ハウス名作劇場は日本を救う!?

  コンビニにはもちろん子供の客も来る。子供だけで来る場合も、親に連れられてくる場合もあるが、どちらの場合も子供を2種類に分けることができる。かわいげのある子供と、馬鹿な子供である。馬鹿というと語弊がありそうだが、ここで言う馬鹿とは常識をわきまえないとか、憎たらしいとかそういった意味の総称だと思っていただきたい。子供だから、常識をわきまえないなんて大目に見てもいいのではないか、という意見が出そうだが、親に連れられてきている子供が、店内を走りまわっている、大声を出している、ほかの客もいるのになぜ親が注意しないのだ!?こういうことは普段から親がしつけていないから起こることであって、しつけがちゃんとなっていれば、子供にもそれなりの常識が備わっているはずである。以前私は、売り物のガムを壁に叩き付けてメキョメキョにしてしまった子供を相手にしたことがあるが、彼自身はもちろん謝りもせず、彼の親も注意もせず、買えばいいんでしょ、という態度であった。そりゃぁお金を払えば商品は自分たちのものになるが、何か間違ってないか?その時はメキョメキョにされた商品が一つだったが、親が買い物をしている時間がもっと長かったら、彼は手当たり次第のものをメキョメキョにしていったかもしれないではないか。そうなったらどうするのだ?オマエはその商品全部買えるのか?

  悪いことをしていたら、買う買わない、すぐ店を出る出ないは関係なしに、まず子供を注意しろ!しつけなんてどこでだってできるのだ。私なんか子供のころバスの中でぐずぐず言っていたら親に「言うことを聞かないとほっぽり出すよ!!」と怒られたものだ。もちろんそんなことばかりではなかったが、時には大袈裟な叱り方も必要なのだ。恥ずかしいとか親がプライドを気にしている場合ではない。長い目で見れば、この先もっと恥ずかしいことになるのだぞ!!

  もちろん店に来る子供や親のすべてが馬鹿なわけではない。初めに述べたように、かわいげのある子供もいる。ちょっとしたお菓子を買いに来て、小さい袋に入れて渡すと「ありがと」とちゃんと言ってくれる。こういう子供の親も、笑顔でお礼を言ってくれる。当たり前のことなのだが、あぁまだちゃんとした子供もいるんだ・・・と感じてしまう。それほどまでに馬鹿な子供が目立つのである。

  馬鹿な子供はなぜこんなにも増えてしまったのだろうか?現代のコギャルなどの存在を見ると、ここ数年のことではないらしいということが想像できる。馬鹿な子供がそのまま成長して、コギャルになるのは目に見えたことである。そこで10年ほど遡って、当時の子供を取り巻く環境を考えてみると、ちょうど私が子供のころ毎週見ていた「ハウス名作劇場」が終わったころに当たるのではないだろうか。

  「ハウス名作劇場」とは、毎週日曜日の夜7時30分から始まる、ハウス食品提供のアニメ番組で、「ふしぎの島のフローネ」や「小公女」「小公子」などを放送していた。私は再放送で見たが、有名な「フランダースの犬」や「あらいぐまラスカル」などもおそらく昔その枠で放送したものであろう。それらのアニメの主人公はみな正直だったり、明るかったり、逆境に負けなかったりと、いわゆる「綺麗な心」を持っており、それを見る子供たちは、本を読まなくても、読めなくても名作に触れることができ、綺麗な心、正しい心を学ぶことができたのである。当時は「親に見せられていた」感が強かったが、大人になった今、思い返すと、子供の頃に見ていてよかったと思うのである。と同時に、現代の子供もこれを見ていたら、あんなに馬鹿ではないのだろうか、という思いが出てくる。しかし、馬鹿な子供のことだ、いまさら「フランダースの犬」や「小公女」などを見せても「ポケモンの方がいい」とか言い出すのだろう。

  今でこそアニメは子供のもの、一部のファンのものであり、娯楽性しか備えていないものになってしまったが、当時の「ハウス名作劇場」は道徳性をも備えていた。未来の日本を背負って立つ(到底そうは思えないのだが)、コギャルや馬鹿な子供が大人になって社会に出ていく前に、綺麗な心、正しい心を取り戻し、次の世代は、子供のときからそれらを学べるよう、「ハウス名作劇場」の復活を望む。最近になってラスカルだのハイジだののキャラクター商品が出回っているが、キャラクターをかわいいと思うのなら、お話も知っておいた方がいいだろう?

  しかし、もう手遅れなのかもしれない、と思わせる空しさが、現代の馬鹿な子供には漂っている。

 

 

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