そこは立ってもいい場所か?

  レジカウンターに立っていると、ドアの開く音がした。当店は自動ドアなので、ドアが開く時は、お客さんが来ましたよと知らせる、ピンポーンというチャイムではなく、ウィーンとドアが開く音それ自体で確認する。で、そのウィーンに対して「いらっしゃいませ」と言ってしまうのは、もう反射条件というか、職業病というか、というかんじである。 ドアの開く音で、私が「いらっしゃいませー」と言いながらドアの方を見ると、ドアは開いたのだが、誰も入ってこない。見るとドアの前に人が立っている。店を出たところでばったり会ったのか、一緒に店を出た連れなのかは分からないが、何やら話が弾んでいるようである。人が動くたびにセンサーに反応してドアがガーガー開いたり閉まったりする。

  オマエ等はそこで話をしなければならないのか?ほんの少しの移動もできないのか?今店を出たばかり(もしくは入ろうとしているところ)なのだから、自分がいる所がどんなところか分かっているはずだ!そこはオマエ等だけのための場所ではなく、客のすべてが出たり入ったりするための場所だ!ということは、当然他の客の迷惑になる。

  店を出ようとした客が、ドアの前に立っている人に驚いてか、一瞬体を後ろに反らして、本来ならば変更せずに済む進路を変更して、まっすぐ行きたいところを、その人をよけるために、回り込んで店の外に出て行く。こういう状況にあって初めて、そこに立っていた人たちは、店を出ようとする人のために少し体を動かしたりする。しかし、その場での話は続く。オマエ等は学習能力がないのか!!人がそこを通るその時だけ邪魔にならなければいいとでも思っているのか!?

  中にはそれで気がついて、ドアの前から移動する人もいるが、それは当然の行動であって、誉めるべきものでもなんでもない。    このようなことは、コンビニだけに見られるものではないと思う。以下に述べるのは、人がそこに立っているために私が困った例である。

  デパートのエスカレーターに乗ろうとした時のこと。エスカレーターに向かうと、そこにほぼ同時にエスカレーターに乗ろうとした二人組が来た。ところが、その二人組みはエスカレーターを前にして何か話し始めた。どうやら自分たちが買おうとしているものの売り場が、果たしてこのエスカレーターに乗っていけるのかどうか、といったことだった。私はその後ろでエスカレーターに乗りたくても乗れずにうろうろしていた。その二人組みを押しのけて強引に乗ってしまおうかとも思った。「そんなこと、先に調べておけ!」「乗るなら乗れ!間違ってしまっても大した時間ロスにはならないだろう!?」と叫びたい気持ちで、迷惑顔でうろうろしていると、その二人組みもやっと私の存在に気がつき、乗り口からよけた。あの二人組みは、そこは立ってもいい場所か考えてくれただろうか・・・。

  学校の駐輪所でのこと。授業が終わり、さぁ帰ろうと駐輪所から出ようとしたところ、駐輪所の出入り口に2,3人の学生が立っていた。どうやら自転車の友達を待っているらしい。しかも駐輪所に背中を向けて話をしている。彼女たちの友人であれば、気軽に声をかけてすんなり出て行くことができるのであろうが、まったくの他人の私はとりあえず困った。私は普段から自転車のベルはあまり鳴らさない。けたたましいし、何よりすごく無神経というか、意地悪な感じがしてしまうからだ。たいていの自転車にはついているものだから、私の気にし過ぎだとは思うのだが、やはりどうも苦手だ。鳴らすつもりもないのに、うっかり手が触れてしまい、チリリリリリン・・と鳴ってしまった時は、なんともばつの悪い気分を味わう。話がそれたが、とにかく、出入り口をふさぐように立っている学生にやきもきしながら、自転車をゆっくり進めて、声をかけようか迷っていると、その学生たちが私に気づき、事無きを得たが、もしも私がその時のっぴきならない理由で、死ぬほど急いでいる時だったら、けたたましくベルを鳴らし、一人くらいは跳ね飛ばしていたかもしれない。

  というわけで、出入り口をふさぐ行為は、人を非常に不愉快にさせます。なぜこんな事を改めて言わなければならないのか、疑問がないわけではないが、出入り口付近は立ち止まっていい場所ではない。コンビニなどならドアの前に敷いてあるマットの中、エスカレーターならその乗り口、降り口の前の金属のしましまの範囲。そこに立ちはだかってはいけません。おそらくあのマットや金属のしましまは、それをいわんとするサインなのだろう。そうではないとしても、私はそう思うことにした。おいこら、そこのドアの前に立ってるやつ!寒いぞ!!

 

 

Back