命の儚さ 
                      
                                             2009年1月 「真面目」なおやじ 


平成21年1月11日私の兄が亡くなりました。ここでは兄への思いを記します。

我々の家族は私以外は大阪で生まれ、戦争で母の実家に疎開しました。そんなこともあり兄は生まれ故郷で
暮らすことで大阪に住居し働き、そこそこの財産を残しました。
大阪の人はこぞって商人のようにお金には強く、こまかく、生活も最低限にして暮らしていたようです。
私と兄は約一回り違う歳でしたのでまるで親子のように育てられ、兄も子供のように接していたと思います。
男同士ですから、それ程の交流も無く、逢うと「いつまで経っても。。しっかりしなさい」と言う言葉しか出て
きません。それらのこともあり殆ど交流が無かったように思います。

私が小学校6年の頃から居なかった兄ですから、兄弟愛も無くなり縁も薄かったように思います。
そんな兄が突然亡くなりました。
兄弟って何だ。と考えますが、いつも怒られてばかりの兄を避けていた私、亡くなって初めて、大きな存在を
無くした感じに気がつきました。
今となっては、私から兄を慕い尋ねるべきだったのでは無いか。私が成長するために叱っていたのでは無かったのか。。
などを思うのですが、もう兄はいません。。。
この世に姓を受け兄弟としていた人が居なくなり、寂しさも増します。
命の儚さを感じます。

私が海外移住を試みた時、兄は反対せず「男なら進みたいように進め」と数ヶ月養ってくれたのは、今でも有難いと
思っているし、今の私があると思います。
そして、先に亡くなった母の葬儀、姉の葬儀にも淡々としていた兄、「こうなったのは仕方の無いこと」いくらあがいても
亡くなったものは戻らない
と割り切り涙しない兄、冷たい言い方だったが、今考えてみると納得するものがあります。
私は兄弟だった兄に涙は見せません。。。でも心の中で「寂しい。。」と泣きました。
せめて兄の二人の娘に対し行く末を見守りたいと思います。そうさせて下さい。。。

先に天国に召された奥さんと今頃はのんびり楽しく暮らしていると思います。思いたい。。。
お疲れ様でした。。。
私はもう少し頑張って生きて行きます。