第十四話・外伝の二:理想主義者への贈り物

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 三日の間降り続く雨は未だ衰えることを知らず、むしろ雨脚は強さを増しているようにも感じる。
 魔学を修める彼女にとって、雨とは天から遣わされる生命の源であり、雨音は心を落ち着かせる癒しの力である。
 しかし、それを理解できたとしても、やはり生理的にはこの雨を忌み嫌ってしまうものなのである。
 人間とはそういうものだ。
 開放と閉塞。例えただの気分だとしても、このバランスは保たねばならない。

「あの莫迦、一体どこまで散歩に出かけたのかしら」
 寄宿舎の用意された一室で、リーネは相棒の行動に腹を立てつつ、ため息をついた。
 いい散歩道を教えて貰ったとかで、ぐずついたこの天気も顧みずに傘すら持たず部屋を飛び出して行ったきり、数時間経って戻ってくる気配がない。
 とばりが辺りを覆うにはまだ少し間があるだろうが、雨がこれ以上酷くならないとも限らない。
 大方、散歩道の途中でたまらず引き返して、中央通りのアーケード辺りで雨宿りでもしてるのだろうが、待っているこちらの身にもなって欲しいものである。
 心配はしていない。何かに巻き込まれたとしても、護身の心得は当然彼にはあるし、あれでなかなか抜け目のない男なのだ。
 それよりも、風邪にでも罹ったらどうするつもりなのだろう。ただでさえこのギルドには世話になっているというのに、医療班の手まで煩わせることにでもなったら、目も当てられまい。
 ずぶ濡れで帰ってきたら、どんな言葉で怒鳴り散らしてやろうか。そんなことを考え、ぱたん、と途中まで読んでいた魔道書を閉じた。
 魔道書といっても、大したことは書かれてはいない。魔術師学校の中等部程度の学徒ならば、辞書とにらめっこで何とか理解が可能なレベルの難解度で、リーネにとっては手元の文庫本と同じくらいすらすらと読める。この本は、暇潰しがてらにギルドの書庫に案内してもらった時に借りたのだが、やはり、銃士の集まるギルドでは魔学は専門外らしく、高等な魔道書など在庫にはないのである。
「本も飽きちゃったし……明日は雨でもショッピングに出かけたいわね」
 路銀には乏しいが、一日を楽しむ位は勿論持っている。先の遺跡探索で派手にほつれてしまった衣服も修繕に出したい。思い切って新調してしまうのも悪くない。
 ウェルトも、さすがに深夜までには帰ってくるだろう。有能な荷物持ちと荷物を持たせる口実があるというのは楽だ。
 靴を履いたままベッドに横になり、明日の計画を算段する。美味しい料理店を、誰かから聞き出しておきたい。
 雨音が、鬱の音から躁の音へと変化したように感じた。

