第十四話:理想主義者の雲の上

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 時は少し遡る。
 無表情な受付に、スノーは市庁舎最上階の一番奥、第三会議室へ案内されていた。
 第三会議室。五人から十人程度を想定した、最も小さい会議室である。

 硬く、重い扉を前に一度息を吸う。
「スノーです」
「どうぞ。お入りになってください」
 ノックをすると、すぐに返事が返ってきた。
 歌うような美しいメゾソプラノ。市長の妻――いや、今はギルド「ドミニオンズ」のマスターと言った方が妥当か――ひろこの声だ。
「失礼します……遅くなったようで、申し訳ありません」
 会議室内を見渡すと、空いている席は手前の左端にある一つだけ。どうやら、自分の到着が一番最後だったらしい。
「いや。我々も先ほど揃ったばかりだよ。すまないね、こんな雨の中……」
 空席の対面。市長、すなわち、ギルド「ドミニオンズ」副マスターであるひろが答えた。
 スーツを過不足なく着こなし、髪も完璧に整えてはいるが、頬はこけ、目じりにはうっすらと隈ができていた。
 それでも傍らには、トレードマークでもあるギターが立てかけられている。
 市長に促され、眼鏡の男は宛がわれた席に手をかける。
 彼の隣には、団長ジオ、さらに隣には参謀京が座っている。
 雨の中訪れただけあって、両者とも、スノー同様に肩の辺りが雨滴で濡れている。
 オールバックの黒髪はやや俯き加減、若草色の長髪はいつも通りの不敵な笑みを浮かべて、本題である会議の始まりを待っているようだ。
 会議室としてはいささか大仰な椅子に腰掛けたところで、スノーは、このような場ではあまり見かけない人物が混じっていることに気付いた。
 対面の席の右端、京と応対する場所に、大柄な冒険者が座っていた。
 ラムタラ=レオナールである。スノーの動作には一瞥すら与えず、黙々と分厚い魔道書を読み耽っている。
 この男は明らかに三対三の状況を作り出すために呼ばれた、頭数あわせ。そうスノーは直感する。
 本来ならば、ひろこの左にはプリンセスガードたるニルム=クリムズが座るべきなのだ。
 その紅の剣士が欠席ということは、なるほど、あちらさんはあまり上手くはいっていないのだな、と推察する。そして、こうも容易に推察を許してしまう時点で、相手のギルドマスターは思慮が足らない、そう評価もする。
 この事は無論、団長や参謀も気付いているのだろう。
 相手の意外な面子に、口を挟むことも訝しげな表情を見せることもない。

「スノーさん、何かお飲み物は要りませんか?」
「いえ……別に構いません……。それよりも、とりあえずお互いに人数も揃ったようですし、本題に入りませんか?」
 気さくに訊いてきたプリンセスの勧めを遮り、話を進めようと提案する。
 そう。ドミニオンズ相手に馴れ合う必要はないのだ。
 彼女が豪奢といって差し支えない純白のドレスを身に纏い、深炎の王冠――元々絶大な彼女の魔力をさらに増幅させるマジックアイテム――をその柔らかな金髪の上に戴いている以上、あちらさんは場合によっては力でこちらを押さえ込む意図がある。臨戦態勢なのだ。
 わざわざラムタラまで呼びつけて三対三の状況を作ったというのは、そういうことだ。
 仮に交渉が決裂し、最悪の事態として一触即発になったとしても、お互いの戦力差を拮抗状態、あるいは、僅かでもドミニオンズ側を有利に保つため。
 まるでどこかの休戦協定のようだな、とスノーは自嘲する。少なくとも、外見上は同盟状態にある、タウン最大規模のギルド同士による首脳会議には見えない。

