ぶみの初めて物語り

初めて宝塚歌劇を見るの巻  

作品:月組東京宝塚劇場 『ベルサイユのばら オスカル編』1991.7.23

 どんな運命の巡り合わせか、衝撃的な出会いでした。そもそもあの状況でチケットが(しかもA席、2階だけと) 手に入ったということ事態、運命を感じてしまうのです。

 4月頃に地方公演が我が静岡へ、雪組がアンドレとオスカル編を背負って(超レアもの、 カリンチョさん(杜けあき)のオスカル!)やってきたのです。友人R嬢と狂喜乱舞したのですが、これは、 チケットが取れなかった。
ぶみもR嬢も宝塚ファンではなく、にわかベルばらファンで、宝塚でやっていることは 知っていたけど(っていうか、ぶみは宝塚は『ベルサイユのばら』しかやってないと思っていた)どうやら 地元に来るらしい、という思いついた者勝ち的な考えでいたのです。

 それから数日後、R嬢は“7月に東京でもやるらしい”というネタを仕入れてきて (当たり前の事ながら、初心者は4月に地元に来た公演と違うことには気づいていない)、 「よし、東京へ行こう」と、そのままの勢いでいたのですが、どうやったら行けるのか・・・何も知らなかったのです。
そこで、登場するのが私の恩人(と勝手に決めている)R嬢のおばあさま。東京在住で、元大ファン。 「あぁ、なんて、心強いの」と眼を潤ませている間に、おばあさまは新聞で調べ、発売日が数日前だったことをチェックし、 その足で、東宝の地下へ行き、見事チケットを手に入れて下さったのである。文章にすると、ほんの数行の話だが、 ぶみは言葉では言い尽くせないほどおばあさまに恩を感じております、今でも。

 めでたく夏休みを迎え、R嬢とぶみはいそいそと上京したのであります。

 R嬢のおばあさまに連れられて、R嬢とぶみは、今は無き旧東京宝塚劇場へやってきたのでした。
覚えているのは大きな看板が表にあって、一番右にオスカル、それから左三人がアンドレという並びだったこと。 ぶみは密かに「なんでアンドレが3人なの」と思ったのだが。
それからその看板前に大勢の人が(みんな女の人だった)いたこと。今思えばこれはさばき待ちだ。
それからロビーの絨毯が赤くてきれいだったこと。
でも建物自体は以外と古そうだったこと。 そのぐらいかな。おばあさまに、入り口階段下まで送ってもらい、R嬢とぶみは禁断の宝塚の門をくぐったのでした。

 席に着き、右隣のR嬢はオケボックスを指さして感動しているが、ぶみは小さい頃から よくクラッシックのコンサートに連れていってもらってたから、あんまりそれには感動しなかったけど、幕が開いたらもう、 それどころじゃなかった、というのが正直なところ。
「え、なんで途中で拍手するの?」と思ったら、木の後ろから今度出てきたのは大きくなったオスカルとアンドレ(涼風真世&天海祐希)だった。 「あ、大きくなったからかなぁ。」そうじゃないでしょ。トップさんが出てきたからなのよね。

 簡単に言えば、息をのみ、目を回し、ため息を付き、涙を流し、そして今に至るまで、 すっぽりと‘宝塚の魔力’にはまり込んでしまったのでした。

 お芝居のラストでは、オペラグラスで覗きながら、涙を拭くのにてんてこ舞いで、誰かに手伝ってほしかったほどだったのを、 はっきり覚えてます。今では泣きながらオペラを覗くことぐらい、何でもないんだけど。観劇方法も熟練したのね。

 お芝居の後のフィナーレナンバーも、またびっくり。泣き疲れたのと、「なあに、これは」という状態で、 ぽかんと、口を開けてた気がします。ほら、ぶみは宝塚で‘ショー’または‘レビュー’と言う物を やってるなんて知らなかったから。ずっと『ベルばら』やってると思っていたわけだし。

 あれからずいぶん経って、東宝もなくなっちゃったし、月組も変貌したけれど、ずっと変わらないのは、 相変わらず、ぶみが宝塚のファンだってことかな。間違いなく、あの日、あの劇場で、ぶみの運命は大きくかわったんだから。

1998.11.4.  

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