「沈黙は金の時代を求めて」（人魚姫その後）

　「違う、あなたを助けたのはあたしよ…！」声を失った人魚姫は、何度そう叫んだであろう。しかしその声が、王子に届くはずがない。陸にうちあげられた彼を介抱した娘を、すっかり気に入った王子は、嬉しさにのぼせ上がっていた。

王子の結婚式でにぎわう船室を尻目に、人魚姫はデッキから海へ飛び込んだ。

　それからほんの少し時間が経った。

　「ねぇ、一体いつまで海の上にいればいいのよ。」

主婦業を適度にサボることを覚えた女が、そのふくよかな体で、船内を落ち着かなくうろついている。

「毎日毎日毎日、陸も見えないところで、こう舟に揺られてたら、そのうちあたしは船酔いでまいってしまうわよ。」

「船酔いでまいるようなタマか。」その言葉を飲み込んで、王子は穏やかな風を装って妻を宥める。

「もう少しの辛抱だよ。この国は領土のほとんどが海に面していて、ここら一帯じゃ最強の海軍を誇っているんだ。父さんは僕の将来のために海上生活をさせてくれてるんだから。君だって僕が即位してから立派に海軍を率いることができたら嬉しいだろう？」

「はいはい、分かりました。とても昔嵐に揺られた舟から落っこちて、溺れかけた人の言葉とは思えないわ。」

　妻はあきれた顔で船室を出て行った。

「やれやれ、あいつがあんなに口うるさい女だとは思わなかった。」

王子は妻と入れ替わるように船室に入ってきたまだ幼い息子に話し掛けるともなく口を開いた。

「こんなことなら、あの口がきけない娘を選んでおけばよかった。海岸で拾ったどこの誰かも分からない娘だったけれど、あの娘はおとなしくてそれでいてよく気がついて、本当にいい娘だったなぁ…。あの女が僕を助けたのは自分だとしゃしゃり出てきたときにおかしいと思えばよかったのに。あの時僕はどうしてあんなに浮かれていたんだろう。」

王子はそこでやっと不思議そうに自分を見つめている息子に顔を向けた。

「いいか、お前は大きくなっても、母さんのような女を選ぶんじゃないぞ。」

「どうして？」

息子は猶も不思議そうに王子を見つめていたが、王子は一言、「そのうち分かるさ。」と言い放ち、大きなため息で会話を終わらせた。

ちょうどその船の下の海底では、人魚の魔女がなにやらまじないの呪文を唱えていた。

空が遠くから暗くなり始めていた。

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