現代 江戸
121029撮影
若旦那が住んでいた日本橋横山
町。但し、現在の横山町は、江戸
のそれに比べて、より地域が限定
されている。撮影したのは日曜、
ビルの立ち並ぶ街に、人影はまば
らであった。
横山町は右上方向。
| 現代 江戸
121028撮影
吾妻橋を浅草側から見る。。右
手が下流、日本橋方向。若旦那は
ここで身投げをしようとしていた
ところを叔父さんに止められる。
左手の対岸には、巨大な金色の雲
の形をしたアサヒビールのモニュ
メントが聳えている。
浅草側から上方向に、隅田川を
望む。下方の広い道が浅草広小路 | 現代 江戸
121028撮影
吾妻橋を渡り、本所吾妻橋の交
差点を右折、三つ目通りを亀沢方
面へ向かう。若旦那が叔父さんの
家へと連れられて行ったのは、こ
の辺りの道であろう。ちなみに江
戸時代の本所は、現在の本所一〜
四丁目に加え、両国橋付近も含ん
で広大であった。 | 現代 江戸
121028撮影
ご存知、浅草雷門の夜景。手前
の浅草通りは、かつて浅草広小路
と呼ばれていた。炎天下を天秤棒
を荷った若旦那は、この道を左手
田原町の方へと歩くのである。
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現代 江戸
121029撮影
営団地下鉄銀座線田原町駅の出
口右手に仏具店がある。この辺り
がいわゆる寺町であることを思わ
せる。
| 現代 江戸
121029撮影
門跡様、東京本願寺の正門。こ
の門は、南に向いている。
| 現代 江戸
121029撮影
右手に見える長い塀が、東京本
願寺の北側の塀である。若旦那が
売り声の稽古をした「門跡様の裏
手」はこの辺りか。
本願寺と道を隔てた北側の地に
江戸時代、誓願寺はあった。北寺
町と称されていた場所である。
なお、誓願寺店は、画面奥の左
手にあったと推測される。
中央の道路が、門跡様北側の道
画面上が北。 | 現代 江戸
121029撮影
左写真の道に直行して北に延び
る道より、本願寺の伽藍を見る。
道の手前の方向(北)には、誓願
寺の彼方に吉原田圃が広がってい
たはずである。若旦那はそこから
遊郭の家並みを望んだのである。
中段右の大きな建物に「誓願寺
」の注記がある。写真の手前方向
左手に当たると想像される。
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