ぶみの観劇劇場  ぶみの観劇劇場  ぶみの観劇劇場  ぶみの観劇劇場  ぶみの観劇劇場

雪組赤坂ACTシアター
ツキヨノウタゴエ
月夜歌聲
‐闇の中から光が生まれる‐
作・演出 児玉昭子

2000年12月

第一場 ぶみの期待‐観劇前のお話‐  年末の雪組公演。ぐんちゃんは出演するのか?という疑問は“主演・轟悠”のもとに成り立つお話で“主演・湖月わたる”では、諦めざるおえない・・・え?主演がワタルさん?でも、雪組なんだよね。と言っていたのも、専科パニックの頃で。それが一頻り終わり、あらすじが発表されると、もう大変。「ヒロインはコムちゃん(朝海ひかる)だよね!だよね!」の妄想がたちこめ、最終、あの“エロポスター”に、はい、ノックアウト。公演が始まる前に、心身共に疲れ果てました。(が、テンションだけは誰よりも高かった…)

第二場 ぶみの感想‐観劇直後のお話‐  「ピーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
 私のこの手は、以前月組公演『ゼンダ場の虜』でも似たような感じで使いましたが、今回は少し意味が違って、正直な気持ちを文章にしたら、二度と真っ当な人間として外を歩けなくなる恐れがあり、語れない、という訳なのです。
 余談ですが、1幕ラストは、ウェンフー(湖月)と共に煙に巻かれ、咳込んでおりました。(客席まで、すごい煙でしたね。)

第三場 露 文虎 ル・ウェンフー ‐湖月わたる‐  このごろ“演技派”という肩書きをよく着けられてるワタルさん(湖月)。この肩書きには少々疑問を持っていた私ですが、久しぶりに観たワタルさんの勇姿に、ただただ、生唾を飲むばかり。なまじ新公時代から舞台を観てきた為に、ついつい母心。それにしても、しばらく観ないうちに立派になって(泣。)
 ワタルさん、というと、今だに明るい青年像を描いてしまうのですが、1幕はそのものズバリ。でもただ明るいだけでなく、懐の深く大きい青年で、ワタルさんの見た目の大きさと相まって、とても素敵。そして2幕は、絶望の淵に叩き落とされた青年。燃え上がるわけではないが、青白く、淡々と燃え続ける炎のようでした。そしてその熱は、自分自身に向けられていて、自分の身をも、焼き続けている。全編を通じ、限りなく“動”に近い“静”。1.2幕で演じ分ける“陽”と“陰”。素敵だ!ワタルさん!いつの間にあなたは、こんなに大きくなっていたのですか。歌もそんなに上手ではなかったはずですが、あの演技力、表現力に裏打ちされた、歌うワタルさんは、客席の私たちを大きな波でさらうように、心を掴んでしまったのでした。

第四場 范 闇霞 ファン・アンシア ‐朝海ひかる‐  役の個性と役者の個性が本当に一致したとき、あんなにも輝く物なのか、と、改めて思い知らされました。いけません、コムちゃんのあの美しさは。もう少しで、真っ当な人間に戻れないところでした・・・本当は女のヒトなのに、普段は男役を演じていて、でも今回は女役だけど、男として育てられていて、でも女形で、という、性別の境目を行ったり来たりしているコムちゃん。しかも舞台の上では、男として振る舞うときと、女としていたいとき、等々、もう考えただけでも、素人の私は目が回るほど。でも、どこを切っても、舞台の上のヒトは“朝海ひかるの演じるアンシア”であり、決して別人物には見えないのです。(自分で書いていながら、だんだんわけが分からなくなってきました…)

第五場 温 世傑 ウェン・スージェイ ‐立樹遥‐  きらきらとお日様のようなしいちゃん(立樹)が演じた“陰”の役。1幕はワタルさんのウェンフーと対照的に描かれていて、また魅力的。熱い思いと、冷めた心の、両方の表現を巧みに演じていました。上手ですね〜。役にとてもあっていて、「こういうしいちゃんが観たかったの!」と、嬉しくなってしまいました。

