第十五話:孤独な銃士と二人の男

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 ウェルトとティス、二人が銃器師団本部へと戻ると、師団司令部はタイプライターと通信のやり取りで騒音の発信源となっていた。
 先ほどの戦闘で疲れきっていたにも拘らず、真っ先に寄宿舎の方へ足を運ぼうせず、当直の者達の見回りに行った辺りが、彼女を「鬼の副長」足らしめている所以なのかもしれない。
「随分騒々しいようだが、これは……?」
「ああ、副長。丁度良かった。お呼びしようと思ったんですが、実は……」
 当直の団員が言い淀む様子を捉え、副長は連れていた男に目配せをする。銃器師団の団員以外には口外できないことでも起こったのだろうと判断したのだ。
 ウェルトはそれを見て席を外した。気になるのなら、自慢の聴力で盗み聞きでもすればいい。
「で、何があったんだ?」
「ひろ市長からの勅命が下りました。幹部クラス以外には緘口令が敷かれており、内容の詳細は自分には解かりません。それに関する会議が本日八時半より中央円卓室で行われるとのことです」
 手元の時計をちらりと見やり、時刻の確認をする。空は既に白み始めており、短針は真下に向かいかけていた。
「八時半……あと三時間弱か。詳細は解からないと言ったが、それは大筋くらいは知っている、ということか?」
「はい。何でも、今回の勅命というのは戦闘や探索関連のミッションではなく、人事に関することらしいです。また、我々にタウン北部、および郊外の情報収集の命が下っていることから、非公認ギルド『ゼーレ』との交渉事ではないかと愚考します」
 これを聞いて訝しげな表情を浮かべるティス。
「妙だな。この手の仕事はドミニオンズ自ら、それが駄目でも術師会あたりに回ってきそうなものだが……まあいい。会議になれば解かる事か」
「ところで副長。お疲れのご様子ですが、大丈夫ですか?」
 上官のスーツが所々汚れている事を、団員は見逃さなかった。
「ああ、問題ない。私は寄宿舎で仮眠を取る。お前達も体調管理には常から気をつけろ」
 ティスは団員達を気遣ったつもりだったのだが、団員から見れば、副長の言葉はいわば神の一声である。室内にぴりりと緊張感が走る。
 敬礼をして団員が応対する。
「はっ、ご忠告ありがとうございます!」
 やれやれ、といった風情で副長は司令部を後にした。

「なんだ、部屋に戻ったんじゃなかったのか」
 扉を閉めつつ、ティスは半ば呆れた表情で連れの男を見やった。
「そば耳でも立てようとしたんだがね。防音対策もしっかりしてるようで」
 悪びれもなく、そう答える。
 その気になれば盗み聞きもできただろうが、今回はさすがに不謹慎に感じてやめたのだ。それ以上に疲れていたというのもある。
「大した話じゃない。私の仕事が一つ増えて、睡眠時間が削られたってだけの話さ」
 立ち話する時間が惜しいらしく、ティスが歩みを進める。ウェルトがそれに続く。
「帰ってきたらすぐに仕事か。次から次へと忙しいことだな」
「普段はここまで大変じゃないんだがね。案外、君がトラブルを引き込んでいるのかも知れんな」
 ティスが珍しく冗談を吐く。疲れた顔に、僅かながらも笑みが混じる。口調や服装から男性と見紛われることの多い彼女だが、こういった顔は間違いなく女性のそれだ。
「そうかもな。お陰で退屈せずに済んでるよ」
 二重の意味を込め、ウェルトはにやりと笑った。

