雪組大劇場
2000年7月
ショー デパートメント・ストア
作・演出 正塚晴彦
ミュージカル・プレイ 凱旋門
‐エリッヒ・マリア・レマルクの小説による‐
脚本 柴田侑宏 演出・振付 謝珠栄
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凱旋門 |
第二場 ぶみの感想‐観劇直後のお話‐
「(泣きすぎで、何も言えなくなってる・・・)」
素晴らしい・素晴らしい・素晴らしい、と何度連呼したらこの素晴らしさが表現できるのか。哀しいかな、私のつたない文章では、この素晴らしさは伝わらないかも。
雪組ファンだから、余計に思えるのか、それとも公平な立場で観てもそう思えるのか。私には分かりませんが、とにかく、私は泣きました。それも、どばっ、と一気に泣くのではなく、しとしとと涙のバルブがゆるんでしまったようにラスト泣き続けました。フィナーレナンバーが無かったら、それはそれは大変なことに・・・
第三場 作品、として考える
柴田先生は天才だ。というのは、誰でも知ってることですが、あえてもう一度言いたい。「柴田先生は天才だ。」宙組全国ツアーで『うたかたの恋』を観たばかりで、頭の中が柴田先生モードになっていたせいか、身体の芯までというか、細胞レベルまで“名作のエッセンス”浸しになった気分。
そして、謝先生の流れるような演出と振付け、何度も廻る盆。完全に作品に酔ってしまいました。カルヴァドスでも、ここまでは酔えないかも。中でも、亡命者たちの苦悩のシーンは、ロープを眼に見えない恐怖の象徴のように使っていて、この人たちは絶えずロープに縛られたままなんだと痛感しました。
全体的に暗い舞台。客席で、あの第二次世界大戦直前の暗い時代に引きずり込まれました。終演後、7月の梅雨明け間近の夏の太陽に照らされると、舞台と現実の狭間でくらくらしました。
シャンソンをベースに使った音楽も、耳に心地よく、劇場全体をあの時代へと自然に導くよう。オリジナル曲もメロディーラインも歌詞も、思い出すだけでまた涙が出ます。ソロの歌い出しから、デュオになり、合唱になる。あの熱い魂の叫び。さすが雪組です。
原作を読んでいないので違いは分からないけれど、台詞も直接的な表現ではなく、詩的というか、叙情的。それが芝居の雪組の手に掛かると…もう、泣くしかないでしょう。
第四場 ラヴィック‐轟悠‐
淡々と、しかし情熱的に、そして哀しく。決して抑えた演技ではないのに、行きすぎず、さり気なすぎず。演技ではなく、そこにいるのは“ラヴィック”本人なのではないかと思えるほど。改めて、イシちゃんてすごい人だなと思いました。あの時代、ほとんどの人が哀しい出来事をいくつも体験している。それを乗り越えて生きている。ラヴィックという人は、その哀しいしがらみを、自分の中に封じ込めるのではなく、抱え込むのではなく、それも自分の身体の一部として生きている様な気がしました。とても器の大きい人。
最後は愛する人を旅立たせ、自分は収容所へ向かう。あの時代を真っ直ぐに見つめ、“生きた”。魅力的、という言葉だけでは表現し切れません。
第五場 ポリス・モロゾフ‐香寿たつき‐ 旅券、というたった一枚の紙が、人が地に足を着けられるかを左右している。亡命者といっても、ラヴィック始め、ホテルに滞在する他の客とは違い、旅券を持っている。それが、ポリスという人間をあそこまで穏やかにしているのか、それとも彼の人柄か・・・狂言回し的な役所を、押しも引きも心得てるタータンが熱演してくれました。本当に上手い。ポリスは、主人公ラヴィックを、一番支えていた男。そして、タータンもイシちゃんを支えていた人。この二人が“親友”という役どころは、いく作品かあったけど、今回が一番、心にしみる友情をみせてくれました。