「そうだね……今回は、いや、今回もだが、腹を割って話をしたい。なので、六人それぞれのスタンスを崩さずに会議を行おうと思う。ジオさんもサングラスを外したくなければ外さなくてもいいし、私もギターは手放さない」
 無頓着で個性的なマスターに対し、副マスターのひろは比較的調和を気にかける。
 これは、自分自身の冷たい瞳を嫌うジオを気遣うと同時に、ラムタラに対する追及を逃れようと繰り出した方便でもある。
 市長職は勿論のことだが、副マスターとしての仕事も存外に大変なものなのかもしれない。
「お気遣いありがとうございます。プリンセスの前で失礼とは存じますが、このままで会議に参加させてもらいますよ」
 ジオが返礼する。それと同時に、ひろこに対しては世辞を忘れない所はさすがだ。
 確かに、オールバックの男の瞳は、長い間戦友として共に歩んできたスノーから見ても恐ろしいものがある。
 凍てついた刃、飢えた孤狼、刀の煌き、悪魔の視線……いかなる比喩でも表現しきれない「力」とも言うべきものが、サングラスの裏側には宿っている。
 彼は、その眼力で意図せず他者を恫喝してしまうことを恐れ、常はサングラスを外そうとしない。
 無論、立場上、公の場で外す機会は多いのだが、極力他人と視線を合わせないようにしているし、そうする事が彼の癖にもなっている。
 腹を割って話したい、という市長の言葉が真意からならば、これは正しい判断だったと言えるだろう。
「さて……じゃあ、まずはこれをじっくり読んで貰いたい」
 ひろが場にいる全員に書類を手渡す。プリント十数枚程度の簡単なものだ。
 銃器師団の三人は、ぱらぱらと書類の中身を捲くる。
 ドミニオンズの二人も、内容の確認のために、一通り目を通す。
 ただ一人、黒マントの冒険者は相変わらず魔道書から目を離さないし、そのことに関して誰も咎めようとはしない。
 ――それは、ある意味賢明だったのかもしれない。
 書類の中身には、度重なる兵役によって徐々に疲弊しつつあるタウン警備隊の状況、タウン執政部の慢性的な資金不足、それに伴ってタウン全体の治安が悪化していく悪循環、そして、先日の開発区の総撤退によるタウンへの打撃など、目を覆いたくなるような現状がグラフつきで、皮肉なことに、非常に解かり易く解説されていた。
「うんざりしますね」
 速読の心得でもあるのか、ものの数分で読みきって書類を放り投げた京が第一声に、そして明確に感想を述べた。
 内容はよく表してはいるが、発展性はない。
 参謀としてその頭脳に定評のある緑髪の男がそのような発言をしたということは、資料の情報だけを見る限りタウンの未来は既に「詰んで」いることを意味する。
 京は両手を頭の後ろに組み、虚空を眺めた。もちろん、不敵な笑みは崩さずに。
 頭の回転が速いことを自慢するわけではないが、こういう仕草で他者の理解力が自分に追いつくまで待つのである。
 これを不遜と呼ぶ人間は、今いる五人の中には誰もいない。
 若草の脳細胞は、智謀のスペシャリストなのだ。

 雨は、先ほどより酷くなってきたようだ。
 雨粒に叩かれた窓硝子が悲鳴を上げる。風も強い。
 この勢いだと終日降り続くだろうな、と一人呑気に京は窓硝子に耳を傾ける。
「やはり、開発区撤退の打撃は大きいようですね。対モンスター戦の橋頭堡としても機能しうる場所でしたし、タウンの防衛にも影響が少なからず出るかと思われます」
「しかしながら、同じものをもう一度作れるほど、今のタウンには財政力がありません」
「かといって、このまま専守防衛を続けたところで、いずれはジリ貧、か」
「銃器師団とウチの特殊戦術教導団、さらに王女親衛隊(プリンセスガーズ)を合わせたところで、遠征には絶対数が足りません」
「そもそも、それではタウンを空にすることになります」
「守るにしろ、城壁の内側さえ安泰ならば大丈夫というわけでもありませんし」
「今ですら港を押さえられれば、退路を絶たれる危険な戦況ですしね……」
「そうね。悲しいことに、これがタウンの現状。このままでは遅かれ早かれ、タウンそのものが破綻をきたすわ」
 京、ラムタラを除く四名が意見を出し合う。
 結論は京が先ほど脳内で出したものと同じであった。

「そこで」
 待ちくたびれたように参謀が、若干大げさに口を開いた。
 生欠伸を繰り返していたせいか、目が涙ぐんでいる。
「ドミニオンズには、この絶望的状況を打開する起死回生の案がある……というわけですね、市長?」
「ああ。さすがに察しがいいね」
「もしも案がなければ、我々を呼ぶ必要がありませんからね。もうダメだから、皆で逃げよう♪ ……それで終了ですから」
 さも悪意はないかのように、くすくすと京が笑う。
 彼の智謀に一言が多いのはいつものことだ。
「で、その案とは一体?」
 棘のある京の一言を包むように、ジオが問いかける。
 微笑を秘めたひろこの赤い果実のような唇から、意外な固有名詞が飛び出した。

