ある日「これ安くならん?」と尋ねたおじさんが、その後に行った。 「街でやればいいのに。こんなところじゃ商売にならんやろ」 わかっとるなら値切らんでくれよ。 それはさておき、なぜここなのか。 それを話さなければ前には進まない。 ファー・イースト・ホライズン(以下FEH)の職人である私こと 木船至樹は福岡県出身。 小学生の頃は毎年のように九重連山に家族で登山に来ていた 都会の少年だった。 やがてバンドとバイクとアジアの旅に明け暮れた大学を卒業した 私はアジア放浪の旅へ。 帰国後、社会人になり乗り始めたサベージ400がバイク旅の 楽しさを教えてくれた。 そして始めての本格的ツーリングで九州一周に出発し、最後に 目指したのはやまなみハイウェイ。 筋湯お年で濡れた髪にヘルメットをかぶり、やまなみを走っている時、 その瞬間はやってきた。 夕焼けの光で暖められた空気と、日陰の冷えた空気がそれぞれ塊に なっていて、丘を越えるたびに交互につっこんでいく。 全身の細胞が沸き立ち、血がたぎり、その空気の変化をむさぼるように 求める。 二種類の空気の塊の間の壁を突き抜けるたびに、車でも自転車でも 気付かないであろう、バイクだけの時空を感じたのだ。 それから、やまなみはいつも私のツーリングのラストを飾ってきた。 長者原で野宿し、初めて流れ星を見、バイク乗りとの一期一会を 体験した。 やがてフリーのライター兼カメラマンとして独立し、結婚。 そしてある日気づいてしまった。 「あぁ都会って暮らしにくい」 田舎に行くならやまなみしか考えられなかった。 憧れの聖地に暮らすことでナニか失うかも、と覚悟しながらも人との良い 出逢いもあり、移り住む事が決定。 そのころは既にレザークラフトを修行していた。 バンド、バイク、そして旅で出逢った「手でモノを作る」という3つの キーワードに。 それらが一つになった、自分を表現できる場所がレザークラフト。 そして手に入れた愛車は、初めてバイクに興味を持った中学生の頃 あこがれたドカッティ900SSダーマ。 カフェレーサーでも、空冷四発野郎でも、もちろんアメリカンでも「本物」が 欲しいのは同じはず。 この場所でレザーを使って「本物」を生み出していきたい、ただそれだけを 思っている。
工房が出来るまでの道のりは気が遠くなるほどのものだった。 「九重町に移ればみつかるだろう」という甘い考えは弾き飛ばされ、場所 探しに約2年掛かった。 田舎に移ってからは雑誌の仕事もじわじわと減り、双子の育児にも手が かかり「この先どうなるんやろう」と思ったのは本当の話。 しかし多くの出逢いの中で勇気づけられ、手を差し伸べてもらい、糸を たぐり寄せるようにして工房はオープンした。 オープンにあたっては、地元の人たちに本当にお世話になった。 あまりにうれしくて感激して、オープン前に、それまで長かった髪を切った。 都会からの移住者っぽく見られたくなかったのが理由の一つだ。 この土地の人間として生きて生きたい、と本気で思っている。 FEHではお客さんがきても「いらっしゃい」とは言わない。 あくまで「こんにちは」なのは、商売の売買の前に「出逢い」を大切に したいからだ。 バイク乗りはもっとカッコいい物をさがしてるんじゃないの? もっと他人と違う物を欲しいんじゃないの? そんなものを作ってみたいと始めたレザークラフト工房。 軽くて便利で使いやすいナイロンではなく、なぜレザーなのか…… 自分だけのブツが欲しい、という人と出会うために、バイクに乗れば 走りたいと誰もが思うであろう、やまなみハイウェイに工房を開いた。 ここまで来てくれる酔狂な人たちに「こんなモノが欲しい」と話を聞かせて 欲しい。 人との出逢いがここまで自分を導いて来たと思うからだ。 煙を吹きあげる硫黄山が見える工房で制作にいそしみながら 「あぁ、俺って幸せ」としみじみ。 しかし、気づくと、すぐそばを何も知らないバイクが何百台も通り過ぎていく。 まだまだ誰も知らないこの小さな工房を、多くのバイク乗りたちが立ち寄って くれる場所にしたい。 夢はまだ始まったばかりなのだ。 |
ジパングツーリング平成12年10号掲載「遙かやまなみ 阿蘇から」より抜粋 |
今年が平成14年だからもう2年前の雑誌だね。 この記事を読んでね、純粋に「凄い」と思った。 「惚れたぜ」ってね。 だから九州まで行った。 この人が作るものが欲しい。 この人に「自分だけの物」を作って欲しい。 そう思ったからね。 オレを九州まで導いた、これがその理由。 |