ACT17 |
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タイタニック・クロニクル(4) |
クロニクル色分け:タイタニック一般/船員/船客など/タイタニック外部
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2:21 | 板箱やデッキチェアー、張り板、壁板が鏡のような水面に散らばっている。板子にすがり、あるいはお互いにすがりつきながら数百人の人が水をかいでいた。 スチュワードのエドワード・ブラウンは一人が自分の服にしがみついているのに気付く。 3等船客オラウス・アベルセスは男の腕が首に巻き付いてきたが振りほどく。 |
2:30 | 5等航海士ロウは自分の14号艇と10号、12号、4号、D号を集結させ、救助作業のため再編成する。 |
2:40 | オラウス・アベルセスはA号艇にたどり着き乗り込む。 転覆したB号艇上はライトラー、18歳の一等船客ジャック・セーヤー、ウォルター・ハーストなど、そこへヨークシャー治安判事A・Hバーク・ワース、グレーシー大佐、料理人補佐ジョン・コリンズがたどり着く。無電士ハロルド・ブライドは転覆した艇の下から海水を潜り、艇の上に這い上がる。 30余名に達している、B号艇へスチュワードのトーマス・ホワイトレイ、火夫のハリー・シニアがたどり着く。上がりかけるとオールの一撃を受けるがなんとか這い上がる。 B号艇を励ます漂流者がいた。ウォルター・ハーストはオールを差しのべるが届かない。漂流者は反転して遠ざかってしまう。彼はこの漂流者をスミス船長と信じている。 |
3:10 | ロウ航海士の乗る14号艇は漂流者にようやく近づく。 救助したのはステュワードのジョン・ステュワート、1等船客W・F・ホイート、ロウが日本人と思った3等船客。1時間捜索をしたが助かったのは4名のみ。そしてホイート氏艇上で凍死する。 |
3:20 | マウント・テンプル号、浮氷原に入り一時停船する。 |
3:30 | 救命ボートからカルパチア号の信号弾が見える。 |
4:00 | パン焼き主任ジョーギン、転覆したB号艇にたどり着く。 |
4:05 | カルパチア号、最初の救命ボートを発見する。 |
4:10 | 最初に2号艇生存者がカルパチア号船上に収容される。 |
4:30 | マウント・テンプル号、沈没現場付近に到着するが、謎の貨物船以外発見できない。 |
4:45 | 13号艇生存者カルパチア号に収容される。 |
5:10 | 7号艇生存者カルパチア号に収容される。 |
5:40 | カリフォルニアン号の一等航海士ジョージ・フレデリック・スチュアートは夜中に上がっていた信号灯が気になり、無線技師エヴァンズに確認をとらせる。ここでカリフォルニアン号ははじめてタイタニック号の沈没を知る。 |
5:42 | カリフォルニアン号のロード船長、タイタニック号救助の指示を出す。 |
6:00 | 3号艇生存者カルパチア号に収容される。 ロウ航海士の乗る14号艇、転覆したB号艇上の生存者を救助する。 カリフォルニアン号、停船場所から出発。 |
6:30 | ブルース・イズメイ氏カルパチア号に収容される。カルパチア号船医マックゲー、彼を自分の部屋に案内する。 |
7:00 | 14号艇生存者カルパチア号に収容される。ロウ航海士はすぐに甲板に上がらず、艇の片づけをする。 |
7:30 | カリフォルニアン号、沈没現場付近に到着。 |
8:00 | ブロードウェイ9のホワイトスター・ライン社の支店に新聞記者が殺到する。 |
8:30 | 12号ボートがカルパチア号に収容される。最後に収容された生存者はライトラー2等航海士。 カリフォルニアン号がカルパチア号の近くに到着。生存者を調べる。 |
8:40 | ロストロン船長支持のもと、カルパチア号ホールで双方の乗員乗客が集まり、アンダーソン神父を呼び、祈りを捧げる。 |
8:50 | カルパチア号705人の生存者を乗せてニューヨークに向けて現場を離れる。犠牲者は1522名と推測される。 イスメイ、ホワイトスター・ライン社のニューヨーク事務所に「まことに遺憾ながら、タイタニック号は氷山と衝突後、沈没。犠牲者多数。詳細は後ほど」と無電を打つ。 |
18:15 | ホワイトスター・ライン社支店にオリンピック号から「タイタニック号沈没、675名の生存者をカルパチア号が助けてニューヨークに向かう」という電報が入る。 |
