気持ちは分かるけど

〜なぜだ編〜

  とある晩、少しお酒が入っているのか、ご機嫌な中年男性客がやってきた。家に帰ってからもう一杯するつもりなのか、おつまみ系珍味を2,3点と(当店はお酒を扱っていません)明日のことをそれなりに考えてかミネラルウォーターをカウンターに置いた。

「777円です。」バーコードを読み終えて私が言うと、その客は改めてレジを見直しにっこりして一言「フィーバーだ。」

  お約束といえばお約束だが、この客がパチンコ好きなのかもちろん私は知らない。おそらくパチンコ好きではなくてもこう言うだろう。フィーバーとまではいかなくても、そこには何かうれしさを感じさせるものがある。そもそも人はなぜゾロ目が好きなのだろう。その意識がパチンコから来ているのはおそらく間違いのないことだが、ではなぜパチンコはゾロ目、もしくは同じ絵柄が3つそろうと大当たりなのだろうか。やはり根底に「人はゾロ目が好き」の意識が流れているのだろう。実を言うと、その時パチンコをやらない私も少しばかりうれしいような気持ちを覚えたのだ。

  人がゾロ目が好きということを示す例は他にもある。無造作に買い物をした女性客に「999円です。」と値段を伝えると、驚いたような表情になったり、小さな声をあげたりして、やはり改めてレジを見直す。また、「662円です。」と言って「おしいっ。」と舌打ちする男性も見たことがある。そしてそのたびに店員の私もなんだかうれしかったり、おしい・・・と思ったりしているのだ。一時など「ゾロ目賞」なるものを作って、ゾロ目の値段、おつりを出した客には何らかの賞を与えてはどうか、と店長に申し出たことがある。それは冗談で終わったが、店員もこのように感じるほどだから、客にとってゾロ目の値段は何か賞をもらったようにうれしいものなのだろう。

  買い物をしてゾロ目の値段になるということは、確率的にそれほど珍しいことなのだろうか。確かに私は店員としては何度か目にしているが、自分がゾロ目の買い物をしたことはないように思う。買い物におけるその偶然性が、客のうれしさを引き出すのだろうか。しかしその偶然という事実は後から気がつくものであって、777円と値段を告げられたその瞬間はやはりゾロ目という視覚、聴覚といった速感性のある器官に訴えられたものだと思う。そしてその意識を作り出しているのはパチンコや銀河鉄道などの先入観なのだ。結局はそこに落ち着くのか、ということになるが、またパチンコの話に戻っても、タマゴとニワトリのようになるのは分かりきっていることである。偶然と先入観によるうれしさ、それがゾロ目の値段の秘密なのだ。

  最後に最近の経験から。客からお金を受け取っておつりの計算をしてみると、4444円だった。4ケタのゾロ目もまたすごい、と思う反面、やっぱり3ケタの方がキリがいい感じがするな、とも思った。そして4という数字もなんだか縁起が悪いような気がした。なぜだ? これもやはり、偶然と先入観が与えるのもなのだろう。 って、こんなこと感じるのは私だけなのだろうか?いや、「フィーバーだ」と言ってくれる客がいる限り、私は特殊ではないはずだ。

 

 

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