第十四話・外伝の一:修の拳ふたつ

もどる

 

 銃器師団、格技場。
 主にCQC(クローズクォーターコンバット:近接格闘)訓練のために使用される屋内訓練場だが、時間の空いた腕に自信のある師団員たちが集まり、自らの力を試しあう武闘技場としても用いられている。
 タウンにおいては、CQCの需要は意外にも高い。人間相手よりも遥かにモンスターを敵とする場合の多いこの島では、銃では捉え切れないような相手に出会うことは少なくない。素手やナックル、あるいは小さなナイフのほうが銃よりも相性のいいモンスターなど数多くいるのだ。
 また、体内の気を操って殺傷力に転化する技術が編み出されてからは、達人ならば素手で銃使いを圧倒することも不可能ではなくなっている。
 何より、体を鍛えておいて損はない。極限状態で最終的に頼りになるのは自らの肉体なのだから。
 
 今日は雨天。そして、鬼の副長ことティスが非番ということもあってか、屋外訓練が行われておらず、いつもよりも多くの師団員がこの格技場へ集まっていた。
 仕官クラスにベテラン団員から新兵まで、ここ三日間のじめじめした天候に嫌気が差した者たちが、刺激を求めて足を運んでいる。
 勇猛を以って知る銃器師団でも、雨の日に外に出て泥まみれになるのは敬遠するようである。

 格技場の中央。
 用意されたマット上には二人の男が対峙していた。
 周囲には注目の対戦を一目見ようと、多くの団員が集まってきていた。
 二人の男のうち、一人は隻眼の戦士、風来坊。
 暗黒騎士だった過去もあり、銃撃戦だけでなく素手での近接戦闘にも並ならぬ自信を持っている。
 愛用のΞ社製ジャケットを脱ぎ捨て、上半身はシャツ一枚。軽くステップを踏み、体を温めている。
 対するは、ヴァイスという男だ。
 体格は風来坊とほぼ同じで、若干引き締まった印象。真っ白な格闘着を羽織り、頭は青いバンダナで縛っている。
 ヴァイスはこの格技場の長。すなわち、「CQC特別教官」という肩書きを持っている。
 階級は少尉で風来坊より二つも下になるが、このマットの上では風来坊のほうが挑戦者だ。
 精悍そのものの顔つきで、口は滑らかだが、眼光は鋭く風来坊を睨み付ける。
「さぁて、試合と担架の準備はOKかい?」
「ああ。今日は観客も大勢だし、そろそろやろうじゃないか」
 青いバンダナの男が視線を逸らさずに右手を挙げる。
 それに応えた一人の壮年の師団員がマットに上がった。審判の役を買って出たのだ。対戦する二人に、近くに寄るようゼスチュアする。
「では、いつも通りのルールで。一本勝負です。始め!」
 熱のこもった審判の合図を受け、周囲の観衆も連鎖的に加熱したような興奮を見せた。
 両者に声援を送る者、野次を飛ばす者、一挙手一投足を細かく論評しようとする者、様々だ。
 師団の規制で賭け事が禁止されている事が口惜しいといえば口惜しいところだ。

 風来坊とヴァイス。二人はほぼ同時に動いた。
 まずはショートレンジでの殴りあい。
 両者とも、パワーには自信がある。まともに入れば、それ一発でノックアウトの危険性を孕んでいる。
 どんどんと距離を詰めて、破壊力と回転力のあるパンチを繰り出す隻眼の兵士に対し、教官は自在に間合いを変え、キックを織り交ぜたコンビネーションで攻め上がる。
 タックルを使用してグラウンドでの戦いに持ち込まないのは、派手な戦いを期待している観客に対するサービスといったところか。

 試合開始からおよそ二分。
 白熱した戦いに魅入られたか、声を出すものは誰一人としていなくなっていた。
 二人の腕と足が空を裂く音、そしてそれに合わせた呼吸音が響く。
 お互いに、どこか戦いを楽しんでいるかのような表情だ。
 的確に相手を捉えてはいるが、いずれの攻撃も致命打には及ばない。
 ヴァイスの回し蹴りを風来坊が左腕でブロックする。打撃音が響き、両者の汗が飛び散る。

