臼田甚五郎著『孤悲記 | 国文学者の欧米通信 | 』 |
「序」にある通り、著者・臼田甚五郎先生は、昭和四十年三月末 から八月二日にかけて、海外の文学史・民俗学の方法及び理論の調 査研究を目的として、欧米各国を訪問された。その際、内地の知人、 弟子に送られた書簡をまとめたものが本書である。訪問先の写真も 多数収められている。 戦後、海外渡航に制約のある時代が長く続いていた。経済力の伸 張に伴い、昭和三十年代の末頃から、この制約は徐々に緩和されて ゆく。昭和三十八年四月、年間総額500ドル以内の業務渡航が承認 され、翌年四月以降は観光渡航も年一回500ドルまでの外貨持出し が自由になつた。さらに四十一年一月からは年一回という回数制限 も廃される。ジャルパックの発売開始は、昭和四十年の一月である。 かつて、日本人にとって、海外を漫遊することは、重い目的と強 い覚悟を必要とする一大事業であった。本書は、そうした性格を持 つ海外渡航の、おそらくは最後の記録の一つである。 それと共に、ここに収められた書簡を通して、今では様々な専門 分野で大家となられた方々の、青春の姿が垣間見られることも興味 深い。私は、先生の晩年の不肖の弟子であるが、本当にお世話になった方々、よく存じ上げている 方々の若き日の姿が、活き活きと立ち上がる。 ちなみに、本書の出版元は南雲堂であるが、巻末には桜楓社(現・おうふう)の書籍の宣伝が掲 載されている。本書は、国文学研究書の出版で有名な同社の、揺籃期を伝える証人でもある。 また、著者の業績の多くは、その「おうふう」から、「臼田甚五郎著作集」として、刊行されて いる。
【書誌】 著 者 臼田甚五郎 発行年月日 昭和四十一年三月十日 発 行 所 南雲堂 B6版 212頁
【「序」の全文を以下に掲げる 一部、正字を新字に改めた部分がある】
昭和四十年三月三十一日羽田を発つて、アメリカに飛び、それからイギリス、フランス、オランダ、ドイツ、オースタリー、デンマーク、ノルウェー、スェーデン、フィンランドと巡つて、同年八月一日にヘルシンキからコペンハーゲンに出て、日本航空の北極まはりで、八月二日羽田に舞ひもどつた。
國學院大學文学部で、私は日本文学の講座を担当して来たが、海外にあつて文学史・民俗学の方法及び理論について調査研究する機会を与へられたためである。
諸般の国際情勢をみると、ヴエトナムを中心として、何時如何なる事態が突発するかわからない。最悪の場合をも考へなければなるまいと思つた。万が一、はるかなる異境で、のこる人生を終へなければならないやうなことになるならば、どうしたものであらう。我が魂のしづまるべきものを持つて行かう。依るべき窮極の一冊、それは『萬葉集』をおいてほかにない。国文学に志した頃から、『萬葉集』は私の学問の源泉であつた。少年の日、魂にひびいたものは、不思議に消え去らない。
かくて、重い重いと思ひながらも、『萬葉集』は、雲煙万里を私と共に旅した。
七月二十二日、終に芬蘭のへルシンキに到つた。若き日に、柳田國男先生の「フィンランドの學問」を読んでから、ずうつと胸の裡にあこがれを持ちつづけたところで、感慨深いものがあつた。
七月二十五日、まあまああと一週間で帰国の途につけさうだといふ見通しが立つた。ここで、やうやく、『萬葉集』をば、床に就く前読み始める段取になつた。
赤松の木も見られる芬蘭の風景、質実な風采の芬蘭人の生活が、祖国日本に近い感情を催して、まことにしづかに万葉の世界にひたることが出来た。
『萬葉集』をひもときながら、心うつ歌に限りなくぶつかつた。海彼の旅にあればこそ、深く思ひ知る歌も多かつた。
数々の歌の中で、私が思はずもうなつたのが、巻第一の六七番の歌であつた。
たびにして ものこひしきに たづがねも きこえざりせば こひてしなまし
旅爾之而 物戀之伎爾 鶴之鳴毛 不所聞有性者 孤悲而死萬思
恋の字に、いはゆる万葉仮名をあててゐるのには、古此・古比・故非・故飛などがある
けれども、孤悲には重い意味が秘められてゐるやうである。
巻一から読み進んでゆくと、孤悲は巻二の五六〇、巻四の一七七八、巻九の三五〇五、
巻十四の三六〇八、巻十五の三六九〇、さらに巻十七には集中して、三八九一(2)、三九
三六、三九七七、四〇〇八、四〇一一(2)、四〇一五とあらはれてゐる。
懸の字に、いはゆる常葉仮名をあててゐるのには、古此・古比・故非・故飛などがあるけれども、孤悲には重い意味が秘められてゐるやうである。
巻一から読み進んでゆくと、孤悲は巻二の五六〇、巻四の一七七八、巻九の三五〇五、巻十四の三六〇八、巻十五の三六九〇、さらに巻十七には集中して、三八九一(2)、三九
三六、三九七七、四〇〇八、四〇一一(2)、四〇一五とあらはれてゐる。
〈恋ふれば苦し〉とも歌つた万葉人の恋のあはれを昔説いたこともあつたが、私はあらためて、孤悲の二字に、痛く切ない思ひがこめられてゐることに心をうたれ頭をたれた。
ヘルシンキのホテルの白い壁を、ひとり見つめながら、海外にあつての文や歌をまとめることがあるならば、〈孤悲〉の二字を冠しようと考へた。
本書の名号の由来を記して、序にかへる次第である。
ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
萬葉の孤悲をあはれと思ひしみ我かもなげくふいんらんどに
北のはて飛び来し時の事もなく萬葉集を讀みつぎにけり
昭和四十一年一月十六日