第六場 ジョアン・マヅー‐月影瞳‐ いろんな役をとにかく演じきってきたぐんちゃんにも、まだ、開いたことの無い引き出しに入っていた、このジョアン。女のいやらしさ、強さ、弱さを、深い深いよみで体現してくれました。ああいう女性は、私は嫌いです。でも、その“嫌い”の裏には“羨ましい”という気持ちもあります。誰かに頼ってなくては生きていけない、自分で「私を一人にしてはいけないの」と言える女。ぐんちゃんのジョアンは、ああ、この人はこうやってしか生きられないんだ、と納得できました。絶望の姿も、頼る姿も、甘える姿も、裏切る姿も、みんな真実だから。ラヴィックがやっぱり彼女を捨てきれなかった気持ち、分かります。
第七場 ヴェーヴェル‐汐風幸‐ フランス人でこの巴里で私立病院を経営するドクター。過去にも未来にも、不安を抱える人々の渦巻く話の中で、それに縛られていない人。とても落ち着いた、幸ちゃんの上手さが引き立つ役でした。ラヴィックとの絡みが多いけれど、対ポリスとは、また違った友情の暖かさをみせてくれました。歌もめきめき良くなって、芝居はずっと前から素晴らしいし、そしてラストはたくさん泣かせてもらいました!
第八場 素晴らしき雪組役者陣‐順不同にて失礼‐
ハイメ‐安蘭けい‐ 純血の雪組っ子・瞳子ちゃんの雪組ラスト作品。スペインの内戦で足を痛め、文字通り、幼なじみの恋人ユリア(千咲)と支え合って生きている。今は、ひっそりと穏やかにしているけれど、その内には燃えたぎる情熱を秘めているんだろうな、と、ラスト、巴里を守るために巴里市民たちと戦う姿をみて思いました。星組でも、ハートに溢れたとうこちゃんのお芝居、楽しみにしてます。
マルクス・マイヤー‐成瀬こうき‐ 「死の鳥」のあだ名を持つ男。かっこよかった。はっきりいって。成瀬さんの芝居って、かっこよくしてる人とかっこいい人と、どちらかに別れてしまう印象が昔からあったけど、今回は本当にかっこいい人でした。いつも黒目のスーツで長身に映えて。もう少しで亡命者仲間を、ゲシュタポに売り渡してしまうところだったけど、それも彼の生き方なんでしょう。変な背伸びをせずに、さらりとあの役が演じられるなんて、大きくなったなぁと母心になります。
ローゼンフェルト‐朝海ひかる‐ コムちゃんの人の良さがかいま見られる役でした。世界的な絵画をもって逃亡している(ゴッホらしい)けれど、時代が時代だし、亡命者と言う立場から、今は無用の長物。家賃も払えない。そんな彼も途中で買いたたかれるのを、多分承知で絵を1枚売り、家賃を払う。あのオテルで過ごすうち、心の流れが少し変わったのだと思います。だから、ラスト「僕のゴッホは〜」という台詞をサラリと言ってるけれど、コムちゃんの少しはにかんだ笑顔に涙がでました。
ビンダー一家‐毬丘智美・麻愛めぐる・山科愛‐ 奥さんは最後、ゴールドベルグの死体を見てしまい、狂ってしまう。それは多分自分の持つ死への不安から。台詞から、ユダヤ人の家族と分かるけど、本当に家族三人がぎゅっと抱きしめ合い、支え合って生きる姿が、哀しすぎました。
ユリア‐千咲毬愛‐ ♪私はヴィオロン♪も、澄んだ声で上手だったし、なによりハイメのとうこちゃん寄り添う姿が可愛らしかった。多分東京では見られないけど、これからも彼女に注目していきたいな。
