PIPER World -Our Best Cat-
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     「パイパー」ワールド
 パイパーは、私共キャッテリーのベストキャットです。1997年CFAインターナショナルショー(米国ジョージア州アトランタ市)において、数多く出陳されていたノルウェージャンフォレストキャットキツンのベストに輝きました。その後、日本リジョンにおいて、1998−1999年度のアワードにおいて2ndベストキャットベストブリードをいただくことができ、ナショナル2ndベストブリードに入ることもできました。
 パイパーが私どものキャッテりーに来ることになりました経緯やパイパーのブリーダーやその友人たちとの交流についてご紹介します。

<パイパーとの出会い>
 
 パイパーとの出会いは、1997年のインターナショナルショーでした。当時日本リジョンのノルウェージャンフォレストキャット(NFC)初のグランドチャンピオン(GRC)を獲得することができた私共のメガトンボーイという男の子のお嫁さんを捜しにインターナショナルショーに出かけたときでした。当時の日本のNFCは比較的近縁で、適当なパートナーを見つけることはなかなか難しかったからです。もちろん、米国で開かれる世界最大のCFAインターナショナルショーを見ることも楽しみの一つであったことは言うまでもありません。
 案の定、日本のキャットショートとは比較にならないほど大きな会場に、猫種ごとに控えケージが広々と並べられた会場には、たくさんのNFCが出陳されていました。当時の記録を見ると、1200頭の出陳猫、80を越えるショップやスポンサーのブース、そして12リングの審査台が、広い会場を埋め尽くしていました。
 NFCの控えケージが集まっているところに行くと、米国の数多くのNFCのブリーダーさんたちがきれいにディスプレーされた控えケージにそれぞれ自慢のNFCを入れていました。見て回るだけでもわくわくするほど、日本では考えられない数のNFCを見一望することができました。その中に、Figというキャッテリー名で知られているブリーダーのナンシー・エッカート女史の控えケージがちょうどコーナーにあり、ふとその前で、控えケージの中をのぞくとかわいらしいパイパーと目が合いました。それまで、よく「この猫に一目惚れした」とか、「目と目があった」などと言う話を、他の猫種のブリーダーさんから聞いてはいたものの、まさかインターナショナルショーで、自分が一目惚れする猫にで会おうとは思ってもいませんでした。
 パイパーは、ナンシーがとても大事に育てていたブルータビーアンドホワイトの男の子で、見るからにかわいいノルウェージャンフォレストキャットでした。私はこの子は女の子だろうと勝手に思ってナンシーに話しかけました。インターナショナルショーに来た経緯などを話し、女の子のNFCを探していることを伝えると、ナンシーはこの子は、男の子だよ。もし良ければ同腹の女の子も2匹つれてきているから見てみたらと、2匹の女の子を見せてもらいました。クラシックタビーアンドホワイトの女の子が欲しかった私は、早速控えケージに入っていたブラウンタビーアンドホワイトの女の子を指さすと、残念ながらこの子はすでに米国の女性のブリーダーさんが予約を入れているので、もう1匹のブラウンマッカレルタビーアンドホワイトの女の子だったら売ってもいいよ言うのでした。しかし、クラシックタビーの男の子を欲しかった私は、メガトンボーイのお嫁さんにはならないな、と思ってその時はそのままその場を離れました。その後、B’SSA、Norsestar、Aamottなど、米国のトップブリーダーさん達の猫をいろいろ見せていただきましたが、なかなか気に入ったメガトンのお嫁さんは見つからず、目的はなかなか達成できないまま、1日目はインターナショナルショーを楽しんでいました。
 しかし、その後も、どうしてもパイパーのことが気になって、日本にいる家内にも電話をして、パイパーを譲ってもらえるよう交渉をすることにしました。ナンシーに再度交渉することにしたものの、すぐにOKしてくれるとも思えませんでしたが、当たって砕けろの精神で、お願いすることにしました。案の定、ナンシーも大切にしている子猫ですから、OKが出るわけもなありませんでした(後でわかったことですがもう1頭のNFC1998-1999年度のアワードでNFC初のNWに輝いたNorsestarのLokiとベストをかけてデッドヒートをしていたわけです)。ねばってねばって、ようやく譲ってもらえることになりました。パイパーの出陳は、ナンシーが最後までやるということで、後はお任せして、さらに楽しくなったインターナショナルショーをうきうきしながら楽しみました。目的のメガトンのお嫁さんは結局見つからなかったものの、楽しい三日間となりました。今は親友のAamott Catteryのコニー・ノドランド女史が、あんた雌が欲しいって言ってたじゃないよ、などと言われてしまいましたが、ナンシーの友人達と米国のNFC話など、日本では聞くことのできないようなお話も沢山聞くことができました。
 最終日もそろそろ各リングの審査も終わり、ベストオブベストの表彰を行うために会場の中央に大きなステージが作られました。準備が進んでいるステージの付近でうろうろしている私のところに、コニーが私を捜しにきました。コニーが言うにはパイパーがすごいことになっていると言うのです。なんだかさっぱりわからず、ナンシーのところに行くと、今最後のポイントをチェックしてるが、NorsestarのLokiとFigのPiperが接戦で、どちらがベストになるか微妙なところだと言うのです。そしてしばらくして、ショーの結果を計算しているブースからニコニコして帰ってきたナンシーは、大声でgood newsと言ってパイパーがベストになったと教えてくれました。すでに、パイパーを譲ってもらうことになっていた私は、まさかベストオブベストで、自分のうちに来る子がノルウェージャンフォレストキャットキツンの1番で表彰されるとは夢にも思っておらず、ただ唖然としていました。実際、ベストオブベストの表彰はとても華やかで、パイパーはキティー・エンジェルが表彰台につれてきて披露をしてくれました。(写真参照)
 ショーも終わり、ナンシーは離れがたいパイパーといつまでも別れを惜しんでいましたが、日本でもショーでよい成績を取るよう頑張ることを約束して、次の日に日本に帰国しました。
    