第六場 そして素晴らしき役者陣
 アンシアの父で、京劇の名女形ファン・メイリン‐萬あきら‐厳しいけれど、京劇を愛する心はその厳しさにも見て取れる、偉大な人物像で見せてくれました。ケイさん(萬)の姫も観たいなぁなんて思ったりして…。
 スージェイの付き人で、忠誠心の固まりのようなチャン‐未沙のえる‐。今回はお笑いなしで、地に足の着いた、というより、地を這うような落ち着いた人物でした。なにをやってもお上手な方です。
 アンシアの付き人パオユウ‐灯奈美‐も、暖かい人で、アンシアだけでなく皆のことをいつも見守っている、という、とてもやさしい役作りでした。
 裏上海のボスワン‐美郷真也‐は、いるいるこういう中国人!という、見るからにボスの出で立ち。少しなにかを間違うと、お笑いになってしまいそうなのに、決してそんなことはなく、明るい人の良さそうな中にも、その奥にはなにかある、という感じでした。
 ボスの娘で、スージェィに惹かれているホアリェン‐愛田芽久‐。ちゃんとお芝居したのを初めて観た気がするけれど、とにかく上手い!かわいい!びっくりしました。出てくるだけで、とても目をひくし、なにより“待つ”“聞く”の受け身の状態が上手い。ボスの娘にありがちの“浮ついたおバカさん”さがなく、物語中、一番大人なのでは。
 ボスの側近リュウ‐蘭香レア‐は、また、びっくりするほど黒さに徹していて、あの可愛らしいレアちゃんが…と、感心しました。いきがってるのではなく、いつ噛みつくか分からない、猛獣の様なオーラが素敵でした。
 京劇役者のタマゴマー・フォンライ‐音月桂‐若々しさを全面に出して、京劇に対する思いで、きらきらしていました。良く通る声が気持ちよく、2幕の重い雰囲気の中で、ふと安らぎを見せてくれました。
 主役3人の子供時代アンシア‐天勢いずる‐・ウェンフー‐玲有希‐・スージェイ‐牧勢海‐軽やかな動きが子供らしく、大人になった3人と絡んでも、とても自然でした。
 クラブの歌手‐美穂圭子‐2幕頭で、思う存分歌ってました。まさにあのクラブはけいこさんのものです。

第七場 物語を追っかける‐好きなシーン抑えます‐
オープニング、3人(ウェンフー・アンシア・スージェイ)のダンス。コムちゃん、華奢で小さくて、すごくキレイ。全身でウェンフーを愛していて、観ている私までドキドキ。
第七場・道ばたでのシーン。スージェイとチャンの語りも好き。チャンの人柄がよくあらわれていて、それを受けるスージェイも、分かってはいるけど、素直になれない心がいい。
同じシーン、対ホアリェンとの会話も、二人ともぽつりぽりつ話すだけだけど、とても引きつけられる。ちほちゃん(愛田)の淡々と語る口調が、いじらしい。
第八場・前夜のシーン。パオユウの暖かさが、とても大きな安心感を持たせてくれる。
同場のアンシア。ウェンフーでなくでも、息をのむ美しさ、妖しさ。デュエットからのラブシーンも、曲と共に気分も盛り上がり、キスをするわけでも、固く抱き合うわけでもないのに、美しさは絶品。今まで数々のラブシーンを観たけれど、これは一番かも。客席でドキドキ、うっとり。不思議なことに、ウェンフー、アンシア、どちらの気分にもなれるし。二人はこんなに心が重なっているのにぃと、とてもまどろかしいし。
「おまえは、私の覇王か?」この台詞、しばらくマイブームでした。本当に、私も、私の覇王に巡り会いたいものです・・・
ウェンフーが去った後、鏡にうつる自分の姿に、言えない、やるせない思いをぶつけるアンシア。あー、美しい・・・・(としか言えない自分がなさけない)
ウェンフーには言えなかったのに、スージェイには打ち明けられる。アンシアにとって、本当は二人共が欠かすことの出来ない人だったんだなぁ。
「拍手喝采、というわけには〜」が、二幕、ワタルさんの第一声。ワタルさんだと分かっているけど、すごい迫力でびっくり。
オーディションで、フォンライの声にウェンフーの声がかぶり、アンシアがその声に立ち上がる。その何とも言えない表情にクギヅケ!!
二幕第四場・真夜中の劇場で、ウェンフーにとくとく話すフォンライ。説得力、あるなぁ。それに、引っ込み前の「アンシアが『覇王別姫』を演じないのは〜」の台詞は、暖かく心に響き、見事な余韻を残してくれます。
アンシアを思い、3年前の月夜、共に歌った歌を歌うウェンフー。やるせなく、とても哀しい歌声。でも愛に満ちています。
第七場・開演前。捕まるのはアンシアではなく、スージェイだと話すシーン。舞台の上も、客席も、とても緊迫。ワタルさんの声音の重みと、しいちゃんの表情がとてもいい。
ウェンフーをかばい撃たれて、「やっと会えた」と声を絞り出すアンシア。このシーン、胸が痛すぎます。客席は絞り出さなくても、勝手に涙が溢れるのです。
第八場・礼拝堂で二人の遺体を前に、スージェイとフォンライが語る。前場から引き続き、涙がでます。スージェイの語りから、レクイエムのような歌が、二人の魂を昇華させます。そう“姫が、愛する覇王のために、命をおとす”二人は本当にお互いの覇王と姫だったのね・・・(泣)。
ラストにくっついていた京劇。余分?とも思いますが、結局、劇中にあれだけ話に出てきたのに、一度も上演される事がなかった『覇王別姫』。観られてよかった、と、正直に思います。ワタルさんの歌もフルで聴けたし、コムちゃんの剣の舞も、私は京劇のことはよく知らないけれど、観ていてすごい!!と思いました。京劇役者さんじゃないのに!

