第5話 出産体験記

 

 その日は突然やってきた。

 午前3時過ぎにふと目が覚めると、隣で妻が布団の上に座っていた。どうもお腹が張るというのだ。お腹が張るのは妊娠後期には日常茶飯事だったのであまり気にならず、また寝ようとすると「ビシッ!」と聞きなれない音が・・・。初めは何の音かわからなかったけれどい「これって破水?」と気づいてからもう後は眠気も吹っ飛んだ。病院に電話すると「すぐ来て下さい」と言われ、あわてて車に乗り込んだ。予定日より10日早く、しかも3月には切迫早産と診察されていたものの前の日には全くその兆候がなく、友人とは「4月になったらおさまって、まだ出てくる気配はないよ」と電話で話していたのである。まったく不意をつかれたが、妻はまだ陣痛は無く冷静に荷物を整えており、よくTVで見た「産気づいた妻を病院に連れて行く夫」を想像していた僕には少し物足りない(なんて言ったら妻に殴られそう)。

 病院に着くと、まず「陣痛室」という部屋に入れられた。「陣痛室」とは「出産間近の妊婦さんがうんうん唸っている待合室」のことであるが、この日はいたって静かなものであった。この時はまだ陣痛が来ていなかったので、僕はいったん家に帰って一寝いりしてから朝の7時ぐらいにまた来ることにした。しかし、家に帰っても落ち着かず、一度寝たら昼間で寝入ってしまいそうだったので、コンビニでおにぎりでも買ってまた「陣痛室」に戻った。

 6時ぐらいに病院に戻ると、妻のお腹にはなにやら心電図のような機器が取り付けてあった。この機器は胎児の心拍や動きを計測するものらしく、「ゴボッ、ゴボッ」という音を出し、グラフのようなものが紙に書かれて出てきていた。この頃はまだ弱い陣痛が不規則にくるらしかったが、時間の経過とともに痛みが強くなり、間隔も短くなってくるそうだ。僕はこのお腹を計測する機器に非常に興味が引かれた。もともと持っている理系的な思考と好奇心が沸いてきて、よく妻の陣痛と機器のグラフを観察しているとある一定の関係があるようなのだ。グラフの波がハッキリしてくるとその直後に陣痛が来るらしく、「おい、今痛いか?」とか「次は何分後だぞ」とか「ほら、やっぱり当たった」などと声をかけていた。ところが、妻はそれが気に入らないらしく不機嫌になっていき、僕に腰マッサージの仕事を与えた。

 10時ぐらいからはかなり陣痛が強くなって、僕のアホな問いかけにも返答できないほどになってきた。この頃には僕もさすがに余裕がなくなってきて、ただ黙って見守るだけであった。そのうち看護婦さんがやってきて「もう10cm開きました。あと一時間ぐらいで分娩室へ行きます。」と言っていたが、そのとおり11時ごろに妻は車椅子に乗って分娩室へと消えていった。
 11時20分ごろ隣の部屋から「オギャー、オギャー」と泣き声が聞こえてきた。『そのうち看護婦さんが赤ん坊を抱いて「元気な女の子ですよ」といって出てくるだろう。』TVドラマのような光景を思い浮かべ、20年後に花嫁の父となった僕に三つ指突いて挨拶する娘を想像すると、独り目頭が熱くなるのを感じた。

 想像の域で感動にひたり、昼のおにぎりを食べていたところ、12時半ごろに隣の部屋から看護婦さんが赤ん坊を抱いてやってきた。寝不足と緊張で疲れていた僕の目には、看護婦さんからは後光がさし、まさに白衣の天使が我が子を連れてきた感じだった。「おめでとうございます。男の子ですよ。」と差し出された赤ん坊を見たとき「え?男なの?、ギョ、青い・・・、大丈夫ですか?」が最初の感想だった。顔は土色でくたーとした元気の無い男の子だった。聞けば、へその緒が首に巻き付いて酸欠気味だったと言う。検査結果は異常なしとのことなので一安心。生まれる前にみんなからきっと女の子だよと言われつづけ、すっかり女の子のつもりでいた僕には、これまた驚きだった。

 「11時40分、2908グラムです。」あの11時20分の泣き声は何だったのか。後で聞けば、「陣痛室」のすぐ隣の「新生児室」で泣いている昨日産まれた赤ん坊らしかった。不覚にも他人の赤ん坊の声に感動し、20年後まで想像して涙を流していたとは、さくらももこ風に言うと「あたしゃ情けないよ」の極みであった。

 そうこうしている内に、母子ともにこの人生の一大事を乗り越えて、疲れ果てた妻が戻ってきた。妻の満足そうな顔を見て僕の方も一安心。新生児室へ行くと、他の子に比べて小さく青い顔をしいるけど、白湯を飲んでいる息子をみてこれまた一安心。こうして4月11日がうちの記念日となった(4月12日なら僕の誕生日と同じだったのに)。

[写真:生まれたての青い顔した我が子]

(2000/8/12)