日本語の分からない人(その4)
昼でも夜でも、コンビニを利用する客が買っていくものの大半を占めるもの、それはその人にとっての昼食や夕食などである。女性客は、軽くおにぎりとサラダを買っていったりすることがあるが、コンビニで買う食事といって思いつくのは、まず弁当である。 別に彼らの食事のメニューが問題なのではない。弁当を買っていく客の多くが、弁当と一緒に買っていくものがある。何を隠そうお茶である。問題は、この弁当とお茶を買っていく客にある。
ある客がカウンターに、弁当と冷たいお茶を持って来た。他の方はどうか分からないが、私はこの、弁当と冷たいお茶という組み合わせは、結構店員泣かせだと思う。もちろん、弁当にお茶は付き物だ。私だってご飯の時はお茶を飲む。だから一緒に買っていく客の気持ちが分からないわけではない。しかし、売る側としては、それらを袋に入れなければいけない側としては、ちょっと困ることがあるのだ。
ご存知の通り、当店のレンジは、客が自分で使うセルフサービスのシステムになっている。予め弁当を温めてからレジに持ってくる客もいるが、たいていは会計を済ませてからレンジを使う、まぁ常識的な客である。(だいたい、会計の済んでいない商品は、まだ客のものではないのだから、客の好きなようにしていいはずがないのだ。)だから、店員にとって、客が持って来た弁当は温められるのかどうか分からない。しかし、弁当とお茶である。別々の袋に一つずつ入れるのは、なんとなく無駄なような気がしてしまう。これが、弁当とお茶とあと何かもう一品であれば、弁当は弁当の袋、あとは普通の袋に悩むことなく入れることができる、また、お茶が温かいものであれば、一緒に入れても然して問題ないだろうと思えるのだが、弁当と冷たいお茶だけである。そこで、客に声を掛ける。「一緒に入れてもいいですか?」と、ここで日本語の分からない人の登場である。彼/彼女はこう答える「温めます。」
改めて解説します。私は「いいですか?」と聞いたのに、返って来た答えは「温めます」だ。果たしてこれは、かみ合った会話と言えるのだろうか。私が欲しいのは、一緒に入れていいのか悪いのか、イエスかノーの答えである。私は何度「温めます」と答えられて「だから何だ!」と言ってやりたくなったことか。客の中には、温かい弁当と、冷たいお茶を一緒に入れても気にならない者もいる。しかし温かいものと冷たいものは別々に入れてもらいたい客もいるだろう。そういう意味を込めての「温めます」という返答なのかもしれないが、「いいですか?」という問いに対しての返答が「温めます」では、真のコミュニケーションが成り立っているとは言えない。言い換えれば、それではオマエの言いたいことが、こっちには伝わらないのだ。オマエ等は、弁当を温めたいという自分の願望だけが先走っているようだが、会計を済ます間くらい落ち着いてこっちの話を聞いたらどうだ!?
「温めます」という答えが、自分の願望を優先するあまり出てしまったものではなく、遠慮から出てしまったものだとして、一つ一つ別々の袋に入れてもらうのは、店員の手を煩わせることなのだろうかと、不安になる客の気持ちも分かる。しかしそれは、杞憂に過ぎない。だいたい、こっちから「一緒に入れていいですか?」と聞くのは、別々の袋に入れることも予想しての問いなのだから、煩わしいなどと思うことはない(と思う)。こちらの問いに対して、はっきり答えてくれないことの方がよっぽど煩わしい。聞かれたことに対して適切な返事ができるくらいの日本語力くらいあって然るべきだ。ないというのなら、オマエ等は一体今までどうやって生きてきたのだ!?
そして私は今日も「温めます」という答えに、その客をぶっ飛ばしたい衝動をぐっとこらえて、笑顔でカウンターに立っている。客は、まさかこんなところで自分の日本語力を試されているとは思わずに、店を出て行く。世の中が平和なら、それでもいいかと、ふと思う。
(2000.11.1)
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