「タウン非公認のギルド『ゼーレ・デス・ヘンドラーズ』、通称ゼーレについてはご存知ですか?」
 その名を聞いた瞬間、ジオの顔が僅かに歪んだ。
 京は、ああやっぱり、といった風情でひろこに好意とも悪意とも取れない視線を送る。
 二人とも無言。その無言は、ある意味抗議の意図が含まれていた。
 ゼーレに対して思うところのない左端の眼鏡の男が、一人だけ表情を変えずに応対する。
「ええ、知っています。タウン郊外に居を構える商人ギルドでしたよね? 最近では多くの魔術師を引き入れ、学術系のギルドとしても名が知られてきていますが……」
 公認ギルドの幹部ならば誰でも知っているような当たり障りのない返答。
 ジオの微妙な表情の変化に気付いたスノーは、相手の言わんとすることを引き出すため、あえて会話では受けに回る選択肢を選んだ。
「そうです。書類の最後のページをご覧になれば解かるとおり、ゼーレはいまや、日の出の勢いといっていいほどの成長を見せており、その影響は看過できません。元々が商人ギルドということもあり、タウンの経済の数割を牛耳っているのが現状です。言ってしまえば、ゼーレが非公認ギルドとしてタウンに非協力である以上、執政部の財政が圧迫され続けることになる、ともいえます」
「そして、全てが悪循環でうまく行かなくなる。ゼーレのこの立ち位置はタウンにとって害であると考えています」
 市長ひろが説明を行い、プリンセスひろこが乱麻を断った。二人の性格がよく分かる。
「で、そのゼーレをどうするわけですか? 公認ギルドへの昇格に関しては、我々には決定権がないはずですが」
「ゼーレの協力を取り付けるよう、銃器師団には尽力してもらいたいのです」
 今度はスノーの顔も一瞬変わった。
 財政難に対し、それを補うパトロンを味方に引き入れる。考えとしては間違っていないが、相談する相手を間違えている。
 銃器師団はその名の通り、銃士を中心として集まった戦闘向きのギルドである。
 京のような権謀術数に優れたものもいるにはいるが、対外工作に関しては殆ど実績がない。
 それにも拘らず、プリンセスや市長が師団にゼーレとの交渉を持ちかけることに疑念が湧くのは当然と言える。
「交渉は我々の専門外です。ドミニオンズのほうが適任かと思いますが?」
 若草の参謀が問いかける。今まで以上に不敵な笑みを添えて。
 ネタは解かってるから、せいぜいあちらさんが言うまでからかってやろう、そんな思惑が見え見えである。
 これには市長が答える。
「我がドミニオンズも、いろいろと手を尽くしてきました。しかしながら、ゼーレの方が首を縦には振ってくれないのです。先日、遂に見かねて王女親衛隊を派遣したのですが、ニルムさんですらほうほうの体で逃げ帰ってくる始末で……」
 市長はさも深刻そうな顔を浮かべているが、内容から察すれば半分は演技だろう、と京は考える。
 プリンセスガーズを派遣したのは、当然ひろこの方だろう。人選を誤っているとしか言えない。
 女性に対して押しの弱い、あの「紅のベニー」では、あの彼女の破天荒さには手も足も出なかったろう……可愛そうに。
 京は心から、タウン最強と謳われるプリンセスガードに同情の念を送った。
「ニルムさんが為し得なかった相手に、我々が行った所で二の舞では?」
 ゼーレのマスターがどんな人物かよく分かっていないスノーが、難しい顔をしてひろとひろこを見やった。
「ジオさん。あなた、ゼーレのマスターとは旧知の仲だそうですね? そのコネクションを利用してこちらへの協力を促してみてはもらえませんか?」
 ひろこの台詞を聞いて驚いたスノーを尻目に、ほらきた、と京は今度はジオに対して同情の念を送った。
 交渉事にコネクションを利用するのはセオリーではあるが、利用するなら自分たちのコネクションだけにすべきだろう。
 ドミニオンズがその名の通り、タウンの「支配者」であるにも拘らず、公認ギルドの上層部には不信感を募らせる者が相当数存在している所以である。
 それに、このコネクションを語るということは、己の経歴を表に出そうとしないジオにとっては過去を詮索されたと同義であり、気持ちのいいものではない。
 プリンセスはともかく、市長はこれが下策であることは承知の上なのだろう。
 必死に押し隠してはいるが、切羽詰っているのは明らかである。
 さて……団長はどう出るか。いや、もう答えは出ているか。あとはどれだけ支配者側から譲歩を引っ張り出させるかだな……。
 参謀が心の中で、ぺろりと舌なめずりした。