 近距離の形勢は互角と見たバンダナの男が、相手の連続攻撃の切れ際、スタミナが一瞬尽きた隙を狙って、特殊なステップで一気に間合いを広げた。
 「弓身弾影」あるいは「残影」と呼ばれるテクニック。もはやそれは、瞬間移動といって差し支えない。
 この技術があるからこそ、彼はCQC特別教官という地位に居座っているし、この格技場のチャンプとして君臨し続けている。
 こちらに遠距離攻撃の手段が無い以上、この間合いを保たれるのは不味いと判断した風来坊は一気に前進する。
 しかし、スタミナが切れていれば自然と足も鈍くなる。
 隻眼の男が至近に迫るよりも早く、バンダナの男は次の攻撃に移った。
「こォォォォ……ハァッ!!」
 一瞬で息を整え、勢い良く突き出した掌から、光をまとった球体が発射される。
 彼の離れ技である、気弾を放つ大技――「弾指神通」である。「指弾」と呼ぶものもいる。
 高速で迫る光の弾丸に対し、歴戦の兵士は両腕をクロスして防御する手段に出た。
 ばちぃっ、という破裂音が響き渡り、防御した両腕は大きく弾かれ、両足は大きく体制を崩す。
「ん…ぐぅ!」
 この一撃で倒れなかった彼は、賞賛されるに足るだろう。
 だが、慌ててバランスを取り戻そうとする彼よりも素早く、対戦相手は右側方へと瞬間移動していた。
 間合いを外し、遠距離から仕掛け、怯んだところで再び間合いを詰め、本命の攻撃に移る……。教官にとっては、気を操る大技でさえコンビネーションの繋ぎなのだ。
 次の瞬間、風来坊は脇腹に鈍い痛みを覚え、そのまま空中へ吹っ飛ばされていた。
 ずだん、と衝突音が響く。
 ヴァイスの掌底が、がら空きになったボディに決まったのだ。
「がはっ……」
 師団屈指の勇者と呼ばれる男の顔が苦悶の表情を浮かべた。
 歯を食い縛り、脂汗がにじみ出る。見るからにダメージは相当なものだ。
 しかし、なおも立ち上がろうと最後の力を振り絞って片膝をつく。
 ……だが、ここで、審判は試合を止めた。
 ノーガードの部位にクリーンヒットを受けるということは、戦場ではそれすなわち死を意味する。
 訓練の一環であるこの試合も実戦を想定しており、先ほどの一撃で彼の敗北は決定していたのだ。
「勝負あり! ヴァイス少尉の勝利です!」
 審判が左手を挙げて勝者を称えると、沈黙していた観客がどっ、と歓声を上げた。



