私・ぶみは 筋金入りの汐美真帆ファンです
もう何年ファンなのかよく分からないくらい 長い間観続けてきました
時々 自分がケロちゃんのファンだってことを忘れちゃうくらい 普通に 自然に観てきました
だから あんまりお別れするの 哀しくないんです
それって変なのかなぁ ファンじゃないのかなぁ って自分を疑ったりもしたんですが
やっぱりファンなんです
ケロちゃんが自分で決めたことだから それが最良なんだっ
自然とそう思えるんです
でも せっかく縁あって好きになった生徒さんですから
やっぱり書き残したくなりました
■時々更新■
縁っていろいろだと思うのですが、ケロちゃんは私にとって、
縁がありそうで、なさそうで、実はあった、というような感じの人でした。
そして、最終的に、そのくらいの距離の方でした。 でした、って過去形にするのは、また早い気もしますが、 でも、この間のDSの時に、最終的にはそうだったかもという結論に達した、というわけです。 退団発表をされてから、大劇場公演、そしてDSを経て、 ケロちゃんて、そういう人だったんだ、と、感じました。 新たな面を発見した、というより、今まで知らなかった、というのが正確な感情です。 ファンクラブに入っているわけではなく、お茶会に参加したわけではなく、 細かくメディアをチェックしていたわけではなく、他にファンの友達がいるわけではなく、 ただ、私の知っていたのは、舞台の上の汐美真帆という生徒だったんだ、と、 今更ながら、実感した、とでも言いましょうか。 だからといって、必死でファンであることをしなかった自分に対して、 決して後悔があるわけではないのですが、なんだかとても不思議な感情でした。 今までの自分の宝塚ファン歴の中で、ケロちゃんて、とても特殊な位置にいたわけです。 だから、退団する、と聞いても、割合とそれを素直に受け入れられたのかなぁと、 自分の中で解決してしまいました。 泣いたり、騒いだり、必死で喰らいついたり、そればかりではなく、 静かに総てを受け入れる、そんな、ファンとしての感情もあるんだなぁと、初めて知りました。 あ、ひとつ思い出したことが。 前回の公演『1914/愛』の感想を、友人に語ったとき、私はこんな表現をしてました。 やっぱりね、好きなの。観てると安心するの。安心って大事よ。とても。〜中略〜 今日は、新しい愛の形を知ることができました。 どきどきするばかりが脳ではない。観ていて安心できるのもまた愛なの。 今まで、贔屓を送り出すとき、死ぬほど泣いてきた私でしたが、 やっぱり、ケロちゃんはこのままあまり泣かずに、見送るんだろうな、と、 今日、感情をこうして文字にしてみて、改めて思いました。 なんだか、やっぱりまとまりのないスタートでしたが、 まぁ、題名がつれづれ語りだから、よいとしましょ。 次回は、すこしはまともな内容で書こっと。 11.24
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大劇場千秋楽のご挨拶、ケロちゃんのお花は、紫の花に、ラブリーなレースをあしらったものでした。
その時にも、ケロちゃんて、そういう人だったんだ、と思ったわけですが(笑)
私が持っていたイメージだと、キャスゲードの白い胡蝶蘭か、もしくは白いバラを束ねたもの、だったので、 かなりのカルチャーショック(?)を受けました。 そんなわけで、このページのイメージが、紫色になってしまった〜 でもやっぱり、イマイチ、ケロちゃんと紫がつながらないのよねぇ・・・(悩) 本当は紺〜水色〜白のイメージを持っていたので、そんな感じで作る予定だったのに。 明日は東京公演の初日です。最後の初日です。 ここから始まる公演が、いつも以上に素晴らしいものでありますように! 11.25
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私の宝塚初観劇は、1991年の月組『ベルサイユのばら』。
なので、ケロちゃんたち77期は、同期生になるわけです(笑)
ファンになって初めて買ったおとめは、何度も何度もいろんなページをめくって、かなり、頭に叩き込んでいました。 若葉マークのファンて、やってることがかわいい…と今は思います。 気づいたのが、その年初舞台生の77期には、自分と同い年の人がいる、ということで、 計算してみると、中卒で入った人たちだったんです。 それが、汐美真帆・麻園みき・天宮萌の3人でした。 当時、ぼーっとすごしていた高校3年の私にとって、同い年の人が、 中卒で宝塚に入り、2年間音楽学校生活に耐え、宝塚の舞台に立っている。 ということ自体が、ものすごく尊敬すべきことに思え、そして自分にとっての励みにも思えたのです。 しかも、ケロちゃんのお誕生日は、10月20日。 自分の誕生日より、4日早いだけなんて! 同い年で、お誕生日もすごく近い汐美真帆さんという人は、 まだ、舞台で見分けはつかなかったのですが、そのときすでに、特別な人であったのです。 実際の舞台上での一番古いケロちゃんの記憶は、 うーん、うーん、『風と共に去りぬ』の、樫の木屋敷シーンで バトラーと議論を交わしていた南部の青年に、いたような、いないような・・・ 11.28
