「そうですか。そんな事がありましたか。お怪我のほうはありませんでしたか?」 会議に先立ち、副長ティスが昨日、正体不明の冒険者らしき人物に襲われた件について報告していた。 ジオがかけているサングラスを押し上げ、眉間にしわを寄せた。 銃器師団の中央円卓室には、十二人の幹部たちが一堂に会していた。団長ジオ、副長ティス、参謀京、団長補佐スノーの四人に加え、特殊部隊隊長風来坊、親衛隊隊長ザグナル、諜報部部長筋力ん、CQC特別教官ヴァイスなど、そうそうたる顔ぶれである。上座にジオ、その右隣にティスとスノー。左隣には京、さらに隣に筋力んが控えている。そんな感じでぐるりと円卓を十二名が取り囲んでいる。円卓の上には人数分の資料と飲み物が配置されている。 窓は開け放たれて風が流れ込んできているが、ティスが予想していた通りに気温はぐんぐんと上昇し、むしろ暑いくらいだ。部屋自体は広いので、熱気がこもるようなことはないだろうが。 問題提起の前にまた別の問題が発生か、と、会議の参加者たちは各々げんなりした表情を顔に貼り付けている。こういう事態には、ここにいる十二名全員が慣れてはいるのだが、面倒ごとをわざわざ歓迎する者もいない。 「いえ、多少の打ち身程度で問題はありません。ウェルトのほうも軽傷です。詳細のレポートはまとめる時間がありませんでした。すいません。後日提出という形にさせていただきます」 「昨日の今日ですから、それは仕方のないことです。ご無理はなさらないように。午後から予定されている特殊訓練の指導のほうは、ザグナル中尉に代役をお願いしますので、空いた時間をお使いください。中尉、構いませんね?」 「もちろんです。おまかせください。副長に負けないくらい厳しく指導いたします」 ティスが行う特殊訓練の苛烈さは、団員の間では(尾ひれ背びれがついた状態で)噂になっている。これは彼女本人が非常に努力家であることと、真面目で秩序を重んじる性格から生まれる苛烈さなのだが、副長という地位も相まって、この訓練を「銃器師団名物」と称して恐れないものはいない。きっと、今日の特殊訓練指導者はザグナルが代役になったと聞いて、ほっと胸を撫で下ろす者もいることだろう。彼の意気込みも知らずに。 「それはそうと、ティスさの銃撃三発をあっさりとかわすような冒険者とは。得体が知れねぇな」 ヴァイスが太い腕を組んだまま口を開いた。問題となっている冒険者の正体よりも、正確無比なティスの拳銃を無傷で避けたという事の方に興味があるようだ。 ティスの拳銃の腕には定評がある。その正確性、命中精度の高さは、団長ですら舌を巻くとまで言われている。 「不死者を操る死霊術士(ネクロマンサー)か。あるいは、まさしくヴァンパイアのような人外の類か……」 「それほどの能力を持つ人物ならば、我々の目に嫌でも留まるはず。しかしながら、大陸から渡ってきた者も含め、少しでも名の知れた実力者は逐一チェックしておるのじゃが、今回の男は今まで見たこともないぞい」 諜報部部長の筋力んが、長く白いあごひげを撫でながら思案げに語った。師団の生き字引を名乗る彼は、当然顔も広い。それは、諜報部の部長を務めるには相応しくないほどに。そんな彼ですら知らないという謎の冒険者。その事実は、正体不明という恐怖を嫌でも煽る。 「変身(ポリモルフ)能力を身に付けた、下法の呪術師という線もありえますね。となると、仮にタウン内部の者だとしても正体が判別できない場合もあります……。ううむ」 対して、ティスが浮き足立った者をやんわりと収拾しようとする。 「先ほど報告したとおり、その男は、現在師団に食客として滞在しているウェルト=ミリタールについて何か知っている様子でした。ウェルトは大陸中央政府(ミッドガルド)出身とのことですから、大陸から彼を追ってきた刺客のような存在なのではないでしょうか。