ムグ(村):3250m(高度計値)


ムグ(村)全景
1972年11月14日撮影

桃色丸印:お堂がある。
赤丸印:チェックポスト
青丸印:われわれのテント。
薄緑丸印:橋。衛星画像ではもう一つ橋がある。
黄色点線:最近の衛星画像ではこの部分は写真より抉られているようである。

グ・コーラを右岸から左岸に
木製掛け橋を渡ればムグ(村)

ムグ・コーラの水温は昼頃、4℃で冷たかった。

1972年11月15日撮影

ムグ(村)俯瞰
1972年11月14日撮影

ムグ
1972年11月14日撮影。

どの屋根からも棒状のものが前に突き出ている。
魔除けかと思った。
1972年11月14日撮影。

チェックポスト。
カトマンズで会った、リエゾンの従弟がいて
塩入りコーヒーをいただいた。
ナムジャ・ラまでなら兵士を付けるので
行っても良いと言われたが
先を急がねばならないので好意を辞した。
突き出た棒状の物は屋上(屋根)の雨水を流す
雨樋なのか?
1972年11月14日撮影。

二階テラスを越えて雨水を
流すので長く突き出ているのか?
1972年11月14日撮影。

ムグ・コーラ左岸の谷(ツァム・コーラ)
この谷を東に進むと右画像のカンティ・ヒマールや
チャンディ峰の南面を経て
奥トルボ最奥の村ポ(ポエ村)に行ける。
大阪山の会隊は1999年にポ(ポエ村)からこちらにぬけた。
1972年11月15日撮影


左:カンティ・ヒマール主峰(6859m)
右:チャンディ峰((6623m)
1972年10月18日撮影

1958年西北ネパール学術探検隊(川喜田二郎隊長)
登山班の並河治、曽根原悳夫両氏は
カンテ・ヒマール南面まで踏査した。
ポエ西部森林帯はトルボとはがらりと変わっていて
比良の松林を思い出させ、
二人で周りをとりまけない程の五葉松の大木や
枝々にはサルオガセがぶる下がっている。
サルオガセの存在はモンスーンの影響が
強いという一つの指標になる。
モンスーンの雨雲が谷伝いに入り込んで来たと
考えられる
』(*1)・・・・と報告されている。
並河氏らの48泊目はムグ(村)から
東南東約16kmしか離れていなので
前述の屋根に突き出たものが雨水を流す樋ならば
ムグ(村)もそれなりの降雨量が有るのだろう

1958年西北ネパール学術探検隊登山班は
このカンテ・ヒマール南面からポカラまで戻り、
西岡京治、並河治両氏はなおもタンシン経由でバイラワまで
長大な道程を徒歩で調査した

中国(チベット)との国境ナムジャ・ラ方面。
1972年11月14日撮影。


ムグ西側は中州の草原。
数日前に降った雪が残っている。
1972年11月14日撮影


11月中旬だが悠々と流れるムグ・コーラ
ムグ(村)近くで1972年11月14日撮影

グを去り、歩きにくい道を振り返る。
1972年11月15日撮影。

ルマロンはムグ・カルナリ河の
ルムサから上流域を言う。

ルムサ付近のムグ・カルナリ河本流で水温7℃(15時30分)
1972年11月10日撮影

チベット靴
カルマロンのポーターが履いていた。

1972年11月13日撮影

チョルテン(バリ・チョルテン)で一休み
1972年11月13日撮影

チョルテン(トサガニ・チョルテン)の中から
ムグカルナリ河上流。
1972年11月13日撮影

ムグ・コーラとナムラン(ラングー・コーラ)出会いから
ナムラン上流を望む。

橋が掛かっている沢がムグ・コーラ。
出会いにはチョルテンが見える

1972年11月13日撮影


ムグ・コーラ右岸支流(サラ・ルンバ)チャイネポバ峰

1972年11月16日撮影

ムグ(村)北西側の山
1972年11月15日撮影

上から火打ち金、火打石、火口(ほくち)。
我々はマッチを使っていたが
これを使いカルマロンのポーターは火起しをしていた。
1972年11月12日撮影

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(*1)チベット人 ─鳥葬の民─ 川喜田二郎編 ヒマーラヤの動植物 並河 治 角川書店 昭和35年10月5日刊

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