Hitomi Tsukikage STAGE HISTORY |
舞踊詩 浅茅が宿−秋成幻想−
作・演出/谷 正純 |
1998年8月7日〜9月14日/宝塚大劇場 11月28日〜12月26日/宝塚1000days劇場 1999年2月2日〜21日/中日劇場 |
ぐんちゃんの役/宮木・眞女児 |
大劇場作品の二作続けての(ぐんちゃんは三作連続だ)日本物で、「あ゛ー」と思っていましたが、やはりチョンパの 幕開きに感動して、わくわくしてしまうのは、やはり日本人の証拠でしょうか。イシちゃん(轟)、タータン(香寿)、ぐんちゃんと歌いついでの総踊り。前作「春櫻賦」の幕開きでは、 ぐんちゃんのソロがなかったのですが、今回は貫禄ある歌いっぷりで、今更ながら立派になったなぁと思いました。
お芝居最初の登場は、まだ少女時代の宮木から。「わたしを勝四郎さんのお嫁さんにしてくれる?」 「うん、宮木は俺のお嫁さんだ。」小さい頃から何度も二人でそう言い合ってきたのだと思います。 それが当たり前のこととして二人は大きくなってきたのでしょう。主題歌はとても美しい歌で、 全編通して何度も流れるのですが、同じメロディ、同じ歌詞なのに、時には微笑ましく時には哀しく情景にあわせて いろいろに変化するのはすごく不思議でした。
そして次景、勝四郎がうたた寝から覚めると二人は大人になって登場します。 「あなたは男ですから〜、私は女ですから小さな幸せを〜」そして勝四郎の夢をかなえてあげようという宮木。 勝四郎の夢は都へ行くこと。宮木にとっては勝四郎が小さな頃から全てだからそんな勝四郎の夢は、 そのまま宮木の夢だったのでしょう。
旅立ちの朝、「三年待っていてくれ」という言葉を信じて、お腹に子供がいることを隠して勝四郎を見送り、 追いかけようとする母さまに「あの人の夢を壊さないで」と叫ぶ宮木。ぐんちゃんは素朴で、 でも真の通った女性を演じるのが上手いわぁと前から思っていましたが、宮木はその典型です。
反対にもう一役の眞女児様。登場シーンは京の都をお付きをたくさん従えての大行列。 ぐんちゃん、あんなにお付きがついてたことって今までになかったのではないでしょうか。それにあの妖しい美しさ。 仕草も声も(どこから出してるのっていう高い声で)あ、この世の物ではないのね。と雰囲気でてました。 眞女児の勝四郎のへの愛は、物の怪故の純粋さでものすごくストレート。そして強引。 あんな風に迫るぐんちゃんは初めて観ました。 大人の色気ともまた少し違って(眞女児様は一応15歳らしい)本当に純粋な愛情故でしょう。 妖怪変化の羽田健太郎氏のピアノソロの連れ舞い(というのでしょうか)は、妖しく哀しい物がありました。
そして再び宮木。「帰ってくるから」という勝四郎の言葉を信じて待っていた宮木。 勝四郎に会うためだけに幽霊になってもずっとあの桜に木の下で待っていたんですよね。 ふるさとへ戻った勝四郎に会えた時、嬉しそうだけど、とても哀しそうで、観ていてぽろぽろ涙がでました。 大木となった桜の木の下での連れ舞いは幻想的でした。物語総てが夢の中のことだったようにも思えました。 このシーンが宮木が一番幸せに見えました。勝四郎に羽織らせてもらった小袖を自分のお墓に掛けていなくなる瞬間が 何ともいえませんでした。でも、私は何度観ても泣いてしまって、この辺、しっかり観えてないんですけど・・・
宮木と眞女児のこの二役、私個人的には宮木の方が好きでした。 上でも述べましたが、'素朴で、でも芯強い役のぐんちゃん'の集大成をみた!!って感じがしました。 だけど眞女児も今までにない役で、こんなぐんちゃんもいいわ。と、引き出しが増えたことも嬉しいし。 うーん。選べませんね。
ぐんちゃんご本人は眞女児の方が大変だったとのことでした。宮木は感情から入る役で、そういう役作りの 方が得意なのだけど、眞女児は演出の酒井先生に「形から入ってほしい」と言われ、苦労したとのこと。 何回やっても酒井先生の求めている眞女児にならなくて、最初に「眞女児は15歳だから」といわれ、 少し子供っぽくしたら、「もっと子供っぽく」と言われ、あげくの果てには 「月影さん、自分が15歳の頃を思い出して下さい」と言われてしまったそうです。(あーお茶会楽しかった)
やっぱりいい役にあたるとぐんちゃん自身が、ものすごく輝くんだなぁと改めて思いました。 どんな役でもぐんちゃんは輝いているんですけど、やっぱりその役として輝いているグンちゃんを観られるのが ファンにとっては一番幸せですから。
最初に述べたとおり「また日本物・・・」と思っていたのをいい意味で裏切られたすごくいい作品で、 ぐんちゃんもすごくいい役が二役ついて、思わず筆の弾んでしまったぶみでした。