アーロン・ゴールドベルグ‐風早優‐ 年の離れた奥さんに浮気されたあげく、アメリカ行きのビザがおりず、失意のうちに自殺。ショックに押しつぶされ、ふらふらしてるところに、ふと綱が落ちてくる。その演出も良かったし、みやこちゃんの迫真の演技で、そのロープが本当に死神に操られているようでした。いやぁ上手いなぁ。
ルート‐貴咲美里‐ その旦那さんを裏切る若い奥さん。美里ちゃんの見納めです。地味な役所だけど、美里ちゃんらしいというか、やっぱりきらりと光ってました。カフェで歌う♪フルフルの歌は明るいシーンなので、可愛らしくて、見せ場があって良かったぁと思いました。浮気中なんだけど、時代が違ったらきっと彼女はあんな風に明るく生きられたんだろうなと、明るいシーンにもかかわらず、なんだか涙が…
ヴィーゼンホーフ‐蒼海拓‐ 浮気相手の彼。本公演でちゃんとした役は、初めて観たような気がしますが。すごく印象深いのがルートに向かって「奥さん」と呼びかけること。あー、浮気なのよね。って改めて思いました。ラスト、収容所へ行く人々のところへ自分も駆けつけるシーンは、涙のタガがはずれた私には、タブルパンチでした。
フランソワーズ‐矢代鴻‐ 上記亡命者の皆さんの安全地帯オテルの女将。オテルが、というよりは、シビさん自身が、みんなが生きていくのにどれだけ支えになっているか。日々不安に過ごす人々の中で、努めて明るく気丈に振る舞うところがぐっときました。今更語るまでもないけど、やっぱり歌は素晴らしい。今回はタータンとデュオになるところが多くて、また、新しい魅力で魅せて頂きました。シビさんが歌い出すと、もうそこは巴里の街、です。
シュナイダー‐汝鳥伶‐ ラヴィックの悲劇の元凶となったゲシュタポ。明日の見えない人々の中で、唯一肩で風を切って歩いている人種。そのいやらしさを、存分にみせてくれました。ラヴィックは彼が自分に気づかないのを喜んだけど、多分たくさんの人を拷問にかけてたと思うから、シュナイダーにとってはただの反逆者1、なのでは。ユウちゃんさんの悪役って、本当に腸が煮えくり返る悪さですよね。逆にすっきりできます。
アンドレ・デュラン‐飛鳥裕‐ ラヴィックに闇の手術を頼む医者。いかにも足下を見そうな役作りと、あのメガネが印象的。一場面しか登場しませんが、印象は充分すぎるほど。
ウージェニー‐灯奈美‐ ヴェーヴェルの病院の看護婦長。坊ちゃん育ちのドクターを、しっかり支えてるのがよくわかりました。デュランのナガさんじゃないけど、よっこさんのメガネもすてき。
アベール‐美郷真也‐ ラヴィックの患者だけど、そうとは知らず(闇手術だから)命の恩人を国外追放してしまう、亡命者係の長官。ショーとはうってかわって大まじめな役。お髭もお似合いで。そして、もう一役、アコーディオン弾き。さり気ないけど目立ってました。なにをやっても上手ですよね。
アンリ‐立樹遥‐ 長身の華やかな立ち姿で、見るからに映画スターでした。ジョアンに縋るところも、年上の美しい女性に心底はまってしまっていて、ある意味かわいい。そして、一途過ぎて怖い。それが悲劇の原因になるのですが。しいちゃんのアンリならやりそうだ、と思えます。もう一役の死神。劇場全体を包み込みそうな存在感、威圧感がありました。とにかく、今回のしいちゃんにはスターさんのオーラを感じました。
シビール‐愛田芽久‐ ラヴィックの恋人でゲシュタポに殺されたシビールとしての登場は一場面のみ。なんだか役不足ですが。白い鳥で踊るシーンがあったからいいけど。合唱の感動的なシーンの中で一人踊る姿は、逆光のスポットライトに照らされて、とても幻想的でした。
