新年のご挨拶?
年の終わりも差し迫ってきた今日このごろ、みなさまいかがお過ごしでしょうか。来年は2000年ということで、世間ではミレニアムとか騒がしいですが、2000年はまだ20世紀です。そこのところお間違えのないように・・・。しかし、2000年というと、きりがいいのでやっぱり何か特別感じがしないでもない。しかも、私は来年の年女である。ま、感じがするというだけであって、これといって特別なことをする予定はないが・・・。
世間でも、そういう風に感じているだけで、特別なことは然してしていないようである。コンビニでも承っている、年賀状印刷の申し込みも、昨年と変わらない勢いである。このサービスは結構評判がいいのか、毎年かなりの申し込みを受ける。会社などの団体から、個人の申し込みもある。慥かに、カタログを見ても、なかなかいいデザインものもがあって、私も心引かれるものがある。
さて、そんなわけで、年賀状印刷の申し込みが増えてきて、店員も申し込み用紙の扱いにも慣れてきたある日、二人のおばちゃん客が店にやって来て「年賀状の印刷をお願いしたいんだけど。」と言ってきた。見たところ、予め申し込み用紙を用意している風ではなかったので、私はデザインのサンプルが載ったカタログと、申し込み用紙を渡して「必要事項を記入して、またご来店下さい。」と言った。すると、その申し込み用紙を一瞥したおばちゃんはこう発した「何でそんなめんど臭いことせんといけんのん。」
これからご挨拶をしようと思っている者にしては、なかなかのご挨拶ではないか。 慥かに、申し込み用紙には、住所、氏名、電話番号、または会社の住所や名前を記入する欄が、A4サイズの大きさ一面に設けられている。ぱっと見ではどこに何を書けばいいのか分かるはずもないし、すべてに書き込みをしなければならないのかと云う懸念が浮かんでしまうのも分からぬでもない。 しかし、自分の住所や氏名を書く事がそんなにめんど臭いことなのか?それとも、オマエはは店に来さえすれば年賀状ができるとでも思っていたか!?仮にそうであった場合、店員から問わせてもらいが、私がオマエの住所や氏名を識っているとでも思っているのか!?
申し込むという行為に対して、申し込み用紙の記入と云うのは、凡そ当たり前のことである。まして年賀状などの個人の情報をありありと顕しているようなものであった場合は、個人のプライバシーにも関わるので、店員と云う他人には介入能わざる行為である。それを受けて、めんど臭いとは、何を期待してのことであろうか。また、この紙一枚の記入が、どれだけの年賀状の記入を回避せしめているとお思いか。つまり、これ一枚書けば、オマエはどれだけ楽ができると思っているのだ!?
相も変わらず、年賀状印刷の申し込みは後を絶たない。上の例は極々一部に過ぎぬのだが、人間は楽を求める生き物である。年賀状の印刷が出来上がっても、宛名を書くのがめんど臭いと云う者が居るやも知れぬ。パソコンが普及してきた最近では、それに記憶させている住所録が、それを簡易ならしめていると云うところもあるであろうが、手書きで行う者もまだまだ多いはずである。それを助けるのはさすがに無理である。そんなサービスを求める者が出てこないことを祈る許りだ。
(注:諸処に平野啓一郎氏に影響されていると思われる表現が見られますが、一時的なものです。次作からは復元の文にてお届けしたいと思っている次第です。ていうか、この書き方は疲れる。)
(1999.12.12)
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