19:00 | ホワイトスター・ライン社の副社長フィリップ・A・S・フランクリン氏「タイタニック号沈没を発表」 |
20:00 | オリンピック号から「乗員・乗客全員救助される」という電報が入る。 |
20:15 | オリンピック号から「若干の死者ある模様」という電報が入る。 |
20:45 | オリンピック号から「多数の死者ある模様」という電報が入る。 |
21:00 | オリンピック号から「莫大の死者ある模様」という電報が入る。副社長フィリップ氏いたたまれなくなる。 |
4月17日 | ホワイトスター・ライン社の雇ったマッケイ・ベネット号が遺体捜索のためにハリファックスを出発する。 | |
4月18日 | カルパチア号、1万人が集まった自由の女神前を通過。キューナード社の54番埠頭を通過し、上流のホワイトスター・ライン社の埠頭で両舷に吊した救命ボートを降ろし、再び54番埠頭に戻る。 | |
20:37 | カルパチア号54番埠頭に到着。埠頭には3万人が押し寄せる。 | |
21:35 | カルパチア号係留完了。渡り板が渡され、最初の生存者が船を離れる。 | |
4月19日 | ロンドンのセント・ポール大聖堂で国家レベルの追悼礼拝が行われる。 ハーランド・アンド・ウルフ社在職のタイタニック号設計者アレクサンダー・カーライルも礼拝に参列するが、その最中に失神する。 |
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4月15日〜 4月22日 |
沈没現場で様々な船が犠牲者の遺体を引き揚げる。損傷の激しいものは、まとめて袋につけられ詰め込まれ、重しをつけて沈められた。 ハリファックスでは200近い遺体が運び込まれる。1・2等船客のみ棺に入れられ、3等船客や船員は麻袋に入れられた。 |
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4月22日 | ひっくり返ったまま浮かぶBボートが発見される。その周辺から27の遺体が引き揚げられる。 マッケイ・ベネット号は306遺体を収容。その後、ホワイトスター・ライン社はミニア号をハリファックスから遺体捜索支援のため出発させる。ミニア号は1週間捜索し、17遺体を収容。 |
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4月28日 | 通信士ハロルド・ブライドの証言がニューヨーク・タイムスに載る。 | |
5月6日 | ホワイトスター・ライン社はケベック州のソレルからモンマーニー号を遺体捜索に遣わせる。4遺体を収容する。 | |
5月15日 | ホワイトスター・ライン社、ニューファンドランドのセントジョーンズからアルジェリナ号を遣わせる。1遺体のみ収容。これでホワイトスター・ライン社が委託した船が収容した遺体は328体となる。 | |
5月2日〜7月3日 | 英国通商委員会の調査が行われ、96人の証人に25,622項目の質問がなされる。証人にはマルコーニ(無電の発明者)、アーネスト・シャクルトン卿(氷山に詳しい探検家)などの専門家、乗客としてはイズメイとコズモ卿と夫人の3名のみ。カリフォルニアン号のロード船長、ライトラー航海士(ひとりで1600項目の質問に答えた)、タイタニック号の乗員、タイタニック号の所有者など。 | |
12月4日 | 奇跡の生存を遂げたアーチーボルト・グレーシー大佐死去。 | |
1913年 | カリフォルニアン号のロード船長、世間から非難を浴び会社も辞めさせられる。 | |
アーチーボルト・グレーシー大佐の手記が出版される。 | ||
4月 | 北大西洋の航路を警備するために国際氷山巡視隊が創設される。 | |
1914年 | 8月4日 | 第一次世界大戦勃発。 ライトラー、オセアニック号でのニューヨークからの帰路で戦争勃発の知らせを受ける。 姉妹船オリンピック号、完成したばかりのブリタニック号(タイタニック号の2番目の姉妹船)が軍事徴用を受ける。 |
1915年 | ポーラーベアーとともにタイタニックから生還したダグラス・スペドン少年(この時9歳)。アメリカで初めての交通事故で他界する。 | |
1916年 | 11月 | 病院船として徴用されていたブリタニック号、ドイツの機雷に触れて沈没する。 |