 寄宿舎前。
 三日間振り続けた雨はようやく止み、曇り空の隙間から太陽の光が降り注ぎそうな気配を見せていた。
 湿った空気は朝靄となって、あたりに散らばっている。
 銃器師団の寄宿舎は全部で三棟。男性寮と女性寮と賓客用の宿泊施設だ。
 案内の矢印看板が設置された十字路で二人は別れた。
「今日はしっかり休め。今回の件は私から団長に報告しておく。それに……」
「それに?」
「君は見かけによらず盗み聞きが上手いと聞く。私の仕事中に、変に嗅ぎまわられると鬱陶しいからな」
「へいへい」
 姉に叱られた弟のように、二十四歳の冒険者は肩をすぼめて恐縮した。
「さてと、ただの散歩だったはずなのに、酷い目に遭ったもんだ。あんたに言われなくとも今日はぐっすりと眠れそうだ。あんたはあんたで、寝過ごして遅刻なんてしないようにな」
「ここでは遅刻は懲罰房行きだ。そんなヘマはしないさ。例えどんなに疲れていてもね」
 おどけた顔で、むしろ懲罰を与える側の人間は小首を傾げた。
 戦闘のプロってのは仮眠のプロでもあるんだな、そんな可笑しなことをウェルトは考えた。遅刻だけで懲罰とは、俺には絶対に勤まりそうにないな。
「じゃあな。またこれからもお世話になるぜ」
 そう言って踵を返し、手を振って部屋に戻ろうとした瞬間、焦ったような女性の声が彼を留まらせた。
「ああ、すっかり忘れていた」
 声の主が誰のものかを理解するのに、ウェルトは数瞬を必要とした。
「ん?」
 首だけをティスに向ける。
「助けて貰っていたんだったな。まだ礼を言っていなかった。ありがとう」
 実に真摯な顔で神業の銃使いは、それでも彼女らしい素っ気無さを崩すことなく感謝の意を表した。
「なに、ナイト気取りで斬りかかっただけさ。それを言うなら、俺の方こそ危ないところを助けてもらったんだし。いつかこの借りは返すぜ」
 女ってのはどうして何かをくすぐるのが上手いのかね……。こそばゆい想いをしつつ、ウェルトは返礼した。
 確かに、退屈せずには済んでいるようだ。