 リーネの頭脳が明日の予定を構築している最中、突然、とんとん、と控えめにノックの音が響いた。
「あ、はい?」
 一瞬、相棒が帰ってきたのではと考えるが、すぐに自ら否定する。
 相棒ならノックなどしないし、そもそも控えめにドアを叩くこともできない。
「こんにちわ。リーネさん、いる?」
 ドアの向こうから、ちょっと惚けたような若い女性の声が聞こえた。一人部屋のこの部屋にはリーネしかいないことは解かりきっているのに、わざわざ確認するところは茶目っ気のつもりなのだろう。
「リーネさんは銃器師団の寄宿舎で暇を持て余しているそうですよ。鍵なら開いてますので、どうぞ」
 こちらも洒落を効かせて応対する。
 と、同時にベッドから飛び起きて、窓際の椅子に座る。例えどんなに親しい相手でも、寝転がったままではさすがに失礼だ。
 ドアが開く。
 開けた主は小柄な若い女性だった。栗色の、髪の量の多いポニーテール。髪と同じ色の瞳はアーモンドのように大きく、愛嬌のある顔立ちは森に棲む小動物を連想させた。
 リーネと最初に出会ったとき、彼女は闇に溶け込むような忍び装束を着込んでいた。だが、今は麻で織られた普段着を身につけており、一見しただけでは普通の町娘と何ら変わらない。
「数日振りですねー。ウェルトさんの部屋にも行ったんですけど、いらっしゃらないみたいなので、こっちにお邪魔しました」
 間延びした口調。決して大柄な怪物相手には適当とは言えない忍者刀やクナイで、並み居るミノタウロスの大群相手に奮闘した、あのくノ一と同一人物の台詞とは考え辛い。普段と戦時とのギャップが激しいタイプだ。
「そうですね、TOMOさんも息災で何よりです。ウェルトはちょっと買出しに行っているので……」
 再び冗談を挟む。数日しか経っていないのに、息災も何もないものだ。
 相棒のことについてはさらりと嘘をつく。雨音も一層激しさを増してきた。本当の事など、馬鹿馬鹿しくて言えない。
「で、今日は何の御用ですか? 手に持っているものを見ると、何かの差し入れのようですが」
 TOMOが提げている荷物を、総括術士の眼は見落とさなかった。その紙袋には、大陸中央政府(ミッドガルド)でも有名なブランドのマークがプリントされていたのだ。ちょっとした消耗品か、それとも保存の利きそうな食料か。貰える物は、面倒事以外は貰っておきたいものである。
「えへへ。リーネさんに気に入ってもらえるか判んないんだけど、こんなのを買ってみたんですよ。着けて貰えたらなぁ、って」
 町娘にしか見えないくノ一が、町娘としか思えない照れ笑いをしながらごそごそと紙袋の中身を漁り、何かを取り出して見せた。
 髪飾り――サークレットと呼ばれる装飾品だ。集中力や魔力を高める効果があるとされ、魔術師たちに好んで使われている。ただ、これは普通に見かける普通のサークレットとは違って鈍い銀色をしており、魔法鋼(ミスリル)製である事が見て取れる。
「あら、これは立派な髪飾りね。……で、でも、こんな高価なもの、頂いちゃっていいの?」
 先ほどまで冗談を仄めかしていた総括術士が思わずたじろぐ。
 魔法鋼は貴金属並みに高価な代物である。装飾もかなり精巧で、しかも中央には小さいながらもルビーと思しき宝石が嵌め込まれている。
 リーネはそれほど興味がないのだが、その手の蒐集家に売ってしまえば、一年は慎ましく暮らせるくらいの金額になることくらいは解かる。
「もちろん! あたしが着けてちゃ変でしょ? この間、助けて頂いたお礼ですよ」
 確かに隠密行動を取る仕事に携わる人間が、こんなに目立つ装飾品を頭に据えたら変である。
「ちょっぴり高価な代物なのは確かですけど、そんなのは気にしないで。助けて貰えなかったら、プレゼントを渡すことだってできなかったんだから」
「うーん……」
 リーネは受け取ろうか悩んでしまった。そもそも、リーネとウェルトは彼女と彼女に同行していた筋肉質の老人を助けた礼として、ここに滞在させて貰っている。それでギブアンドテイクは成立しているはずだ。にも拘らず、その上にこんな高級品を受け取れと言われると、いかに先立つものに不安のあるリーネでも、ちょっと身構えてしまう。