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7月に、ハニーこと、森央かずみさんが退団されました。
私はずっとかずみちゃんの事をハニーと呼び、ケロちゃんのことをダーリンと呼んできました。
でも、ケロちゃんのこと、ダーリンって呼んでいたのって、きっと他にもたくさんいらっしゃると思ってました(笑)
その語源となった『凍てついた明日』。名作でした。 当時の私は、あえて言うなら“宝塚ファン 鬱”の時で、観劇中もあまり集中できず、客席でまったりとしていた記憶があります。 (でも、公演はちゃんと観にいっていた、というのが不思議ではありますが。) なので、2回観た公演も、すごく感動したし、いい作品だったなぁとも思ったわけですが、 台詞や歌までは、頭に叩き込まれず、ビデオを買う気もなく、ただ、漠然といろんなシーンが記憶に残った、というだけでした。 その、いわば葬り去られた感動を呼び起こしたのが、ぐんちゃんのさよならショー、そしてバウ公演『Over the Moon』。 さよならショーのラストのソロ曲“Blues Requiem”、歌い始めはなんだかわかりませんでした。 そして、ぐんちゃんが銀橋を渡りきるころに、やっと遠い記憶がよみがえり、そのときの感動を呼び出すことが出来たのです。 その後のバウ公演では、とうこちゃんが録音で歌ってくれましたが、もうその時には、今の感動と、当時の感動がごっちゃで押し寄せて、瀕死でした。 ダーリンの話から大分それましたが(苦笑)、葬られていたとはいえ『凍てついた明日』は、私の中でとても大切な作品だったのです。 あんな時代だから、あんな風にめぐり会って、それぞれが生きた。その、登場人物たちの命の輝きが、素晴らしく描かれていました。 一人ひとりの物語の終わりは様々だったけれど、ケロちゃんの演じたレイモンドは、今を命の限り生きて、散っていった人。 明日のことを心配しないわけではないけど、でも、今を生き抜くことに、必死で。 一見、横暴に見える振る舞いも、一握りの寂しさや虚しさを抱えていたからなのだと、 観ていて胸が苦しくなったりもしました。 ただもう、上手い!と納得させられた役でした。 いや、上手いだけじゃない、やっぱりお芝居が本当に好きなんだなぁと思ったわけですが、 あの時は、あの役を、あの芝居の中で、あんなふうに演じきったことに、心から上手い!と感動したので、 私のその他の感情は、後からくっついて来た、という感じでしょうか。 ハニーかずみちゃんが退団し、同時にちーぼうも退団し、 たーたん、ぐんちゃん、たまおちゃん、みやたん、みりちゃん、まっぴー、 あのメンバー、ほとんどいなくなってしまい、 そして今度はケロちゃんも。 でも、私の記憶は、もう決して葬られない。色あせたりもしない。 私が忘れない限り、あの公演は、永遠に残ると信じているから。 12.1
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雪組に組配属以来、ずっとバウホラーだったケロちゃん。
私の中で、バウホラー=お芝居のできる人というイメージがあるので、すごいなーって思ってました。
また、バウホラー=全国ツアーに行かない、という図式も同時にあり、私のつたない記憶だと、 ケロちゃんの初全ツは、月組に組替えしてからの『うたかたの恋』。 しかも、ジャン・サルバドル大公!初全ツで、2番手さんの役が転がり込んでくるとは! あんまりうれしくて、当時私は友人に「ねえねえ2番手だよ、ジャンだよ、新公じゃないんだよ!」と連呼していました(笑) 私のお膝元、静岡で観させていただきました。 公演自体の感想は、と、いうと・・・あまりに期待が大きすぎて、 正直、期待負け、と申しましょうか。ケロちゃんのジャンは、ふつーのジャンでした。 ふつーのジャンって変な表現ですが、なんかもっとふつーじゃないジャンを期待していたので、 そのふつーさに、ふつーの感想しか持てなかったわけです(汗) もちろん、まみさんルドルフと並んでも、対等だったし、ミリーあーちゃん(花瀬みずか)とは超お似合いだったし、 ラストの手紙のシーンはとても立派で、号泣しちゃいましたが。 でも、やっぱりふつーだった、ということしか、記憶に残ってないのよね・・・ この公演、とっても記憶に残っているというか、忘れたくない事件がありまして、 全ツは大抵、前日から生徒さんたちは開催地入りしていて、その日はフリータイム。 当日朝に舞台稽古があって、本番、というスケジュール。 だから、うまくいくと、ふらふら〜とさすらっている生徒さんに遭遇したりできるのが、全ツの楽しみの一つ。 