1997年CFAインターナショナルショーのベストオブベストで表彰されるパイパー
 とChananに写してもらった記念の写真。
<日本での活躍>
 日本に帰国してしばらくパイパーを休ませた後、ちょうどヨコハマベイキャットクラブのショーが、横浜の神奈川県産業会館であり、パイパーの日本デビューとなりました。まだ、キツンの期間が少しあったので、日本のショーにならしながら出陳したところベストや2ndベストキツンを各ショーでいただくことができました。その後、チャンピオンシップに入り、あっという間にGRCを取り、1998-1999年度のアワードが始まりました。
 東京、名古屋、大阪で開かれたほとんどすべてのショーに出陳をしましたが、いつもファイナルの上位に入ることができ、1年間を終了してみると5700ポイント以上のアワードポイントをいただくことができました。大阪で開かれたショーの時には、1リングのみが3rdベストでしたが、他のリングはすべてベストをいただくなど、その活躍はオーナーもびっくりするほどでした。1年間、体調を崩さないよう、負担がかからないよう細心の注意を払いパイパーとともに過ごしたショーシーズンでしたが、その結果には大変満足しています。ブリーダーのナンシーからも毎週のように激励のメールが届き、今考えても、楽しくもあり、大変な1年間でした。
日本のキャットショーで、キム・エベレットジャッジ、ジャコ・バーガージャッジ



1998年シーバアジアインターナショナルショー(東京)でベストキャットをいただくことができました。

<現在>
 
1998−1999年度のショーシーズン終了とともに、パイパーはショーから引退をしました。その後、いくつかのショーで招待猫として出陳を依頼されたことはありましたが、定期的にシャンプーをする以外は、現在家の中で自由に他の猫たちと楽しい毎日を送っています。すでに、子供はもちろんのこと、孫まで誕生し、まだまだ若いお父さんであり、おじいさんとなりました。子供達は、日本はもちろんのこと米国においてもショーで活躍しています。子供達の中には、すでに日本で4頭、米国で3頭がGRCを獲得しました。中にはRWをとったり、インターナショナルショーで活躍したりした子もいますが、当の本人(本猫)は、そんなことはどこ吹く風で、子供や孫達と一緒になってボールやおもちゃで遊ぶのが大好きです。

Aqua Dolagon Cattery
Makoto & Yuko MUROFUSHI
e-mail: murofuc@tokai.or.jp
Phone: 0559-73-1487, Fax.: 0559-73-7887