 狩野倫司
(写真) 桑畑 茂
(シェルパ) ダラム・チャンド
(コック) ナムギャル
(リエゾンオフィサー) G.C.シャー




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ケサレヨンチャップ




ミヤール・ナラ左岸の支流、ゴンパ・ナラ奥にある岩峰。

佐野静男君とゴンパ・ナラをつめ、分水嶺の峠に立った。
峠からKurgiakh Chu上流部支流の長大なモレーンが北から東に流れていた。




霜柱と言う植物の仲間なのか?枯れた茎から氷のテープを搾り出していた。





ケシの花。




ミヤール・ナラ本流上部左岸の山。


ミヤール ナラ上流部の巨大な氷河卓。






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