 ジオは無言のまま、懐から取り出した煙草に火を点け、ゆっくりと吸った。
 本来、禁煙のこの部屋だが、異は誰も唱えない。灰皿はひろが用意する。
 顔を上げ、中空に煙を吐き出す。空調は整っているが、狭い会議室。煙は辺りを覆うように広がった。
 四分の一ほど吸ったところで、サングラスの男はようやく口を開いた。
「このコネを使われるのは、あまり気乗りしないんですがね」
 充分に時間を取ってから、苦々しく否定的な態度をとる。
 戦闘第一と云われる銃器師団の団長でも、この程度の腹芸はできる。
「ええ……。この提案は我々も心苦しいのです。その辺はご理解ください。ですが、是が非でもこの交渉を成功させて貰いたいのです。報酬に関しましても前回の遺跡探索時の三倍を用意しましょう。何卒、お願いできませんか?」
 法外な金額を言い渡され、銃器師団側が色めき立つ。
「交渉の報酬が探索ミッションの三倍? こちらとしては結構なことですが、どういう風の吹き回しですか」
 身振り手振りを加えて参謀が探りを入れる。何か裏でもあるんですか、などとは当然訊ねない。
「三倍というのはもちろん成功報酬です。我々が匙を投げた仕事を引き受けて下さるのですから、高額とは考えていませんよ」
 この交渉の目的をよく考えてみれば、ドミニオンズに裏があるとするならば、それはゼーレを陥れるための布石であることが予想できる。ゼーレは味方にするより蹂躙したほうが支配者側にとっては都合がいい。なぜなら、開拓を進めるタウンの代表たるドミニオンズと、学者が集うゼーレが仲を保つことなど、まずありえないからだ。だからこそ、ゼーレも今まで非公認ギルドを貫いてきた、とも言える。
 故に、少なくとも銃器師団にマイナスとなる策略を支配者たちが張り巡らせる可能性は、ないとは言い切れないが、低い。
「プリンセス、あなたのご意見も副マスターと同じですか?」
 スノーがひろこにも確認を取る。
 後になって「私はそんなこと認めていない」などと喚かれても面倒だ。
 この質問に対し、プリンセスはあっさりと口を滑らせた。
「ええ。大事の前の小事ですわ」
 この発言を受け、元から緩い京の口元がさらに緩んだ。
 にっこりと微笑むひろこ。自分が真意を口走ったことにさえ気付いていない。
 相手のギルドマスターは本当に思慮がない。その発言では、ゼーレを罠に嵌める気があることを自らの口で証明しているようなものだ。
 対して、思わず市長が頭を抱える。それも、ひろこには気付かないようにこっそりと。気苦労の絶えない仕事だ。
 やれやれ。ドミニオンズがその気ならば、こちらも遠慮なく報酬を受け取る事ができる。こちらが引っ張り出すより先に、向こうが譲歩するとはね……これはこれで仕事がなくなって拍子抜けだ。
 そして、再び沈黙。
 雨足は、先ほどからさらに激しくなったようだ。
 ジオが半分ほどになった煙草を再び咥える。
 ゆっくりと、味わうかのように吸う。
 今度は腹芸などではなく、隣に座る緑髪の参謀の思考時間を稼ぐため。
 だが、それは京にとっては既に不要なものであったろう。

 天井に白い煙が張り付いたとき、吸殻を灰皿に捻りつけながら、団長は参謀に意見を求めた。
「参謀、どう思う?」
 極短い質問だが、京は余すところなく上司の意図を汲み取り、彼も簡潔に述べた。
「金額と成功率とを踏まえて考えれば、こちらが貰い過ぎといったところでしょう。故に私には反対する理由が見当たりません。スノーさんの意見はどうです?」
 ぱちりと京がスノーに目配せをする。後は団長に任せろ、という合図だ。
 眼鏡に手をかけ、黒い短髪が微かに揺れる。
「こちらにコネクションがあるのならば、それを利用しない手はないでしょう。あとは、団長のお心一つというところでは?」
 ジオがふぅ、とため息を吐く。煙草の残り香が辺りを包む。
「やはり気乗りはしないんですがね……。しかし、ドミニオンズとの関係もありますし、ゼーレのこちらへの引き込みが急務であることもまた事実。今回は私情を捨てましょう」
「引き受けてくださいますか。ありがとうございます。成功をお祈りしていますわ」
 プリンセスが握手を求め、オールバックの男もそれに応じる。
 交渉成立、とばかりに京とスノーが安堵の表情を見せる。
 強くなった雨も、遠雷の轟きを握手に捧げた。
 ただ一人、手玉に取られた事が悔しいのか、市長ひろが苦々しくその握手を見つめていた。

 最後になって、ようやくラムタラが魔道書から目を離した。
 京には、彼の口の端が心なしか吊りあがったかのように見えた。

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