男女雇用機会均等法

  少し前の話になるが、新しい季節になって、私がバイトしているコンビニでも今まで働いていた人が何人か辞めていった。そして、店でもその代わりを求めて、店頭ポスターを初め、求人雑誌などに求人広告を出すことになった。主に必要なのは、夜の10時から3時、もしくは朝の9時までの、いわゆる深夜勤務である。これは今までは男性の仕事とされていたが、最近、男女雇用機会均等法が改定されたということで、女子でも可能となった。 しかし、それは名目上のことであり、店にとってはやはりその時間は男性に働いてもらった方が効率的である。深夜勤務では、大量の荷物が店に搬入され、それらを店頭に並べることが要求される。大量の荷物を持って運ぶには、やはり男性の力が必要なのだ。

  こんな書き方をすると、それこそ「男女雇用機会均等法」を提唱している人たちの大目玉を食らいそうであるが、事実なのだから仕方がない。店の方に求人広告を見たと言って、女性からの連絡があったらしいが、店長が男性希望の由を告げると、均等法を持ち出して反論されたそうだが、この女性に一言、オマエは深夜勤務で大量に入ってくる重い荷物を、次から次へと片づけることができると手放しで言えるのか?仮にそれができたとしても、夜中の3時に一人で帰ることに何らかの不安は感じないのか?私だったらそんなことは頼まれてもしたくはない。それに女性には、女性ならではの体調の崩れなどがあるだろう。常に同じコンディションで働けるわけがないのだ。女の私が言うのだから、まず間違ってはいないだろう。店としてはそこら辺を考慮して、男性と女性を区別しただけなのだ。

  何か問題が起きたとき、リスクを背負うのは店の方なのだ。それなのに均等法ができたからといって、何でも男性と同じものを求めるのは、かえって女性としての自覚が足りなのではないだろうか。「働く女性」を唱えるのなら、そのくらいの責任感はあってもいいはずだ。

  店としては男性と女性を区別しただけなのに、彼女はそれすらも気に入らなかったらしい。男性と女性は、体力的にも精神的にも明らかに違う、が、そこにはどちらが勝っているという意識はない。「男女雇用機会均等法」を提唱している「働く女性」にはその意識がないようだ。なんでもかんでも男女平等にすることが美徳とでも思っているのだろうか。ここまで来ると、提唱ではなく信仰してしまっているようであるが、オマエ等は区別と差別が分からないのか?なんでもかんでも男女平等で本当に女性は幸せなのか?

  もちろん女性に対するあからさまな差別が存在する社会もあるだろう。しかし、先の例のように区別しているところで均等法が持ち出されると、営業、販売などの妨害になり兼ねない。「働く女性」を気取るのもいいかげんにしろ!均等法によって、今まで中途半端な「働く女性」だった人が調子に乗り出しようだ。こいつ等は「働く女性」という肩書きに酔って、女性の在り方を見失っている。本当の「働く女性」(たぶんいるだろう)にも失礼だ。そういう輩には、男性と延々腕相撲をさせて、負け続けたところで「無理に決まってるじゃない!」と言わせよう。そこですかさず「完全な平等なんて無理に決まってるじゃない。」と言い返してやるのだ。

  それでも「男女雇用機会均等法」を信仰しちゃってる人には、区別と差別を分かってもらえないのだろうか。現代はそれほどまでに働かなければらない時代なのだろうか。そうだとしても私みたいに、女性に生まれて男性より楽ができるんだと思っちゃった方が気持ちも楽になり、躍起になって働かなくてもよくなるのではないだろうか。気持ちが楽になった方が、仕事もはかどるかもしれないし・・・。あくまで例え話ですけどね。まぁ、そういう考えに甘んじて、社会の中でまともに働かない女性がいたから、男性による差別が出てきてしまったのかもしれない。それが強ければ強いほど、女性の反発が強くなるのも分かる。歴史の中で男尊女卑という事実もあり、それが完全に消えたとも言いきれない。男性にも、女性にもお互いに対する歪んだ考え方があるのだ。しかし、それにこだわりすぎて行き過ぎの均等法を持ち出されても困る。もう少し、自分たちの立場や責任、そして均等法について考えてみてもいいのではないだろうか。

 

 

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