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タイタニック・ミュージアムというと聞こえは変ですが、まあ一応、映画「タイタニック」に関する絵画についてのページだと思って下さい。
アルシュは絵に関してはシロウトですが、これらが指で描いた絵でないことくらいは解りますよ。
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マネは厳格な父に弁護士の道を歩ませられます。 |
「裸体のマハ」1808年? 「着衣のマハ」と並べて展示されています。ゴヤ自身は二つの絵を背中合わせにして、普段は着衣の方をオモテにしたどんでん返しで飾っていたそうです。 |
次にBBSへの書き込みから承諾の上、ardyさんの文章を掲載させていただきました。
塩野七生さんのイタリア三部作のヒロインが、オリンピアという名前の娼婦で自分の裸像を客間に飾ってるんですよね。この絵が着想の素なんだろうか。そして、Heart of the Oceanと比べられるかどうか分からないけどとっても高価な大きい真珠とエメラルドと(あとダイヤ?サファイア?)のついたネックレス「ラファエロの首飾り」を恋人にプレゼントしてもらいました。
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「舞台の踊り子」1876年 10年間踊り子を描き続けてきたドガが、初めて満足できた1枚と言われます。入念に描かれた踊り子と背景の陰と陽、粗と密の対比が素晴らしいです。 「デッサンは形ではなく、物の見方である。」彼は競馬場やオペラ座へ通い、馬や踊り子達のデッサンをするが、それは動くことが生きることであると感じたからでした。彩色はパステルにより輪郭をぼかし、踊り子の動きや衣装を優しく見せ、光線の動きによりロマンチックなバレエの場面を想像させています。 |
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ベンジャミン・グッゲンハイムの父マイヤーはスイス人。南北戦争の前にアメリカに移住した。ベンジャミンと6人の兄弟は銀行・金融・鉱山・精錬業等の同族事業を展開させていました。ベンジャミンは鉱山精錬業に感心を示していた。単純な鉄でなく精錬された金属を必要とする時代だったからです。ベンジャミンによってアメリカの精錬業は一変しました。
また、収益で絵画の収集をしていましたので、彼のコレクションはグッゲンハイム美術館に残されていると思います。
元々ソロモンは古典絵画を収集していたが、ヒラ・ルビーというドイツの男爵夫人であり画家でもある彼女と出会い、抽象画家に傾倒していく。以来、彼女の助言を得て前衛的な作品を次々と購入して、1937年に財団を設立。1939年に「非対象絵画館」を開館。さらに建築界の巨匠フランク・ロイド・ライトに設計を依頼して、現在の巨大なかたつむりの奇抜な美術館を建てるに至った。グッゲンハイムは美術館の完成を待たずに他界し、故人を偲んで現在の「ソロモン・R・グッゲンハイム美術館」に改称されました。
ソロモン・R・グッゲンハイム美術館の主な収蔵品
・モディリアーニ「黄色いセーターを着たジャンヌ・エビュテルヌ」「裸婦」
・ミロ「耕地」
・シャガール「ヴァイオリン弾き」「窓から見たパリ」
・ピカソ「マンドリンとギター」「水差しと果物鉢」「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」
・カンディンスキー「黒い四角形の中に」「即興28」「園遊会」
・クレー「赤い気球」
・モンドリアン「コンポジションNo.8」
・キルヒナー「ゲルダの肖像」
・ケプカ「色彩による平面構成・裸婦」