リュシェンヌ‐森央かずみ‐ 娼婦の役だけど、品があって綺麗でした。ラヴィックに命を助けてもらった一人で、手術後ちゃんとした登場は一場面のみ。でも印象に残りました。
ぺぺ‐すがた香‐ リュシェンヌのヒモ。ヒモを好演、というのもなんだかおかしな表現だけど。頭も腰も軽い男で、亡命者たちとは全く違った雰囲気で、こういう人もいたんだなぁと思いました。
ケート‐花彩ひとみ‐ 上流階級の美しい女性。いい女でした。台詞回しもとっても上品で。こんなにいい芝居をする方とは、失礼ながら印象がなかったのでびっくり。
ラヴィックの影‐玲有希‐ アンティーブのタンゴの男も演じてますが、ダンス上手いですね。影だから、台詞はすべて本役から。その心を動きで現すわけで。目立ちすぎず、抑えすぎず、いい演技でした。
第九場 娘役えりすぐり 大体上段で述べてしまったので…あと私の目に留まった方を数人…。フーケの店で読書をしていた飛鳥井まり、噂には聞いていたけど、足きれい! ビンダー一家の息子山科愛、前作品とショーに続いての子役。かわいい。 雨の巴里の花売り娘春あゆか、暗い街で、明るく輝いてました。 アンティーブのタンゴの女汐夏ゆりさ、踊る表情がヨシコちゃん(麻乃佳代)に見えました。 アンティーブのウェィトレス夏央小槇、スタイル抜群。 娼婦の美穂圭子&麻夏せれな、妖艶です。けいこさんは歌もたくさんあって嬉しいな。
第十場 フィナーレ
フランスの国旗トリコロールの青・白・赤をテーマに使ったフィナーレでした。
平和の象徴・白いハトが舞い踊る。♪いのち♪を幻想的にアレンジした曲で、さっきまでの暗い舞台から一転、白で埋め尽くされ綺麗でした。
青・自由をイメージした、大階段を使ってのダンスナンバー。タータンを中心にした、男役さんたちのかっこいいシーンでした。曲は♪金色の雨♪をタンゴっぽいアレンジにしてありました。とうこちゃん(安蘭)がこの場面は休演していて、代役でみやこちゃん(風早)のダンスが観られました。
前場の終わりから白い衣裳の男役女役が並び、けいこさん(美穂)の歌にタータンの歌が絡み、トップコンビのデュエットダンスへ。二人の衣裳は友愛を示す赤。大階段と本舞台を使ってのダンス。コンビを組んでから、毎作品デュエットダンスのある二人ですが、今回も、もちろん息ピッタリ。
そして間を空けず、パレードへ。みんな真っ白のお衣裳。娘役さんも珍しいパンツスタイル。ジャケット部分の燕尾が、床すれすれまであり、ジョーゼット素材なので、ひらひら揺れて綺麗でした。朝海〜成瀬〜安蘭〜汐風〜香寿〜月影と、お芝居の最初に歌ったシャンソンを歌いつぎ。主題歌♪雨の凱旋門♪で轟が大階段を降り、銀橋へのパレードへ。手拍子のしにくい曲だったけど、ああいうのもいいね。いつもの、ショーの終わりのパレードと違って、みんな、まだ役を引きずってるようで、しっとりとしたパレードでした。
第十一場 タイトルロール(?)の凱旋門 演出の謝先生が、プログラムで「舞台のどこからかに、必ず凱旋門が見えているようにしたい」というようなことをおっしゃってます。が、私の記憶が確かなら、凱旋門はオープニングと、ラヴィックとジョアンが出会いから三週間後に会うシーン。それからラスト。その三場面しか見えなかった気がします。私がプログラムを読んだのは観劇後だったので、特に疑問に思ったわけではないのですが。それよりも、私は“凱旋門が三場面しか見えない”演出にかえって心打たれたのです。それは、見えたときに客席で「ああ、凱旋門だ」とそのたび思えるから。