 しかし、くノ一はそんな総括術士の葛藤を読んだのか、決定的な言葉で諭そうとする。
「それに、あたしはこれでも『銃器師団』の一員なんですからね。命張ってるだけあって、これでもお給料は結構いいほうなんですから♪」
 基本的にオウンリスクである冒険者にとって、この言葉は効果的だった。タウンの護衛軍として資金面の庇護を受けている彼らとは、生活水準が根本から違うのだ。
「うーん……」
 再びリーネが唸った。が、悩んでいるのではなく、これはぐうの音が出たとでも言うべきか。
「正直、冒険者のわたしには高すぎる品物だけど、折角選んでくれたみたいだし喜んで頂くわ。ありがとう、大事に使うわね。銃器師団の方達って、みんなこんなにセンスのいいプレゼントをするのかしら?」
 皮肉と冗談が混じったような褒め言葉で、リーネは謝す。
 それに対して、TOMOは裏表のない真面目な答えを返す。
「さあ、どうでしょうか。でも、ウチの団員って結構お洒落な方が多いですし、気の利いたプレゼントはすると思いますよ。あたしにとっては、副長なんて憧れの的ですしー」
 瞳をキラキラと輝かせるくノ一。仕事中にこんな眼をしていたら、すぐに敵に見つかってしまうだろうな、と術士は苦笑する。
 彼女の憧れの的を、リーネは開発区の合同葬儀の時を始め、何度か拝見している。銃器師団副長、ティス=ロゥ。一見、男性と見紛うほど凛とした雰囲気を漂わせる、スーツ姿の女性。事実のところ、初対面の時は線の細い男性だとばかり思っていた。それだけの完璧さがあったのだ。あの風体でギルドのナンバー2に収まっているのだから、下の階級の者が憧れるのは無理もない。
「あ、そうそう」
 キラ星の瞳を元に戻し、再び紙袋の中にがさごそと手を突っ込むTOMO。
「老師からウェルトさんにもプレゼントがあるんですよー。ほら、これです!」
 くノ一が取り出したものは、大きな包み紙にくるまれていた。また渋られると困るとでも思ったのか、やや強引にリーネに押し付けるような形で手渡す。
 外見から察するに、衣類か何かのようだ。贈り物の主である「老師」こと筋力んは、TOMOよりも三階級も軍位が上と聞く。ということは、やはりこれも……かなりの高級品なのは間違いないだろう。
「私だけでなく、ウェルトにまで……。あとで本人をお礼に向かわせますね。何時帰ってくるか解かりませんけど」
 雨宿りなどすぐに止めて早く帰って来い、と、心の中で相棒を罵る総括術士。
 こんなに贈り物を貰うなど予想もしていなかったリーネは、一生分の運を使ってしまったかのような錯覚を覚えて、先ほどから少し眩暈を起こしている。冗談を考える暇もない。
「中身は見てのお楽しみ、だそうですよ。老師って以外にお茶目なところがあるんですよね」
 愛らしくまばたきしながらTOMOが解説を入れる。
 お茶目……。
 ブランド物のタキシードとかだったらどうしよう、と、頭が混乱するリーネ。そんな物を貰っても使い道に困るし、そんな高級品を無碍に処分するわけにもいかない。
「さて、そろそろあたしも任務があるので、お暇しますね。今度は一緒にお茶でもしましょうね♪」
「あ、はい、そうですね。お茶くらいは割り勘でお付き合いしますよ」
 精一杯見栄を張ったが、それが虚勢なのは自分自身が痛いほど理解していた。

 にこにこと笑い、手を振りながら、TOMOがドアを閉める。
 閉め切ったところで、彼女は天を仰いだ。
 そして、誰にも聞こえないような小声でひとりごちる。扉の向こう側には、彼女の命の恩人が、美味しい料理店の在り処を聞き出そうとしたのに、勢いに押されてすっかりと忘れてしまったことに気付き、がくりと肩を落としている。
「はぁ〜。仕事とはいえ……恩人を騙すなんて気が引けたわ……」
 小さく頭を振り、普段の、そう、くノ一としての目つきを取り戻す。
 首から上の表情は、忍びの者のそれに相応しく、白刃の如き鋭さを閃かせていた。
 雨音にかき消されてしまうとはいえ、町娘としての足音を残さずに立ち去ってしまったのは、まだ彼女が修行不足だったともいえるのだが。

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