十年間各地を流浪してきた男ですから、少なからず敵に回してしまった相手もいるでしょうし」 「ありえる話ではあるけれど、結論を出すには早いね。ウェルト君について知っている、というのは、おそらく先の遺跡で彼が見せた高い戦闘能力のことだろうけど、それとて憶測の域は出ない。それに、その男がもしも普通の刺客だったら、あなたやウェルト君を生かしたままで逃がす必要があるとは思えません。わざわざグール五十体を従えてまで、接触を試みた目的もね」 京がまとめにかかった。面倒くさそうに、若草色の前髪を掻き揚げている。 本題であるゼーレとの折衝の件を先に進めたいという意図もあるようだ。 「結局のところ、我々ができることといえば、その男の再接触を待つことくらいでしょう。『時が来たら』などと、親切にも再接触を仄めかしてくれていますしね。まぁ、気長に待ちましょう。老師、ウェルト君およびリーネさんの監視は現在誰が行っていますか?」 「TOMOさんが一人で行っておりますじゃ。念のために盗聴器も仕掛けさせたのじゃが、今の話を聞くと少々不足かもしれんのう」 「老師、あなたがウェルト君を。TOMOさんがリーネさんを。それぞれマンツーマンで警戒に当たってください。ただし、もしもその男と対峙する事になった場合、交戦は控えてください。実力も目的も底が知れない以上、こちらから仕掛けるのは危険です」 「了解ですじゃ。TOMOさんにもそう伝えておきます」 「さて」 簡単な指示を終え、京が一呼吸置く。 直面している問題とは全く関係のない思考を頭のどこかで行っているかのような顔つきで、若草の脳細胞が正式に会議の開始を告げる。 「少しばかり脱線しましたが、これより本題に入ります。本日の議題は、お手元の資料にあります通り、市長から下った勅命についてです。勅命の内容は、諜報部を中心にご存知の方もおられるかと思われますが、タウン北部を押さえている非公認ギルド、通称・ゼーレとの外交交渉です。ゼーレにタウンへの資金面での支援の約束を取り付ける事が、最終的な目的となります」 この奇妙な勅命については、ほぼ全員が周知していたらしく、大きな混乱は起きなかった。 だが、その内容については怒りの矛先が向けられていた。不服を持つ数名が、愚痴をこぼす。 「まったく、我々を馬鹿にするにも程がある。自分たちでは無理だからといって、団長の過去を利用するなど……!」 「目的のためには手段を選ばぬとは聞き及んでいたが、まさかここまでとは」 顔を真っ赤にするような単純な激情家はいないが、憤慨の様は相当なものだ。自陣営の顔とも言える人物に泥を塗られた気分なのだろう。 これを押さえたのは、他ならぬジオだった。表情は全く変えず、淡々と冷静に。 「君らの憤りは解かるが、ここはこらえてくれ。我々には、少なくとも今のところは、勅命に逆らうという選択肢は無いのだから。私の心中に関しても、察する必要はない」 不平を発した者たちは口をつぐんだ。今回の件で最も悩んだのは団長であろう。その団長に察するなと言われれば、こちらは何も言えない。 今日は脱線が多いですねぇ、などとため息混じりに軽口をさえずりながら、参謀が再び解説を続ける。 「ドミニオンズが既に何度か交渉を行っていますが、それらはことごとく失敗しています。まあ、これは我々から見れば必然です。ゼーレ側のマスターである九連内くれは(くれないくれは)氏は、ちょっぴり変わり者でしてね。俗世的な地位や名誉、金や権力のような類には興味を示さない方なのです。商人ギルドのマスターなのに、ですよ? ドミニオンズでは、彼女を口説き落とすことは不可能です。奴らは権力主義ですから」 「そのあたりに、我々が出し抜く好機があるということか?」 副長が耳にかかる金髪を右手ですくい上げながら尋ねた。ゼーレのマスターの性別が男性ではないことに対する驚きは、うまく隠している。 「そういうことです。