 談話室のソファに、シャワーを終えたヴァイスが腰掛けている。
 水気をふき取ることもそこそこに、上半身裸で肩にはタオルをかけ、紙コップに入ったドリンクをすすっている。
 首には戦槌を模したやけに大きなネックレスが下がっており、筋肉質の肉体に実に不釣合いである。
 彼は銃器師団所属の教官ではあるが、同時に神(オーディン)を崇拝する修道士でもある。非番の日や日曜日などは、タウン中央正教会に必ず顔を出している。
 ヴァイスが座るソファの後ろで、大きく低い声が響く。
「お疲れ。今日はいい所無しでやられちまったな」
 風来坊である。
 ネックレスを下げていないこと以外は、教官とほぼ同じような恰好をしている。
 もちろん手には紙コップ。安物の珈琲の香りが漂う。
「今回は五十八点って所だな。C評価にはもう一歩だ」
 振り向いて、ヴァイスは応えた。
「やれやれ、俺の時だけ採点がきつい気がするんだが」
「他の連中がお前と同じように動いたら、百点満点中百五十点は固いんだがね」
「やれやれ……」
 おどけた表情を見せる二人。
 ついさっきまで殴り合っていた仲とはとても思えない。
 風来坊は自分の徒手空拳技術の師としてヴァイスを認めているし、ヴァイスも団長ジオを守護する勇士として風来坊を認めているのだ。
「腹のほうは大丈夫かい? 一応言っておくが、手加減したつもりはないからな」
「大丈夫じゃなきゃ、珈琲片手にお前の前には現れないさ。そもそも、お前に慰められるほどヤワじゃないぜ、教官?」
 精一杯強がりを言ってみせる風来坊。正直なところ、掌底を受けた脇腹は鈍痛が引かない。
 だが、友人にいらぬ心配をさせたくはないし、何より癪だった。
 どかり、と隻眼の男がネックレスの男の隣に腰を下ろす。
 三人分のスペースが二人だけで埋まった。
 そして、二人同時に紙コップの中身に口をつけ、喉を潤す。大した味ではないはずだが、汗を流した体にほどよく染み入ってくる。
「時に、この前の遺跡探索ミッションでは、災難だったそうだな」
 ヴァイスがおもむろに問いかけた。
 体に似合わず、相変わらずこの男は耳聡いな、と風来坊は思う。
「団長に口止めされている部分もあるから詳しくは言えんが、まあ、その通りだったな」
「開発区にいた五十名もの人間が皆殺しか。想像するだけで寒気がするぜ」
「臨時でパーティに加わった二人の冒険者がいなかったら、俺たちも生還できたかどうかは解からん」
 ここでネックレスの男が目を光らせた。眉を吊り上げ、不審そうな顔をする。
「臨時で二人? そいつは初耳だ。どんな奴らだった?」
「お前でも知らない事があるんだな。二人とも大陸から渡ってきた冒険者らしい。一人はウェルトという剣士だ。荒削りだが、剣の腕は俺が太鼓判を押せるね。最下層にいた竜にトドメを刺したのもこいつだ」
「お前が荒削りって言うくらいなら、相当荒いんだろうな。一度手合わせしてみれば解かるが」
 風来坊が暗黒騎士だった頃の荒々しい戦いぶりを知っているヴァイスは、ここぞと茶化す。
 今は剣を銃に持ち替えている隻眼の男は、昔のことはよしてくれ、とお手上げのポーズを取る。
「で、もう一人は女の総括術士だ。リーネといったかな。彼女の中和呪文(ニュートラルマジック)が無ければ、今頃スノー少佐は消し炭だったところだ」
「ほう、総括術士か。学者がこの島に首を突っ込むようなご時世なのかね、今の大陸中央政府(ミッドガルド)ってのは」
 複数の系統に跨って術法を操る総括術士を、学者と評して斬って捨てたところは彼らしい。
 戦闘においても、他のことであっても、あらゆることを一通りこなせる者は重宝されるが、それは平均的なオールラウンダーが好まれるという意味ではない。
 何かに突出して秀でた技術を持つ方が、パーティメンバーとして価値がある。ヴァイスはそう考えている。
 そう、彼自身が徒手空拳を極めたように。
「彼らは楽園伝説にあるという楽園(エデン)を探し求めていると言っていた。大陸中央政府からの回し者って訳じゃないぜ?」
「解かってるさ。ミッドガルドからしてみれば、こんなちっぽけな島なんざ存在自体が忘却の果て、だろうしな」
 少々話題が逸れかかったところで、風来坊が修正を試みる。
「楽園伝説、エデン……。日々是戦いの俺には馴染みの無い話だが、楽園なるものは実在するものなのかね、修道士様?」
 ヴァイスのもう一つの顔、修道士の名を出して彼を刺激する。
 しかし、彼も「そんな御伽噺、知ったことじゃない」と言いたそうな顔で頭を振るだけだった。
「エデンだかオデンだか知らねぇが、何を以って楽しい園とするかが問題だな」
 楽園伝説自体は二人とも聞いた事がある。だが、それは本当に実在するものなのか……真剣に考えたことは無かった。
 銃器師団に在籍している以上、楽園とは探すものではなく、自ら建設するものだからだ。
「そうだなぁ。とりあえず、俺はこの銃器師団が俺にとっての理想郷だと確信してるね」
「ほう?」
「ジオ団長を守り、タウンを守り、暇ができればお前と殴りあったり酒をあおったりできる。これほど充実できる理想郷はあるまい」
 冒険者の行動に対しては、原則「我関せず」。それは最初から出ていた当たり前の答えだ。
 真面目に自らの理想を語る風来坊に対し、ヴァイスはやはり真面目には取り合わなかった。
「それは彼らの言う楽園とやらとは違うんだろうな。ま、俺にできることは祈ることだけさ。汝の雄々しき魂に、我が主オーディンの加護あらんことを」
「こういう時ばかり、聖職者面するのはよくないぜ?」
 両者は同時に、大きな口で笑い声を上げた。

上へ