その日私は仕事帰りにひとつふたつ用事を果たす為、静岡の繁華街である呉服町商店街を静岡駅から上って行ってました。 下心がなかった、といったら嘘になるけれど、とにかく用事のために、てくてく歩いて、そしてお店に寄って、 お店から表の通りに勢い良く出た途端、人とぶつかりそうになり、寸前で私が急停止したため、事故は回避されたわけですが、 そのぶつかりそうになった人・・・ケロちゃんだったんですね〜〜〜 よけた後、私はその場でひっくり返りそうになりました。 だって、ケロちゃんが目の前に、だよ!!!!! ものすごーくびっくりしました。そして今でも思います。 あと、0.*の差で、本当にぶつかっていたら、どうなったかなぁって。 本当に私はその場でひっくり返ったと思います(笑) そのときの記憶は、今でも鮮明残っていて、 私の目線よりだいぶ上にあった右肩、右耳、ピアスもはっきりと。 ジャンの記憶よりも、そちらの記憶が鮮明です・・・ 12.5
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時はどんどん流れて行きます。数えるのが嫌なので、あえて“もう少し”で千秋楽になってしまいます。
どうしてこう忙しい師走にさよなら公演かなぁ、と、かなりお怒りモードの私です。
と、ぶつくさ言っている間にも、時間は流れていくので、ピッチ上げていきましょう(笑) いろいろな役をたくさん観せてくれましたが、私の好きな役ナンバー1は、『ゼンダ城の虜』のミカエル大公です。 そりゃ、もう、ダントツで大好きです。 雪から月へ組替をしてから、大きな役がつくようになりましたが、ついにこんな役まで演ってしまうの〜と、 うれしい悲鳴をあげました。あの作品、大劇場でのみの公演でしたが、本当にもったいない。 東京の方にも、あのミカエル、観て頂きたかった… 当時の私の“観劇劇場”にも記されていますが、本当に母性本能をくすぐられました。 考えてみると、ケロちゃんの役に対して、そういう感情を抱いたのは、後にも先にも、あの役だけかもしれません。 器が小さいし、しかもその事に気づいていないし、浅はかだし、泣き虫だし(笑)。 でも、そんなミカエル大公が、ものすごくかわいかった!!! 愛人のド・モーバン(美原志帆)に甘えて泣きつく姿がもうもうっ! ド・モーバンも、この人はもう、下り坂だとわかっていても、 なんとかしてあげたい、気づかせてあげたい。まして、見放すなんてできない。 よくわかるわ〜(笑)そりゃ、あのケロミカエルじゃあね。 (と、書いていて、当時と私のばかっぷりが何もかわっていないことに気がついた…汗) ちりちりの黒い短髪に、赤い軍服がホントーーーーに良く似合っていました。 大公なので、その他の衣裳も豪華だし。 そしてその衣裳に負けない、堂々とした小者ぶり(←変な日本語)だし。 ちょっとしたしぐさでも、本当に細かいところまで役作りをしているので、 群集芝居の中でも目が放せず、まともな観劇ができませんでした。 幽閉した国王とのシーンは、そりゃ絶品で(泣き虫ミカエルのシーンとまた対照的にね) フェイドアウトの瞬間まで、その悪笑を、穴の空くほどオペラで見ちゃったりしました。 あ〜〜懐かしいな〜〜(遠い目…) 因みに、その時のショー『ジャズマニア』には、あまり大した思い出はありません。 もう、私の心はミカエルでいっぱい、だった、からかしら? 12.16
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とうとう明日になってしまいました。とても複雑な心境です。
大劇場の千秋楽、それが私にとって、この公演の初見だったのですが、 なんだか頭の中が真っ白な状態で観劇していました。 真っ白と言っても、記憶がない真っ白ではなく、ただもう、ケロちゃんがすごく幸せそうで、 それを観ながら、私もひたすらにその笑顔に感謝していた、という感じです。 ご贔屓を見送った千秋楽は、今まで涙なみだだったのに、 不思議と涙が出なかったのです。 お芝居、ショー、ご挨拶と終わって、とても満たされた気持ちで劇場を後にしたのです。 パレードをやめて、静かに帰宅したのは、 とにかくケロちゃんがとてもいい笑顔で、だから私も今とっても幸せ。 という思いが強かったからなのです。 明日の千秋楽。今度もきっと、大劇場の時以上に、ケロちゃんはいい笑顔を見せてくれるでしょう。 心の底から満ち足りて、そして見せてくれる笑顔には、 とてつもない力がある、ということを、大劇場の千秋楽にケロちゃんから教わりました。 すべての役に、すべての舞台に、あんなに情熱を持って向かってきたからこそのものなのでしょう。 同い年の女性として、ずっとその姿勢には励まされるものがありました。心から尊敬してます。 どうか、その最後の一瞬まで、ケロちゃんらしく、演じ、生きてください。 12.25
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