彼女の興味を引くようなメンバーを使者に選定し、彼女の興味を引くような条件を提示する。彼女を知る者は、この場にいるだけでも私と団長と老師。銃器師団内に複数人いますから、我々にはそれが可能なのです」 自信たっぷりに京が言い放った。彼の言葉には不思議な魔力がある。彼が「可能」と言えば、例え根拠のない論であっても、それは必ず成功するものだと思い込ませる力がある。これは、計算高い参謀の知恵がこれまでに築き上げてきた信頼性を裏付けるものであり、彼自身もそれを理解して、利用している。 「昨日からずっと気になっていたのですが、質問よろしいでしょうか?」 神経質そうに眼鏡の男が口を開いた。 「なんでしょう、スノー少佐?」 「失礼を承知でお聞きしますが、ゼーレのマスターとあなたがたとはどういうご関係なのですか?」 もっともな疑問。ジオは当然過去のことは喋りたがらないし、京も筋力んも、銃器師団結成当時からのメンバーということもあり、過去を知る者も詮索する者もいない。そもそも、過去を詮索しない事は、このギルドの不文律でもある。 「そうですね……。これは知らない方のほうが多いでしょうし、おそらく知らないままでは釈然とはしないでしょうから解説しておきましょう。私と老師は、彼女と同郷の出です。大陸中央政府(ミッドガルド)よりもさらに東、アルベルタ港から船で数日。この世の極東に位置する島国、『アマツ』のね。当時から彼女は有名人でしたよ。学者としても、商人としても、魔術師としても」 「うむ。あの娘は幼い頃から良く知っておる。才気は誰もが認めるところじゃったが、同時に酷く気難しい娘じゃったのう。あれからもう随分経つ。あのじゃじゃ馬っぷりが、少しでも収まっていればいいのじゃが」 京と筋力んが、異口同音にゼーレのマスターの特殊ぶりを披露した。中にはその人となりを過剰に想像して、若干混乱するものもいる。学者で商人で魔術師でじゃじゃ馬の有名人? 「参謀と老師との間柄は解かりました。しかし、団長との接点が見えないのですが」 ジオの出身は、大陸中央政府の北に位置するシュバルツバルド王国のアインブロックである。ゼーレのマスターと接点を見出すどころか、邂逅を期することも難しそうに思える。 しかし、ジオに目配せで許可を得てから、京は意外な言葉を口にする。 「団長とくれは氏は、ご学友なのですよ。団長は四年間ほどアマツに留学していた時期がありまして、まあ、それで私や老師とも知り合ったわけですが。団長は郷土歴史学や考古学などを修めていたのですが、彼女は同門の三つ上の先輩にあたります」 「なるほど。団長が古代言語に詳しいのは、その手の学問を専攻していたからなのですね」 先の遺跡ミッションで古代語の翻訳をサポートした風来坊が感心したように唸った。 「いや、学問に関してはあくまで齧った程度だよ。あそこの文献は兵器関連に情報が偏っていたから読めたようなものだ。本格的で難解な書物の解読は私の様な者には不可能だ。それこそ、くれはさんのような専門家でなくては、ね」 ジオが冷静に、謙虚な意見を返した。齧った程度の知識で古代語の翻訳ができる時点で、彼もまた並の人間ではないのだが。 「ご理解いただけましたか、少佐?」 「ええ。解かりやすいご説明、感謝します」 京が「もういいでしょう」と言いたげにスノーに同意を求め、スノーもそれに応えた。 だが、スノーは釈然とはしていなかった。 シュバルツバルド王国生まれのジオが、何故アマツへ足を向けたのか。ジオとくれは、共に郷土歴史学の一学徒に過ぎなかった彼らが、何故タウンに渡り、そして両者ともタウンに影響力を持つほどのギルドの長にまで登りつめたのか。団長も参謀も老師も、そのことに言及しないし、おそらく訊いても答えるつもりはないのだろう。 そう。アマツで一体何があったのか。 「では、使者の選定についてですが。