1926年 | ノルウェーのヘンドリックス・ネイスが死の直前、「木製帆船サムソン号でアザラシの密猟時にタイタニック号の信号灯を目撃し、近くを通りかかった」と宣誓供述書を書いている。 | |
1927年 | アラン・ドワン監督によるサイレント映画「タイタニック」が上映される。 | |
1929年 | 11月18日 | グランドバンクス地震により大規模な地滑りが発生。タイタニック号の残骸が泥に埋まったと推測もされた。 |
1935年 | ライトラーの自叙伝「タイタニック号とそのほかの船」がイギリスで出版される。 | |
24年間の業務を終え(戦時中の輸送業務を含む)オリンピック号が引退。その間4回にわたって大改修が行われた。500回の大西洋横断、150万海里を航行。 | ||
1937年 | タイタニック沈没をヒントにした、フランク・ボセージ監督「歴史は夜作られる」上映。 | |
ジョン・ブルース・イズメイ、ロンドンにて75歳で息を引き取る。 | ||
1938年 | 唯一の日本人乗客 細野正文氏逝去。 | |
1950年代 | アメリカで初期タイタニック・ブーム起きる。 | |
1953年 | ジーン・ネグレスコ監督「Titanic」上映、この映画はアカデミー脚本賞を受賞。 | |
1958年 | ロイ・ベーカー監督のイギリス映画「SOSタイタニック」上映。 | |
1965年 | 見張り役フリート、自殺を図り77歳の生涯を終える。 | |
1979年 | ウイリアム・ヘイル監督のTVムービー「失われた航海」が日本の劇場で公開。 | |
1980年 | ジェリー・ジェームズン監督「レイズ・ザ・タイタニック」上映。 | |
7月 | コロラド州の石油王ジャック・グリムが、「タイタニック号のスクリューを海底に発見した」と宣言するが、認められなかった。 | |
1983年 | 7月 | ジャック・グリム2度目の捜索をするが、収穫ゼロに終わる。 |
1985年 | 8月 | アメリカのウッズ・ホール海洋学研究所のロバート・D・バラード博士がフランス海洋探査委員会と共同で調査団を結成、50人の仲間と5週間と期間を決めたタイタニック捜索を開始する。 |
9月1日 | バラード博士のチームが海底に眠るタイタニック号を水中カメラで発見。 | |
1986年 | カナダのジェラルディン・ハミルトンがナショナル・ジオグラフィックス誌に「自分の乗っていたヴィクトリア号に乗っていたとき、タイタニック号からの火を見た」と投稿した。 バラード博士のチームが再度タイタニック探索を開始。資金にも恵まれ、潜水艇アルヴィン号で潜水し、肉眼でタイタニック号を確認する。 |
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当時一才だった三等船客リー・アクス夫人の息子フィリップ・アクス、奇跡の生還を果たすがこの年に亡くなる。 | ||
1989年 | フィリピンのフェリーが沈没、4375名の命が失われ、タイタニックが75年間維持してきた平和時の海難事故の犠牲者数を上回った。 | |
1991年 | 夏 | ロシアの海洋調査船ケルディッシュ号に積み込まれた、潜水艇ミール1号と2号に探検家やカメラマンが乗り込み17回に渡る探索をおこなった。 |
1995年 | ドキュメンタリー「Titanic」がメリッサ・ベルティアー監督により作られる。 | |
9月 | ジェームズ・キャメロン監督「タイタニック」製作チームがロシアの海洋調査船ケルディッシュ号をチャーター。潜水艇ミール1号と2号で12回の深海探査を行う。 | |
1996年 | 5月30日 | ジェームズ・キャメロン監督「タイタニック」製作のため撮影スタジオの建築が始まる。 |
7月 | ジェームズ・キャメロン監督「タイタニック」、現代シーンを撮影。 | |
9月15日 | ジェームズ・キャメロン監督「タイタニック」、スタジオでの撮影開始。 | |
1997年 | 12月1日 | 第10回東京国際映画祭でジェームズ・キャメロン監督による「タイタニック」がワールド・プレミア上映される。 |
12月20日 | ジェームズ・キャメロン監督による「タイタニック」が上映される。 | |
1998年 | 1月1日 | アルシュ、ジェームズ・キャメロン監督「タイタニック」を初めて観る。(^_^) |
3月3日 | アルシュHP、カルト・ザ・タイタニック初公開 |
ここまでです。