初観劇が月組だった為か、R嬢&ぶみは月組にはまっていた。というか、他の組をあまり知らなかった。 そんな私たちは「(月組の)次作も、是非劇場へ」が合い言葉になっていた。 次作とは『銀の狼』『ブレイク・ザ・ボーダー』。歌劇&グラフでみたあらすじに私たちは燃え上がっていた。 「なんて素敵な作品!」大劇場では10月頃に公演だった。さて、東京はいつなんだろうと、 まだあまり知識も情報源もなかった私たちは、東京宝塚劇場へ電話をしてみた。職員室の横にある赤電話だ。 今になったみると、なんと頭の悪い話だろうと思うが、当時はこれは、画期的な思いつきだったのだ。
ぶみ「(やたらはきはきと)次の月組公演はいつですかぁ?」
劇場のお兄さん「(すこし困った感じて)え〜、来年の4月の予定ですが・・・」
ぶみ「(受話器に食いつく勢いで)それは今度大劇場でやるのですかぁ?」
劇場のお兄さん「(余計に困った感じで)多分そうだと思いますが・・・」
・・・・・ちがったじゃん・・・・・
今でこそ、東京通年公演になったけれど、ほんのちょっと前までは一年のうちの一作品は東上しなかった。 そんなことはぶみたちには知る由も無かった。『銀の狼』は東京へは行かなかったのだ。そのことが分かったのは、 あの勢い余った電話から、数日たってのことだった。
でもぶみはどうしても『銀の狼』が観たかった。そしてぶみは9月の終わり頃、大劇場へ乗り込む決意を固め、 そして、再びあの電話(職員室の隣の赤電話・・・)へ向かい、チケットを取った。R嬢の「行けないよぉー。」という叫び声を 背中に受けつつ・・・。ぶみは無理矢理、従姉のおねーちゃんを連れて、そしてR嬢を静岡へ残して、いわば裏切りという形で 『銀の狼』の観劇を果たした。もちろんR嬢にはおみやげを買ってきたけど。(かなめさん(涼風真世)の写真集だ)
初めて、自力でチケットとりをして観た公演は、作品の良さと相まって、そして、私だけが観た、という へんてこりんな優越感も加わって、大変思い出多い公演となりました。ちなみに毎年10月10日はぶみにとって 『体育の日』ではなく『銀の狼記念日』で、それはそれは毎年欠かさずCDを聴きつつ、優越感を満喫しています。いまだに。
そして、本格的に始まった‘ぶみの観劇人生’は、終わることなく多分ずっとこれから続いていくのです。
1998.12.23
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