当初の予定では資料に書かれてあるように、団長、老師、ティス副長、スノー少佐にお願いしようとしていたのですが……」 いつもはぺらぺらと、余分なことまで良く喋る参謀が口を濁した。下あごに手を当て、思案げな表情を作る。 状況を察したティスが申し訳なさそうに尋ねる。 「先ほどの、私が襲われた件か?」 「ええ。老師にはウェルト君とリーネさんの監視の任務がありますので、別行動を取ってもらうことになります」 ティスには目を向けず、手を下あごに当てるポーズも崩さずに京がゆっくりとそう答える。 彼は全く別のことを考えているのだ。若草色の脳細胞がフル回転し、次善となる最適解を模索している。彼が考えていることは、少なくとも他人の一手以上先だ。 「了解ですじゃ。こちらのほうはお任せください」 筋力んが口を開いた時、参謀は計算を弾き終えたのか、明確に彼の言葉を否定した。 「いいえ。別行動とは言いましたが、老師にも尾行という形で一緒に来ていただきます」 筋力んが白髪の混じった眉をひそめる。数秒後に参謀の言いたいことが飲み込めたとき、それは驚きと共に声となって押し戻された。 「というと……? お主、まさか彼らも使者に加えるというのか?」 「その通りです。くれは氏の性格を考えると、我々が先に行った遺跡探索ミッションの件にはかなり興味があると見ます。その場にいた二人を連れてきたと言えば、彼女の気を引く事ができるでしょう。もちろん、二人には迷惑になってしまうかもしれませんが、彼らにもメリットがあります。二人が探しているという楽園伝説の手がかりは、残念ながら銃器師団内には皆無です。ですが、歴史や考古学に詳しいくれは氏ならば、我々よりは頼りになるのではないでしょうか? 無論、彼らが同行するかどうかは彼らの意思を尊重しますが」 「むぅ。これは思い切ったことを考え付くものじゃのう」 しかし、一見して無茶な案を提示した京に対し、慎重派の一人が声を荒げて反対の声を上げた。 「いくらなんでも……これは市長からの勅命なのですよ!? そんな大事な案件を部外者に任せて、失敗でもしたらどうするつもりなのですか」 京は頭の固い人間が嫌いだ。すなわち、慎重の度を越えた人間が嫌いだ。 市長の勅命とは体の良い表現で、これはすなわち、ドミニオンズからの不遜な命令に過ぎない。そんなものの為に面子を気にする必要などない。それに、ドミニオンズがゼーレに対して明確に敵意を持っていることが判っている以上、銃器師団としては、ゼーレとより親密な関係を持つ必要がある。ゼーレが今潰されてしまうと、銃器師団としてもまずいのだ。 そして何より、成功率のみを考えるなら、ウェルトとリーネを加えない理由は見当たらない。頭の固い連中を同行させるよりは、遥かに成功率は高い。 「失敗などさせませんよ。させないための案なのです。団長、いけませんか? 私は、私が今提示した案が最も成功率が高いと考えますが」 ジオは冷静に答える。 「作戦の立案は君の自由だ。そしてこれは会議だ。反対意見が出ることは当然だが、それが罷り通るか否かは、多数決に訊いてみるべきだな」 結局この案は、賛成十、反対二で可決された。やはり、遺跡の件にしろティスとの件にしろ、ウェルトとリーネはすでに師団員たちからの信頼を相当に勝ち得ていたのだ。 「ところで」 「なんでしょう?」 「当初の予定にも、今言ったメンバーの中にも、アンタ自身の名前がないのは何故だ? アンタもゼーレのマスターのことを知ってるんだろう?」 「いやだなぁ、ヴァイスさん」 「何?」 「私にも、口説く女性を選ぶ権利くらいあるんですよ。彼女とのアバンチュールはご免被りますのでね。あ、団長、ゼーレはアマツ地方の民芸品を取り扱っているとも聞きます。交渉成功の暁には、おみやげもよろしくお願いしますね♪」 この言葉には、その場にいた十一名全員が失笑せざるを得なかった。 |