物語の中で“凱旋門”というのは、時代を人々を見つめ続けたものとして描かれてます。二度目の登場のシーンは、ジョアンがラヴィックとの愛を確かめあい「生まれ変わった日」を、凱旋門を証人にする。その次のシーンは、ラヴィックが最後に見た凱旋門として登場する。「灯火管制か。暗すぎて凱旋門が見えない」と、それは見ることが出来なかった。そこに以前のジョアンの台詞が流れる。凱旋門が見えない。それは、時代の先が見えないのと同じこと。でも闇の中でも凱旋門はずっとそこに立っている。深すぎかなぁ・・・
第十二場 泣きのツボ
いたる所に泣きのツボが散りばめられてるこの作品。一度目は泣かなかったのに、二度目には・・・と、観る度、きっとツボは増えていくはず。本当は全部あげたいけれど、本当に切りがないので、選りすぐりでお送りします。
・幕開き、ポリスの歌い出しからフランソワーズが重なり、合唱へ。この哀しいシャンソンに・涙
・第7場パリはどうなるのナンバーから、鳩が飛び立つ。ここのライトの使い方がいい。そして♪いのち♪の合唱へ・涙
・第18場灯火管制の始まるパリ。“雲の上の放浪者”ラヴィックと“快楽な哲学者”ポリスの会話。女性論のようだけど、立派に人生を語っている。ラヴィックの台詞「俺は復讐もしたし恋もした。もう何も望まないよ。」これが彼の人生・涙
・第19場虫の息のジョアン。駆け寄り慰めるラヴィック。ジョアンに声をかけ慰めるようだけど、それは自分に言い聞かせるようにも見える。苦しがるジョアンに薬を打ち、彼女を苦しみから解き放つ。では、ラヴィックの苦しみは、誰が?ラヴィックの手からジョアンの手が滑り落ちる・涙
・ヴェーベルとラヴィックの別れ。ヴェーベル「ああ、わからんよ、何もかも」・涙
・そこからは、もう、タガがはずれたように私の目からは涙の雨が降り続ける。ぱららぱららぱらら・・・
・第21場の戦闘中に、前場までに泣いてびしょびしょになった顔をせっかく拭いたのに、♪いのち♪がコーラスで流れる中、ハイメが銃を空へ向かって撃ち終戦を告げ、ポリスが三色旗を振る・ああ、また涙
第十三場 ぶみの選ぶベストカップル 亡命者たちの中の明るい光、ともいえるハイメ(安蘭けい)とユリア(千咲毬愛)。幼なじみで、二人で支え合って時代を生きている。ラヴィックの台詞ではないけれど、「この二人にはなんとか逃げ延びてほしい」と思える、いいカップルでした。
第十四場 ぶみの心残り‐じゃなくって‐ ばか、がつくほど、観ながら泣いた。その後も、プログラムをみてもルサンクをみてもスターの小部屋を見てもこれを書いてても、泣いてる。ここの題名は、ぶみの心残りではなく、ぶみが心残されにするべき。
第十五場 そしてリピート
今回、一泊二日で二度の観劇。余裕を持って、寝ちゃったりしないように、舞台を堪能できるようにのスケジュール。だから二回しか観れなかった。私にとっては、次は東京、になるわけです。そんな中、まさに寝耳に水の情報が。タータンが東京公演に出演しない!これには驚きました。ベルリン組が帰ってきて、組替え組が抜けて、多少の役代わりは仕方がない、と思ってましたが、まさか、タータンが抜けるとは。
そしてリピート。もちろん東京へも観に行きます。でも「大劇場ではこうだった。**さんの**はこうだった」という印象を拭い捨てて観られるのは、果たして何度目からか・・・
でも、ここまで作品に酔いしれてるから、そんな心配はしなくていいのかなぁ。
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