第八場 京劇も映画も知らない私の特権  私の鉄則の中に、原作は舞台より前に読んでは(見ては)いけない。という物があります。それは以前『ブルボンの封印』の時に、嫌と言うほど思い知らされたから。 もともと私は、宝塚ファンである前に、藤本ひとみ(『ブルボン〜』の原作者)ファンで。原作は発売直後に完読していて、ふと「アドリアンモーリスはユキちゃん(高嶺ふぶき)に似合いそう」とまで思っていました。 それからだいぶして、宝塚で上演が決定。「やめようよ〜」と幾ら私が叫んだところで、どうしようもなく。でも大好きなともちゃん(紫とも)のサヨナラ公演だから、観に行きましたよ。見事にずっこけてくれて、ありがとう。でしたが。 それ以来、上記の鉄則を頑なに守っているのです。映画の場合は何とも言えないけれど、小説が読者に与える妄想効果の幅や奥行きは、どう考えても舞台という箱では、表現しきれないのです。全く別の“いい物”が、箱では生まれることも少々はありますが・・・
 さて、前置きが長くなりましたが、今回のこの作品。公演が始まる前は「中途半端な京劇はやらないでほしい」という意見もあり、公演が始まると「もとにしてどころか、完全に映画のパクリじゃん」などなど、いろいろな意見が飛び交っていました。 でも、私は上記の鉄則のお陰で、周りの雑音とは無縁の、感動観劇を味わうことが出来ました。しかも、開演前にプログラムを見る事もしなかったため、映画『夜半歌聲』が『オペラ座の怪人』をモチーフにしていることすら知らなかったのです。 観劇後「なんか、2幕って『オペラ座の怪人』ぽいね」という、お間抜けな発言をし、赤っ恥直前でした。 余談ですが、爛れて醜くなった顔を、自分の愛しい人に見られたくない、というところは『春琴抄』的発想であり「『殉情』やねぇ〜。おまえにだけは、見られとうないっ。」と、しばらく春琴ごっこをしていました。
 一緒に観に行ったMさんは、レスリー・チャンのファンでいらして、「映画、どうです?」という私の問に「あ〜見ない方がいいですぅ」と、力説をくださった。 やはり、私の鉄則は、正しいらしい。

第九場 コムちゃんにお願い  娘役になろうよ。

第十場 あれから随分時が経ち  いつもの事ながら、書き出したら止まらない私。どうせなら、舞台を観て、思ったこと、感じたこと、考えたことを全部書きたい!と思うのです。ラストまで、なかなかたどり着けず、世紀を跨いでの執筆になりました。
 あの時からかわったことといえば、レアちゃんが退団発表をしたこと。せっかくこの作品で、レアちゃんの持つイメージと全く違った役を公演し、これから!と思った矢先でしたので、なんでかなぁ、と本当に残念です。 それから、大劇場後半のラインナップが発表され、雪組は中国物とのこと。この『月夜歌聲』で、中国の香りに触れたので、気分も期待も高まります。

2000.12.28.
そして2001.2.7.

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