 午前七時五十二分。
 予定よりも八分ほど早くティスは目覚めた。
 雲は晴れ、三日ぶりの強い日差しが彼女の白い肌に突き刺さる。
 身支度と軽食とを十分で済ませ、寮から出る。早撃ちと早着替えは彼女の十八番だ。パリッと決めた黒いスーツ姿は、とても短時間に仕上げたものとは思えない。
 円卓室に入ったのは八時十七分。やはり予定よりも八分ほど早い。
 銃器師団司令棟・中央円卓室――。
 五階建ての銃器師団司令棟の三階中央に位置する、文字通り大きな円卓が置かれた会議場。司令棟自体も銃器師団本部の中央に位置し、仮に地上からも空中からも攻められたとして、最も陥落するのに時間の掛かりそうな場所に用意されている。最上階に会議場を置くタウン市庁舎とは、根本的に構造理念が異なる。
 室内には誰もいなかった。会議開始時間よりも十三分も早いのだから当然ではあるのだが。
 市庁舎の会議室と違って、椅子は簡素な木製。床や壁は古めかしく、空調も不充分で、所々にぼろが目立つ。しかし、これは銃器師団とドミニオンズとの力量差を顕わしているわけではない。過去に何度かモンスターからの直接の攻撃を受けた故の、外見を無視した機能重視。今でこそ、この周辺は人間たちの「領土」となっているが、ティスはこの円卓室を銃器師団が積み重ねた歴戦の勲章として、誇りにすら思っていた。
 人の気配の代わりには、黴と埃のような臭いが充満していた。雨上がりで、湿度が高いことも原因なのかもしれないが、これは掃除が不充分な証拠だ。後で担当の者にきつく言っておかねば……そう考えつつ、きびきびとした動きで窓を開けにかかる。
 窓、といっても外枠には鉄格子が嵌められた重厚な物だ。窓自体は防弾仕様ではないが、仮に飛竜(ワイバーン)や獅子鷲(グリフォン)のような大型の飛行モンスターに襲われたとしても、しばらくは持ち堪えられるようになっている。
 そんな重たい窓をガラガラと開ける。気持ちのいい朝日。どこかで小鳥の鳴き声が聞こえる。気分が高揚しないと言えば嘘になる。
「お早う御座います、副長」
 三枚目を開け放ったところで、コツコツと軍靴が木の床を叩く音が聞こえ、二番手の会議参加者がやってきた。
 気を張り詰めたような、神経質そうな隙のない声。彼女の部下であり、団長ジオから絶大な信頼を得ているベレー帽の男。スノー少佐だ。今までに何百何千と聞いてきたが、この男はいつもこのような無味乾燥とした挨拶をする。せめて私に対しては、もっと親密に接して貰いたいのだが。
 副長と呼ばれた彼女も振り返らずに色のない挨拶を返す。
「おはよう、スノ。手が空いてるなら手伝え。埃っぽくてかなわん」
「ふむ。同感ですね」
 一字だけ名前を略された男も鼻につく臭いを不快に感じ、上官の命令に従って反対側の窓に手をかける。
 まるで、窓を開けるためだけに作られたカラクリであるかのように、スノーは実に素早く窓を開け放つ。ティスが一枚窓を開ける間に、スノーは二枚の窓を開けた。
 窓開けが完了した時点で、ティスからスノーの方向へ心地よい朝の風が吹きぬけた。円卓室の空気全てが入れ替わったかのように錯覚する。
 ネクタイを調え、ティスが深呼吸する。彼女の部下である眼鏡の男は、愛用のベレー帽を脱ぎ、自分が座るべき席を探して腰掛ける。
 木製の椅子と木枠の床が擦れ、柔らかくも暖かい音が響く。こんな音ですら、円卓室を愛する彼女にとっては心地よい。
「ところで今回の会議についてだが、何かあったのか?」
 ティスが振り返り、腰に手を当てて問いかける。
 何故銃器師団が慣れない交渉役などに選ばれねばならなかったのか、その点が妙に気になっていた。
 前日に市庁舎に呼び出されたこの男なら知っているはず。そういう公算だった。
 ……ドミニオンズとの会議に、自分ではなくスノーが参加者に選ばれたことには悔しさは感じない。外見上は友好的な会議とはいえ「想定敵地」といえる市庁舎に乗り込むには、団長と参謀の護衛として自分よりもスノーのほうが間違いなく優れている。
 会議室のような狭い場所では、銃は本来の力を発揮できない。近づかれてしまえば、それは昨夜の通り、地力に乏しい自分では何もできない。どんなに努力をしようとも、男と女の差、ひいては才能の差は簡単には埋まらない。
 最初から解かってはいるはずだ。智謀では京に劣り、戦闘ではスノーには敵わない。それを理解しているからこそ、副長としての仕事を全うすることができるのだ。自分には自分にしか出来ない仕事があるし、極論のところ、スノーのサポートさえできればそれでいい。
「私から話すべきではないと考えます。最も肝心な案件については私は存じませんし、むしろ何も知らずに会議に臨んだほうが面白かろうと思います」
 ティスの思惑を外れ、眼鏡に手を当てながら、短髪の男はおかしなことを言う。
 何かを企んでいるかのような、含み笑いを隠せない様子だ。
「肝心な案件? 市長からの勅命とは、ゼーレ相手の交渉事ではないのか?」
「耳の早い。お察しの通りです。ドミニオンズには法外と言っていい成功報酬の約束を取り付けています」
 理由は解からないが、ドミニオンズが大枚を叩いて銃器師団に人事面での仕事を押し付けた、ということか。射撃ほどではないが頭の回転も速い副長は、それぞれに複雑な利害関係が存在していることを直感した。
 ベレーの左隣にティスが腰掛ける。上座の右隣。団長ジオの右腕を意味するこの席が、彼女の定番だ。
「なるほどな。確かに順を追って話を聞いていった方が面白いかもしれないな」
「ええ。市長を手玉に取った参謀と団長の芝居、副長にもお見せしたかったですよ」
「それはさぞ見物だったろう。参謀相手に化かしあいで上を行く人間を、私は見た事がないからな。実に不愉快なことだけどね。市長が悔しがる姿が目に浮かぶようだよ」
「我々は三人、対するドミニオンズは実質二人……いえ、プリンセスなど物の数には入りませんので三対一ですか。私は途中から市長が可愛そうとすら思っていましたよ」

 会議開始まであと五分。三番手、四番手の参加者が円卓室に足を踏み入れる。
 今日は久々に暑い一日となりそうだと、ティスは感じた。

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